♢ただあなたは立っていた
昼下がりの病室。不自然な清潔さにはもう慣れた。外では蝉がうるさく泣いている。ふと我に帰って自分のスケッチブックに目を落とす。だれかも分からない女の子の絵。長く艶やかな黒髪ですらっとしていて顔立ちが整っている。名前をつけてあげよう。
「…絵真ちゃん…。絵真ちゃんがいいなぁ…。」
ねえ絵真ちゃん。私、もうすぐ死んじゃうと思うの。だって最近、ずっと体が重いから。でも怖くは無いんだよ?不思議だよね。本当に死んじゃうみたい。
ひとりで絵真ちゃんに微笑んで、ベッドにもたれる。
「絵真ちゃん…。」
「呼んだ?」
「え?」
誰かの声がして横を見ると、そこには知らない女の子が立っていた。絵の中の絵真ちゃんではない誰かだ。
「誰…?」
「え?あなたが私を呼んだのでしょう?私は『えま』。あなたは?」
「双葉…。」
「よろしくね、双葉。」
「よろしく…。」
「突然なんだけど…食べる?プリン。」
「っ…!食べる!」
「やっぱ夏はプリンだよねー。」
「アイスじゃない?」
「え?そうなの?覚えとこ…。」
えまちゃんは平仮名の「えま」だった。けど、まあ音が一緒だから気にしない。えまちゃんの持ってきていたプリンは有名な安いプリンだったけど、やっぱり安定の美味しさがそこにはあった。えまちゃんは焦茶色の髪をハーフアップに結えていて、前髪が少し厚めだ。人形のようにも見えてくる。
多分もう死ぬのだから、自分で自分に食事制限はかけていない。好きな時に好きなものを食べている。
えまちゃんは絵の中で微笑んでいる絵真ちゃんを褒めてくれた。綺麗な絵だと。試しにえまちゃんにも描いてもらったらそれはもうひどいものが出来上がってしまった。小学生だってもう少し綺麗に描けそうなほどのクオリティ。思わず笑ってしまった。まあかく言う私も、ベッド生活が続かなければこんなものだろうけど。
ひとしきり喋って、お菓子を食べて、久しぶりに友達というものを作った。
「それじゃあ、帰るね。」
「うん。また明日。」
「うん。明日は面白いものを持ってくるよ。」
「やったぁ。待ってる。」
でもやっぱり、夜は来る。夜は変なことを考えてしまう。
ちょっとだけ、死ぬのが怖くなる。
まだ死にたくない。死ぬとどうなってしまうのだろう。暗くて静かな場所なのかな。怖い。分からない。想像もできない。インターネットで調べても本当だと思えなくて怖さが駆り立てられる。
でもいつかは疲れて、目を閉じることができた。
♢最高の日と最高の君と
「これってどこなんだろー。」
「これ今日中に終わるー?」
「終わらせるんだよ!」
「あははっ、頑張らないとー。」
私たちは今、病室の床に寝そべっている。私は個室なので、広々と床を使うことができるのだ。そして行っているのは、ジグソーパズル。しかも、かなりピースが多いもの。えまちゃんが持ってきたのだ。絵が完成するようなパズルだったら比較的簡単にできるのだが、これは真っ白。本当に何も描かれていない。故に、すごくすごく難しい。午前中から挑戦して、もう14時になろうとしている。できているのは半分くらい。残り半分…気が遠くなりそうだ。
でも、とても楽しかった。
近くにえまちゃんがいる。えまちゃんがとても楽しそうにしている。私もとても楽しんでいる。真っ白な気が遠くなるジグソーパズル。ひとりだったら絶対に手をつけないし終わらないけど、ふたりならできる気がする。完成できそうな気がする。ジグソーパズルって、ふたり以上でやる遊びだなと思ってしまった。
「…わかんない!一旦休憩!」
「やったー。脳みそが溶けちゃいそうだよ。」
「はい。そんなあなたにサイダーひとつ。」
「ありがとう。久しぶりに飲むかも…。」
