いつだって、時雨の傍から離れるのは不安が残る。
けれど、そう思い始めたのはあの時からだった。
時雨の護衛をして数日の朝。
ふと、玄関先の門前で立ち止まる時雨。
「あ、そうだ蓮見」
「はい」
「今日から暫く一人で帰る」
ピシリッッ
音が聞こえそう。
と言われても不思議じゃない固まり方をした自覚がある。
「は、何を…………」
「一人で帰る」
「どういう事でしょう」
思わず、だった。思わず俺からするりと、表情が落ちた。
「なるべく蓮見には迷惑がかからない様にするから」
「そういう問題じゃありません」
「……ちゃんと誰かと一緒には帰るから」
「誰とですか。あなたの事です、赤井蛍様とご一緒はなさらないでしょう」
最近、時雨はよく俺と会話をしたがる事が増えた。
だから今回もそうなのだろう、と油断した。
そして話せば話す程、時雨にはまだ友人が居ないと言う事がわかった。
「浅葱 薫って子。まだ仲良くなれてないけど」
照れた様に頬を赤くする時雨。
けれど友人を作りたいと言うのに表情にはどこか焦りと不安が伺えた。
何かに急かされる様に時雨の顔色は少しずつ、白くなっていた。
こうなると人間、周囲が見えなくなる事が殆どだ。
少なくとも、時雨から事前に「今日何かするかも」と言うサインの様な発言に気付けた。
俺はその事実に小さく安堵した。
学園に到着するまで、会話はしなかった。
まぁ、当然だ。時雨がそもそも心ここに在らず、と言う状態だったのだから。
いつも通り掌を差し出す時雨を見て、俺はある種の覚悟を決めなければならなくなった。
「今日もありがとう蓮見。さ、学園に着いた。イヤホンを────蓮見?」
「────くれぐれもお気を付け下さい」
渋々、イヤホンを返す。
無線イヤホンを付けたままの時雨をいつもとは違う見送り方をする。
学園の校門前から敷地内の高等部に足を向けつつ、兄さんに電話を掛ける。
『柊?さっき振りじゃないか、どうしたんだい』
「兄さん、時雨の様子がおかしいんだけど、理由知らない?」
『あぁ…………今報告が入った。今日は一日サボタージュするみたいだねぇ』
「兄さん、何人か応援を…………万が一を考えて比較的動じない人を下さい」
『…………用途は?』
「避難誘導と後始末です」
『戦闘、とは言わないんだね』
「戦闘…………あるかどうかもわかりませんが、あるなら俺がします。
代わりに小回りの利く移動手段持ちが来ると尚良いんですが」
『ふむ、用意しよう。杞憂で終わることを願っているよ』
「ありがとう、兄さん」
通話を切って直ぐ、俺は高等部に走った。
時間帯的にはどうやら朝のHR直後。
まばらに生徒が行き交う廊下を息を整えながら歩く。
教室近くの階段の踊り場に着いた時、俺は意外な人間を見付ける。
階段に寄り掛かってスマホを操作する色素の薄い前髪の長い青年。
「おはよう蓮見、遅刻かな」
「…………残念。サボりだ」
「珍しいね」
「理由は欠片も珍しくは無いがな」
「ふーん、大変だね」
「俺としてはここにお前が居たことに驚いてるが」
「あぁ、それはね。いつもなら来てる筈の蓮見が居ないって聞いて。
遅刻とも休みとも聞いていなかったから、丁度連絡しようか迷っていてね。来てくれて良かった」
待っていたよ。
優しげに微笑む青年。クラス委員長。播磨透。
同時にかつて俺と、中学生時代に共に修羅場を潜った事のある一般の協力者だった。
だが今は俺が播磨を遠ざけていた。
播磨の指には今も雪見製の指輪が填って…………ない。
「播磨、指輪はどうした」
「あぁ、何処に行ったかな」
「…………どいつもこいつも。今日は厄日か?」
思わず播磨の指先を掴む俺を、長い前髪越しに楽しげに見つめる播磨。
そのニヤケ面に腹が立つ。
「嫌だな蓮見。協力者は必要無いのかな?」
「…………まさか」
「そのまさかだとしたら?」
まさか本当に兄さんに頼んだ結果の協力者なのか。
