気まずい。
青木はまだ成仏してないし、隣にいる。でも、あの雨の日から、青木はなんだか機嫌が悪い。それで話しかけづらい。
あたしの胸……。
お風呂で体を洗うときに、胸が膨らみ出したのに気がついたのはいつだったっけ? 小学生の高学年、生理が始まる前くらいだったかな。
一度だけ男友達に、
「蒼、おっぱいがあるぞ!」
とからかわれたことがあった。そいつのことを殴ってやってからは、言われていない。
ただ、自分は女なんだと急に怖くなったのを覚えている。
だからなるべく気づかないように。胸が大きくなっていってるのを無視した。
でも、青木はあたしの透けた胸を見て怒った。今まで聞いたことのないような、低い声だった。なんであそこまで怒ったのかよく分からない。でも、あたしが青木を嫌な気分にさせたに違いない。
「お母さん。あの、さ。ブラジャー買ってくれる?」
また青木を怒らせたくない。
あたしは恐る恐る母に言った。
「蒼、そうよね、まだ買ってなかったわね。ごめんね、気づかなくて。部活もしてるし、揺れるのも気になるわよね。一緒に行きましょう」
母は次の土曜日に、あたしと買いに行ってくれた。
青木は下着売り場に入ろうとしているあたしに気を使って、すっとそばから消えた。
定員さんに試着したほうがいいと言われて、いくつかを試着して、フィットするものを買った。後ろホックのある普通のブラではなく、下から上にはくように着るスポーツブラ。それでも胸が固定される感じは慣れなくて、少し窮屈さを覚えた。
あたしは性別上女なんだ。
ブラを付けて帰るとき、思った。
当たり前のことなのに、受け入れるのは難しく、涙が出そうになった。
小学生のとき、心と体の性が違うのかと悩んだこともあった。けれど、青木が特別になったということは、あたしの心は男ではないのだろう。
分かってはいることなのに、認めるのは抵抗がある。
ブラジャーを自分がつける日が来るなんて。
でも、これで青木怒らないかな。それなら我慢するしかない。
***
「あ、青木?」
「うん?」
ブラを買いに行った夕飯の後、あたしは恐る恐る青木に話しかけた。
「し、下着、買ったから」
「あ、ああ」
青木は耳まで赤くして、あたしと目を合わせずに頷いた。
「だから怒らないで?」
あたしの言葉に、青木は急にあたしを見た。
え?
また険しい顔。青木のこんな顔、見たくないのに。
「怒ってなんか、いない。そんな理由で下着買ったの? 俺が言いたいのはそういうんじゃない。立野が、分かってないから!」
分かってない? なにを分かってないって言うの?
分からないよ。
あたしは青木に笑ってほしいだけなのに。
ぽとりとあたしの目から涙が落ちた。
やだっ! こんなときに泣くなんてダメだ!
あたしはぐいっと涙を拭った。
青木が困ったような顔になって、ため息をついた。
「あ、青木? あ、あたし、泣いてなんかいないからね!」
「はあ。立野は、自分が女子とは違うって言ってたけど、俺から見たらちゃんと女だから。女じゃなきゃ困るから。って、自分でもわけわかんねーけど。とにかく、あんなあられも無い姿、ほかの男子に見せんなよ」
青木は赤い顔のまま頭を振って天を仰いだ。
あたしにはなにがなんだか分からない。
女じゃなきゃ困る? ほかの男子に見せんな? どういう意味?
「ごめん。なんでもない。とにかく怒ってないから。だからこんな気まずいのはやめよう。前みたいに普通に話してくれる?」
青木も気まずさを感じてたんだ。
「うん。もちろんだよ! ありがとう、青木。仲直りだね」
自然と握手を求めるように手を出してしまい、青木は幽霊だったことを思い出して手を引っ込めようとした。そのあたしの手を掴むように、青木が手を伸ばした。
え?
なにかが触れる感触。冷たい掌のような。
「たて、の……」
「これ……、青木の手、なの?」
触れられるの? あたし、青木と手を握ってる?