「美味しいよね〜。」
「うん。…本当に、前はすっごく好きだった…。」
「双葉?」
「…小学生の頃、友達と公園で遊んでこのサイダーを飲んだの。あんまり普段は飲まないんだけど、友達が飲むって言うからお揃いで…。そしたら、すっごく美味しくって…でも今は…!今はひとりで…!」
「双葉待って。ストップ。」
「え…?」
「今はひとりじゃない。私がいるよ。私は、双葉の友達だよ?」
「えまちゃん…。」
「辛かったんだよね。ずっとひとりで闘って…。」
えまちゃんが、私を抱きしめる。安心感が胸に宿る。暗い感情が消えていく。
『大丈夫』。その感情が、えまちゃんの胸から伝ってきた。いつもより、あたたかく感じた。
何があっても大丈夫。えまちゃんがいるから。そう、思ってしまった。
真っ白なジグソーパズルも、あの日飲んだのと同じサイダーも、死んじゃうことさえも。今は大丈夫。えまちゃんがいるから。
その日の夜は、すっきりと深く眠ることができた。床には、まだ片付けられていない真っ白なジグソーパズルが置かれている。もちろん、完成形で。
♢意外にかわいいかも
「え?本当に言ってる?」
「うん。今から行こう?」
「え…。」
「行こうよ。水族館。」
「…いいけど…。病院の人たちにバレちゃわない?」
「大丈夫だよ。だっていつも双葉が呼ばないと入ってこないじゃん。今さっきお昼ご飯は食べ終わったし、夜ご飯は…7時くらいでしょ?いけるよ。」
「…じゃあ、準備する。」
「うん!」
…と言うわけで、秘密で水族館に行くことになってしまった。
もう着ることはないだろうと思っていたおしゃれなワンピースを着て、髪はえまちゃんにやってもらう。
もう履くことはないと思っていた外用の靴を履いて、持ち物も用意する。
全部、もう使うことはないと思っていたもの。新鮮な空気が至る所から出てきてしまう。
「すごっ。全部新品じゃん。」
「うるさいなぁ。で?水族館はどこなの?」
「はいはい。こっちですよー。」
少しバスで移動したところにそれはあった。大きすぎず、人もそれほど多すぎず、私がまわるにはちょうどいいものだ。
泳ぎ回るカラフルな魚。にゅっと突き出たチンアナゴ。意外に速く泳ぐペンギン。どれもが、『久しぶり』だった。小さい頃に行ったきりなのだ。
「ねえねえ!このペンギン。プカプカしながら私のこと見つめてくるよ!」
「魚だと思ってるんじゃない?」
「え!?きっと私の可愛さがわかってるから見つめてるんだよ。」
「……。」
「なんか言ってよ、恥ずかしいじゃん!」
「いやでも…えまちゃんが可愛いのは事実だし…?」
「…もう!次行くよ!」
「はーい。」
ペンギンも可愛かったけど、私たちが一番心惹かれたもの。それはクラゲだった。フヨフヨと水中を漂う小さなベニクラゲに目を奪われた。
えまちゃんが一番好きな動物らしい。そして、ベニクラゲは死なないらしい。大人になって、これ以上成長できないと、他のクラゲは海に溶けてしまう。だがベニクラゲは、若返り始めるのだ。そしてまた赤ちゃんに戻って、大人になり始める。まさに不死のクラゲ。不死の生き物なんていたんだなぁと感心してしまう。
この紅く小さな体に、とびきり大きな魅力が詰まっているのだ。
「このクラゲは…私に似てるんだよね。」
「死なないの?」
「違うよ。紅色が似合ってて、どこか不思議な魅力もある…ミステリアスさが似てるの。ほら私って、ミステリアスガールじゃん?」
「え…?」
「なんだよ。そこは『うん』って言えよー。」
「あはは。」
結局帰ってきたのは17時ごろだった。えまちゃんと別れて、荷物を片付け始める。その時だった。
「っ……!!」
