小説を読み進めると明かされる数々の雪見時雨の秘密の内のいくつかがあるのだが。
その内の一つが小説内での雪見時雨は指折りの実力者である事だ。
雪見時雨には異能力がある。
僕が実際に使用した感じだと雪見時雨の異能力は指定した空間、又は触れた対象と周囲に干渉、作用する物。
指定する場合は視界の範囲内に限定されるが、それでも上手く立ち回ればその場に置いては最強を誇れるだろう。
と、僕は解釈したが本物の雪見時雨と解釈が違えば異能力の使い方も変わるのだろう。
小説内では空中に見えない壁を構築し、害悪を退ける事から「結界師」。
触れた対象の重さを自由にする事から、「重力支配者」等と呼ばれていたらしい。
が、僕からしたら凄く恥ずかしいので正直止めてほしい。
現状、異能力を常時使用している僕が顔を隠そうと必死になる理由の内の一つだ。
本来、異能力の存在と自らの異能力を晒す人間はまず殆どいない。
けれど小説内での雪見時雨の立場は赤井蛍の友人で従者で、護衛で暗殺者の様な役割を持っていたから。
必然的に異能力が高頻度で人目に晒されている。
異能力が何かを教えてる様な物だったし、逆に顔を隠しても異能力でバレる可能性もあった。
異能力は元々手探りで、何が出来るかは異能力を持つ者次第。
異能力を持つ者の力に名称が付いたら、名のある実力者と言う認識が成される。
雪見時雨はその中の一人だった訳だ。
だから雪見時雨は顔を隠さなかった。
その分、努力を重ねる必要性も生まれた訳だけど。
そのお陰でなのか。
雪見時雨に関しては異能力が何かを知り、対処をしようとしても相対した者が大体不利になっていた。
精神に直接作用してしまう異能力を持つ赤井蛍、以外は。
まぁ、そうでなくても赤井蛍は小説での雪見時雨の弱点だと明確に言えたが。
では今は、赤井蛍は僕にとってどんな存在なのだろう。
良い機会だから、少しずつ確めてみよう。
今夜の僕の部屋着は帽子一つも付いて無いんだから運が悪い。
顔が隠せないじゃないか。
僕と蓮見、銀は彼等に声が届かないギリギリの位置で話していた。
繁華街の喧騒も相まって、案外声は目立たないらしい。
「浅葱薫はどうしている?」
「浅葱家に居ます。出てもいないようです」
その言い様、浅葱君は抜け出したみたいだな。
「…………。仮面か、靴はある?」
「靴は持ちましたが仮面はありません」
「分かった。じゃあ念の為あまり喋らないでおく」
彼等の前で、正確には浅葱君に声を聞かれなければ大丈夫だろう。
僕は蓮見が地面に置いた靴の上に降り、銀の手を借りて片足ずつ履く。
トントンッ
爪先を地面に当てて靴の具合を確かめる。
うん、きっと大丈夫。
蓮見の目を見る。
「赤井蛍の安全確保は任せた」
僕は銀の手を取ったまま、歩き出す。
方向は赤井蛍とリンチ中と見られる集団に向けて。
途中、街灯に灯りに僕の姿がさらされた頃。
片方の集団の内の一人が僕に気付き、僕に向かって歩いて来る。
「あ?何だお前ら。殴られてぇのか?」
銀の手をパッと離して男の脅しを無視して歩を進める。
打撃音が、背後で聞こえた。男の呻き声も同時に聞こえた。
どうやら僕の背後で銀が動いた様で。
僕が見た限りでは、浅葱君は寝惚けていた可能性がある。
赤井蛍に関しては無防備過ぎて絡まれた、と言った所だろうか。
可能性であって推測でしかない為に、迂闊な事は言えないのだけど。
僕が集団の背後に辿り着いて真っ先にしたのは、浅葱君の救出だった。
ジャリッ
靴音をわざと鳴らし、気配を出す。
まぁ気配を隠してはいないのだから、当然不良共に気付かれる訳で。
「あぁ?」
何人かの不良に振り向かれた時、足に異能力を使い重力に干渉。
足に若干の違和感と共に重さを纏う。
真っ先に浅葱君の胸ぐらを掴み殴っている男の頭に蹴りを入れる。
そこそこの威力で蹴れたと思う。
全員に気付かれた時にはもう衝撃で男は壁に激突して、僕は倒れた浅葱君に触れていた。
