窓の外では、桜がひらひらと散っていく風景がある。そろそろ夏に向けて暑くなっていくのだろう。夏が終われば、本格的に受験勉強が開始する。

「今から朝礼を始めるぞー」

いつものように先生は教卓前に立ち、進路とかテストの話をしてから出席確認に入った。先生は出席順から一人、一人名前を言っていき、呼ばれた人は返事をする。

「立花...竹馬...月山...、月山はまた休みか。これ以上休むと成績や内申に響くぞ。みんなも気をつけろよ。大事な時期に入ったんだからな」

先生が言った後に、後ろのドアが大きな音を立て開いた。先生、私と何人かはそちらへ向いた。

短いスカートに茶色の巻き髪と、ピアスに派手な化粧が印象的な女子生徒。月山楓だ。久しぶりの登校だよね。

彼女は挨拶をせず、不機嫌な顔をしながら一番後ろの席に座った。

「月山! もう無断で遅刻はするなと何度言ったと」

「うるせーな。さっさと話進めろよ。お前らもこっち見るな」

クラスメイトは慌てて前へ向いた。

月山さんはスマホをいじりながら、露骨にため息をついた。

先生は怒っているより、悲しんでいた。

私やクラスメイトは彼女の態度には呆れている。下手に注意すれば、逆ギレをされるだけだからだ。

なのに先生は諦め悪く彼女に構う。いつかは自分の気持ちが一ミリでも届くはずだと信じてる。


そんな考えの方だから、ついに私へ当てにした。

「頼む下本! 真面目で成績優秀の委員長なら、クラスメイトの立場なら、月山もちょっとは耳を傾けてくれるはずなんだ」

昼休みの職員室で、先生は頭を下げる。

「私なんかが説得しても...」

表向きは世話好きの委員長で通してるが、それは利益があるからやってるわけで。仮に月山さんが改心して学校に来てくれても嬉しくないし、仲良くもしたくない。

「月山は学校に来ていなくても割と成績が良いんだ。だから凄い勿体ないんだよ。あいつなら良い大学、就職出来るはずなのに」

素行が悪いのに、良いところなんて行けるわけが無い。

どうしてだろう。私の方が性格も勉強も良いのに、先生は月山さんばかりに肩入れする。中学の頃も成績の良い不良は好かれていた。なぜ?完璧が全てじゃないのかな。

「お前ならいけると思う! 話上手で優しいし。無理か?」

ここまで腰を低くされると断りづらい。断るというキャラでも無いし。

「...分かりました」

「ありがとう! やっぱり下本に頼んで正解だったよ。じゃ、頼んだ! 失敗してもいいからな」

先生に軽く肩を叩かれた。

失敗したら失望するくせに。

「...はい、頑張ります」

ドス黒い心を隠し、ニコッと笑う。

私は私を恨んだ。

ーー

引き受けたのは良いが、どう話しかけるべきか。

幸いか、月山さんはほぼ毎日登校している。だけど授業中は寝てるか、教室から抜け出して保健室に行ったり急に早退したりするから、来ていても別にって感じだ。

どのタイミングで話しかけよう。委員長の仕事があるし、友達との付き合いもある。文化部でも週に三日は行かないといけない。彼女の為に無理やり時間を空けるのもね。

それなら、暇な時の放課後の帰りかな。

ーー

放課後。私は教室を出た月山さんの背中を追いかける。そして彼女が靴を履き替えてる時に話しかけた。

「月山さん! 今大丈夫ですか?」

「なんで付いてくんだよ。分かってないと思った?」

「ご、ごめんなさい...」

うわ、バレていた。

強く睨まれたから、完全に拒絶されてる気がした。

「てか誰?」

「え? い、委員長の下本です」

「あっそう」

月山さんは鼻を鳴らし、外へ出ようとした。

「まっ、待ってください! 少しだけでも話を」

私は彼女にくっつくように歩く。足はや。ついていくのがやっとだ。

「うぜぇな。話す事無くない?」

「いや、その。学校に来てくれるのは嬉しいんですが、サボる癖を直していただけるともう少し、いいかなと...」

「は?」

「授業に出れば、もっと成績が良くなるかも...」

「成績なんてどーでもいいし。つか、アンタに迷惑掛けてなくない? 来るのも来ないのも、出るのも出ないのも」

ごもっとも。いや、場の空気を悪くしてるのは良くない気がする。

しかし使命感に駆られて、引き下がれない。

「とにかくっ、サボるのは良くないです」

私は月山さんの足を止めさせようと立ち塞がる。

「どけよ」

「真面目に授業受けるなら、退きます」

「...アンタさぁ。先生から言われてやってるんだろ」

図星にドキリとした。

「あたしが分からないと思う? 委員長って大変だね〜、でもざんねーん。アンタにポイント上げないから」

彼女はわざと肩でぶつかってきてから、帰ってしまった。

察しが良いなぁ。頭がいいだけはある。

「簡単には上手くいかない、か」


それからも放課後の帰りに、理由をつけては月山さんに話しかけてみるが、全く手応えが無かった。

邪魔、うざい、喋りかけるなを言われすぎてストレスだけが一方的に増える。

やっぱり無理かな。月山さんのこと何にも知らないから話題作りが難しい。彼女自身も心を閉ざしている。

私もギブアップがしたい。抱えすぎて勉強に支障が来た。成績が悪くなれば親は勿論、先生、友達の態度が変わる。

あの人の為に、自分の精神を犠牲にする必要はあるのかな?

