今日も音楽室は蒸すような暑さだった。真夏なのに、エアコンが壊れてるとかで役に立たない。僕らを涼ませてあげようと頑張るのは扇風機だけなのだが、こちらも壊れかけているのか「強」に設定しても微弱で生ぬるい風しか運ばれてこなかった。
「アイス買ってきたの」
気を利かせたらしい真希菜がそう言って、僕は驚いた。
「え、アイス!? いいの? 先生に怒られない?」
「先生にはナイショ。天音、告げ口とかしないでよね」
僕はこくこくと頷き、彼女が買ってきてくれた棒アイスを受け取った。
「いくらだった?」
「ああ、いいよいいよ。百円ちょっとだもん」
「じゃあお言葉に甘えて。いただきます」
喉元を滑り落ちていくひんやりとした甘さに、おもわず笑みが溢れる。それは彼女も同じらしかった。
「うまあああ。真夏のアイスは最高だね!」
「同意だな。それで真希菜、今日俺を呼び出したのは?」
僕が尋ねると、真希菜は「ああそうだ」と言ってカバンの中を漁る。
「はいこれ」
「……これは?」
アイスを早々に食べ終えた僕に彼女が差し出したのは、文庫本だ。タイトルを見る限り、よくある「純文学」というやつだと思う。ペラペラとページをめくると、中は小難しい漢字や語彙でびっしりと埋め尽くされていた。
「秋山……なんて読むんだこれ」
ペンネームは、秋山驟雨と書いてある。初めて見る漢字だった。
「秋山(あきやま)驟雨(しゅうう)先生。私が好きな作家さんなんだけどさ。一番最後のページ見てみて」
言われた通りに見ると、そこには「第◯回◯◯小説大賞 作品募集中!」の文字が大きく載っていた。
目を滑らせていくと、賞金の欄が目に入る。
「……大賞——げっ、賞金……さ、三百万円!?」
「って、見るとこそこじゃない」
彼女が呆れた様子で声を投げてきたが僕はそれどころじゃなかった。
「ねぇ、小説の賞ってこんなにお金もらえるの? そりゃみんな会社辞めたりとかして小説書くわけだよな……書くだけでこんなにもらえるなんてそんな楽な」
「ねえ、ちょっと」
僕が一人で興奮し息巻いていると、しかし彼女はどこか不機嫌そうな顔をしている。僕はどうして彼女がそんな顔をするのか分からなかった。彼女は開口し、言う。
「舐めてんの?」
「えっ」
知り合ったばかりだが、分かる。彼女は怒っている。その理由は分からなかった。新調したウン十万円する服を汚されたヤクザみたいな目つきでこちらを静かに睨んでくるだけで何も言わない。
「あの……」
「《書くだけで》って何? 《楽》って何? そんな簡単に結果が出てたまるか!」
「えっ、ちょっと……何をそんなに怒って」
「怒るよ!」
突然、雷のように空気を切り裂く振動が伝わる。彼女の怒号はものすごい剣幕だった。僕は黙って、何も言えなくなる。
「あ……ごめん、大きな声出して。なんかムカついて……」
「いっ、いや。こっちこそ気に障ること言ってごめん」
僕は小説なんて書いたことがないから、それがどれだけ大変な作業かは分からない。だけどきっと小説とピアノ、どちらにも通ずるものはあるはずだと思った。
「小説、僕には全然まったく書けないからさ。だから真希菜がなんで怒ったのかとか、そういうの全然分からないけど。真希菜はすごいと思う」
真希菜は驚いたような顔をするが、その顔はどこか悔しそうだった。唇をそっと噛んでいるし、拳もキュッと握りしめている。
「こういう賞、きっと今までも何度も挑戦してきたんだろ? 諦めずにまた挑む真希菜は、すごいと思うよ。俺にはないものだから、これでも尊敬してるんだ」
僕が必死に言葉を紡ぐと、彼女はようやく険しい表情を緩めてくれた。
「……いいよ、気遣わなくて。結局何も生み出せてないしね」
「どういうことだ? 今までよく小説書いてたんだろ?」
聞いてもしばらくの間彼女は黙る。その顔はどこか寂しげで痛切だった。こういうふうな表情を、最近どこかで目にしたような気がする。
「書いてるよ、今でも書いてる。だけど」
彼女はそこで言葉を切る。言うのを躊躇っているみたいだった。けど、目がようやくあって、彼女は迷いを隠さないままぽつりと言葉を吐いた。