至るところに傷を負う痛々しい浅葱君に抱きつく形で。
当然あると思っていた浅葱君からの抵抗は無かった。
もしかしたらそんな体力が無いだけかもしれないけれど。
それでも意識はあったらしく、呻き声の様に「誰だ」なんて聞こえた。
僕はそれに浅葱君の頭を撫でる事で応えるのだけど。
うん、実質何も答えて無いね。それでも、敵じゃない事だけは伝わると良いな。
そんな事してたら当然の様に僕に不良共の暴力が向かって来る訳なんだけど。
銀が僕の背後から追い付いて来ているので。
僕に構ってられるのは蹴られた男だけ、と言う形になる。
何せ僕が異能力を使って浅葱君の重さを軽くして右腕で膝裏から腰を支えて左手で頭を固定する様に浅葱君を抱き上げた時には至るところから悲鳴が聞こえてきたのだから。
僕が振り向いた時、何人かはもう倒れていた。
そういえば銀の実力に関しては、どうも僕と接触する前までは名のある不良だったそうなので心配はしなくても良いかもしれない。
確か、「白蛇」と呼ばれていたんだとか。
蓮見が言ってた。
目の前に二つ名持ちヤンキーが居るとか世界観が独特過ぎて、異世界実感してしまう。
平和だった元の世界が恋しいなぁ、なんてつい遠い目をしつつ。
後は浅葱君を安全圏まで運べば良いだけの筈、だった。
赤井蛍の方を見るまでは。
えっと、何に首を突っ込んだらそうなるの?
慣れた暗闇の中で繁華街の明かりを薄ら浴びて見えた。
赤井蛍の後ろに立つ見覚えのある男。
あの男は数年前に僕が殺した男に言われて、浅葱姉弟を殺そうとした男だった筈だ。
あの時の僕は拘束を全て外してガッツリ顔を合わせ、僕に凄んだり硝子瓶を投げたりと悪い印象が事欠かない程だったので記憶によく残っている。
男と赤井蛍を囲む様に立つ制服を着崩した数人の不良共が蓮見の方をニヤニヤと笑って見ていた。
肩に手を置かれる赤井蛍は人質になっている、のだろうか。
蓮見はそれを見て、手を出し倦ねていた。
「…………どういう状況でしょうか」
男に見覚えが無い蓮見は、そう尋ねるが応える人間は居なかった。
けど、僕は何故この場に連れて来られたのかを知るには充分な状況だった。
どうやら雪見の管轄である筈の事に、赤井蛍を巻き込んでしまったらしい。
浅葱君を抱上げている僕はまだ彼等に認識されていないらしい。
それならば──────。
僕は直ぐに浅葱君の頭を固定する様に撫でていた左手を止めて離した。
浅葱君が僕の顔を見ようとゆるりと僕から上半身を離そうとしたのを見計らって、浅葱君の後ろから左手の指先を無理矢理突っ込む。
ついでに浅葱君の背に腕が回る事で姿勢の安定を図る。
「ん!?」
目が合った浅葱君の驚いた顔に思わずふっ、と一瞬だけ笑って走り出す。
慌てた様に浅葱君の腕が僕の首に回るのが分かった。
縋り付かなければ落ちそうな不安定感があるのだろうと察しは付くが、それでも浅葱君から伸ばされた腕に嬉しいと思った。
蓮見の背中に辿り着いて直ぐに、異能力全開で僕らの重さを軽くした状態で跳んだ。
トンッと軽く、蓮見の肩を蹴って一瞬空に舞う。
僕の姿を下から唖然と見つめる赤井蛍と男含む不良共。
この隙に、蓮見と銀が動き始めた。
異能力を止め、僕ら二人分の重力そのままで赤井蛍の後ろに立つ男の肩を地面に向けて踏み付け着地するのと、蓮見と銀が不良共に殴り掛かるのは同時だった。
本当は男の心臓部を目掛けていたんだけど、どうやら咄嗟にずらされたらしい。
「うっ」
浅葱君の呻き声と左指にも衝撃が来た。
覚悟はしていたから、思っていた程痛くはない。
奇襲と言う形で赤井蛍から男を剥がす事には成功し、僕は直ぐに浅葱君の口から左手を離して指先を鳴らす。
パチンッ
異能力によって赤井蛍の周りに結界擬きを構築する。
維持をするのはそこそこ大変だけど、これで赤井蛍は怪我をしないで済む。
