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(あいつに比べれば、赤子みたいなもんだったな)

僕はマサキの顔を思い出して一つ笑みを零す。その後の桜まつりでは少し打ち解けることも出来たし、存外有益な時間を過ごすことができたと思う。

妻と並び立ち歩く街は祭りの余韻を残しているのか、僅かに浮き足立っているようにも感じる。それは僕の体を疲労感と共に優しく包んでいた。

「体が冷える前に帰ろうか」

「そうですね」

頷く妻の手を取って、僕は宿へと足を進める。昨日とは違う、充足感のある心と共に。





「ねえ、あなた」

「どうしたんだい?」

風呂に入った後、酒を煽っていた僕に妻の声がかけられる。自然と外を眺めていた視線を向ければ、飛び込んできた光景に目を見張った。

(おお……!)

浴衣を着た彼女はとても美しく、月夜に照らされる横顔はまるで天女のよう。

妻ははらりと落ちた髪を耳に掛けると、その小さな唇をお猪口に付けた。ほうっと息を吐いて、視線が向けられる。

「……あの、絵画のことなのですが」

「ああ、うん」

「……もし本当に呪いがかけられていたら、どうするつもりですか?」

「え」

妻の言葉に、つい声が零れる。傾けていたお猪口から、わずかに酒が零れ落ち、慌てて口元を拭った。

「突然何を言い出すのかと思えば……どうした? 何か思うところでもあったのかい?」

「いえ。そういうわけではないのだけれど……」

「大丈夫。言ってごらん」

視線を背ける妻に、僕は出来るだけ優しく問いかける。

彼女は視線を少し彷徨わせると、お猪口を両手で持った。

「ずっと考えていたんです。もし、本当に呪われていてあなたが危険なことに巻き込まれたり、周りに囃子立てられて高値で売りつけられたり……そんなことになるくらいなら、このまま帰った方がいいんじゃないかって」

「どうして?」

「わかりませんか? 心配なんです。あなたが」

妻の視線が、僕を射抜く。

「あなた、よく良くないことに巻き込まれるでしょう? いつもはちゅう秋さんがいてくれますけど、今回はいませんし、もし何かあったら……」

「お前……」

「……すみません。大切なお仕事のことなのにこんなことを言ってしまうなんて……」

「妻失格です」と視線を下げる彼女に、僕はお猪口を机に置いて彼女の手を取った。

冷たく冷えてしまった手を擦る。

「君には、心配をかけてばかりだな」

「そんなことは……」

「でも、すまない。僕は彼女の作品を見て、確信してしまったんだ」

妻の目を真っすぐ見つめ返して、僕は告げる。