胸が刺されたように痛くなる。何度も何度も刺されているようだ。苦しくなって咳が出る。咳が止まらない。息を吸うたびに胸がまたひとつ。またひとつと痛くなる。
「ガハッ…!」
新品のように綺麗なワンピースに赤黒く模様がつく。薬はどこにやった?水は?何も分からなくて、やっとの思いでナースコールのボタンを押した。
ベニクラゲに似てるのは私の方だ。だってよく、血液で服が汚れてしまうから。疲れてフヨフヨと歩いてしまうから。
♢花火って綺麗だね
夕暮れの空を眺めていたら、おずおずとえまちゃんが声をかけた。
「大丈夫?」
「うん。ごめんね。」
「いや、ごめんは私の方だよ!私が無理やり水族館なんて行かせたから…!」
「あれは楽しかったからいいよ。すっごく楽しかった。」
本気で。心の底からそう思う。あれは本当に楽しかった。
昨日はえまちゃんから誘ってくれたのだ。今回は。今回だけは、私から誘いたい。
「ねえ、えまちゃん。」
「ん?」
「…今日の夜8時半くらいに、ここの屋上に行こうよ。今日、花火大会なんだってよ?」
「でも…。」
「大丈夫。見るだけじゃん。それに、何かあってもえまちゃんがいるから。」
「…ちょっとだけね。」
「よかった。じゃあ待ってよっか。面白い話してよ。」
「うん。わかった。」
そしていよいよやってきた、8時20分。少し早いが、屋上に来てしまった。外は蒸し暑いが、涼やかな風も吹いている。
言わなくちゃいけない。どんな顔をされるか分からないけど、言わなくちゃいけない。
「…えまちゃん。」
「ん?」
「私…私ね?もう疲れちゃった…。」
「え…?」
「もう痛いのは嫌なの。もう泣きながら寝たくないんだ。だから…許してくれる?」
「…本当に?」
「うん。もう怖くないんだよ?」
「…双葉。私も、言わなきゃいけないことがあるの。」
「なに?」
そして語ってくれたえまちゃんの事実に、私は全く戸惑わずに受け入れていた。
えまちゃんは死神だった。
私の死ぬ時を見守る、死神。それは私にとって、とても魅力的に映るらしい。でも、死ぬことを誘ったりはしない。ただ見守るだけ。そして神様に伝えるらしい。
なるほどなぁと思った。確かにえまちゃんはとっても魅力的なのだ。ちなみに「えま」は、勝手に作った名前らしい。私が病室でつぶやいていたからつけたとか。本当の名前はないのだ。
えまちゃんが泣く。私も泣きそうになる。えまちゃんが泣くとこっちまで悲しくなってくるのだ。
「双葉…!…今までありがとう…。」
「うん。私の最期を、楽しくしてくれてありがとう。」
ヒューーー……ドン!!
大輪の花火が夜空に咲いた。ふたりで見惚れてしまう。
えまちゃんが手伝ってくれて、ふたりで屋上のフェンスを越える。
「家族は大丈夫なの?」
「手紙書いたから。」
「友達は…いないんだっけ。」
「それ言うなって〜。」
「ジグソーパズル、片付けるの忘れてたや。」
「あ、確かに。」
「またクラゲ見に行きたいな〜。」
「うん。」
「双葉…行ける?」
「もちろん。」
「私、あっちの世界で会いに行くから。」
「うん。絶対だよ。約束ね。」
花火が咲き誇る中、私はえまちゃんを抱きしめた。強く、でも優しく。えまちゃんも私を抱きしめる。
死ぬのは怖くない。あなたとの約束があるから。
「双葉。大好きだよ。」
「私も、えまちゃんが大好き。」
体が徐々に傾く。目を瞑って、大きく息を吸う。
本当に、楽しかったなあ。
♢♢♢
透明な階段を、私は上っていた。もう上り慣れた階段だ。そしてふとすると、大きな街が見えてくる。
あのクラゲの水族館前。今日は双葉に会うのだ。
「えまちゃん!」
「双葉!」
久しぶり、双葉。またいっぱい楽しいこと、できたらいいな。
