俺は暗闇の中にいた。
夜に灯りを消した部屋のように何も見えず、孤独を感じる空間。
力は入らず指先一つ動かすこともかなわない。
「どこだ...ここは...」
俺はそう呟いたはずだったが、発した声は自分の耳にすら届かない。
微かに気配を感じその方向を見る。
月明かりの下で群生した彼岸花を愛でる美しい女がいた。
足先まで伸びた女の髪は月に照らされ真っ白の髪が銀のような輝きを放ち、巫女のような装束を着ていた。
女が顔をあげ、こちらを見ると深紅の瞳が俺を捉えた。
心臓の脈動が連打された太鼓のように鳴り、女が両手に持っていた彼岸花を見せてくる。
血に濡れた彼岸花の中には、"舌"が入っていた。
俺は戦慄した。そういえば口にあるべきものがない。
女は動揺した俺に気づいたのか、クスクスと笑い吐息がかかるまでに顔を近づけてこう言った。
―――悪い子は―――おしおきですよ―――
女は俺の"舌"を口に咥え、そのままキスするように俺の口を押し開け
舌で"俺の舌"をねじこんできた。
脳がとろけそうなくらいに甘美な感覚...
俺は女に全てを沈めたいと心から願った―――
...
......
.........
【―――さま!起きて!――――――】
なんだ...?誰だ...。うるさいな。
【―――ばか兄――――――!!】
その瞬間頬に激しい痛みが走り、俺は飛び起きた。
気づくとそこは見覚えのある、京都にある俺の実家の和室だった。
布団の側には高校に入学したばかりの妹、涼華が泣きながらいた。
「やっと起きた!よかった....!!」
「いやいや、泣きたいのはこっちだよ。めちゃくちゃ痛いじゃない」
ヒリヒリする頬をさすると反対側にもう一人いることに気づいた。
スーツ姿の会社員風で眼鏡をかけたオールバックの男...兄の静月だ。
「ようやくお目覚めか。まったくお前ときたら三日は寝ていたぞ」
「水月、体の調子はどうだ?」
水月...ああ、俺の名だったか。なんか記憶が曖昧だな...。
確か、強烈な百足の妖怪に遭遇してやられたんだったか...油断したか、俺が。
「ああ~問題ないよ。ちょっと百足野郎に油断しただけだ大したことない」
「ハア!?何言ってるの!あの女の妖怪のことだよ水兄!」
涼華が涙をぬぐいながら、キンキンと声を張り上げる。
「三日間ずっと玄鏡司の治癒師さん達が解呪してたんだよ!」
玄鏡司...本家直轄の退魔機関か。
俺の月御門家は退魔師とよばれる者たちの取りまとめ役を担っており、
陰陽寮が廃止された以降の魑魅魍魎の対応を国から任されている。
玄鏡司にはいくつか部門があり、
妖異殲滅を主とする天威
疾患治癒を主とする癒水
調査記録を主とする丹王
の3つが存在している。
今回、解呪をしたというのは癒水の連中だろう。
彼らは一般の人々を含めて霊的な疾患...呪いの類を浄化する術に優れている。
外傷においてもある程度の傷であれば、生命力を増幅させる術をもっているので戦闘面でもサポート的な役割を持っている。そのため、天威が出動する際は癒水が同行することが常だ。
傷そのものを塞ぐのではなく、あくまで体本来の再生を促進するだけなので命を失うほどの傷を治すことはできない。そんなことをすれば対象者の命を削るに等しく、天秤に入った砂はそれ以上の砂を入れることは基本的に不可能だ。
そんなことができるのは...と考えていた時に頭を殴られたような痛みが走った。
「ッつう...はは、それで、解呪ってことは厄介だったのかい?」
俺がそう問いかけると、静月が神妙な顔をして話し始めた。
「お前にかけられていた呪いは解けていない」
「は...?三日も祈祷して解けていないっていうのかい?」
「それ以前に精神汚染がひどかったんだ。ずっとうわごとを言って暴れていたんだぞ」
そういうと兄はスマホで動画を見せてきた。
何人もの祈祷師が俺を取り囲み、癒しの術をかけている中で発狂している俺がいた。
縄...おそらく神気の宿ったもので俺は縛り上げられヨダレを垂らしながら暴れていたのだ。
その後ろに控えながらも退魔の札を構えるのは天威の連中か....。
「もういいよ...見ていて気分が悪くなるじゃないか...」
「精神汚染は抑えられたが、根本の呪縛は解けていない」
静月は腕を組み、険しい目つきで俺を見た。
「お前、"何に"手を出した。正直に言ってみろ」
「いやだから...百足のさぁ...」
そこまで言いかけたが、その先がでてこない。
他に何かをみて、何かを感じて、そして強く思い焦がれたような気がするのに。
「蟲型の妖怪程度にこんな呪縛をかけるのは不可能だ」
そこに、涼華が体を布団に乗り上げてきた。
「あの"女"でしょ、水兄...白髪の紅い瞳の...」
その言葉に俺の脳裏に一瞬、その姿かたちが浮かび上がる。
俺は悲鳴をあげた。頭を抱え、髪の毛をぐしゃぐしゃに掴み震えあがった。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ見つかりたくない....!!