ひんやりして少し硬い青木の手。
あたしはなんだかドキドキした。
青木は驚いたようにあたしを見つめている。
あたしたちは数分動けずにいた。
「悪い、ちょっと試してもいい?」
青木が言って、遠慮がちにあたしに手を伸ばしてきた。
抱き寄せられる?!
びくりと体を硬くする。
あれ? 分からない。何も感じない。
青木の手はあたしの肩をすり抜けていた。
青木は首を傾げる。そしてもう一度あたしの手を掴む。
「温かい……」
青木が言った。手は感触がある。青木もあたしの感触があるんだ。
どういうこと?
青木はあたしを見つめて、あたしの頬に手を伸ばしてきた。その青木の手は震えていた。
頬が冷たい。くすぐったい。
「触れる……。そうか、服……」
「直接なら感触があるってこと?」
「た、たぶん」
あたしは青木の手を掴んで、長袖の服の上に持っていく。
うん。やっぱり分からない。
次にあたしは腕まくりをして、青木の手をそこに乗せた。冷たい感触。
「やっぱりそうだ」
あたしと青木は顔を見合わせた。
触れられると言っても、しっかりとした感触ではない。でも分かる。青木を感じられる。
「幽霊って冷たいんだね」
「死んでるからな」
なんだか変な感じ。
「ごめん。少し、触らせて」
青木はあたしの手を両手で包むように握った。
「立野はあったかい。あったかいな」
青木はなかなか手を離そうとしない。
「あ、青木?」
さすがになんだか恥ずかしくなって、あたしは声をかけた。
青木は、泣いていた。
「ごめん。俺、こんなふうに触れるなんてずっとできなかったことだから」
感覚がないって言っていたときの青木を思い出す。
苦しかったんだね、青木。人恋しかったんだよね、青木。
あたしは青木の頭に手を伸ばし、ポンポンとあやすように触れた。青木は少しくすぐったそうにしたけれど、嫌がらなかった。
青木はまだ成仏してないし、隣にいる。でも、あの雨の日から、青木はなんだか機嫌が悪い。それで話しかけづらい。
あたしの胸……。
お風呂で体を洗うときに、胸が膨らみ出したのに気がついたのはいつだったっけ? 小学生の高学年、生理が始まる前くらいだったかな。
一度だけ男友達に、
「蒼、おっぱいがあるぞ!」
とからかわれたことがあった。そいつのことを殴ってやってからは、言われていない。
ただ、自分は女なんだと急に怖くなったのを覚えている。
だからなるべく気づかないように。胸が大きくなっていってるのを無視した。
でも、青木はあたしの透けた胸を見て怒った。今まで聞いたことのないような、低い声だった。なんであそこまで怒ったのかよく分からない。でも、あたしが青木を嫌な気分にさせたに違いない。
「お母さん。あの、さ。ブラジャー買ってくれる?」
また青木を怒らせたくない。
あたしは恐る恐る母に言った。
「蒼、そうよね、まだ買ってなかったわね。ごめんね、気づかなくて。部活もしてるし、揺れるのも気になるわよね。一緒に行きましょう」
母は次の土曜日に、あたしと買いに行ってくれた。
青木は下着売り場に入ろうとしているあたしに気を使って、すっとそばから消えた。
定員さんに試着したほうがいいと言われて、いくつかを試着して、フィットするものを買った。後ろホックのある普通のブラではなく、下から上にはくように着るスポーツブラ。それでも胸が固定される感じは慣れなくて、少し窮屈さを覚えた。
あたしは性別上女なんだ。
ブラを付けて帰るとき、思った。
当たり前のことなのに、受け入れるのは難しく、涙が出そうになった。
小学生のとき、心と体の性が違うのかと悩んだこともあった。けれど、青木が特別になったということは、あたしの心は男ではないのだろう。
分かってはいることなのに、認めるのは抵抗がある。
ブラジャーを自分がつける日が来るなんて。
でも、これで青木怒らないかな。それなら我慢するしかない。
***
「あ、青木?」
「うん?」
ブラを買いに行った夕飯の後、あたしは恐る恐る青木に話しかけた。
「し、下着、買ったから」
「あ、ああ」
青木は耳まで赤くして、あたしと目を合わせずに頷いた。
「だから怒らないで?」
あたしの言葉に、青木は急にあたしを見た。
え?
