色呆リベロと毒舌レフティ

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 前半の三十分、フログモスの3番から、5番へとパスが入った。
 即座に寄せた皇樹は、前を向いた5番に身体をぶつけて、吹き飛ばした。ボールを奪い、ドリブルを始める。
 すぐさま3番が当たるが、皇樹は身体を揺らすフェイント。難なく躱して右足で、地を這うようなシュートを放つ。
 キーパーは一歩も動けず、ボールは、ゴールの左隅に突き刺さった。一対〇。サンフレッチェの先制点だった。
 その後の前半の終了間際、サンフレッチェは、皇樹が得たPKから追加点を得てスコアは二対〇となった。
 試合は進み、後半も残り十五分弱。前線に上がったサンフレッチェの右サイドバックから転がしたパスが入り、皇樹は反転した。
 諦めないフログモスは、7番と5番の二人掛かりでチェック。連動した味方が、皇樹の周りのスペースを消す。去年の天皇杯でJ1のチームを苦しめた、プレッシング戦術である。
 プレッシングとは、ボール・サイドに人数を集中させてボールを奪う、現代サッカーの主流の戦術である。
 皇樹の左から7番が迫る。だが皇樹は、ボールを守るべく身体を入れた。7番のショルダー・チャージの勢いを利用して、ボールを持ち出す。
 作用反作用の法則で、7番はその場に取り残される。振り分け試験、一試合目の終盤で未奈ちゃんが見せたプレーに近い。
 皇樹の隙を突こうと、5番が足を伸ばした。だが皇樹は、軽くボールを浮かせて5番を置き去りにする。
 左の2番が耐え兼ねて、元のマークはほっぽり出して詰める。
 すかさず皇樹は、右足で小さく跨いだ。2番を牽制してから左に持ち出しスルー・パス(敵選手の間を通すパス)。
 ボールを受けたサンフレッチェの右17番は、ダイレクトでシュート。角度はあまりなかったけど、ゴールが決まった。三対〇。
 17番、ガッツ・ポーズをしながら自陣に引いていく。チーム・メイトとともに17番を追走する皇樹は、俺に普段、見せるような、2.5枚目の気さくな笑顔だった。
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 試合は三対〇で終わった。コートを後にして駐車場の片隅に集まった俺たちは、五列に並んで座った。俺たちの前には、コーチが後ろ手を組んで立っている。
「五月三日の、女子のAとの練習試合の詳細が決まった。当日は、二十分のゲームを六本行う。初めの三、四本はレギュラーで行って、それ以降、メンバーをどんどん変えていく。それと、六本のゲーム間のハーフ・タイムは、十分間取ってある」
 コーチは、書いた物をそのまま読み上げるような、感情の籠もらない口調だった。
 俺たちの横を、サンフレッチェのユニフォームを身に着けた集団が、わいわいと騒ぎながら通り過ぎていく。
「男子Bとの試合結果は、知ってるか。三対三の引き分け。だからCじゃあ勝ち目はない。負けてもいいから、全力で食らいついて一個でも多く学べ」
 コーチは、言葉を切った。俺たち、一人一人の表情をゆっくりと舐めるように見て目を細める。
「って、言うと思ったか? んな訳ないだろうが! 勝つぞ。君らは力を付けてる。絵空事では絶対にない」
 コーチの断定的な口調に、俺のテンションは上がり始めていた。
 コーチの発言は誇張じゃあない。沖星佐三国同盟の熱が感染したのか、最近のCの練習は、殺伐って感じに引き締まっていた。理想的で独創的な環境の下、俺たちは凄いスピードで成長している。ま、筆頭は俺なんだけどね。
「お前ら、考えてもみろよ。Bと渡り合った女子Aのフルボッコを手土産に、意気揚々と昇格。宮藤官九郎も真っ青の完璧なシナリオだろ?」