その瞬間に俺の心が黒く塗りつぶされるような感覚に陥った。
「兄さま!!!」
涼華が泣き叫んでいる声が聞こえる。
「くそ!おい!!本殿にいる退魔人を集められるだけ集めろ!!!」
静月が焦ったように叫び、あたりが騒がしくなってきた。
もはや俺の心は穏やかな川のように心地よいものとなっているというのに。
眠らせてほしいんだけどな。
「...だ、...そげ...えろ!...てぇ!!」
うっすらと見えたのは、見知った顔の退魔師たちが血相を変えて守護の陣を組んでいた。
なんだお前たち...その目は、まるで化け物でも見るような目ぇしやがって...。
なあ,,涼華...。
涼華は静月に羽交い締めにされて、俺から遠ざかるようにして連れていかれた。
自分の手足がわからない。感覚が失われている。
それなのにぬるま湯のように心地が良い。
「フン...本家の小僧が"堕ち"たか。皮肉なものだな」
「ならば斬るのみよ...鳴け、鬼切」
黒いコートに身を包んだ長身の男が現れ、黒い刀身の剣を構える。
半歩踏み込んだかと思えば、剣が刹那の内に振り下ろされた。
子宮の中にいるような心地から俺は引きずり出され、激しい痛みが襲う。
「感謝しろ小僧。邪気を扱える俺だからこそできた芸当よ」
「あとでじっくりと聞かせてもらうぞ...その、"訳"をな...」
うずくまる俺の頭をわしづかみにした男はそう言って手を離した。
意識が遠くなる――――――
--------------------------------------------------------------------------
「枷が外れてしまいましたか。しかし、いずれはみな沈みましょう」
辺り一面に咲き誇る彼岸花の中で、女は微笑み呟いた。
その笑みはどこか暗いものを感じた。
「一人残らず犯して...私の揺り籠の中で醒めぬ夢を」
白髪の巫女姿の女性に私は頭をなでられる。
母のような包まれる優しさに思わず抱きしめてしまう。
「あらあら...玲は甘えん坊ですね」
女はそういって私を抱き寄せて囁いた。
「私の大事な大事な半身。何の因果か男子に生を受けし者よ」
「もしやこれもあの御方の采配なのでしょうか」
「アナタには妬ましいことに、いくつもの"神"の存在を感じています」
私の両頬を両手で支えるように女が手を添える。
「それらが憎きことに"私"の権能を抑えています...」
「アナタはいずれ"選択"する時がくるでしょう。"私"は信じていますよ」
「"私"を選んでくれることを...」
そう言うと、女は手を放し私から離れる。
彼岸花が舞い上がり空間を埋め尽くしていく。
「どうやら此度はここまでのようですね...お帰りなさい、現世に」
「また会いましょう。我が半身...玲」
暗闇になったと思えば、遠くから光が差し込み私は手を伸ばす。
その手を誰かが掴み上げて引っ張った――――――
夜に灯りを消した部屋のように何も見えず、孤独を感じる空間。
力は入らず指先一つ動かすこともかなわない。
「どこだ...ここは...」
俺はそう呟いたはずだったが、発した声は自分の耳にすら届かない。
微かに気配を感じその方向を見る。
月明かりの下で群生した彼岸花を愛でる美しい女がいた。
足先まで伸びた女の髪は月に照らされ真っ白の髪が銀のような輝きを放ち、巫女のような装束を着ていた。
女が顔をあげ、こちらを見ると深紅の瞳が俺を捉えた。
心臓の脈動が連打された太鼓のように鳴り、女が両手に持っていた彼岸花を見せてくる。
血に濡れた彼岸花の中には、"舌"が入っていた。
俺は戦慄した。そういえば口にあるべきものがない。
女は動揺した俺に気づいたのか、クスクスと笑い吐息がかかるまでに顔を近づけてこう言った。
―――悪い子は―――おしおきですよ―――
女は俺の"舌"を口に咥え、そのままキスするように俺の口を押し開け
舌で"俺の舌"をねじこんできた。
脳がとろけそうなくらいに甘美な感覚...
