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 幽霊になってあたしの部屋に現れた青木。なにか理由があるはず。

 顔を洗って開き直ったあたしは、再び部屋で青木と対峙した。青木が生きているときは、こんなふうに向かい合うなんてことなかったので、なんだか変な感じだ。

「立野?」
「え? ああ、ごめん。ええと。青木、今まではどこにいたの? 青木が死んでから、もう一ヶ月近く経ってるんだけど」

 死んでから、という言葉を口にしないといけないことに胸に痛みを覚えながらも、あたしは青木に訊いた。

「一ヶ月? そうなのか? 記憶はないな。気がついたときはここに……」

 気がついたらここに? ここに青木の何かがあるというのだろうか。

 あるとしたら。
 あたしに少しでも特別な感情を抱いていた、とか?

 思ってあたしは頭を振った。

 ないない。

 一瞬でも思った自分のアホさに、小さなため息が出る。周りが恋バナばかりしてるからって、そんなふうに考えるなんて。しかもあたしを青木がとか考えるなんて。夢見がちにもほどがある。バカだな、あたし。
 ……でも、青木にもいたかもしれないよね。好きな人とやら。

 心の奥でそうあって欲しくないと思いながらも、あたしは訊いてみることにした。

「青木にも好きな人とかっていたの? 多いじゃん。中学になってからその手の話。それで、その子が気になって、幽霊になってまで現世に残っちゃった、とか? でも恋愛相談するならあたしは向かないと思うよ。その、あたしには理解できない感情だから、さ」

あたしの言葉に、青木はうーんと唸った。

「えーっと、俺も好きな女子? は、いなかったよ。みんなそれぞれいいとこも悪いとこもあるし、正直、一人だけ特別ってのはなかったな」

 じゃあ、好きな人に対する未練ってのは没ってことか。ふーん。

 ふふっ。

「何で笑うんだ?」 

 笑いがこぼれたあたしを訝しげに青木が見ている。

「べーつに」

 なんだ、青木も好きな人いなかったんだ。あたしと同じじゃん!

 っと、喜んでる場合じゃない。

 よくわからないけど、幽霊になるのは、現世に強い想いを残しているからとか聞いたことがある。そうだ、あれだけ短い人生だったのだから、未練があって当然だ。

 青木がここに現れたのも何かの縁。あたしは自分にできることがあるなら、役に立ちたいと思った。青木の笑顔には何度も助けられてきたから。 

 それに、青木の未練が果たされるまで、青木と一緒に居られるかもしれない。不謹慎だがそれはあたしにとって嬉しいことだった。

 青木の心残り。恋愛じゃないとしたら、何があるかな。

「青木、家族は? 兄弟いるの?」
「二つ下の弟が一人」
「かなり心配な子?」
「全然。俺よりしっかりしているような」

 あっけらかんと答える青木。全く緊迫感がない。自分が幽霊という状況をどう思ってるのかな。あまり深く受け止めてないのかな。

「あー、こんなこと訊くのはアレだけど、もしかして、親御さんのどちらかを亡くしてる、とか?」
「へ? いや、生きてるけど? 立野、どうした、急に」
「その、さ。青木、幽霊になってるんだよ? 何かこの世に心配事があるのかなと思って」
「心配事、なあ?」

 他人事のような青木に、少し呆れながらもあたしは続ける。

「部活はハンドボールだったよね? レギュラーにはなれた? 試合はどうだったの? 悔いは残ってない?」
「そうそう。ハンドやってた。よく知ってんな。悔いは、ないんだ。レギュラー入りはできなかったけど、仲間とハンドをしてんのが楽しかったんだよね」 

 心底楽しそうに言う青木。この笑顔をこんなに間近で見られるなんて幸運だ、と思いそうになる自分を押し込める。

「じゃあさ、叶えたかった夢があったとか? なりたいもの、やりたいこと、あった? あったよね、きっと」

 それなのにこんな若さで死んでしまうなんて。そう思うとうるっとしそうになったあたしに、

「え、いや、なんだろう。将来何になりたいとか、そんなことまだ考えてなかったな〜。立野はあるのか?」

 と青木は質問で返した。

「あ、あたし? あたしは、ハイジャンで県大会出たい」
「おお〜! かなり具体的! すごいな! がんばれよ!」
「……ありがと」

 あたしが応援されてどうするんだろう。
 あたしはなんだか疲れてため息をついた。 

「立野? 大丈夫か?」
「へーき」

 そうだ。あたしの知っている青木はこういう男子だったじゃないか。そう。青木は一日一日を楽しんでいるようだった。

「うーん。死んだショックで未練自体を忘れてるのかもしれない。あたし、明日も学校あるし、寝るから。気長に理由を探そう」
「なんだか悪いな、立野。でもさ。俺、そもそも未練なんてないと思うんだけど。俺は俺なりに精一杯生きたから。あのとき猫を助けなかったら逆に後悔したと思うし」

 青木の言葉がずしりと心に響いた。
 青木はしっかりと自分の死を受け止めていた。短くても、未練はなかったと……。

 あたしは複雑だった。
 あたしだったらどうだろう。毎日やれるだけのことはやっているつもりだけれど、明日死んだら未練なしでいられるだろうか? 

 あたしじゃ無理だな。それに、青木だって未練がないなら、なんで幽霊になってここにいるのさ。

 あたしの疑うような目線に気づいてか、青木は苦笑いをした。

「まあ、でも立野がそういうなら、理由探しとやらをやってみようかな。いつまでも幽霊のままってのも困るし」

 なんとなく無理矢理言わせたようで、罰が悪いと思っていると、青木は今度は全開の笑顔を見せた。

「立野っていい子なんだな。俺のためにこんなに考えてくれてありがとな」

 ああ、この笑顔、やっぱり青木だ。でも、今いる青木は幽霊なのだ。本当に信じられない。明日目が覚めたら、全て夢だった、なんてことはないかな。

「別にいいよ。これもなんかの縁。力になれるならなるよ。そうそう。明日はどうするの? 学校について来るのもいいけど、実家とかにも行ってみたら? 何か思い出すかもよ。それから、一応、あたしも女だから、寝てるとき、トイレのとき、お風呂のときは近くにいないでね」
「そ、それぐらいは心得てるよ。今日は仕方なかっただけで……。それじゃおやすみ。俺どっかいっとくわ」
「……おやすみ」

 青木と寝る前の挨拶を交わすというのが不思議で、くすぐったかった。今までまともな会話すらしたことなかった仲なのに、今日こんなにたくさんのことを話せた。青木の情報も一気に増えた。
 あんなに遠かった人があたしの部屋に現れるなんて。人生は不思議だ。

 自然と微笑んでしまう顔を隠すように布団をかぶると、たちまち睡魔に襲われた。


 ――でも勘違いしちゃいけない。青木はもう死んだ人なんだから。