確かに播磨は俺と丸二年を過ごし、その間に散々巻き込まれて荒事に慣れている。
しかも今回は播磨の指に指輪が見当たらない。
雪見製の指輪が無ければ播磨の位置特定が難しくなり、播磨に付けている護衛も意味がなくなってしまうのだ。
「…………良いだろう。俺から離れるなよ」
「忘れたの?俺も闘えるって」
「ある程度だろ、命のやり取りまではした事が無い筈だ」
「あぁ、最近そっちでも落ち着いて動ける様にはなったんだ」
「…………あれだけやったのにまだ、何かされるのか」
「え」
播磨の一瞬呆けた顔に俺は「気にするな」と続ける。
播磨に念の為に聞いておく。
「播磨、朝から校舎の何処かで時間を潰すのと早退するの、どっちが良いんだ」
「え、近いの?」
「…………」
「わかった。わかりました、直前までは聞きません。
今の俺的には早退の方が都合が良いかな」
「優等生だな」
「これは蓮見の為でもあるんだけどな」
「…………そうか」
「そうと決まれば、とりあえず職員室に向かおうか」
「あぁ」
慌てた様に両腕を上げて降参の意を示す播磨。
俺としては中学生時代の時とは少し違う聞き分けが良いと言える態度に多少の違和感を覚えつつ、播磨の優等生的な発言に苦笑を溢す。
優等生。
俺が接触を控え、遠ざけてから播磨は少しずつ変わった。
授業態度の改善、気が付けばクラスが同じ奴と話している瞬間を目撃した事もある。
そして高等部に上がる頃にはクラス委員長になっていた。
凄い変わり様だった。
以前の播磨を知っているのは内部進学者くらいな者だろう。
それでも以前の播磨と今の播磨を同一人物だと気付く人間が何人いるか。
そんな事を考えながら、俺は播磨の背を追う。
「播磨、覚えているか。
任務中は「下の名前で呼び合う事、か?」
「…………そうだ。名字は俺達の所属を示す」
「俺達の所属が聞いてる誰かに、わからない様に?」
「あぁ、覚えていたか」
職員室が見えた。
そこで何故か焦った顔の担任と目が合った。
「あ、蓮見。やっと見つかったか。流石だ播磨。ありがとうな」
担任の第一声に俺と播磨は思わず目を合わせる。
そして担任が続けて言った言葉に納得した。
雪見の誰かが気を利かせた様だ。
「さっき蓮見の実家の方から連絡が入ってな」
「蓮見の親戚が危篤だと、今日は蓮見は早退すると聞いた。」
あぁ、何故か知らんが播磨も早退する様だな。
連絡が来ていたぞ、と面倒そうに俺達を睨む担任。
中学生時代の察しの良い先生から聞いた事でもあるのか、妙に理解のある担任に苦笑を溢す。
そうして俺達は、高等部を早退した。
校舎を出た頃合いでスマホを確認すると、通知が入っていた。
チャット通知に校門の前に車が待機していると書かれていた。
スマホから顔を上げて校門を見てみる。
校門の前に黒いスーツの男が居た。
見覚えは、ある。
雪見家で過ごす時、毎回俺の世話をしている男だ。
幼い頃、一度だけ遊んでもらった覚えもある。
目が合う。一礼される。
ふと、横から播磨の声が掛かった。
「蓮見、あの男は……」
「実家が用意した協力者だ」
俺はそのまま校門に向かう。
「お待ちしておりました。お坊ちゃん」
「……あぁ」
言葉と共に車に導かれ、後部座席の扉を開ける男。
流れる様に車に乗り込み、播磨を手招く。
隣に播磨が乗り込んだ事を確認し、車が動き出す。
車は直ぐにそのまま御鏡の敷地内に入り、駐車場に止まる。
但し、中等部の駐車場に。
「まさか、学園内なのか……」
「正確には中等部だな」
「は、何で」
播磨と俺の会話に違和感を感じたらしい。
運転席から鏡越しに視線を感じる。
言ってなかったのか、と言いたげな視線。
「そうだな、まだ時間はあるようだから話しておこう」
そうして俺は時雨が事を起こすまでの時間。
車内で時雨の護衛に着任した事とこれから何をするのかを、かいつまんで話す事になった。
