最近はめっきり日が短くなった。帰るころには辺りは真っ暗になっていた。風も冷たい。虫の声もしなくなった。冬の足音が聞こえるようだ。

 空を見上げると星が輝いていた。夜が辺りを包んでいる。

「寒くないか? 立野」

 青木があたしに声をかけてきた。相変わらず優しい。

「大丈夫」
「あのさ……、さっきのやつって」

 青木が言いかけたとき、

「まーた空見てんのか?」

 と後ろから声をかけられた。振り返ると久がいた。

「わりい、遅くなって」
「そんなに待ってないよ」
「そっか。じゃ、よかった。最近寒くなってきたからな」

 言いながら歩き出す。

 しばらく無言が続いた。

 小学生のころは、こんな息苦しさなんて感じなかった。久とは特に仲がよかったから、くだらないことでゲラゲラ笑い、話が途切れることもなかった。今では、何を話せばいいのかさえわからない。

「蒼は最近どうよ?」

 沈黙に耐えかねたのか、久が不器用に声をかけてきた。

「ある意味中学生らしい生活だよ。朝錬、授業、部活の毎日」
「ははっ。俺も似たようなもんだ。蒼がいつも遅くまでハイジャンしてるの見えてるよ。部活してると遊ぶ時間もないよな」

 時間があっても、もう久はあたしと遊ばないだろ?

 言葉を飲む。

「野球部も厳しそうだな」
「ま、ね。でも、好きで入ったからな。蒼もそうだろ?」
「うん」

 そしてまた沈黙。
 破ったのはまた久だった。

「今は空になに見てんだ?」

 久はあたしを見ずに前を向いてそう言った。真剣な声だった。

 どういう意味だろう?

 あたしが答えあぐねていると、久は、

「小学生のころから、蒼は空が好きだったよな。でも、中学生になって少し経ってから、空を見る蒼はどこか変わった」

 とポツリと言った。

「え?」

 ますます意味が解らなかった。

「野球部の部室、陸上部の隣って知ってた? 空を見る蒼、よく見えてたよ」

 なんだろう。久は何を言おうとしてるの?

「ついでに、ハンドボール部の練習をよく見てる蒼も」
「?!」

 久の言葉にあたしはかなり動揺した。

 ハンドボール部のコートは、ハイジャンをするスペースのすぐ隣だった。

 青木のことを見たいとは思っていた。でも、なるべく見ないようにしていたはずだ。なのになぜ久は気づいているの?

 胸が騒ぐ。

 なんだろう。よくない感じだ。
 これ以上久と会話をしてはいけない。
 あたしの頭で警告が響いた。

 一方、青木はというと、あたしたちの会話に、一心に耳を傾けているようだった。

「色真っ黒けで、ショートカットで。ちっとも、ガキのころと変わんねえなあと思ってたんだけどな。やっぱり蒼も女だったんだなと思ったよ。好きなやつができるなんて……」

 久はあたしの様子に気づかないのか、構わず続ける。

 女? 好きな人? 久までそんなことを言い出すの?! 仲間だったお前が?!
 人の心を自分のものさしで勝手に解釈するな!

 あたしは全身が熱くなるのを感じた。

「蒼?」

 悪びれもなく久が、黙ったあたしに声をかけた。

「それ以上言うな」

 低い低いあたしの声。青木が驚いたようにあたしを見た。

「? どうしたんだよ、蒼? 別に冷やかしてるわけじゃないぜ? 好きなやつができるって、ガキのころより大人になったんだなと思っ」
「好きな人とかじゃない!」

 あたしは久の言葉を遮るように叫んでいた。

「違う。あたしの想いはそんな単純で軽いもんじゃない! そんなちゃらちゃらしたものなんかじゃない! 女だったって何?! あたしは小学生のころと変わってなんかいない! 変わったのはお前たちじゃないか!」

 怒りに足を踏ん張りあたしは叫んだ。

『単純で軽いもん。ちゃらちゃらしたもの』

 一方で、そう言い捨てた自分に、もの凄い罪悪感も感じていた。西月先輩の顔が。早田の顔が、チラつく。

 彼女たちの想いをけなしたいのではなくて。そうじゃないけど。違うんだ。違うはずだ。
 
 なのに。

 あたしは。本当に小学生のころと変わってない?

 怒りと恐れと、自分でも手に負えない気持ちが身体中を突き抜けるのを感じた。

 でも。

 ここで否定しないとあたしのなにかが崩壊する!

「もういい、黙ってくれ。あたしは違うんだ」

 青木はじっと考えているように黙って、そう言ったあたしを見つめている。

 久はというと、あたしをまるで憐れむように見つめてきた。そして続けた。

「わかるぜ。つらいんだろ? 空、まさにあいつの名前だよな。重ねて見てたんだろ? でも、もうやつは」

「やっ、やめて!!」

 悲鳴に近いあたしの声。 

 青木に知られてしまう! それだけはだめだ! なんとしても防がないといけない!
 青木はすぐ隣にいるのに! 青木に嫌われてしまう! それだけは絶対に絶対に嫌!!

 久がなぜそんなことを解っているのか、分からない。でも、とにかく止めさせなければ。

「黙れ! 黙れ!! 二度と言うな! あたしに好きな人などいない。なぜ、昔のように扱ってくれない? 久。昔はよく一緒に遊んだのに。昔は女扱いしなかったのに。急にやめろよ。気持ち悪い。みんな変だよ! 不愉快だ。あたしは帰る。じゃあな」

 チリチリ。言い放って胸がいたんだ。

 好きな人じゃない。青木はそうじゃない。
 異性として意識なんてしてない。
 してない?
 特別というのは、意識してるからなんじゃないの?
 もう、よく分からない!

「蒼!」

 久の声を背に、あたしは駆け出した。



 好き? そんなありふれた感情じゃない! でも、ありふれたって、誰と比較してそんなこと思ってるの?! 早田は? 西月先輩は? ありふれてるの?! 二人の恋愛は軽いの?! 分からない! 「好き」っていったいなんなの?! 
 ……嫌だ! どうして、みんな変わっていくの? 昔のままでいられないの? 私自身も。

 あたしは泣いていた。泣きながら走っていた。