さて、足元に目を向けると男は僕の足を退かそうと掴んでいたが、「クソッ」と叫び僕の足を殴ろうとしたので異能力含めもう一度力を込めた。
ギシリッ
骨が軋む音がする。僕を睨んでいた男が段々と目を見開く。
おっと、どうやら僕の顔がよく見えたか思い出したかしたようだ。
まぁいずれにせよ、薄暗いと言うのに僕が誰だか分かった様子。
「お、前…………」
あの時の──────
その時、男の口がニヤリと歪んだ。
男の肩を踏んでいた足にガツンッと冷たい衝撃が走った。
冷たい感触がずるり、と抜かれた瞬間。
ガクンッと意図せず足から力が抜けた。
後々知ったが、この時結構深めに切られたらしい。
浅葱君が衝撃で腕から落ちそうになるのをギリギリの所で留める。
一瞬赤井蛍の周りを覆っていた結界擬きと、自身に使っていた異能力が解けた。
息を止める。何も考えずに息をすれば、多分僕は腕の中の浅葱君すら投げ出すだろうから。
全てを認識した瞬間に走った痛みと熱は、唇を開けたら直ぐにでも悲鳴が出るだろう。
傷を負ってない足に力を入れて異能力の補助で立ち、男から距離を取る様に地面を蹴る。
方向は赤井蛍が立つ場所。
僕の異能力で地面に押さえ付けられたままの男にはもう、触れていない。
トンットンットンッ、と数度片足で後退する様に移動する。
ふわり、赤井蛍の隣に降り立って直ぐに足元に座り込む。
この時、浅葱君をゆっくり降ろす事も忘れない。
「え、君大丈夫!?」
僕達に気付いた赤井蛍から掛けられた声に好都合とばかりに震える左手で僕に伸ばされていた手を掴み、結界擬きを再構築。
これで、誰も僕達を害する事は出来ない。
意識が遠くなってきた。
駄目だ。今はまだ倒れられない。
僕は結界の中から男を拘束する事に集中する。
あと少し。逃げられない様に足を重点的に潰す必要がある。
「────い!おい!息を吸え!」
はっ。
急だった。急に、僕の視界に浅葱君が入ってきた。
気が付けば浅葱君に頬を両手で強引に掴まれ、覗き込まれていて。
空気が僕の喉に引っ掛かる。
げほっげほげほっ
まるで、久し振りに息を吸い込んだかの様に。
多分今まで息を止めていたんだろう。
はっはっはっ…………
息切れと共に誰かに背中を擦られ、気付く。
いつの間にか浅葱君は僕の上から退いていて、赤井蛍は僕に寄り添っていた。
周囲はもう静かになっていて、銀が男の拘束に向かっていた。
蓮見は結界擬きに阻まれつつも僕に声を掛け続けていた。
咳が治まった瞬間、僕は足の痛みを思い出した。
「────あ」
あまりの痛みに口元を掌で押さえ、声を殺す。
そして都合良くまだ目の前に居た浅葱君の背に片腕を回し、胸元に飛び込む様にしがみ付く。
「うおっ」
浅葱君の驚いた声は敢えて無視する。
いつの間にか左手で掴んでいた筈の赤井蛍の手を離していた事もあり、必然的に異能力は全て解除された。
声は必死に殺したが、涙はどうしても流れた。
浅葱君の胸元からチラリ、と視線を動かすと直ぐに僕の元まで来ていた蓮見はどこか不機嫌そうに僕の足の怪我をガーゼハンカチで手早く止血してくれた。
そうして少し離れると直ぐに電話を掛け始めた。多分、雪見家に。
その間に銀が男を俵担ぎで戻って来た。ご丁寧に全身を縛り付けて。
銀が裏切る可能性もあった。
でも男が「裏切り者!!」と叫んでるあたり、銀は男に顔を見られてでも捕まえてみせた事になる。
「さて、迎えを用意しました」
蓮見がそう言って戻って来た時、路地近くに車が着けられたらしく。
雪見家の使用人が僕達の元まで歩いて来ていた。
浅葱君の背から腕を離し、浅葱君と対面するように座っていた僕はさりげなく襟首が引っ張られ、指先が掛けられた事に気付く。
異能力を使って僕の重さと周囲の空気を若干軽くした瞬間。
ふわりと背後に引っ張られ、そのまま蓮見に抱き上げられる。
「赤井蛍様、浅葱誠様、どうぞこちらへ。御案内させて頂きます」
蓮見の冷たい、感情の読めない声が頭上から聞こえてすぐ。