けれど、そう思い始めたのはあの時からだった。
時雨の護衛をして数日の朝。
ふと、玄関先の門前で立ち止まる時雨。
「あ、そうだ蓮見」
「はい」
「今日から暫く一人で帰る」
ピシリッッ
音が聞こえそう。
と言われても不思議じゃない固まり方をした自覚がある。
「は、何を…………」
「一人で帰る」
「どういう事でしょう」
思わず、だった。思わず俺からするりと、表情が落ちた。
「なるべく蓮見には迷惑がかからない様にするから」
「そういう問題じゃありません」
「……ちゃんと誰かと一緒には帰るから」
「誰とですか。あなたの事です、赤井蛍様とご一緒はなさらないでしょう」
最近、時雨はよく俺と会話をしたがる事が増えた。
だから今回もそうなのだろう、と油断した。
そして話せば話す程、時雨にはまだ友人が居ないと言う事がわかった。
「浅葱 薫って子。まだ仲良くなれてないけど」
照れた様に頬を赤くする時雨。
けれど友人を作りたいと言うのに表情にはどこか焦りと不安が伺えた。
何かに急かされる様に時雨の顔色は少しずつ、白くなっていた。
こうなると人間、周囲が見えなくなる事が殆どだ。
少なくとも、時雨から事前に「今日何かするかも」と言うサインの様な発言に気付けた。
俺はその事実に小さく安堵した。
学園に到着するまで、会話はしなかった。
まぁ、当然だ。時雨がそもそも心ここに在らず、と言う状態だったのだから。
いつも通り掌を差し出す時雨を見て、俺はある種の覚悟を決めなければならなくなった。
「今日もありがとう蓮見。さ、学園に着いた。イヤホンを────蓮見?」
「────くれぐれもお気を付け下さい」
渋々、イヤホンを返す。
無線イヤホンを付けたままの時雨をいつもとは違う見送り方をする。
学園の校門前から敷地内の高等部に足を向けつつ、兄さんに電話を掛ける。
『柊?さっき振りじゃないか、どうしたんだい』
「兄さん、時雨の様子がおかしいんだけど、理由知らない?」
『あぁ…………今報告が入った。今日は一日サボタージュするみたいだねぇ』
「兄さん、何人か応援を…………万が一を考えて比較的動じない人を下さい」
『…………用途は?』
「避難誘導と後始末です」
『戦闘、とは言わないんだね』
「戦闘…………あるかどうかもわかりませんが、あるなら俺がします。
代わりに小回りの利く移動手段持ちが来ると尚良いんですが」
『ふむ、用意しよう。杞憂で終わることを願っているよ』
「ありがとう、兄さん」
通話を切って直ぐ、俺は高等部に走った。
時間帯的にはどうやら朝のHR直後。
まばらに生徒が行き交う廊下を息を整えながら歩く。
教室近くの階段の踊り場に着いた時、俺は意外な人間を見付ける。
階段に寄り掛かってスマホを操作する色素の薄い前髪の長い青年。
「おはよう蓮見、遅刻かな」
「…………残念。サボりだ」
「珍しいね」
「理由は欠片も珍しくは無いがな」
「ふーん、大変だね」
「俺としてはここにお前が居たことに驚いてるが」
「あぁ、それはね。いつもなら来てる筈の蓮見が居ないって聞いて。
遅刻とも休みとも聞いていなかったから、丁度連絡しようか迷っていてね。来てくれて良かった」
待っていたよ。
優しげに微笑む青年。クラス委員長。播磨透。
同時にかつて俺と、中学生時代に共に修羅場を潜った事のある一般の協力者だった。
だが今は俺が播磨を遠ざけていた。
播磨の指には今も雪見製の指輪が填って…………ない。
「播磨、指輪はどうした」
「あぁ、何処に行ったかな」
「…………どいつもこいつも。今日は厄日か?」
思わず播磨の指先を掴む俺を、長い前髪越しに楽しげに見つめる播磨。
そのニヤケ面に腹が立つ。
「嫌だな蓮見。協力者は必要無いのかな?」
「…………まさか」
「そのまさかだとしたら?」
まさか本当に兄さんに頼んだ結果の協力者なのか。
