私達が拐われたのは一瞬の出来事だった。
 そう、本当に一瞬で。
 わざととはいえ、護衛を付けなかった私達は簡単に拐われた。
 私達は、囮だった。赤井蛍様を狙う輩がいると聞いたその日から。
 赤井家と浅葱家が一緒に決めた事だった。
 だから、拐われる事は知っていたし、幼心でも覚悟を決めていた。
 傷付く事も、最悪死んでしまう可能性も。
 だから、まさか私達以外の誰かが来るなんて思ってなかった。
 まさか命懸けで守られるなんて、思ってなかった。

 何も見えない真っ暗な視界の中。強い衝撃、車に誰かが投げ入れられた。
 と思ったら、手を掴まれた。予想以上に冷たく、震える手。

「必ず守り通してみせる」

 小さく紡がれたその声は掠れていた。
 それからは怒濤の展開だった。車が走っていたのは時間にして約15分。
 車の扉が開かれて直ぐに、手を引かれた私達は暗い視界の中で車の外に出されたのだと知らされた。私達の手を引く誰かの声によって。

「いきなり拉致したかと思えば、()達を連れて何処へ行こうと言うの!?」
「おいてめぇ、ピーピーうるせぇと思ったら。
 どうやって拘束を解いた!?」
「丁度良い、二人の足の拘束も解いてやらぁ。おら、てめぇの足で歩いて貰おうか。
 死にたくなきゃ、付いてきな」
「っっ…………」

 そんなやり取りの後に、足元が急に自由になった。
 最後の男の言葉に、怖いと思った。死にたくない。弟を死なせたくない。
 思わず、握られている手をぎゅっと強く握ってしまった。

「大丈夫、君達は必ず…………」

 私達を落ち着かせる様に、同時に自分の事も落ち着かせようとするように囁かれた頼り無さげな声。
 これは少し後から思った事なのだけれど、私達の手を引く誰かは全ての拘束を解いていたって事は、当然視界も良好だったことになる。
 つまり、男達の脅しも凄みも正面から受け止めていた事になる。
 だからその誰かは私達よりずっと、怖い思いをした筈なの。
 声が震えてしまうのなんて当然だったのよね。

 そうして手を引かれて歩く。途中カツン、と何かが落ちる音がした。
 私達は何処かの部屋の中に連れ込まれて、地面に座らされた。
 脅され何かを投げつけられたらしい硝子(ガラス)の割れた音に心臓を跳ねさせて。
 そうこうしている内に、誰かに電話を掛け始める男の声。
 誰かを呼んでいるかの様なやり取りの後に、違う所に電話を掛けたと思ったら身代金を強請(ゆす)り始めた。
 そのやり取りをどのくらい聞いていたのか、どのくらい時間が経ったかも分からない内に。

 チャリッ
 コトッ

 装飾品の擦れる音と、何かを置く音が聞こえたと思ったら。
 扉が開かれる。誰かが来た様だった。

「よぉ、おもしれぇもんが釣れそうなんだって?」

 足音が近付いてくる。
 視界が暗いのに。ず…………と重くなる空気。
 気配なんて欠片も分からない私にも伝わる、威圧感。

「自分の面倒が見れない場合は早めに触れて!」

 目の前の誰か(・・)がそう叫んだ瞬間、何かが弾ける音が響いた。

 パアンッ

「へぇ、異能力者。
 こいつは確かにおもしれぇな」
「いきなり撃つとか恐ろしい事するわね。ある程度の安全が確約された人質だと思ってたのに」
「あぁ、あんたの後ろにいるヤツは確かに人質だよ」

 つまり、あんたは殺しても問題は無い。
 そう言った男の声に、ゾッとした。
 この時やっと、さっき聞こえた「何かが弾ける音」が銃声だったのだと気付いた。
 そして私達がその誰かの異能力によって庇われた事も。
 きゅっと、腕の中の存在()が私を強く抱き締める

「そう、()が誰であってもその結論は変わらないのかしら」
「あん?」
「私の事を調べなかった、とは言わせないわよ」
「お前、まさか…………」
「あら、今更気付いたの?
 これなら掠り傷の一つくらい負っておくべきだったかしら」
「はっ、言うじゃねぇのお嬢ちゃん」
「これで私は人質としての価値は…………」
「あぁ、本命(・・)が釣れたんだ。これで後ろの二人は殺せるな」

 カチャッ

「ちっ、どっちかだった訳か」

 銃の安全装置(セーフティー)を外す音。
 さっきまで身の安全を確保しようとしていたらしい誰か(・・)の声色が変わったのは急だった。
 殺す?後ろの二人? 私達姉弟(きょうだい)を、殺す?
 ただでさえ拘束されて視界が暗いのに。底知れない恐怖と絶望感を味わった。