 大袈裟な言い方をしたコーチは、口の端を歪めて笑った。
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 その日は試合観戦だけで、午後練はなかった。夕食を摂った俺は、Cのグラウンドでダッシュの練習をしていた。佐々と一緒にする練習は、すでに終わっていた。佐々も俺の面倒ばかりは見ていられないからね。
 スタート地点に戻った俺は、再び走り始める。最後の一本だ。
 今日のテーマは足首の意識だった。様々な部位を意識して練習し自分の走りを見直せば、ぐんと前に進む感覚が得られる日が来ると佐々が教えてくれていた。
 自分で書いたラインまでダッシュしてジョギングで戻っていると、ボールを手に持ったコーチが視界に入った。
 俺は、「こんばんはーっす」と、頭を下げながら体育会系な感じで挨拶をする。
 コーチは、「ダッシュ練が終わったら教えてくれ。話がある」と、真剣な様子だ。
「はい。ちょうど終わりましたっすよ」
 俺の返事を聞いたコーチは、「おう」と答えた。
「女子Aとの試合だけどな、水池は間違いなく左ウイングに入る。マークは沖原だが、ディフェンスの統率者たるお前も何度もやりあうことになるだろう」
 コーチは俺の目を真っ直ぐに見ている。
「わかってるっすよ。完全無欠に止めてやるだけっすわ」と俺は、力強く返す。
「おう、期待してんぜ。けどそこは『超絶姉妹』の片割れだ。一筋縄ではいかん。そこでだ」
 言葉を切ったコーチは、持っていたボールを落として、足の甲で去なした。
「今から俺と一対一だ。お前を鍛え直してやる。構えろ」
 言い終えたコーチは、左足のイン・サイドで、ちょんとボールを出した。俺は即座に半身になる。
 元、全国ベスト4のチームのフォワードとのマッチアップか。臨むところじゃんかよ。シャットアウトして、自信満々で聖戦を迎えちゃいますかね。
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 コーチはゆっくりとドリブルを始める。俺はコーチの動きに全神経を注ぐ。
 左足のアウトでボールが出た。俺は重心を右へ。ボールが落ちる前にイン・サイドで切り返し。完全に逆を突かれる。
 右足に持ち替えてコーチはドリブルを始める。左足でスライディングしたような体勢で転けた俺は置き去りだった。
 俺は、直ぐに立ち上がる。コーチは振り向いてにやりと笑った。
「結構、上手いだろ、エラシコ。俺の十八番(おはこ)だった。天下のバロンドーラー、ロナウジーニョにゃあ遠く及ばんがな」
 (おど)けた口調でコーチは言った。
「バロンドーラーって和製英語らしいっすよ。ってすんません。なんか差し出がましいっすよね」と、俺は頭に浮かんだ豆知識を口に出した。
「そうなのかよ。教え子に教えられるとは、俺もまだまだだな」と、コーチは冗談っぽく笑った。
 さっきの一対一は五本目だった。俺は一度も勝てていなかった。
「おし、もう少し離れろ。ショートパスをやるぞ。少し休憩だ。お前、ダッシュしたばっかだしな」
 俺が後ろに下がると、緩いパスが来た。俺はボールを止めて蹴り返す。
 しばらく無言でパスを交わす。
「コーチは高校時代、どんな選手だったんすか。差し支えがなけりゃあ、ぜひ教えてほしいっす」
 思い切って、聞いてみた。
「テクニック偏重のセカンド・ストライカーだ。『高校サッカー史上最高のファンタジスタ』『日本のトッティ』だなんて、身の丈に合わない、大げさな表現をしてくれる人もいたっけな」
 俺は左足のイン・サイドで、早めのパスを出す。トラップしたコーチはゆっくりと俺にボールを返す。
