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「あ、その……びょ、病院は嫌がるだろうと旅館へ運んでしまったのですが……」

「ああ、ありがとう。薬もじき効いてくるだろうし、大丈夫だ」

「そう、ですか」

「……心配かけてすまなかったね」

「いえ。……いえ」

妻の頬に手を触れれば、柔らかい感触が指先に伝わる。妻の華奢な手が重ねられ、僕は無意識に緩んだ口元で弧を描いた。

薬は効いてきたのを感じて、僕は再びゆっくりと体を起こした。

窓の外を見れば、既に日は暮れ、夜の空が広がっている。マサキくんとの話を終えたのが夕方頃だったから、自分は随分と長い休憩を取ってしまったらしい。

「僕のせいで貴重な時間を無駄にしてしまったみたいだ。どうだい、温泉にでも入ってきたら」

「そんな気分じゃありません」

「そうか」

「それに、私は貴方を心配する時間を無駄だとは思っていませんよ」

「……そうかい」



――それは、嬉しいね。

妻の温かい言葉に、僕はつい笑みを浮かべてしまう。こんなに嬉しいこと、そうそうない。

僕は妻の手を握り締めると「ありがとう」と口にした。妻は少し驚いた後、小さくはにかんだ。



その日の夜、旅館から出された食事はどれも消化にいい物ばかりだった。粥やスープなど、どう見ても旅館には用意のないはずの食事の数々に、僕は驚く。仲居はそんな僕を見てこっそり笑うと、小さな声で呟いた。

「奥様に頼み込まれましてね。急遽お品を変更させていただいたんです」

「そうなのかい?」

「ええ。いい奥様を持たれましたね」

「はははっ。そうだろう? 僕の自慢の妻だよ」

仲居の言葉に僕は大きく頷いて、正面に座る妻を見る。僕に合せて並べられた消化の良い物を口にする妻は、首を傾げている。僕は彼女にただただ笑い返すと、いい食材たちを使った贅沢な病人食に舌鼓を打った。



妻が温泉に入っている間、僕は記事になりそうなことをメモ帳に書き連ねていく。確かに、小説家としてここに来たのは本当の事だが、記者として情報を提供することを約束しているのも事実だった。……まあ、経済的にやめたくてもやめられないのが現実的な問題なのだけれど。

(それにしても、曰く付きの絵画、か……)

これを、どう上手くまとめればいいのだろうか。というか、これはやっぱりスキャンダルとかそっちの類なのでは、と思いかけて、僕は首を振る。もしそうだったとしても、これを渡さない限り今回の旅費は自腹を切ることになってしまう。そんなことになったら家計は火の車だ。それだけは避けなくてはいけない。