立野の生活は、半眠りの朝食から始まって、朝錬、授業、部活、夕食、睡眠のほぼ繰り返しだといってもいい。
 でもなぜか見ていて飽きない、と俺、青木澄広は思う。

 朝錬はそんなに好きではないようだが、それなのに一生懸命走ってしまって、顔を真っ赤にしている立野は微笑ましい。
 授業中の立野はさらに面白い。睡魔と闘いながらも、理解できるまで考え、解らないときは必ず授業後質問に行く。
 そして、何度も窓から見える空を見上げては、嬉しそうに目を細めている。
 立野はにこにこ笑うタイプではないから、嬉しそうな立野を見れたときはこちらも幸せな気持ちになる。ただ、そんなときは長く続かない。立野ははっと我に返って、気まずそうに俺のほうを見るのだ。
 きっと恥ずかしいんだろう。
 立野ってこんなに表情が変わる子だったんだ。知らなかった。

 思わず笑顔になって立野を見ると、ますます立野は気まずそうに教科書に視線を戻す。なんだかその様子は可笑しくて、吹き出しそうになってしまう。

 給食時間は、黙々と食べている。一応班の人の話に頷いてはいるのだが、多分あれは耳から抜けていっていて、頭には残ってないんじゃないかな。悪気はないようだけれど、無愛想といえば無愛想だと感じる。

 午後の授業を終えると、立野は一日でもっとも楽しげに部室に駆けていく。そのときも必ず空を仰ぐ。そして大きく伸び。

 最近は俺も真似をしている。

 そして思う。空は本当に綺麗だと。
 毎日微妙に色や形を変えるから見飽きない。 立野が幼い頃に感じていたこと、今は分かる気がする。きっと立野は感覚が鋭いんだろうな。

 立野と一緒に行動するようになってから、俺も空を見上げるのが楽しみになっていた。

 部活時の立野はもっとも興味深い。
 バーを跳ぶ前に片足で跳躍の練習をまず行う。それからバーのすぐ前に立って、その場でバーを跳び越える練習をしている。
 なぜそのようなことをするのかと聞くと、その場で跳ぶときがもっとも美しいフォームなんだそうで、バーと平行に跳ぶ感覚や、背中の反らし具合などを確かめるためらしい。
 確かに、背中が弓のように反っているのがよく見える。助走がつくと、斜めから跳躍をするために完全にバーと平行に跳ぶのは難しいそうだ。まあ、当たり前といえば当たり前だな。だからなるべく平行に近い形で跳ぶ確認をしているとのことだ。

 毎日繰り返される地味できつそうな練習。
 まあ、あんなに高いバーを跳ぶのだ。高度な技術がいるに違いない。
 だから百発百中というわけには決していかない。バーを落としたとき、立野はしばらく立てないでいる。バーの上に背中から落ちると見ていても相当痛そうだ。

 それでも最近はバーを落とすのが減ったほうらしい。部活を始めたばかりのときは、バーの上に落ちてばかりで、風呂に入るのも辛かったと立野は言っていた。何せ自分の体重にさらに重力がかかってバーの上に落ちるのだから、痛いのは当たり前だろう。想像したくない。

 バーを落としたときの立野の悔しげな顔は、ハンドボールの試合で負けたときの感覚を思い出させる。でも、バーを越えたときの気分は共感できない。俺も自分でシュートを決めたときが何度かあるけれど、それとは違う、もっと爽快な思いを立野は味わっている気がする。

 陸上競技は個人戦で、よく自分との戦いと言われる。でも、俺には、立野はそうでないように見える。バーを越えたときの立野の表情は、表現するなら恍惚とでもいうか。自分で跳んでいるのを忘れて、されるがままそれを至福として受け入れているような感じなのだ。とても戦っているようには見えない。

 そういえば、空に支配されるという言葉を立野はよく使っている。多分本当にそうなんだろうな。

 バーを落とさずにマットに着地したとき、立野は達成感に満たされた爽やかな笑顔をみせる。 

 一度の跳躍なんて本当に短い時間だ。

 その一瞬に様々な表情を見せる立野を見ていると、なんだか自分もその瞬く間をとても長く感じる。


 毎日同じことの繰り返し。部活なんてそんなものだろうけど、俺は立野が部活をしているのを見るのが好きになった。とても面白い。



***



「ほんと、毎日よく見飽きないよね。青木は」

 部活後の帰り道、呆れるように立野が話しかけてきた。

「うーん。ハイジャンって奥が深い気がするよ。立野を見ていると。それでかな」
「あたしを見てると? なっ、なんで?」

 頬をほんのり赤く染めて、立野が言い返してくる。

「それは、立野が一番解ってるんじゃないか?」

 唇を軽く尖らせて黙ってしまった立野に、俺は提案してみることにした。

「なあ、一度立野と一緒に跳んでみたいな。どんな感覚なのか。霊体だからできそうじゃないか?」

 立野が跳ぶのを見るたびに思うようになったことだ。

 立野は一瞬困惑していたが。

「そんなに面白いもんじゃないかもよ?」
「それは俺が感じること。だって、一日の中で立野が一番表情を出す瞬間だもんな。どんな感じだろうと思っちゃうよ」

 俺がそう言うと、立野はますます頬を朱に染めた。

「そ、そんなにあたし、普段、無表情じゃないはず、だよ」
「いつもが無表情って言ってるわけじゃないんだって。跳べたとき、すごく幸せそうな顔してるんだ、立野。とにかく、いいだろ? 一度くらい」

 一緒に跳べば、もっと立野を理解できる気がする。

「……構わないけど」
「さんきゅ」

 俺が嬉しくなって笑うと、立野は困ったように視線を逸らして、こほんと咳き込んだ。