俺は女に全てを沈めたいと心から願った―――
...
......
.........
【―――さま!起きて!――――――】
なんだ...?誰だ...。うるさいな。
【―――ばか兄――――――!!】
その瞬間頬に激しい痛みが走り、俺は飛び起きた。
気づくとそこは見覚えのある、京都にある俺の実家の和室だった。
布団の側には高校に入学したばかりの妹、涼華が泣きながらいた。
「やっと起きた!よかった....!!」
「いやいや、泣きたいのはこっちだよ。めちゃくちゃ痛いじゃない」
ヒリヒリする頬をさすると反対側にもう一人いることに気づいた。
スーツ姿の会社員風で眼鏡をかけたオールバックの男...兄の静月だ。
「ようやくお目覚めか。まったくお前ときたら三日は寝ていたぞ」
「水月、体の調子はどうだ?」
水月...ああ、俺の名だったか。なんか記憶が曖昧だな...。
確か、強烈な百足の妖怪に遭遇してやられたんだったか...油断したか、俺が。
「ああ~問題ないよ。ちょっと百足野郎に油断しただけだ大したことない」
「ハア!?何言ってるの!あの女の妖怪のことだよ水兄!」
涼華が涙をぬぐいながら、キンキンと声を張り上げる。
「三日間ずっと玄鏡司の治癒師さん達が解呪してたんだよ!」
玄鏡司...本家直轄の退魔機関か。
俺の月御門家は退魔師とよばれる者たちの取りまとめ役を担っており、
陰陽寮が廃止された以降の魑魅魍魎の対応を国から任されている。
玄鏡司にはいくつか部門があり、
妖異殲滅を主とする天威
疾患治癒を主とする癒水
調査記録を主とする丹王
の3つが存在している。
今回、解呪をしたというのは癒水の連中だろう。
彼らは一般の人々を含めて霊的な疾患...呪いの類を浄化する術に優れている。
外傷においてもある程度の傷であれば、生命力を増幅させる術をもっているので戦闘面でもサポート的な役割を持っている。そのため、天威が出動する際は癒水が同行することが常だ。
傷そのものを塞ぐのではなく、あくまで体本来の再生を促進するだけなので命を失うほどの傷を治すことはできない。そんなことをすれば対象者の命を削るに等しく、天秤に入った砂はそれ以上の砂を入れることは基本的に不可能だ。
そんなことができるのは...と考えていた時に頭を殴られたような痛みが走った。
「ッつう...はは、それで、解呪ってことは厄介だったのかい?」
俺がそう問いかけると、静月が神妙な顔をして話し始めた。
「お前にかけられていた呪いは解けていない」
「は...?三日も祈祷して解けていないっていうのかい?」
「それ以前に精神汚染がひどかったんだ。ずっとうわごとを言って暴れていたんだぞ」
そういうと兄はスマホで動画を見せてきた。
何人もの祈祷師が俺を取り囲み、癒しの術をかけている中で発狂している俺がいた。
縄...おそらく神気の宿ったもので俺は縛り上げられヨダレを垂らしながら暴れていたのだ。
その後ろに控えながらも退魔の札を構えるのは天威の連中か....。
「もういいよ...見ていて気分が悪くなるじゃないか...」
「精神汚染は抑えられたが、根本の呪縛は解けていない」
静月は腕を組み、険しい目つきで俺を見た。
「お前、"何に"手を出した。正直に言ってみろ」
「いやだから...百足のさぁ...」
そこまで言いかけたが、その先がでてこない。
他に何かをみて、何かを感じて、そして強く思い焦がれたような気がするのに。
「蟲型の妖怪程度にこんな呪縛をかけるのは不可能だ」
そこに、涼華が体を布団に乗り上げてきた。
「あの"女"でしょ、水兄...白髪の紅い瞳の...」
その言葉に俺の脳裏に一瞬、その姿かたちが浮かび上がる。
俺は悲鳴をあげた。頭を抱え、髪の毛をぐしゃぐしゃに掴み震えあがった。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ見つかりたくない....!!