昼下がりの病室。不自然な清潔さにはもう慣れた。外では蝉がうるさく泣いている。ふと我に帰って自分のスケッチブックに目を落とす。だれかも分からない女の子の絵。長く艶やかな黒髪ですらっとしていて顔立ちが整っている。名前をつけてあげよう。
「…絵真ちゃん…。絵真ちゃんがいいなぁ…。」
ねえ絵真ちゃん。私、もうすぐ死んじゃうと思うの。だって最近、ずっと体が重いから。でも怖くは無いんだよ?不思議だよね。本当に死んじゃうみたい。
ひとりで絵真ちゃんに微笑んで、ベッドにもたれる。
「絵真ちゃん…。」
「呼んだ?」
「え?」
誰かの声がして横を見ると、そこには知らない女の子が立っていた。絵の中の絵真ちゃんではない誰かだ。
「誰…?」
「え?あなたが私を呼んだのでしょう?私は『えま』。あなたは?」
「双葉…。」
「よろしくね、双葉。」
「よろしく…。」
「突然なんだけど…食べる?プリン。」
「っ…!食べる!」
「やっぱ夏はプリンだよねー。」
「アイスじゃない?」
「え?そうなの?覚えとこ…。」
えまちゃんは平仮名の「えま」だった。けど、まあ音が一緒だから気にしない。えまちゃんの持ってきていたプリンは有名な安いプリンだったけど、やっぱり安定の美味しさがそこにはあった。えまちゃんは焦茶色の髪をハーフアップに結えていて、前髪が少し厚めだ。人形のようにも見えてくる。
多分もう死ぬのだから、自分で自分に食事制限はかけていない。好きな時に好きなものを食べている。
えまちゃんは絵の中で微笑んでいる絵真ちゃんを褒めてくれた。綺麗な絵だと。試しにえまちゃんにも描いてもらったらそれはもうひどいものが出来上がってしまった。小学生だってもう少し綺麗に描けそうなほどのクオリティ。思わず笑ってしまった。まあかく言う私も、ベッド生活が続かなければこんなものだろうけど。
ひとしきり喋って、お菓子を食べて、久しぶりに友達というものを作った。
「それじゃあ、帰るね。」
「うん。また明日。」
「うん。明日は面白いものを持ってくるよ。」
「やったぁ。待ってる。」
でもやっぱり、夜は来る。夜は変なことを考えてしまう。
ちょっとだけ、死ぬのが怖くなる。
まだ死にたくない。死ぬとどうなってしまうのだろう。暗くて静かな場所なのかな。怖い。分からない。想像もできない。インターネットで調べても本当だと思えなくて怖さが駆り立てられる。
でもいつかは疲れて、目を閉じることができた。
♢最高の日と最高の君と
「これってどこなんだろー。」
「これ今日中に終わるー?」
「終わらせるんだよ!」
「あははっ、頑張らないとー。」
私たちは今、病室の床に寝そべっている。私は個室なので、広々と床を使うことができるのだ。そして行っているのは、ジグソーパズル。しかも、かなりピースが多いもの。えまちゃんが持ってきたのだ。絵が完成するようなパズルだったら比較的簡単にできるのだが、これは真っ白。本当に何も描かれていない。故に、すごくすごく難しい。午前中から挑戦して、もう14時になろうとしている。できているのは半分くらい。残り半分…気が遠くなりそうだ。
でも、とても楽しかった。
近くにえまちゃんがいる。えまちゃんがとても楽しそうにしている。私もとても楽しんでいる。真っ白な気が遠くなるジグソーパズル。ひとりだったら絶対に手をつけないし終わらないけど、ふたりならできる気がする。完成できそうな気がする。ジグソーパズルって、ふたり以上でやる遊びだなと思ってしまった。
「…わかんない!一旦休憩!」
「やったー。脳みそが溶けちゃいそうだよ。」
「はい。そんなあなたにサイダーひとつ。」
「ありがとう。久しぶりに飲むかも…。」
