「し、塩尾瀬。聞いてもいい? その、急に帰ろうとしたのって…」
「…俺がトイレに行ったあとに来たのが兄さん」
驚くことに塩尾瀬は秘密主義ではないらしい。
あたしのように聞かれたくないことは言わない、と心を塞がずに向き合う姿勢を見せてくれた。
「顔、合わせたくないの?」
「だって、俺が兄さんの彼女と付き合ったから」
自転車のカラカラと乾いた音が止まった。前を歩く塩尾瀬の自転車のカゴでは、変わらず道具がぶつかり合って音を鳴らしている。
「俺さ、この町に引っ越してくる前はひどい男だったんだ。本当…俺もどうかしてたと思うけど、当時は必死に縋ることでしか生きていられなかった」