ーー

今日も月山さんは打ち解けてくれなかったな...。

「ただいま」

帰宅をすると、リビングからエプロンを着たお母さんが現れた。

「お帰り、桜。今日の授業どうだった?」

お母さんは微笑む。この笑顔に胸がギュッと苦しくなるが、私も頑張って笑う。

「...大丈夫だよ」

「分からないことがあれば、ちゃんと先生に聞くのよ。家庭教師も考えるし。貴方にはいらないかしら?」

「うん。勉強してくるね」

「そうそう。前の成績が良かったから、今日の夕食は桜の好きな食べ物にするね」

「やった! ありがとう」

私は二階へ上がり、自室に入った。

成績の悪い妹のせいで、姉である私に両親、特にお母さんは期待する。

遊んでばっかの妹は怒られも、ヘラヘラして楽しそうにしてる。

だけど私は辛いことばかり。真面目に頑張るほどに、自分を追い詰めてるようだ。

褒められる方が多いけど満たされない。冷たい海の底に沈んでる気分。

いつになったら、そこから解放されるのだろう。

ーー

学校の放課後、参考書を買いに本屋へ寄った。

無事に本を購入して、帰宅をしようとする。

住宅街を歩き、古い二階建てアパートを通り過ぎようとした時

「うっせぇなババア! もういい、勝手にしろ!」

二階から怒鳴り声と共に外へ出てきた人が居た。

露出の激しい私服姿の月山さんだ。

目立つからすぐに分かった。

「クソっ。最悪...。あたしは悪くないのに」

彼女は文句を言いながら階段を降り、私に気づく。互いに驚愕をする。

「あ? アンタ、なんでここに...」

月山さんの頬には、殴られたような小さな傷があった。血が軽く滲んでる。

「月山さん...。その傷...」

私の言葉にハッとして、片手でそれを隠した。

「なんでもねーよ! 見てくんな! さっさと帰れ馬鹿」

彼女は私が向かう反対側へ歩き始めた。

...意外だった。もっとお金持ちのイメージだったから、家が大きくて...我儘なのは愛されて育って...。

あれは両親に殴られたのだろうか?ババアってお母さん?発言からして、勝手なお母さんなんだろうか。

全然悩みが無いと思っていた。

私は、大きな勘違いをしていたのかもしれない。

ーー

あれからは月山さんから避けるようになった。話しかけようとしたら、それを察知して走って消えちゃう。

だから放課後の帰り、また逃げようとする彼女を今度は追いかけた。

「待って月山さん!」

はぁはぁと息を吐きながら走る。いくら呼んでも関係のない周りの人が反応するだけで、振り返ってもくれない。

住宅街に入り、月山さんの家が近づいて来たところで急に彼女は止まるので、ぶつかりそうになった。

彼女は振り返る。

「しつけーな! ついて来んなよ! 毎回毎回ウザいって言ってんのに。どういうつもりだよ」

口調からして、普段より機嫌が悪そうだ。

私は額の汗を拭いながら、息を整える。

珍しく月山さんと目が合う。今なら私の声が届くかもしれない。少し怖いけど、前のことが気になるから。

「...家族とは仲が悪いんですか?」

聞いた瞬間、冷たい雰囲気が流れた。

「...アンタには関係ないだろう」

明らかに視線を逸らした。

「私も...共感出来るかもしれません」

月山さんはカッとし、私の腕を掴んだ。