僕の意識は、プツリと落ちた。
その内の一つが小説内での雪見時雨は指折りの実力者である事だ。
雪見時雨には異能力がある。
僕が実際に使用した感じだと雪見時雨の異能力は指定した空間、又は触れた対象と周囲に干渉、作用する物。
指定する場合は視界の範囲内に限定されるが、それでも上手く立ち回ればその場に置いては最強を誇れるだろう。
と、僕は解釈したが本物の雪見時雨と解釈が違えば異能力の使い方も変わるのだろう。
小説内では空中に見えない壁を構築し、害悪を退ける事から「結界師」。
触れた対象の重さを自由にする事から、「重力支配者」等と呼ばれていたらしい。
が、僕からしたら凄く恥ずかしいので正直止めてほしい。
現状、異能力を常時使用している僕が顔を隠そうと必死になる理由の内の一つだ。
本来、異能力の存在と自らの異能力を晒す人間はまず殆どいない。
けれど小説内での雪見時雨の立場は赤井蛍の友人で従者で、護衛で暗殺者の様な役割を持っていたから。
必然的に異能力が高頻度で人目に晒されている。
異能力が何かを教えてる様な物だったし、逆に顔を隠しても異能力でバレる可能性もあった。
異能力は元々手探りで、何が出来るかは異能力を持つ者次第。
異能力を持つ者の力に名称が付いたら、名のある実力者と言う認識が成される。
雪見時雨はその中の一人だった訳だ。
だから雪見時雨は顔を隠さなかった。
その分、努力を重ねる必要性も生まれた訳だけど。
そのお陰でなのか。
雪見時雨に関しては異能力が何かを知り、対処をしようとしても相対した者が大体不利になっていた。
精神に直接作用してしまう異能力を持つ赤井蛍、以外は。
まぁ、そうでなくても赤井蛍は小説での雪見時雨の弱点だと明確に言えたが。
では今は、赤井蛍は僕にとってどんな存在なのだろう。
良い機会だから、少しずつ確めてみよう。
今夜の僕の部屋着は帽子一つも付いて無いんだから運が悪い。
顔が隠せないじゃないか。
僕と蓮見、銀は彼等に声が届かないギリギリの位置で話していた。
繁華街の喧騒も相まって、案外声は目立たないらしい。
「浅葱薫はどうしている?」
「浅葱家に居ます。出てもいないようです」
その言い様、浅葱君は抜け出したみたいだな。
「…………。仮面か、靴はある?」
「靴は持ちましたが仮面はありません」
「分かった。じゃあ念の為あまり喋らないでおく」
彼等の前で、正確には浅葱君に声を聞かれなければ大丈夫だろう。
僕は蓮見が地面に置いた靴の上に降り、銀の手を借りて片足ずつ履く。
トントンッ
爪先を地面に当てて靴の具合を確かめる。
うん、きっと大丈夫。
蓮見の目を見る。
「赤井蛍の安全確保は任せた」
僕は銀の手を取ったまま、歩き出す。
方向は赤井蛍とリンチ中と見られる集団に向けて。
途中、街灯に灯りに僕の姿がさらされた頃。
片方の集団の内の一人が僕に気付き、僕に向かって歩いて来る。
「あ?何だお前ら。殴られてぇのか?」
銀の手をパッと離して男の脅しを無視して歩を進める。
打撃音が、背後で聞こえた。男の呻き声も同時に聞こえた。
どうやら僕の背後で銀が動いた様で。
僕が見た限りでは、浅葱君は寝惚けていた可能性がある。
赤井蛍に関しては無防備過ぎて絡まれた、と言った所だろうか。
可能性であって推測でしかない為に、迂闊な事は言えないのだけど。
僕が集団の背後に辿り着いて真っ先にしたのは、浅葱君の救出だった。
ジャリッ
靴音をわざと鳴らし、気配を出す。
まぁ気配を隠してはいないのだから、当然不良共に気付かれる訳で。
「あぁ?」
何人かの不良に振り向かれた時、足に異能力を使い重力に干渉。
足に若干の違和感と共に重さを纏う。
真っ先に浅葱君の胸ぐらを掴み殴っている男の頭に蹴りを入れる。
そこそこの威力で蹴れたと思う。
全員に気付かれた時にはもう衝撃で男は壁に激突して、僕は倒れた浅葱君に触れていた。