その瞬間に俺の心が黒く塗りつぶされるような感覚に陥った。
「兄さま!!!」
涼華が泣き叫んでいる声が聞こえる。
「くそ!おい!!本殿にいる退魔人を集められるだけ集めろ!!!」
静月が焦ったように叫び、あたりが騒がしくなってきた。
もはや俺の心は穏やかな川のように心地よいものとなっているというのに。
眠らせてほしいんだけどな。
「...だ、...そげ...えろ!...てぇ!!」
うっすらと見えたのは、見知った顔の退魔師たちが血相を変えて守護の陣を組んでいた。
なんだお前たち...その目は、まるで化け物でも見るような目ぇしやがって...。
なあ,,涼華...。
涼華は静月に羽交い締めにされて、俺から遠ざかるようにして連れていかれた。
自分の手足がわからない。感覚が失われている。
それなのにぬるま湯のように心地が良い。
「フン...本家の小僧が"堕ち"たか。皮肉なものだな」
「ならば斬るのみよ...鳴け、鬼切」
黒いコートに身を包んだ長身の男が現れ、黒い刀身の剣を構える。
半歩踏み込んだかと思えば、剣が刹那の内に振り下ろされた。
子宮の中にいるような心地から俺は引きずり出され、激しい痛みが襲う。
「感謝しろ小僧。邪気を扱える俺だからこそできた芸当よ」
「あとでじっくりと聞かせてもらうぞ...その、"訳"をな...」
うずくまる俺の頭をわしづかみにした男はそう言って手を離した。
意識が遠くなる――――――
--------------------------------------------------------------------------
「枷が外れてしまいましたか。しかし、いずれはみな沈みましょう」
辺り一面に咲き誇る彼岸花の中で、女は微笑み呟いた。
その笑みはどこか暗いものを感じた。
「一人残らず犯して...私の揺り籠の中で醒めぬ夢を」
白髪の巫女姿の女性に私は頭をなでられる。
母のような包まれる優しさに思わず抱きしめてしまう。
「あらあら...玲は甘えん坊ですね」
女はそういって私を抱き寄せて囁いた。
「私の大事な大事な半身。何の因果か男子に生を受けし者よ」
「もしやこれもあの御方の采配なのでしょうか」
「アナタには妬ましいことに、いくつもの"神"の存在を感じています」
私の両頬を両手で支えるように女が手を添える。
「それらが憎きことに"私"の権能を抑えています...」
「アナタはいずれ"選択"する時がくるでしょう。"私"は信じていますよ」
「"私"を選んでくれることを...」
そう言うと、女は手を放し私から離れる。
彼岸花が舞い上がり空間を埋め尽くしていく。
「どうやら此度はここまでのようですね...お帰りなさい、現世に」
「また会いましょう。我が半身...玲」
暗闇になったと思えば、遠くから光が差し込み私は手を伸ばす。
その手を誰かが掴み上げて引っ張った――――――