「見ている人が唸るような美しいプレーをする。俺が出場するゲームを『柳沼のゲーム』にする。そんなどでかい野望を抱いて、サッカーをしていた。プロになって野望を実現するために、留学もした」
 心なしかコーチの表情が暗い。俺は何を言うべきか、わからない。
「パラグアイでは相部屋の寮に入っててな。毎日バタバタと慌ただしかった。けど楽しかった。グラウンドがボコボコだったり、物質的にはあまり恵まれてなかったけどな。
 元チームメイトとは時々連絡を取ってる。お節介焼で他人のことばっかり考えてる、本当にいい奴ばっかだ。だが知っての通り、俺は致命的な怪我をした。そして、プロを、諦めた」
 コーチは寂しげに言葉を切った。俺はちらりとコーチに目をやる。
 俺の視線に気づくと、コーチは笑った。いつもの口だけの笑顔ではなく、心からの笑顔に見えた。
「でも勘違いはするなよ。俺は今、幸せなんだ。叶いはしなかったけど思うがままに自分の夢を追えて、今ではお前たちと一緒にもっと大きな目標を追っかけてな。俺は俺の選んだ道を後悔していない。サッカーを始めて、良かった」
 充足感たっぷりに、コーチは思いを口にした。
「俺もっすよ。俺もサッカーを始めて良かった。龍神のサッカー部に入って、良かったです」
 俺の本音を聞いたコーチは、厳しい顔つきになった。
「わかってるだろうが、水池は強いぞ。だが水池を止めれば、お前は出世。間違いなくBに昇格だ。試合まで日はない。気合を入れて練習しろ」
 俺は「当然っす」と、決意を込めて返事する。Cのメンバーがボールを蹴る音が闇に包まれるグラウンドに響き渡った。
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 その日、自主練を終えた俺は、八時四十分、寮の自室へと戻った。
 ドアを開けると、背筋を伸ばして椅子に座った皇樹が、机の上に置いた国語の教科書と睨めっこしていた。今にも唸り出しそうな、しかめっ面で、である。
「練習試合、お疲れっす」
 部屋の中へと歩いて行きながら、俺は、軽い調子で話し掛けた。
「おう、桔平。昼は来てくれてありがとな」
 皇樹はふっと顔を上げて、弾んだ声で小さく笑った。
「にしても、皇樹。今日はキレまくってたよな。三点目なんか、全盛期のジダンを彷彿とさせる鬼キープだったしね」
 やや興奮気味の俺は、自分の思うところを率直に伝えた。すると、皇樹の笑顔がすーっと引っ込んだ。
「まあでもよ。言っちゃあ悪いけど、今日の相手は万年J2のチームなわけよ。J1を相手に今日のプレーができるかっつーと、正直自信はねえな」
 皇樹の声音は、すっきりとしない。「まあ、こっからっすよ、こっから」とお茶を濁した俺は、鞄を自分の机の近くに置いた。残っている宿題を片付けなければいけなかった。
「女子Aとのゲーム、もう再来週だよな。どうだ、勝てそうかよ?」
 皇樹は、鋭い眼光でもって問うてきた。エネルギーに満ちた口振りは、挑むようでさえある。
 挑発に乗った俺は、目を大きく開いて皇樹を見返す。
「訊くまでもないでしょーよ。スカッと快勝して、鮮やかにB昇格と洒落込こんじゃいますよ。俺は断じて、Cにい続ける器ではないんだよ。そこんところ、忘れてもらっちゃー困る」
 一瞬、未奈ちゃんの話題に移ろうか迷ったけど、止めといた。皇樹が未菜ちゃんの気持ちを知っているかどうか、わからなかったからね。
「わかってるだろうけどよ、竜神女子サッカー部はつえーぞ。女子独特のテンションに負けずに声を張ってかねえと、勝機はないぜ。気合と根性、フル・マックスでいけよ」
 言い聞かせるように告げた皇樹は、右手で握り拳を作って俺に向けた。俺は迷わずに、同じようにした左手を、皇樹の右手とぶつけた。