「美味しいよね〜。」
「うん。…本当に、前はすっごく好きだった…。」
「双葉?」
「…小学生の頃、友達と公園で遊んでこのサイダーを飲んだの。あんまり普段は飲まないんだけど、友達が飲むって言うからお揃いで…。そしたら、すっごく美味しくって…でも今は…!今はひとりで…!」
「双葉待って。ストップ。」
「え…?」
「今はひとりじゃない。私がいるよ。私は、双葉の友達だよ?」
「えまちゃん…。」
「辛かったんだよね。ずっとひとりで闘って…。」
えまちゃんが、私を抱きしめる。安心感が胸に宿る。暗い感情が消えていく。
『大丈夫』。その感情が、えまちゃんの胸から伝ってきた。いつもより、あたたかく感じた。
何があっても大丈夫。えまちゃんがいるから。そう、思ってしまった。
真っ白なジグソーパズルも、あの日飲んだのと同じサイダーも、死んじゃうことさえも。今は大丈夫。えまちゃんがいるから。
その日の夜は、すっきりと深く眠ることができた。床には、まだ片付けられていない真っ白なジグソーパズルが置かれている。もちろん、完成形で。
♢意外にかわいいかも
「え?本当に言ってる?」
「うん。今から行こう?」
「え…。」
「行こうよ。水族館。」
「…いいけど…。病院の人たちにバレちゃわない?」
「大丈夫だよ。だっていつも双葉が呼ばないと入ってこないじゃん。今さっきお昼ご飯は食べ終わったし、夜ご飯は…7時くらいでしょ?いけるよ。」
「…じゃあ、準備する。」
「うん!」
…と言うわけで、秘密で水族館に行くことになってしまった。
もう着ることはないだろうと思っていたおしゃれなワンピースを着て、髪はえまちゃんにやってもらう。
もう履くことはないと思っていた外用の靴を履いて、持ち物も用意する。
全部、もう使うことはないと思っていたもの。新鮮な空気が至る所から出てきてしまう。
「すごっ。全部新品じゃん。」
「うるさいなぁ。で?水族館はどこなの?」
「はいはい。こっちですよー。」
少しバスで移動したところにそれはあった。大きすぎず、人もそれほど多すぎず、私がまわるにはちょうどいいものだ。
泳ぎ回るカラフルな魚。にゅっと突き出たチンアナゴ。意外に速く泳ぐペンギン。どれもが、『久しぶり』だった。小さい頃に行ったきりなのだ。
「ねえねえ!このペンギン。プカプカしながら私のこと見つめてくるよ!」
「魚だと思ってるんじゃない?」
「え!?きっと私の可愛さがわかってるから見つめてるんだよ。」
「……。」
「なんか言ってよ、恥ずかしいじゃん!」
「いやでも…えまちゃんが可愛いのは事実だし…?」
「…もう!次行くよ!」
「はーい。」
ペンギンも可愛かったけど、私たちが一番心惹かれたもの。それはクラゲだった。フヨフヨと水中を漂う小さなベニクラゲに目を奪われた。
えまちゃんが一番好きな動物らしい。そして、ベニクラゲは死なないらしい。大人になって、これ以上成長できないと、他のクラゲは海に溶けてしまう。だがベニクラゲは、若返り始めるのだ。そしてまた赤ちゃんに戻って、大人になり始める。まさに不死のクラゲ。不死の生き物なんていたんだなぁと感心してしまう。
この紅く小さな体に、とびきり大きな魅力が詰まっているのだ。
「このクラゲは…私に似てるんだよね。」
「死なないの?」
「違うよ。紅色が似合ってて、どこか不思議な魅力もある…ミステリアスさが似てるの。ほら私って、ミステリアスガールじゃん?」
「え…?」
「なんだよ。そこは『うん』って言えよー。」
「あはは。」
結局帰ってきたのは17時ごろだった。えまちゃんと別れて、荷物を片付け始める。その時だった。
「っ……!!」
