今日はうす暗い曇りだ。なんとなく一雨降りそうな空。
 その空の下でも、立野は必死で跳んでいる。

 バーを見つめる立野の瞳はどこまでも澄んでいて、ときどき目が合うと吸い込まれそうになる。
 何で気づかなかったのだろう。立野は中性的な顔をしているが、綺麗だ。

 駄目だ。今はないはずの心臓が早鐘を打っているのを感じる。最近、立野を見ていると、胸の鼓動が早くなって苦しくなる。幽霊だから体温なんてあるわけないけれど、体が熱い。


 そんな俺の熱を冷ますかのように、雨が降ってきた。思ったより激しい雨だ。大粒の雫があっという間に全てを濡らしていく。
 これは本降りになりそうだ。

 立野は西月という先輩に言われ、同学年の女子部員と一緒に、マットやバーを片付けていた。

 そんな立野を見て、俺は自分の頬がかっと熱くなるのを感じた。

 あわてて目をそらす。

 ドクン。
 心臓が。
 ドクン。

 立野の胸が透けていた。張りついた体操着が双丘を浮き上がらせ、薄いピンクの部分も見えてしまっている。

 何も解っていない立野は俺を見つめて、

「どうしたの?」

 と訊いてきた。

 そんな姿で視界に入るな。

 俺は同時に、周りに男子がいないか確認する。今のところいない。でも隣のハンドボールのコートから見えるかもしれない。

「ジャージ着てくれ!」

 低い鋭い声が出てしまった。

「え? なにか怒ってる? 青木?」

 不安そうな立野の瞳が俺を見つめてくる。
 髪も肌も体操着も全て濡れていて、色っぽい。

 見たらいけない。こんなの立野に申し訳ない。

「いいからジャージをっ!」
「でも、まだ片付け残ってるから……」

 立野は、あられもない姿を俺の前にさらし続けている。

 駄目だ。駄目なのに。やばい。見てしまう。視線を外せない。

 立野の髪から雫がぽたりぽたりと落ちる。睫毛も濡れていた。そしてもう胸の形がはっきりと見える。

 なんでこんなときに俺は、ジャージをかけてやれないんだ。

 幽霊であることを、今日ほど悔しく思ったことはなかった。

 誰も立野を見ないでくれ!

 俺は心の中で絶叫する。

 俺以外の男に、こんな立野を見られたくない。俺だけが、立野のよさを解っていたい。俺だけが、女の立野を知っていたい。

 全世界から、こんな立野を隠してしまいたい!

 自分の中の感情に驚いた。

 なんだ、この感情? これじゃ独占欲の塊ではないか。

 もしこれが立野じゃなかったら、どう思ったんだろう。平気だった? それともこんなふうに思った?

 現に他の女子も濡れている。ただ、ブラジャーという下着をつけていないのは、たぶん立野だけだ。それに、他の女子の濡れた姿が視界に入っても、俺はなにも感じない。

 そんなことは今はどうでもいい。とにかく、こんな姿の立野を、他のやつに見られるわけにはいかない。

「あ、雨でぬれて……む、胸が透けてるんだっ! お願いだからジャージを着てくれ!」

 俺は懇願するように叫んだ。

 立野ははっと自分の胸を見て、あわてたように手で押さえると、ジャージを取りに行って羽織った。

「前も閉めてくれ」

 立野は、頬を赤くしたまま俺の言葉に従った。

「なんで下着つけてないんだよ!」

 言う声に怒りが混じってしまった。 

「だ、だって、あたし胸小さいし、ブラつけるほどじゃ……」 

 消え入りそうな声で言う立野から、俺は無理矢理目を逸らした。 

 逸らさないと変な気分になりそうだった。
 いや、もう十分なっている。

 目を逸らしても、まだ脳裏に残っている。立野のあらわになった二つの膨らみと、くびれた腰の輪郭が。消そうとしても消えない。

 ああ。俺は、なんでこんなにもいやらしくなってしまったんだ。

「青木。そんなに怒らないで? 下着、買うから。ごめん、変なもの見せて」

 立野はなにもわかっちゃいない。

「変なものなんかじゃない! 立野は無防備すぎる。俺だって男なんだよ! 少しは警戒してくれ」

 俺は声を絞り出すように言った。


 帰宅時、俺と立野に会話はなかった。
 ただ、立野のさす傘に、雨粒が当たる音だけが、真っ暗な道に響いていた。