「アンタに何が分かるんだよ! 呑気で、周りにチヤホヤされてるくせに」

力をこめて握ってくるので、痛みを感じる。

呑気?

チヤホヤされてる?

「...月山さんこそ。私のこと知らないじゃない!」

彼女の腕を払い、はっきりと言い返す。

歩く人々に注目される。

「...知らねーよ。知りたく無い。もう関わってくるな!」

月山さんは走った。


この機に、月山さんは学校へ来なくなった。

ーー

二週間後。

雨が降る放課後。私は月山さんの家へ行く。

先生に相談したら、やめて良いと言われた。

成績、友達関係は順調で、

家族も表向きは良好。

このまま月山さんを気にしなくなれば、また普通の日常に戻る。ストレスも減るはずだ。

それなのに、私の心情は今日の雨のように冷えている。

あの状況を見なければ、月山さんをただの嫌な人にしか認識しなかったのだろう。

亀裂が入ってしまったし、関わるなと言われたが、それでも黙っていられない。

共感は嘘ではなかった。僅かに理解出来そうだったのは事実だ。

それを今回、確かめたい。

月山さんの家につき、壊れかけの階段をあがる。

来たのは良いけど居るのかな。インターホンを押すにも、何処に住んでるのか不明だ。

二階をゆっくり歩いてる時に、叫び声が窓から聞こえた。

「やめて! やめてよ!」

ドアから人が出てきた。

私服を着た月山さんだ。

乱れた髪から覗く顔には、また傷があった。一個じゃなく、数カ所もあった。

彼女は助けて欲しそうな潤んだ目をしていた。

私は無意識に月山さんの腕を掴み、走った。

「ちょっ、下本?! 何処に行くんだよ、離せよ!」

「近くの公園に行こう!」

「公園に行ってどーすんだよっ」

「とにかく、ほっとけないから!」

傘をささず、雨に濡れながら走り続けた。


小さな公園につき、屋根のある休憩所の椅子に座った。

「ずぶ濡れ...」

月山さんにタオルを貸そうとしたが、頭を横に振られて断られた。

「あー怠い...」

雨は一向に止みそうになかった。空は雲が覆い被さり、夏前なのに辺りは暗かった。

「で? どうして助けたんだよ。つか、関わるなって」

「気になっていたから」

彼女は黙る。

「私、月山さんが思ってるような子じゃないよ。勉強は両親や先生に期待されてるから、夜遅くまで教科書に睨めっこして大変だし、委員長だから気を遣って優しくしないといけないし。辛くても、悲しくても、笑っていないといけないし」

「なんでそこまで無理すんの?」

「私には...それしかないから。勉強と真面目を取れば、何もないもん。空っぽ」

「くだらな。他人と楽しくない仲良しごっこに一生懸命になってさ」

「そうだね。ほんと、そう思う。でもやらないといけない事が無くなれば、必要とされないようで寂しい」

「必要と、されないか...」

少しの沈黙の後に

「...寂しいのは分かるかも。あんな情けない親でも、全く構ってくれなかったら辛い」

月山さんは自分の頬を触りながら言った。

「あたしの母さん、男にだらしなくて。男と喧嘩する度にあたしに八つ当たりをしてくる。最近は暴言の他に手も出してくる。学校に行かないのは、母さんの世話やバイトで忙しいから。面倒くせぇのもあるけどな」