確かに播磨は俺と丸二年を過ごし、その間に散々巻き込まれて荒事に慣れている。
しかも今回は播磨の指に指輪が見当たらない。
雪見製の指輪が無ければ播磨の位置特定が難しくなり、播磨に付けている護衛も意味がなくなってしまうのだ。
「…………良いだろう。俺から離れるなよ」
「忘れたの?俺も闘えるって」
「ある程度だろ、命のやり取りまではした事が無い筈だ」
「あぁ、最近そっちでも落ち着いて動ける様にはなったんだ」
「…………あれだけやったのにまだ、何かされるのか」
「え」
播磨の一瞬呆けた顔に俺は「気にするな」と続ける。
播磨に念の為に聞いておく。
「播磨、朝から校舎の何処かで時間を潰すのと早退するの、どっちが良いんだ」
「え、近いの?」
「…………」
「わかった。わかりました、直前までは聞きません。
今の俺的には早退の方が都合が良いかな」
「優等生だな」
「これは蓮見の為でもあるんだけどな」
「…………そうか」
「そうと決まれば、とりあえず職員室に向かおうか」
「あぁ」
慌てた様に両腕を上げて降参の意を示す播磨。
俺としては中学生時代の時とは少し違う聞き分けが良いと言える態度に多少の違和感を覚えつつ、播磨の優等生的な発言に苦笑を溢す。
優等生。
俺が接触を控え、遠ざけてから播磨は少しずつ変わった。
授業態度の改善、気が付けばクラスが同じ奴と話している瞬間を目撃した事もある。
そして高等部に上がる頃にはクラス委員長になっていた。
凄い変わり様だった。
以前の播磨を知っているのは内部進学者くらいな者だろう。
それでも以前の播磨と今の播磨を同一人物だと気付く人間が何人いるか。
そんな事を考えながら、俺は播磨の背を追う。
「播磨、覚えているか。
任務中は「下の名前で呼び合う事、か?」
「…………そうだ。名字は俺達の所属を示す」
「俺達の所属が聞いてる誰かに、わからない様に?」
「あぁ、覚えていたか」
職員室が見えた。
そこで何故か焦った顔の担任と目が合った。
「あ、蓮見。やっと見つかったか。流石だ播磨。ありがとうな」
担任の第一声に俺と播磨は思わず目を合わせる。
そして担任が続けて言った言葉に納得した。
雪見の誰かが気を利かせた様だ。
「さっき蓮見の実家の方から連絡が入ってな」
「蓮見の親戚が危篤だと、今日は蓮見は早退すると聞いた。」
あぁ、何故か知らんが播磨も早退する様だな。
連絡が来ていたぞ、と面倒そうに俺達を睨む担任。
中学生時代の察しの良い先生から聞いた事でもあるのか、妙に理解のある担任に苦笑を溢す。
そうして俺達は、高等部を早退した。
校舎を出た頃合いでスマホを確認すると、通知が入っていた。
チャット通知に校門の前に車が待機していると書かれていた。
スマホから顔を上げて校門を見てみる。
校門の前に黒いスーツの男が居た。
見覚えは、ある。
雪見家で過ごす時、毎回俺の世話をしている男だ。
幼い頃、一度だけ遊んでもらった覚えもある。
目が合う。一礼される。
ふと、横から播磨の声が掛かった。
「蓮見、あの男は……」
「実家が用意した協力者だ」
俺はそのまま校門に向かう。
「お待ちしておりました。お坊ちゃん」
「……あぁ」
言葉と共に車に導かれ、後部座席の扉を開ける男。
流れる様に車に乗り込み、播磨を手招く。
隣に播磨が乗り込んだ事を確認し、車が動き出す。
車は直ぐにそのまま御鏡の敷地内に入り、駐車場に止まる。
但し、中等部の駐車場に。
「まさか、学園内なのか……」
「正確には中等部だな」
「は、何で」
播磨と俺の会話に違和感を感じたらしい。
運転席から鏡越しに視線を感じる。
言ってなかったのか、と言いたげな視線。
「そうだな、まだ時間はあるようだから話しておこう」
そうして俺は時雨が事を起こすまでの時間。
車内で時雨の護衛に着任した事とこれから何をするのかを、かいつまんで話す事になった。