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 五月三日、日曜。女子Aとの練習試合の日。昼食を摂り終えた俺は、早足で部室に向かった。
 部室では、十人ほどの部員が喋りながら着替えていた。俺はすぐに荷物を置き着替えを始めた。
 その後、他の部員とともに、少し距離のある女子Aの芝生のグラウンドに赴いた。既に男女の部員が何人か来ていて、ロング・キックやストレッチをしていた。
 グラウンドのすぐ外には屋外テント(運動会の放送席とかで使われるやつね)があり、下には男子の荷物が置いてあった。鞄を近くに置いた俺は、コートの隅でストレッチを始めた。
 身体の後ろで腕を伸ばしていると、「そこの人ー、……って、あんたか」背後から露骨に嫌そうな声が聞こえて、振り返る。
 転がったボールが俺に向かってきていて、ボールの向こうでは未奈ちゃんとあおいちゃんが俺を見ていた。
 俺は腕を組んだまま、近づいてきていた未奈ちゃんに蹴り返す。
「ありがと」と、ぼそっと呟いた未奈ちゃんはボールをトラップして反転した。
「いよいよだね、未奈ちゃん。今日は、十、ゼロで完勝しちゃうよ。んでもって未奈ちゃんの心も、十、ゼロで俺に傾けてあげるからね」
「……ちょ、またそんな恥ずかしい台詞をぺらぺらと。困るっつってんでしょ。うまいこと言おうとして失敗してるし。
 で何だって? 十、ゼロ? あんた、うちと男子Bとの結果、知ってんの?」
 向き直った未奈ちゃんは、軽く引いた感じのお顔だった。
「もちのろんっすよ。三対三の引き分けでしょ? それがどうしたの?」
「……知っててそんだけ、大言壮語ができんのね。ま、あんたらしいっちゃあんたらしいか」
 会話の終わりを感じた俺は、身体の向きを戻してストレッチを再開したが、
「相手がどんな奴でも、私は負けるわけにはいかないのよ」
 未奈ちゃんの、自分に言い聞かせるような決然とした声が聞こえて、振り向く。だけど未奈ちゃんは、既にキックのモーションに入っていた。
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 アップは、一時間弱で終了した。最後のダッシュの後、柳沼コーチの話を聞いた俺たちは、グラウンドに入った。センター・サークルでの挨拶を終えて、それぞれのポジションに散らばる。
 男子Cは4―4―2で、キーパーが五十嵐さん、右サイド・バックが沖原、右センター・バックが俺、トップが釜本さんと佐々である。
 佐々は、今日が初のスタメンだった。身体能力はともかく、総合的にはこれまで出ていた二年生に劣ってるから実験の意味合いが強いけど。
 女子Aのフォーメーションは、4―3―3。未奈ちゃんは左ウイングで、あおいちゃんはセンター・バックの左だった。
 女子Aのボールでキック・オフ。戻されたボールはライン際の未奈ちゃんへと渡った。
 沖原のスピードを考慮した俺は、「寄せすぎんなー」と、鋭く指示を飛ばした。
 沖原は、「おう」と平たい声で答えて、未奈ちゃんと距離を取る。
 だが事態は、俺の予想の上を行った。
 凪いだ表情の未奈ちゃんは、大きく助走を取ってインフロントでボールを蹴り込んだ。相手を抜き切らずに中に上げるアーリー・クロス。俺も足を出す。だが届かない。
 ボールはゴール前に飛んだ。曲がってディフェンスの足を躱す。敵の右ウイングの14番ボレーを放つ。
 シュートは完璧なコースに飛んだ。五十嵐さんは一歩も動けない。ゴール・ネットが軽い音を立てて揺れる。
 身体が固まる。試合開始、ワン・プレー目でまさかの失点。〇対一。
 男子Cの誰もが呆然とする中、満足げな未奈ちゃんは、小走りで自陣に戻っていく。未奈ちゃんと逆のサイドでは、喜色満面の14番を数人が囲んで並走していた。