至るところに傷を負う痛々しい浅葱君に抱きつく形で。
当然あると思っていた浅葱君からの抵抗は無かった。
もしかしたらそんな体力が無いだけかもしれないけれど。
それでも意識はあったらしく、呻き声の様に「誰だ」なんて聞こえた。
僕はそれに浅葱君の頭を撫でる事で応えるのだけど。
うん、実質何も答えて無いね。それでも、敵じゃない事だけは伝わると良いな。
そんな事してたら当然の様に僕に不良共の暴力が向かって来る訳なんだけど。
銀が僕の背後から追い付いて来ているので。
僕に構ってられるのは蹴られた男だけ、と言う形になる。
何せ僕が異能力を使って浅葱君の重さを軽くして右腕で膝裏から腰を支えて左手で頭を固定する様に浅葱君を抱き上げた時には至るところから悲鳴が聞こえてきたのだから。
僕が振り向いた時、何人かはもう倒れていた。
そういえば銀の実力に関しては、どうも僕と接触する前までは名のある不良だったそうなので心配はしなくても良いかもしれない。
確か、「白蛇」と呼ばれていたんだとか。
蓮見が言ってた。
目の前に二つ名持ちヤンキーが居るとか世界観が独特過ぎて、異世界実感してしまう。
平和だった元の世界が恋しいなぁ、なんてつい遠い目をしつつ。
後は浅葱君を安全圏まで運べば良いだけの筈、だった。
赤井蛍の方を見るまでは。
えっと、何に首を突っ込んだらそうなるの?
慣れた暗闇の中で繁華街の明かりを薄ら浴びて見えた。
赤井蛍の後ろに立つ見覚えのある男。
あの男は数年前に僕が殺した男に言われて、浅葱姉弟を殺そうとした男だった筈だ。
あの時の僕は拘束を全て外してガッツリ顔を合わせ、僕に凄んだり硝子瓶を投げたりと悪い印象が事欠かない程だったので記憶によく残っている。
男と赤井蛍を囲む様に立つ制服を着崩した数人の不良共が蓮見の方をニヤニヤと笑って見ていた。
肩に手を置かれる赤井蛍は人質になっている、のだろうか。
蓮見はそれを見て、手を出し倦ねていた。
「…………どういう状況でしょうか」
男に見覚えが無い蓮見は、そう尋ねるが応える人間は居なかった。
けど、僕は何故この場に連れて来られたのかを知るには充分な状況だった。
どうやら雪見の管轄である筈の事に、赤井蛍を巻き込んでしまったらしい。
浅葱君を抱上げている僕はまだ彼等に認識されていないらしい。
それならば──────。
僕は直ぐに浅葱君の頭を固定する様に撫でていた左手を止めて離した。
浅葱君が僕の顔を見ようとゆるりと僕から上半身を離そうとしたのを見計らって、浅葱君の後ろから左手の指先を無理矢理突っ込む。
ついでに浅葱君の背に腕が回る事で姿勢の安定を図る。
「ん!?」
目が合った浅葱君の驚いた顔に思わずふっ、と一瞬だけ笑って走り出す。
慌てた様に浅葱君の腕が僕の首に回るのが分かった。
縋り付かなければ落ちそうな不安定感があるのだろうと察しは付くが、それでも浅葱君から伸ばされた腕に嬉しいと思った。
蓮見の背中に辿り着いて直ぐに、異能力全開で僕らの重さを軽くした状態で跳んだ。
トンッと軽く、蓮見の肩を蹴って一瞬空に舞う。
僕の姿を下から唖然と見つめる赤井蛍と男含む不良共。
この隙に、蓮見と銀が動き始めた。
異能力を止め、僕ら二人分の重力そのままで赤井蛍の後ろに立つ男の肩を地面に向けて踏み付け着地するのと、蓮見と銀が不良共に殴り掛かるのは同時だった。
本当は男の心臓部を目掛けていたんだけど、どうやら咄嗟にずらされたらしい。
「うっ」
浅葱君の呻き声と左指にも衝撃が来た。
覚悟はしていたから、思っていた程痛くはない。
奇襲と言う形で赤井蛍から男を剥がす事には成功し、僕は直ぐに浅葱君の口から左手を離して指先を鳴らす。
パチンッ
異能力によって赤井蛍の周りに結界擬きを構築する。
維持をするのはそこそこ大変だけど、これで赤井蛍は怪我をしないで済む。
さて、足元に目を向けると男は僕の足を退かそうと掴んでいたが、「クソッ」と叫び僕の足を殴ろうとしたので異能力含めもう一度力を込めた。