「姉様…………」
「…………ん?姉様?」

 弟の声に返答を返したのは私じゃなかった。

「浅葱?」

 分かりやすく明らかなその油断が…………

 パアンッ

「ちっ」
「はっ、護衛も居ねぇのに油断するわけ」

 舌打ちと銃声。男を馬鹿にするような笑い声。
 とその時、目元を拘束していたらしい布が切られた。

「薫さん、で合ってるか?」

 一瞬、光が眩しくて眉を寄せる。馴れてきた視界に入って来たのは私と目を合わせる私と変わらないぐらいの年齢層の少女。
 黒と青の、服がやたらフリフリした…………目立つ格好をしているが、突っ込めない程に恐ろしい状況だった。
 私達はどうやら部屋の角に案内されていたらしく、背中に壁がぶつかる。
 両腕を拘束されている私の腕の中で目隠しと両腕を拘束されつつも器用にしがみつく弟。
 腕の先で静かに私達を見つめる少女、と後ろで悔しそうに顔を歪める男。

「君は…………」
「残酷かもしれないけど、あなたには目撃者になって貰おう」
「え」

 私が驚いてる間に少女は自分の片耳から私の片耳に、ある装飾品を取り付けた。
 それはどうやらイヤリングの様で。

「あなた達は渦中の人間。仮に僕らが生き延びたなら、第一目撃者になって事情聴取がされると思う。だから、これを着けてもらう。もし、事情聴取の時、混乱して何も話せなかったらその時は。このイヤリングを警察に渡して。そうすればどうにかなるから。

 但し、イヤリングを渡してしまったら返して貰うまでは安全の保証が無いから今後は護衛を付けてね。絶対に返して貰って。出来なさそうだと判断したら僕が直接迎えに行こうかな。だからとりあえずは、ここを動かないで見ていて」

 そう言った少女は、後ろを振り向いてやっと男と対峙した。
 男は、私と少女が話している間にも何発か銃を撃っていたらしく、弾が無くなったのか大振りのナイフを取り出していた。

「テメェみてぇな餓鬼にはこれで充分だろ」

 男は醜く顔を歪ませた。そして力強く振りかぶる。
 少女は男の言葉を聞いていないのか無言で男の動きをじっと見つめていた。
 本来なら誰もが恐怖で目を閉じるような所だ。
 私も思わず悲鳴が漏れた。

「ひっ」

 けれど少女は恐怖を顔に彩らせず、男が振りかぶったナイフを頭上に(かざ)しただけの(てのひら)で受け止めた。
 瞬間、金属が壁にぶつかる音がした。
 さっき銃弾を弾いて見せた様に、「異能力」を使っているのだろう。
 ただ、私にはその異能が何なのかが分からないだけで。
 形が無い(・・)のだ。実際見えないから無い、としか言い様がないのだけれど。
 けれど男は少女の様子が変わった事に違和感を感じたらしい。

「何だぁ?急に黙って。面白くねぇ、なぁ!」

 男のその言葉と共に脚が少女に迫る。

 パァンッ

 同時だった。少女が男に蹴られて吹き飛ばされるのと、私の目の前で銃弾が落ちるのは。
 流石、と言えた。

「はっ、はははははは!おいおい、異能力者とは言えこんな餓鬼が武器も持たせて貰えなかったのかよ!可哀想だなぁ?」
「ぐすっ」

 お腹を抱えて泣きそうな、でもそれを必死に堪える様に表情が険しくなった少女が男を睨む。
 こればかりは身長差、力の差や経験の差、年の功。
 それらが当てはまってしまうのだろう。
 私も一緒に悔しさを感じる。
 男は味を締めた様に周囲に視線を走らせて叫ぶ。そこには二人の男。
 一人は携帯を閉じ、呆れた様に二人を眺めていた。
 もう一人は…………私と目が合った。
 淡々と静かに私達を見つめていた。

「おいお前ら、そこの餓鬼共を始末しろ!」

 男の言葉に片方は気だるげに動き、もう一人も後ろに続く。
 きっと少女は私達の為に異能力を使うのだろう。
 そしてきっと少女は男に暴力を(ふる)われて、最悪殺されてしまう。
 ハンデなんて一つも無い。実践は想像以上に容赦がない。
 その状況に、10(じゅう)になるかならないかの少女が立たされている。
 なんて残酷。けれど、そう考えてる間にも男達は近付いて来ていて。
 目の前に来た男の拳銃が私達に向けられた。その時。

 バチバチンッッ

 電流の音と共に意識と拳銃を手放した男が崩れ落ち、後ろから銃を奪って男の首根っこを掴む。
 彼はもう私達ではなく、少女を見ていた。
 そして、隠し持っていたらしいナイフを少女に向けて脚で蹴る。
 後で知った事だが、この時私の両腕と()の拘束を全部ナイフで切っていたらしい。

「ちっ、テメェ…………裏切りもんがっ、あ……」

 私も少女の方を見る。床を滑ったナイフはちゃんと少女の近くにあった。
 少女の蹴りが、男の顎に見事に入っていた。
 それでも男が気絶しないのは攻撃が軽かったからか。

