青木が幽霊として現れてから一ヶ月ほど。
あたしは、中体連の陸上競技場にハイジャン選手として立っていた。
一日中夏の太陽が肌を焦がす下。青木が神妙な顔つきで見守る中、心臓がばくばく言うのを聞きながらバーを睨み、足を踏み出したその日の記録は、百三十九センチだった。
自己記録は更新できたものの、二回目の跳躍では、百四十のバーを背中は超えたのに、それに気を取られて残った足を振り上げるのを忘れた。結果、足にバーが引っ掛かりバーを落としてしまった。
「ああ~! もったいない! 跳べてたのに!」
西月先輩がため息混じりに言った。その西月先輩は百六十ニセンチを飛んで、県大会に行くのが決まった。
「ドンマイ! また来年記録更新して、県大会行けばいいよ!」
青木があたしを励ますように隣で微笑んだ。
あたしは悔しさでいっぱだったけれど、自分の種目が終わってからは、同じ部員の応援に徹した。隣で青木も懸命に応援していて、その姿がなんだか微笑ましくて、笑ってしまいそうになるのを堪えるのが大変だった。やっぱり青木はいつでも一生懸命なんだな。
ハンドボール部の青木と一緒に、陸上部の中体連の競技場にいるのが、とても不思議な感じがした。
***
「立野さん」
中体連最後の日、あたしは陸上部の先輩の男子に声をかけられた。
「はい?」
「ちょっといい?」
あたしはよく分からないままその先輩の後ろについて行った。段々と人気がなくなっていく。青木が心配そうに後ろからついてきている。
陸上競技場の出口から半周。先輩は、周りにうちの学校の陸上部員がいないことを確認しているようだった。
「あの……?」
「あ、ごめんごめん。俺のこと知ってる?」
「ええと、男子陸上部の先輩としか……」
あたしの答えに、先輩は寂しげに笑った。
「そっか。そうだよな。陸上部って、種目違うと接点ないしな」
「すみません」
「俺、広田和希。西月と同学年。中距離やってる」
彼はそう名乗った。あたしは、はあ、と気のない返事をする。その広田先輩があたしになんの用があるのだろう。
なんとなく青木の方を見上げたら、青木は少し緊張した顔で広田先輩を見ていた。
青木?
「俺さ、立野さんのこと、前からいいなって思ってたんだよね」
広田先輩の言葉に、あたしはとたんに警戒心をあらわにして、身を硬くした。
なに言ってるんだろう、この人。
あたしの反応に、青木が驚いたようにあたしを見た。
ますます嫌な気分だ。こんなところ、青木に見られるなんて。
「立野さんてさ、付き合ってる人いるの?」
「いません」
あたしは即答した。
「じゃあさ、俺と付き合わない?」
広田先輩の言葉に、あたしは鳥肌が立つのを感じた。
「付き合いません」
再びあたしが即答すると、広田先輩はぽかんとあたしを見つめた。
青木は固唾をのんであたしたちを見つめている。
「え? 他に好きな人でもいるの?」
好きな人。またその言い方。
ほんと嫌な気分だ。
「いませんけど。いなかったら付き合わないといけないんですか? 広田先輩こそなんであたしがいいなって思ったんですか?」
あたしは問いに質問で返した。
「え?」
広田先輩は戸惑うように私を見ている。
「そ、それは……」
言い淀む広田先輩をあたしはじっと見た。広田先輩は恥ずかしげに目を逸らした。
「一見クールなのに、ハイジャンに対する情熱にグッときたというか……。ベリーショートの髪も似合ってて可愛いし」
広田先輩の答えに、あたしはいよいよ胸がむかむかした。
「あたし全然クールじゃありません。あたしのことよく分からないのに、付き合うってなんですか? あたしは広田先輩のこと知らないのに付き合えません。失礼します」
あたしはお辞儀をすると、自転車置き場へと駆け出した。
「なあ、立野、あんな言い方しなくても」
自転車をびゅんびゅん飛ばしすあたしに、青木がおずおずと言ってくる。あたしはますます心がもやっとした。
「それじゃあ、どういう言い方すればよかったの?」
「そ、それは……俺にもよく分からないけど……。でも、立野のことをあの先輩は好きなんだからさ」
「その好きってなんなの? あたしには分からない。相手のことをよく知りもしないのに、付き合ってなんて、どうして簡単に言えるの? それに、青木だって好きな人いなかったって言ってたじゃん。青木にも分からない気持ちなんでしょ?」
「そ、それは、まあ、うん」
「それとも青木は、あたしにあの先輩と付き合えって言いたいの?」
自分で言っていてますますいらいらした。
青木にとって、あたしが誰と付き合うとか、どうでもいいことなんだと実感させられて。
「そ、そんなことは!」
「青木がなに言いたいのか分からない」
なんで広田先輩のことで、あたしが青木と喧嘩しなきゃいけないんだろう。
理不尽だ。
あたしが黙ると、青木も黙ってしまった。
あたしがおかしいの? 広田先輩って人に、もう少し優しく対応しなければならなかったの? そして期待を持たせるの? それこそ残酷だと思う。
でも、それじゃあ、言ってきた相手が青木だったら、あたしはどうしたんだろう。
一瞬考えて、あたしはぶんぶんと頭を振った。
そんなの考えたって無駄なことだ。ありえないし、あってもあたしもどうしていいか、たぶん分からない。