ギシリッ
骨が軋む音がする。僕を睨んでいた男が段々と目を見開く。
おっと、どうやら僕の顔がよく見えたか思い出したかしたようだ。
まぁいずれにせよ、薄暗いと言うのに僕が誰だか分かった様子。
「お、前…………」
あの時の──────
その時、男の口がニヤリと歪んだ。
男の肩を踏んでいた足にガツンッと冷たい衝撃が走った。
冷たい感触がずるり、と抜かれた瞬間。
ガクンッと意図せず足から力が抜けた。
後々知ったが、この時結構深めに切られたらしい。
浅葱君が衝撃で腕から落ちそうになるのをギリギリの所で留める。
一瞬赤井蛍の周りを覆っていた結界擬きと、自身に使っていた異能力が解けた。
息を止める。何も考えずに息をすれば、多分僕は腕の中の浅葱君すら投げ出すだろうから。
全てを認識した瞬間に走った痛みと熱は、唇を開けたら直ぐにでも悲鳴が出るだろう。
傷を負ってない足に力を入れて異能力の補助で立ち、男から距離を取る様に地面を蹴る。
方向は赤井蛍が立つ場所。
僕の異能力で地面に押さえ付けられたままの男にはもう、触れていない。
トンットンットンッ、と数度片足で後退する様に移動する。
ふわり、赤井蛍の隣に降り立って直ぐに足元に座り込む。
この時、浅葱君をゆっくり降ろす事も忘れない。
「え、君大丈夫!?」
僕達に気付いた赤井蛍から掛けられた声に好都合とばかりに震える左手で僕に伸ばされていた手を掴み、結界擬きを再構築。
これで、誰も僕達を害する事は出来ない。
意識が遠くなってきた。
駄目だ。今はまだ倒れられない。
僕は結界の中から男を拘束する事に集中する。
あと少し。逃げられない様に足を重点的に潰す必要がある。
「────い!おい!息を吸え!」
はっ。
急だった。急に、僕の視界に浅葱君が入ってきた。
気が付けば浅葱君に頬を両手で強引に掴まれ、覗き込まれていて。
空気が僕の喉に引っ掛かる。
げほっげほげほっ
まるで、久し振りに息を吸い込んだかの様に。
多分今まで息を止めていたんだろう。
はっはっはっ…………
息切れと共に誰かに背中を擦られ、気付く。
いつの間にか浅葱君は僕の上から退いていて、赤井蛍は僕に寄り添っていた。
周囲はもう静かになっていて、銀が男の拘束に向かっていた。
蓮見は結界擬きに阻まれつつも僕に声を掛け続けていた。
咳が治まった瞬間、僕は足の痛みを思い出した。
「────あ」
あまりの痛みに口元を掌で押さえ、声を殺す。
そして都合良くまだ目の前に居た浅葱君の背に片腕を回し、胸元に飛び込む様にしがみ付く。
「うおっ」
浅葱君の驚いた声は敢えて無視する。
いつの間にか左手で掴んでいた筈の赤井蛍の手を離していた事もあり、必然的に異能力は全て解除された。
声は必死に殺したが、涙はどうしても流れた。
浅葱君の胸元からチラリ、と視線を動かすと直ぐに僕の元まで来ていた蓮見はどこか不機嫌そうに僕の足の怪我をガーゼハンカチで手早く止血してくれた。
そうして少し離れると直ぐに電話を掛け始めた。多分、雪見家に。
その間に銀が男を俵担ぎで戻って来た。ご丁寧に全身を縛り付けて。
銀が裏切る可能性もあった。
でも男が「裏切り者!!」と叫んでるあたり、銀は男に顔を見られてでも捕まえてみせた事になる。
「さて、迎えを用意しました」
蓮見がそう言って戻って来た時、路地近くに車が着けられたらしく。
雪見家の使用人が僕達の元まで歩いて来ていた。
浅葱君の背から腕を離し、浅葱君と対面するように座っていた僕はさりげなく襟首が引っ張られ、指先が掛けられた事に気付く。
異能力を使って僕の重さと周囲の空気を若干軽くした瞬間。
ふわりと背後に引っ張られ、そのまま蓮見に抱き上げられる。
「赤井蛍様、浅葱誠様、どうぞこちらへ。御案内させて頂きます」
蓮見の冷たい、感情の読めない声が頭上から聞こえてすぐ。
僕の意識は、プツリと落ちた。