「クソガキ!」

 男は叫ぶと少女に様々な角度からナイフを振りかぶる。
 そのいくつかが、少女に浅い傷を作る。

「んぐっ」

 けれど少女もいつ拾ったのか、飛ぶ様に近付いてはナイフを男の顔に向けて振るう。
 男はそれをナイフで払う。と、男の蹴りがしゃがんだ少女の頭上すれすれを通り過ぎる。
 そしてやっぱりと言うか、先に体力の限界が来たのは少女の方だった。
 肩で息をして倒れそうな少女。
 少女を惜しむ様に、けれどやっとか、と言うように深いため息を付く男。
 軽い息切れはをしているので一応疲れてはいるらしい男が表情を消して言った。

「もう良い。お前、死ね」

 男のその言葉と同時だった。廃工場の扉が勢いよく開かれ、何処かの制服を着た青年が入って来た。後で調べたら、御鏡学園の高等部の制服だったと知れた。
 その一拍後。少女の持つナイフは男の首に、男のナイフは少女のお腹に。
 吸い込まれる様に刺さった。どちらも致命傷。先に崩れたのは男の方だった。
 ふと、少女と目が合う。少女は呆然と涙を流していた。
 ホロリホロリ、静かな涙だった。けれどそれも一瞬の事で。
 ぐらり、と倒れる少女を「お嬢様!」と叫び受け止める青年。
 青年の腕の中で、血を吐く少女。

「かふっ、はっ…………」

 涙を流し続ける少女と目が合った気がした。

「いっっ……良かっ……今度、こそ……助け…………」

 廃工場内に響く少女の小さな声。何がここまで少女を命掛けにさせるのか。
 これが、私と雪見時雨との出会いだったのは確かだ。

 どのくらい経ったのか、呆然としている間に救急車と警察車両(パトカー)が来ていたらしく、ふと気付くといつの間に拘束が解かれていたのか、毛布を被った誠に覗き込まれていた。毛布は私も被せられていた。

「姉さん、行こう」

 誠に促されて、救急車に乗り込む。
 私の傍に居た二人の男はいつの間にか、居なくなっていた。
 救急車に運ばれた私達は一日入院することになり、少女も同じ病院で入院している事がわかった。けれど、会う事は叶わなかった。
 後日、事情聴取後に病院に向かった私達の面会を断ったのは、かつて少女を抱き上げていた青年だった。

「申し訳ありませんがお嬢様の容態が悪く、まだ目覚めておりません。どうか、お引き取りくださいますよう願います」

 青年の目元には濃い隈が出来ていた。
 あれから、浅葱家の使用人や弟と入れ替わる様に病院に向かうも、一ヶ月後には少女は居なくなっていた。それならば元気になって別の病室に移ったのだろう、と名前も知らない少女を病院内で探している矢先だった。
 浅葱家でも少女の事は調べ、唯一の手掛かりであるイヤリングをお父様に見せると、受け取ってから暫く固まった気がした。

「薫、持ち主からこれを渡された時、何と言われたんだい」
「え…………」

 お父様の表情は強張っていた。お父様のあんな表情、初めてだった。

「とりあえず、肌身離さず持っていなさい。そのイヤリングが薫を守ってくれるだろうから」
「御守り、みたいね?」

 私がそう言うと、お父様は苦笑した。
 そして、お父様はそのままこう言った。

「薫と誠を守った少女は死んでしまった」
「え」

 頭が真っ白になった。
 お父様が何か言葉を続けているみたいだったけれど耳にも頭にも入って来なかった。
 お父様はそんな私を見て、諦めた様に私を部屋に返した。
 それから数日後、誠にも同じ話がされたらしく、誠も呆然としていた。

「二人揃って…………」

 こめかみを押さえてため息を付いていたお父様は数年後、覚悟が出来たら読みなさい。
 と、私にある書類を渡した。
 お父様曰く、数年掛けてやっと許可を頂いて受け取った物らしい。
 私は長女だから特別に知らされる事実で、誠にはまだ知らせてはいけないらしい。
 そこには、数年前かつて私達を救った少女の名前と現在が書かれていた。

 雪見時雨。
 数多くの秘密を隠し持つと言われた雪見家の次期当主。

 雪見家の秘密に触れた者は殆どが生きていないと噂の。
 以前から狐面を付けてパーティーやお茶会に参加し続けているらしい。
 資料にクリップで挟まれていた写真には、文豪少年(書生)風の着物を着た狐面の青年が写っていた。ん?狐面?私はふと、少し前に雪見家の人と挨拶した事がある事を思い出す。
 私の知る狐面はドレスを着ていたので、性別不詳なのだと言うことが分かる。
 何度か命が危ない瞬間もあった。護衛がいない瞬間だった。
 けれど、そういう時に限って必ず誰かに助けられていた。
 つまり、私達はずっと雪見時雨に守られ続けていた事になるのだ。
 私はピアスに変わった、かつてのイヤリングを撫でた。

「いつか、ちゃんと御礼言わなきゃ、よね」