あたしは、中体連の陸上競技場にハイジャン選手として立っていた。
一日中夏の太陽が肌を焦がす下。青木が神妙な顔つきで見守る中、心臓がばくばく言うのを聞きながらバーを睨み、足を踏み出したその日の記録は、百三十九センチだった。
自己記録は更新できたものの、二回目の跳躍では、百四十のバーを背中は超えたのに、それに気を取られて残った足を振り上げるのを忘れた。結果、足にバーが引っ掛かりバーを落としてしまった。
「ああ~! もったいない! 跳べてたのに!」
西月先輩がため息混じりに言った。その西月先輩は百六十ニセンチを飛んで、県大会に行くのが決まった。
「ドンマイ! また来年記録更新して、県大会行けばいいよ!」
青木があたしを励ますように隣で微笑んだ。
あたしは悔しさでいっぱだったけれど、自分の種目が終わってからは、同じ部員の応援に徹した。隣で青木も懸命に応援していて、その姿がなんだか微笑ましくて、笑ってしまいそうになるのを堪えるのが大変だった。やっぱり青木はいつでも一生懸命なんだな。
ハンドボール部の青木と一緒に、陸上部の中体連の競技場にいるのが、とても不思議な感じがした。
***
「立野さん」
中体連最後の日、あたしは陸上部の先輩の男子に声をかけられた。
「はい?」
「ちょっといい?」
あたしはよく分からないままその先輩の後ろについて行った。段々と人気がなくなっていく。青木が心配そうに後ろからついてきている。
陸上競技場の出口から半周。先輩は、周りにうちの学校の陸上部員がいないことを確認しているようだった。
「あの……?」
「あ、ごめんごめん。俺のこと知ってる?」
「ええと、男子陸上部の先輩としか……」
あたしの答えに、先輩は寂しげに笑った。
「そっか。そうだよな。陸上部って、種目違うと接点ないしな」
「すみません」
「俺、広田和希。西月と同学年。中距離やってる」
彼はそう名乗った。あたしは、はあ、と気のない返事をする。その広田先輩があたしになんの用があるのだろう。
なんとなく青木の方を見上げたら、青木は少し緊張した顔で広田先輩を見ていた。
青木?
「俺さ、立野さんのこと、前からいいなって思ってたんだよね」
広田先輩の言葉に、あたしはとたんに警戒心をあらわにして、身を硬くした。
なに言ってるんだろう、この人。
あたしの反応に、青木が驚いたようにあたしを見た。
ますます嫌な気分だ。こんなところ、青木に見られるなんて。
「立野さんてさ、付き合ってる人いるの?」
「いません」
あたしは即答した。
「じゃあさ、俺と付き合わない?」
広田先輩の言葉に、あたしは鳥肌が立つのを感じた。
「付き合いません」
再びあたしが即答すると、広田先輩はぽかんとあたしを見つめた。
青木は固唾をのんであたしたちを見つめている。
「え? 他に好きな人でもいるの?」
好きな人。またその言い方。
ほんと嫌な気分だ。
「いませんけど。いなかったら付き合わないといけないんですか? 広田先輩こそなんであたしがいいなって思ったんですか?」
あたしは問いに質問で返した。
「え?」
広田先輩は戸惑うように私を見ている。
「そ、それは……」
言い淀む広田先輩をあたしはじっと見た。広田先輩は恥ずかしげに目を逸らした。
「一見クールなのに、ハイジャンに対する情熱にグッときたというか……。ベリーショートの髪も似合ってて可愛いし」
広田先輩の答えに、あたしはいよいよ胸がむかむかした。
「あたし全然クールじゃありません。あたしのことよく分からないのに、付き合うってなんですか? あたしは広田先輩のこと知らないのに付き合えません。失礼します」
あたしはお辞儀をすると、自転車置き場へと駆け出した。
「なあ、立野、あんな言い方しなくても」
自転車をびゅんびゅん飛ばしすあたしに、青木がおずおずと言ってくる。あたしはますます心がもやっとした。
「それじゃあ、どういう言い方すればよかったの?」
「そ、それは……俺にもよく分からないけど……。でも、立野のことをあの先輩は好きなんだからさ」
「その好きってなんなの? あたしには分からない。相手のことをよく知りもしないのに、付き合ってなんて、どうして簡単に言えるの? それに、青木だって好きな人いなかったって言ってたじゃん。青木にも分からない気持ちなんでしょ?」
「そ、それは、まあ、うん」
「それとも青木は、あたしにあの先輩と付き合えって言いたいの?」
自分で言っていてますますいらいらした。
青木にとって、あたしが誰と付き合うとか、どうでもいいことなんだと実感させられて。
「そ、そんなことは!」
「青木がなに言いたいのか分からない」
なんで広田先輩のことで、あたしが青木と喧嘩しなきゃいけないんだろう。
理不尽だ。
あたしが黙ると、青木も黙ってしまった。
あたしがおかしいの? 広田先輩って人に、もう少し優しく対応しなければならなかったの? そして期待を持たせるの? それこそ残酷だと思う。
でも、それじゃあ、言ってきた相手が青木だったら、あたしはどうしたんだろう。
一瞬考えて、あたしはぶんぶんと頭を振った。
そんなの考えたって無駄なことだ。ありえないし、あってもあたしもどうしていいか、たぶん分からない。