「月山さん...。ごめんなさい。私、何も知らなくて干渉しちゃって」

「お互い様だろ。あたしもアンタのこと知らなかった」

今日の月山さんは尖っていなく、悲しみを鳴らしてる。

「どうして大人に、お母さんのこと相談しないの?」

「言えるわけねーじゃん。言えば、離される。離れたくはない。嫌いじゃないから。昔は優しかったし、あんな風になったのは浮気をした親父のせいだから。また前の母さんに戻ると信じてる」

凄いな。私なら月山さんのお母さんが自分のお母さんだったら、大嫌いになって出て行っていた。

「...他人の、特に大人は信用出来ないんだよな。逆らえば排除してくるし、逆らわなかったら利用する。ウザい。表しか評価をしない連中ばかりが多いから、本当の意味で分かり合えない」

「うん。頑張っても報われるのは少ないしね」

「いい加減なのが正しいってわけじゃねーけど。人に合わせて吐きそうになるなら、今の自分がいいわ」

「良いと思うよ。自分を隠して生きても、損はしなくても得することもあまり無いから。慣れていくだろうな。最初はありがたい存在でも、次第に当たり前になって、次はさらに優秀になろうと求めてくる。永遠に終わらない、地獄のようなループが続くなら、私は自分の意志で生きていきたい。けど、どうしたら良いのか分からないから」

「でも...偉いじゃんアンタ。楽は簡単だけど、努力は誰にでも出来ることじゃねーから。アホみたいって思ったけど、ふつーに凄いから卑下すんなよ。無理せずに、ちょっとずつ変われば?」

月山さんのさらっとした言葉に、私は涙を流した。

真面目や良い成績ばかりしか見てくれなかった人達の中で、努力をしっかりと褒めてくれたのは嬉しい。

頑張れ、

頑張れ、

頑張れ。

私は万能じゃない。

感情は常に疲れ、自由に飢えている。

「おっ、おい。泣くなよ」

「ごめ...。こんな話したら、引かれるかなと思って...」

「引く? どちらかと言えば、あたしの方がヤバいだろ」

「ヤバくないよ、全然。月山さんも頑張ってるから」

涙が私の闇を消し去り、少しスッキリした。

「...まぁ、あたしも変わらないとな」

月山さんは立ち上がる。

「なんかやる気出たっていうか。もう一度、母さんとちゃんと話すわ」

「一人で大丈夫?」

「平気平気。無理過ぎたらまだ信用出来る大人に相談する。後、学校に行って授業受けるわ。内申足りなさ過ぎて、美容師の学校に行けなくなるのは困る」

「美容師になりたいんだ! 素敵」

「アンタは?」

「私はまだ...。今が必死だから」

国立の大学は目指してるが、夢は無かった。

「そっか。まっ、ゆっくり探していけよ。人生長いんだからな。あ、雨止んだな」

雨が止み、虹が出てきた。

私は、虹のように輝ける人になれるだろうか。

それほどじゃなくても、内面から微かでも光が表れたら良いな。

ーーー

三日後の学校。

「おはよう」

月山さんが朝礼前に教室に入ったのも、挨拶も初めてした。

「おはよう、月山さん!」

しーんとする中、私だけが挨拶をした。

「えっ、月山さん?」

「誰か分かんなかった...」

周りはザワッとする。

彼女は髪色を黒にし、スカートも長くしてスッピンで登校してきた。

月山さんは席に座り、私は彼女の横に立つ。

「イメチェンしてみたんだ。いつか元に戻すけどな」

恥ずかしそうにニッと笑う。

「お母さんは...どうだった?」

「あー、仲直りした。生活を改めるって。続くか分かんねーけどな」

「そうなんだ。良かったね」

「下本のおかげだよ。ありがとう」

「そんな...。こちらこそ、ありがとう。私ね、勉強以外にも楽しいこと見つけたいなと思って」

「アンタなら見つかるよ。そうゆう顔してるから」

私は華やかに笑った。



私達は寂しい人間。

けど、寂しさを分かち合える者同士。

共鳴が明るい未来へなるように。

今日から私達は、少しずつ変わっていく。