また険しい顔。青木のこんな顔、見たくないのに。
「怒ってなんか、いない。そんな理由で下着買ったの? 俺が言いたいのはそういうんじゃない。立野が、分かってないから!」
分かってない? なにを分かってないって言うの?
分からないよ。
あたしは青木に笑ってほしいだけなのに。
ぽとりとあたしの目から涙が落ちた。
やだっ! こんなときに泣くなんてダメだ!
あたしはぐいっと涙を拭った。
青木が困ったような顔になって、ため息をついた。
「あ、青木? あ、あたし、泣いてなんかいないからね!」
「はあ。立野は、自分が女子とは違うって言ってたけど、俺から見たらちゃんと女だから。女じゃなきゃ困るから。って、自分でもわけわかんねーけど。とにかく、あんなあられも無い姿、ほかの男子に見せんなよ」
青木は赤い顔のまま頭を振って天を仰いだ。
あたしにはなにがなんだか分からない。
女じゃなきゃ困る? ほかの男子に見せんな? どういう意味?
「ごめん。なんでもない。とにかく怒ってないから。だからこんな気まずいのはやめよう。前みたいに普通に話してくれる?」
青木も気まずさを感じてたんだ。
「うん。もちろんだよ! ありがとう、青木。仲直りだね」
自然と握手を求めるように手を出してしまい、青木は幽霊だったことを思い出して手を引っ込めようとした。そのあたしの手を掴むように、青木が手を伸ばした。
え?
なにかが触れる感触。冷たい掌のような。
「たて、の……」
「これ……、青木の手、なの?」
触れられるの? あたし、青木と手を握ってる?
ひんやりして少し硬い青木の手。
あたしはなんだかドキドキした。
青木は驚いたようにあたしを見つめている。
あたしたちは数分動けずにいた。
「悪い、ちょっと試してもいい?」
青木が言って、遠慮がちにあたしに手を伸ばしてきた。
抱き寄せられる?!
びくりと体を硬くする。
あれ? 分からない。何も感じない。
青木の手はあたしの肩をすり抜けていた。
青木は首を傾げる。そしてもう一度あたしの手を掴む。
「温かい……」
青木が言った。手は感触がある。青木もあたしの感触があるんだ。
どういうこと?
青木はあたしを見つめて、あたしの頬に手を伸ばしてきた。その青木の手は震えていた。
頬が冷たい。くすぐったい。
「触れる……。そうか、服……」
「直接なら感触があるってこと?」
「た、たぶん」
あたしは青木の手を掴んで、長袖の服の上に持っていく。
うん。やっぱり分からない。
次にあたしは腕まくりをして、青木の手をそこに乗せた。冷たい感触。
「やっぱりそうだ」
あたしと青木は顔を見合わせた。
触れられると言っても、しっかりとした感触ではない。でも分かる。青木を感じられる。
「幽霊って冷たいんだね」
「死んでるからな」
なんだか変な感じ。
「ごめん。少し、触らせて」
青木はあたしの手を両手で包むように握った。
「立野はあったかい。あったかいな」
青木はなかなか手を離そうとしない。
「あ、青木?」
さすがになんだか恥ずかしくなって、あたしは声をかけた。
青木は、泣いていた。
「ごめん。俺、こんなふうに触れるなんてずっとできなかったことだから」
感覚がないって言っていたときの青木を思い出す。
苦しかったんだね、青木。人恋しかったんだよね、青木。
あたしは青木の頭に手を伸ばし、ポンポンとあやすように触れた。青木は少しくすぐったそうにしたけれど、嫌がらなかった。