 さっきのクロスは、誰も触れない場所を的確に突いていた。針の穴を通すような精度に加えて、四十m近い飛距離。完全無欠、お手本のようなキックだった。
 今までの努力が水の泡となったように感じ、俺の目の前は暗くなる。過去最悪の試合の予感がじわじわと広がり始めていた。
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 前半五分。流れは完全に、女子Aに持っていかれていた。
 女子Aのパス・ワークは華麗で、ひっきりなしに飛び交う鼓舞の声は元気一杯だった。押されっぱなしの俺たちは、ひたすら圧倒され萎縮していた。
 右サイド、ボールを持った沖原が、未奈ちゃんに寄せられていた。斜め後ろに位置する俺は、「沖原、後ろもあるぞ!」と喚いた。
 沖原がボールを落とすが球足が遅い。
「星芝ー、大事に行けよー」後ろから五十嵐さんの大音量だが冷静な指示が聞こえる。
 右足でボールを止めた俺に、未奈ちゃんが素早くチェックをしてくる。俺よりずっと小さいにも拘わらず、半身になった未奈ちゃんの姿には迫力があった。
 一流選手の風格と気迫に、俺は恐怖を覚える。
 左足に持ち替えて、ろくに前も見ずに大きく蹴り出す。何の発展性もないバカ蹴りだ。
 俺の蹴ったボールを、相手のボランチが胸で止めた。地面に落とさずに、少し引いた未奈ちゃんにパスが出る。
 上がってきた5番を沖原に見させて、俺は慌てて寄せる。
 左足でトラップした未奈ちゃんは、左足のアウトで外に持ち込む。ツー・タッチ目が早い。前線にパスが出ると判断した俺は、足を出す。
 未奈ちゃんは蹴り出す振りをして、インで俺の股を抜きドリブルを開始。二人目のセンター・バックが引き摺り出される。
 すかさず未奈ちゃんは、内巻きのボールを出す。フリーの9番が走り込み、ダイレクトでシュート。しかしボールは、バーの少し上に外れた。
「ナイス・シュートー! いい感じいい感じ!」
 未奈ちゃんが明るさマックスで労うと、背後から、「サンキュー!」「次は枠に飛ばそー!」など、黄色い声の津波が押し寄せてきた。
 さっきの一連の動きも正確で速かった。いよいよ未奈ちゃんが怪物に見えてくる。
 ゴール・キックを蹴るべく、五十嵐さんがボールを置いた。すると、
「星芝ー! 沖原ー! お前ら、なにを縮こまってんだー! 点ぐらい、いっくらでも取り返してやるから、いつも通り堂々とクソ生意気にやれやー!」
 突然、釜本さんから、煩いぐらい大きな叱咤激励の声が飛んだ。コート中の注目が釜本さんに集まる。
 ボール磨きの件で嫌われていると思っていただけに、はっとした。なんだかんだあったけど、釜本さんはちゃんと俺を見てくれていた。
 胸に広がる感動を収めた俺は、ゆっくりと深呼吸をする。
 今できるプレーを、全力でしていくかね。だいたい、相手選手の好プレーを目にして燃えないなんて俺らしくない。もっと楽しんでいかなくっちゃ。
 ゴール・キックのボールは、競り合いの結果相手に奪われた。ラインぎりぎりにいる未奈ちゃんにボールが回った。
 沖原がさっと当たる。フォローが可能な位置に着いた俺は、二人の動きを注視する。
 一瞬、溜めた未奈ちゃんは、タッチ、内、タッチ、外と、目にも止まらぬ高速シザースを披露。だが沖原は動じない。
「ミナ!」ダッシュで接近してきた7番が、短く叫んだ。ちらりと右に視線を向けた未奈ちゃんは、ボールを7番にやった。
 7番はダイレクトで前に出す。沖原が抜かれて、俺と未奈ちゃんの一対一。
 五十mが五秒台の女子は存在しない。また俺は、佐々との秘密特訓で七秒の壁を破っていた。だから俺と未奈ちゃんにはそこまでのスピード差はない。むしろ警戒すべきはテクニック。
