国立大学の理工学部を卒業後、修士課程を修了し、晴れて大手化学メーカーに就職した私が最初に配属されたのは、希望していた研究開発ではなく、なぜか本社にある品質管理の部所だった。
しかしそこでみっちり2年間、社会人としてのスキルを叩き込まれ、仕事現場や自社製品について学ぶことができたのは自分にとっていい経験だったと思う。
そして念願叶い、この春ついに材料科学の研究所へと異動することになったのだけれど。
「矢吹くん。彼女が今日からうちに配属になった篠原夏乃さん。歳も近いし、いろいろ教えてあげてくれ」
「篠原です。よろしくお願いします」
そこに待ち受けていたのは――。
「久しぶりだね」
――高校生のときに恋をしていた、矢吹先輩だった。
矢吹静正先輩。
彼は私が高校1年生のとき、新入部員として入部した科学研究部の部長をしていた方だ。
高校時代の先輩は真面目を絵に描いたような、品行方正という言葉がよく似合う生徒だったように思う。
短めの黒髪も野暮ったくなく、清潔で、隣にいると自然と背筋が伸びるような、そんな人。
その凜とした姿から、昔は少し近寄りがたささえもあったけれど。
「私のこと、覚えていてくださったんですか」
「もちろんだよ。それにしても驚いたな」
「私もです。まさか矢吹先輩が同じ会社にいらっしゃったなんて」
「まぁ、うちはでかいし、畑違いだと顔を合わせることもないからね」
すると突然、矢吹先輩はあのころと同じ癖のない黒髪を揺らしながら、くすりと笑い声をもらした。
その笑みを不思議に思い、首を傾げる。
「いや、懐かしいなと思ったんだ。篠原さんから矢吹先輩って呼ばれるの」
弁解するようにそう言った彼の目が懐かしむように細められ、その目に思わず釘づけになった。
控えめに笑う仕草は昔と変わっていない。
けれどあのころよりも物腰が柔らかくなっただろうか。
どこか大人の余裕を感じる。
「一緒に働けることになって嬉しいよ。これからよろしく」
そう言い残し去っていってしまった彼の後ろ姿を、その場に立ち尽くしたまま見送る。
今の言葉はきっと、ただの社交辞令に決まっているだろう。
それでも私は胸が高鳴るくらいに嬉しかった。
だって私は、彼のことがずっと忘れられなかったのだから。
「へぇ……! 初恋の先輩と運命の再会かぁ」
夢見がちな声色でそう言ったのは、大学時代からの友人で、この会社の同期でもある梓だった。
梓はセンター内にある生物科学の研究所に所属しており、仕事中に顔を合わせることは滅多にない。
しかし社員は同じ食堂で昼食をとるので、お昼に偶然居合わせたのだ。
さっそく梓に矢吹先輩のことを報告すると、彼女は嬉々とした反応を見せた。
他人の話だというのに、とかく女の子はこういった話が好きな生き物だなぁと思う。
「10年越しに恋が実ったりして」
「ないない。私は部内の問題児だったし、先輩には好かれてなかったと思うよ」
「問題児? 真面目で化学一筋な夏乃が? まさか」
「まさかじゃないよ。科研部って男子ばっかりでさ。浮いてたんだよね、私」
高校時代のことを思い出し、少し苦々しい気持ちになる。
しかしそこでみっちり2年間、社会人としてのスキルを叩き込まれ、仕事現場や自社製品について学ぶことができたのは自分にとっていい経験だったと思う。
そして念願叶い、この春ついに材料科学の研究所へと異動することになったのだけれど。
「矢吹くん。彼女が今日からうちに配属になった篠原夏乃さん。歳も近いし、いろいろ教えてあげてくれ」
「篠原です。よろしくお願いします」
そこに待ち受けていたのは――。
「久しぶりだね」
――高校生のときに恋をしていた、矢吹先輩だった。
矢吹静正先輩。
彼は私が高校1年生のとき、新入部員として入部した科学研究部の部長をしていた方だ。
高校時代の先輩は真面目を絵に描いたような、品行方正という言葉がよく似合う生徒だったように思う。
短めの黒髪も野暮ったくなく、清潔で、隣にいると自然と背筋が伸びるような、そんな人。
その凜とした姿から、昔は少し近寄りがたささえもあったけれど。
「私のこと、覚えていてくださったんですか」
「もちろんだよ。それにしても驚いたな」
「私もです。まさか矢吹先輩が同じ会社にいらっしゃったなんて」
「まぁ、うちはでかいし、畑違いだと顔を合わせることもないからね」
すると突然、矢吹先輩はあのころと同じ癖のない黒髪を揺らしながら、くすりと笑い声をもらした。
その笑みを不思議に思い、首を傾げる。
「いや、懐かしいなと思ったんだ。篠原さんから矢吹先輩って呼ばれるの」
弁解するようにそう言った彼の目が懐かしむように細められ、その目に思わず釘づけになった。
控えめに笑う仕草は昔と変わっていない。
けれどあのころよりも物腰が柔らかくなっただろうか。
どこか大人の余裕を感じる。
「一緒に働けることになって嬉しいよ。これからよろしく」
そう言い残し去っていってしまった彼の後ろ姿を、その場に立ち尽くしたまま見送る。
今の言葉はきっと、ただの社交辞令に決まっているだろう。
それでも私は胸が高鳴るくらいに嬉しかった。
だって私は、彼のことがずっと忘れられなかったのだから。
「へぇ……! 初恋の先輩と運命の再会かぁ」
夢見がちな声色でそう言ったのは、大学時代からの友人で、この会社の同期でもある梓だった。
梓はセンター内にある生物科学の研究所に所属しており、仕事中に顔を合わせることは滅多にない。
しかし社員は同じ食堂で昼食をとるので、お昼に偶然居合わせたのだ。
さっそく梓に矢吹先輩のことを報告すると、彼女は嬉々とした反応を見せた。
他人の話だというのに、とかく女の子はこういった話が好きな生き物だなぁと思う。
「10年越しに恋が実ったりして」
「ないない。私は部内の問題児だったし、先輩には好かれてなかったと思うよ」
「問題児? 真面目で化学一筋な夏乃が? まさか」
「まさかじゃないよ。科研部って男子ばっかりでさ。浮いてたんだよね、私」
高校時代のことを思い出し、少し苦々しい気持ちになる。