胸が刺されたように痛くなる。何度も何度も刺されているようだ。苦しくなって咳が出る。咳が止まらない。息を吸うたびに胸がまたひとつ。またひとつと痛くなる。
「ガハッ…!」
新品のように綺麗なワンピースに赤黒く模様がつく。薬はどこにやった?水は?何も分からなくて、やっとの思いでナースコールのボタンを押した。
ベニクラゲに似てるのは私の方だ。だってよく、血液で服が汚れてしまうから。疲れてフヨフヨと歩いてしまうから。
♢花火って綺麗だね
夕暮れの空を眺めていたら、おずおずとえまちゃんが声をかけた。
「大丈夫?」
「うん。ごめんね。」
「いや、ごめんは私の方だよ!私が無理やり水族館なんて行かせたから…!」
「あれは楽しかったからいいよ。すっごく楽しかった。」
本気で。心の底からそう思う。あれは本当に楽しかった。
昨日はえまちゃんから誘ってくれたのだ。今回は。今回だけは、私から誘いたい。
「ねえ、えまちゃん。」
「ん?」
「…今日の夜8時半くらいに、ここの屋上に行こうよ。今日、花火大会なんだってよ?」
「でも…。」
「大丈夫。見るだけじゃん。それに、何かあってもえまちゃんがいるから。」
「…ちょっとだけね。」
「よかった。じゃあ待ってよっか。面白い話してよ。」
「うん。わかった。」
そしていよいよやってきた、8時20分。少し早いが、屋上に来てしまった。外は蒸し暑いが、涼やかな風も吹いている。
言わなくちゃいけない。どんな顔をされるか分からないけど、言わなくちゃいけない。
「…えまちゃん。」
「ん?」
「私…私ね?もう疲れちゃった…。」
「え…?」
「もう痛いのは嫌なの。もう泣きながら寝たくないんだ。だから…許してくれる?」
「…本当に?」
「うん。もう怖くないんだよ?」
「…双葉。私も、言わなきゃいけないことがあるの。」
「なに?」
そして語ってくれたえまちゃんの事実に、私は全く戸惑わずに受け入れていた。
えまちゃんは死神だった。
私の死ぬ時を見守る、死神。それは私にとって、とても魅力的に映るらしい。でも、死ぬことを誘ったりはしない。ただ見守るだけ。そして神様に伝えるらしい。
なるほどなぁと思った。確かにえまちゃんはとっても魅力的なのだ。ちなみに「えま」は、勝手に作った名前らしい。私が病室でつぶやいていたからつけたとか。本当の名前はないのだ。
えまちゃんが泣く。私も泣きそうになる。えまちゃんが泣くとこっちまで悲しくなってくるのだ。
「双葉…!…今までありがとう…。」
「うん。私の最期を、楽しくしてくれてありがとう。」
ヒューーー……ドン!!
大輪の花火が夜空に咲いた。ふたりで見惚れてしまう。
えまちゃんが手伝ってくれて、ふたりで屋上のフェンスを越える。
「家族は大丈夫なの?」
「手紙書いたから。」
「友達は…いないんだっけ。」
「それ言うなって〜。」
「ジグソーパズル、片付けるの忘れてたや。」
「あ、確かに。」
「またクラゲ見に行きたいな〜。」
「うん。」
「双葉…行ける?」
「もちろん。」
「私、あっちの世界で会いに行くから。」
「うん。絶対だよ。約束ね。」
花火が咲き誇る中、私はえまちゃんを抱きしめた。強く、でも優しく。えまちゃんも私を抱きしめる。
死ぬのは怖くない。あなたとの約束があるから。
「双葉。大好きだよ。」
「私も、えまちゃんが大好き。」
体が徐々に傾く。目を瞑って、大きく息を吸う。
本当に、楽しかったなあ。
♢♢♢
透明な階段を、私は上っていた。もう上り慣れた階段だ。そしてふとすると、大きな街が見えてくる。
あのクラゲの水族館前。今日は双葉に会うのだ。
「えまちゃん!」
「双葉!」
久しぶり、双葉。またいっぱい楽しいこと、できたらいいな。