 未奈ちゃんは唐突にボールを前に出し、縦にドリブルを始めた。相手の呼吸などを読んで意表を突く技術だ。想定していた俺は、遅れずに並走する。
 ゴール・ラインぎりぎりまで持ち込んだ未奈ちゃんは、ゴール前に向けてボールを蹴ろうとする。だが、俺はスライディングで阻止。コーナー・キックに逃れる。
 うん、大丈夫。やれる。未奈ちゃんの動きをじっくりねっとり観察して、ポジショニングを上手くやれば、速さで負けててもなんとかなる。テクニック対策は楓ちゃんとの練習でばっちりだしね。結局、ほとんど勝てなかったけどさ。
 女子Aのコーナー・キック。俺は、未奈ちゃんのマークに付く。未奈ちゃんは俺を見もせずに、両手を背後に回して俺に触れて位置を確認する。
 本当に勝つためなら何でもやるよね。まあそういうパワフルさにベタ惚れなんだけど。
 速いボールがゴール前に上がるが、飛び出した五十嵐さんががっちりキャッチ。反撃開始、である。
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 手に持ったボールを落とした五十嵐さんが、前線に目掛けてドカンと蹴った。釜本さんと4番がポジション取りの争いを繰り広げる。
 ボールが落ちてきて二人は同時にジャンプ。競り勝った釜本さんが、ヘディングで味方35番に落とした。
 35番は、ディフェンスの裏に浮き球を供給。バック・スピンの掛かったボールを追って、あおいちゃんと佐々が並走する。
 あおいちゃんを振り切った佐々は、右足でシュート。コースが甘く、キーパーに足で弾かれた。
 だが、釜本さんが詰めている。スライディングでボールを捉えた。バウンドしたボールは転々とゴールへと吸い込まれていった。
 吠えながらゆっくりと自陣に戻る釜本さんに、近くいた数人の選手が駆け寄る。一対一の同点。
「ナイス・シュートっす! 今日もキレまくりっすねー! このままハット・トリック決めちゃいましょーぜ!」
 俺の手をメガホンにした大声に、釜本さんは俺を一瞥して薄く笑みを浮かべた。うん、やっぱ、サッカーはいい。
「気にすんな、あおいー! 次、次ー。切り替え切替えー。佐々隼人、スピードだ・け・は、あるからさー。ポジショニング、しっかり考えてこー!」
 未奈ちゃんは、男子Cの勢いに立ち向かうような、芯の通った大音声を出した。
 俺たちに背を向け左手を腰に遣っていたあおいちゃんだったが、くるりと振り返った。未奈ちゃんに向ける薄い笑みは、未奈ちゃんへの信頼や愛情を湛えている。
「ありがとー、未奈ちゃん! わたし佐々くんには、もうなーんにもやらせないよー! だから未奈ちゃんは、安心して攻撃してねー!」
 あおいちゃんのおっとりトーンの封殺宣言の後、女子Aのボールで試合が再開された。ボールがボランチまで戻され、佐々が凄いスピードで追う。
 佐々のチェイシングは上手に躱され、タッチ・ライン際の未奈ちゃんにボールが渡った。
 沖原が詰めて、俺は斜め後ろで二人の挙動を注視する。ゴールまでまだ距離はあるけど、抜かれるとピンチになり兼ねない。
 ボールを足元に置いた未奈ちゃんは、直立して動きを止めた。沖原も半身の姿勢を崩さない。
 未奈ちゃんは唐突にアクション開始。左足でライン際のギリギリに持ち出し、ツー・タッチ目でライン上を転がす。だが沖原の動き出しも早い。
 沖原は肩で未奈ちゃんにぶつかった。弾かれた未奈ちゃんは、コート外に倒れ込んだ。ボールを確保した沖原は大きく蹴り出す。
「ナーイス・ディフェンス。素晴らしいよ、沖原」
 興奮気味のコーチの、抑揚を付けた大声が耳に飛び込んできた。
 今のショルダー・チャージは上手いね。気合い全開は、沖原も同じってわけだ。
 男子Cの右サイド・ハーフがトラップした瞬間、ホイッスルが鳴った。二十分のゲーム、六本の内、一本目が終了。