「最後まで書いたことないの」
「え?」
「小説……完結できたことなくて」
「アイス買ってきたの」
気を利かせたらしい真希菜がそう言って、僕は驚いた。
「え、アイス!? いいの? 先生に怒られない?」
「先生にはナイショ。天音、告げ口とかしないでよね」
僕はこくこくと頷き、彼女が買ってきてくれた棒アイスを受け取った。
「いくらだった?」
「ああ、いいよいいよ。百円ちょっとだもん」
「じゃあお言葉に甘えて。いただきます」
喉元を滑り落ちていくひんやりとした甘さに、おもわず笑みが溢れる。それは彼女も同じらしかった。
「うまあああ。真夏のアイスは最高だね!」
「同意だな。それで真希菜、今日俺を呼び出したのは?」
僕が尋ねると、真希菜は「ああそうだ」と言ってカバンの中を漁る。
「はいこれ」
「……これは?」
アイスを早々に食べ終えた僕に彼女が差し出したのは、文庫本だ。タイトルを見る限り、よくある「純文学」というやつだと思う。ペラペラとページをめくると、中は小難しい漢字や語彙でびっしりと埋め尽くされていた。
「秋山……なんて読むんだこれ」
ペンネームは、秋山驟雨と書いてある。初めて見る漢字だった。
「秋山(あきやま)驟雨(しゅうう)先生。私が好きな作家さんなんだけどさ。一番最後のページ見てみて」
言われた通りに見ると、そこには「第◯回◯◯小説大賞 作品募集中!」の文字が大きく載っていた。
目を滑らせていくと、賞金の欄が目に入る。
「……大賞——げっ、賞金……さ、三百万円!?」
「って、見るとこそこじゃない」
彼女が呆れた様子で声を投げてきたが僕はそれどころじゃなかった。
「ねぇ、小説の賞ってこんなにお金もらえるの? そりゃみんな会社辞めたりとかして小説書くわけだよな……書くだけでこんなにもらえるなんてそんな楽な」
「ねえ、ちょっと」
僕が一人で興奮し息巻いていると、しかし彼女はどこか不機嫌そうな顔をしている。僕はどうして彼女がそんな顔をするのか分からなかった。彼女は開口し、言う。
「舐めてんの?」
「えっ」
知り合ったばかりだが、分かる。彼女は怒っている。その理由は分からなかった。新調したウン十万円する服を汚されたヤクザみたいな目つきでこちらを静かに睨んでくるだけで何も言わない。
「あの……」
「《書くだけで》って何? 《楽》って何? そんな簡単に結果が出てたまるか!」
「えっ、ちょっと……何をそんなに怒って」
「怒るよ!」
突然、雷のように空気を切り裂く振動が伝わる。彼女の怒号はものすごい剣幕だった。僕は黙って、何も言えなくなる。
「あ……ごめん、大きな声出して。なんかムカついて……」
「いっ、いや。こっちこそ気に障ること言ってごめん」
僕は小説なんて書いたことがないから、それがどれだけ大変な作業かは分からない。だけどきっと小説とピアノ、どちらにも通ずるものはあるはずだと思った。
「小説、僕には全然まったく書けないからさ。だから真希菜がなんで怒ったのかとか、そういうの全然分からないけど。真希菜はすごいと思う」
真希菜は驚いたような顔をするが、その顔はどこか悔しそうだった。唇をそっと噛んでいるし、拳もキュッと握りしめている。
「こういう賞、きっと今までも何度も挑戦してきたんだろ? 諦めずにまた挑む真希菜は、すごいと思うよ。俺にはないものだから、これでも尊敬してるんだ」
僕が必死に言葉を紡ぐと、彼女はようやく険しい表情を緩めてくれた。
「……いいよ、気遣わなくて。結局何も生み出せてないしね」
「どういうことだ? 今までよく小説書いてたんだろ?」
聞いてもしばらくの間彼女は黙る。その顔はどこか寂しげで痛切だった。こういうふうな表情を、最近どこかで目にしたような気がする。
「書いてるよ、今でも書いてる。だけど」
彼女はそこで言葉を切る。言うのを躊躇っているみたいだった。けど、目がようやくあって、彼女は迷いを隠さないままぽつりと言葉を吐いた。
「最後まで書いたことないの」
「え?」
「小説……完結できたことなくて」