2023年9月。吹奏楽部に所属していた私は3年生の引退により最高学年となり、新体制での活動を始めていた。新体制となった吹奏楽での大きなイベントといえば、3〜8人という少人数で演奏する大会、その名もアンサンブルコンクールだ。普段と違い、一人一人の力が重要になるため夏のコンクールに向けた技術パワーアップのためのコンクールとも言える。でも、全員が出場できる大会ではない。この大会は地区によっても異なるが学校で選抜されたグループだけが出場できる大会なのだ。ありがたいことに私の地区では各学校2チームまで出場できる。(他の地区だと各学校1チームしか出場できないところもある。)そのため、私の学校は校内選考という名の演奏会があるのだ。なので、その校内選考に向けて自分たちで編成を組み、曲を決め、そしていろんな意見を出し合いながらこれまで得た吹奏楽知識で自分たちの演奏を作っていく。これが、まさに青春そのもの。私自身、その前の年に先輩の中に混ざって出場したのだが、本番のコンディションがめちゃくちゃ悪く、思うように吹けず悔しかった。だから、今回なんとしても校内選考を通過して自分たちの演奏ってすごいんだぞというのを大会で見せつけたかった。

が、しかし、その夢を叶えることはできなかった。

初めて、どん底にまで落とされた気分だった。演奏後に先生が各グループに講評をしてくれたのだが、私は何一つ意味を理解することができなかった。私たちへの講評は「曲がコンクールに合う曲じゃなくて悪かった。」その一言だけだった。たったその一言で私たちは落とされた。納得なんか出来やしなかった。今もしてない。だって、曲の相談に乗ってもらったとき、いいと思うって言ったの先生じゃん。夏のコンクールに向けてこういう曲がいいと思うって言ってたじゃん。いまさら、なんで曲が悪いって言うの?コンクールに合わないって言うの?下手な演奏だったって言ってもらった方がまだ納得できる。なんで私たちの演奏について何も評価しないで曲だけで評価するの?他のグループには熱心にあそこがダメだとかここをこうした方がいいとか言って。結局、校内選考なんかやる意味なかったじゃん。最初から出場するグループは決めてたみたいな言い方ばっかりして。自分がものすごく馬鹿馬鹿しかった。でも、何より苦しかったのは私についてきてくれた仲間たちとコンクールというステージに立つ機会がなくなってしまったこと。去年、出場することができなかった仲間たちと一緒にコンクールというステージに立ちたかった。私たちなら時代を変えられるって。金管がコンクールで良い賞を取るのは難しいよね、という言葉を払拭したかった。でもそんな夢はもう二度と叶えられなくなってしまった。高2の私に次はもうない。自分の努力をすべて否定された気分で、結果が出てしまった日は涙が止まらなかった。悔しくて悔しくて納得がいかなくて申し訳なくて自分が憎くて。ぜんぶごちゃ混ぜな気持ちで、どこにこの想いをぶつけたらいいのかわからなかった。

今も時々、コンクールに出場したメンバーとの壁を感じる。「夏のコンクールの曲、この曲だと出番少ないからもう一つの方がいい。」とか「定期演奏会の曲全然目立たないからこの曲やりたい。」とか言ってくる。そりゃそうだよね。お前らは地区1位と2位で私たちよりもうまいという自覚があるもんね。出場権でさえ得られなくて、出番をひとつ失った私たちの気持ちなんてわかるはずがないよね。夢を叶えられず、まともな指導も受けられなくて、気を遣って場所を空けてあげたり、コンクールに出場するメンバーの邪魔にならないようにしてたのに。こういうことを言われると周りの気持ちなんか二の次なんだろうなと思ってしまって素直に良い賞をもらってても喜べやしない。

そんなことを選考会が終わってからずっと根に持っていた。でも、そんなネガティブな気持ちをも忘れるぐらい2024年の1月の演奏会で私の吹奏楽人生を大きく変えてくれた出来事があった。それは、慣れ親しんだ大きなホールでトランペットを吹くことがこんなにも気持ちがいいんだということを初めて知ったことだった。ホールを自分のお庭だというのはこういうことだということも知った。コンクールに出場できなかったのがどうでもいいぐらい楽しかった。誰にも邪魔されない、自由な場所で、私のトランペットの音色が会場いっぱいに広がっているのが感じられた。

『音楽』と書いて『音を楽しむ』。

まさにステージ上の私はその通りだった。

この経験は今後の私に強いメンタルを与え、9年間トランペットを吹き続けてきた自分の最後の可能性を感じさせてくれた。これだったら、私が今まで見たことのない、見ることができなかった景色を未来の私が見せてくれるかもしれない。

最後の夏、待ってろよ!!!