20XX年

 日本有数の財閥、赤井家。
 その家には、数々の赤井家に連なり傘下となる家があった。
 その内の一つ、雪見家。
 雪見家は赤井家と最も血が近く、現在の赤井家当主を支える懐刀となる。
 しかし雪見家は社交場には滅多に姿を見せる事はなく、顔を知るものは少ない。
 加えて、雪見家に生まれた子供は存在を公開される直前まで秘され、性別どころか姿形を知る者は居なかった。
 雪見家直系の者達以外は。



 と、言うのが小説「花の雫が眠るまで」のスピンオフ小説、「青薔薇が枯れるまで」の雪見家に対する公式情報として小説サイトに記載されていた。
 つまり、謎。
 そもそもが雪見家はオマケであってその小説のメインは赤井家なのだから仕方がないとしても。
 この情報量の少なさはねぇだろ。
 んで、僕は今何故こんな事を考えてるかって?

 現実逃避だよこんちくしょぉ!

 雪見 時雨(ゆきみ しぐれ)
 小説内で赤井家の愛娘、赤井 蛍(あかい けい)叛意(はんい)を抱き舞台となる御鏡学園で殺人を犯す数少ない異能力持ちの従者だ。
 しかも、訳の分からない理由で死んでいたキャラクターだった。
 恐ろしい事に、死因すらも書かれていなかった。
 どこまで謎にすりゃ気が済むんだ雪見家。

 そんな存在に前世ならぬ小説の内容をうろ覚えながらも記憶継承したまま転生したのが僕だ。
 いや、まさかと思うだろ!僕も思った!
 何でも流行りに乗れば良いってもんじゃ無いんだよ!
 そして何より時雨が女だった事にも驚いた!
 しかも恐ろしいかな、僕の意識が表面化したのはつい最近で。
 まぁ、多分自我の芽生えと共に表面化したのだろう。
 僕の体は今五歳児で。
 本編が始まる前なのは確かだろうが、多分過去回想であった部分なのであろう事はわかる。
 でもだからって今日この場で思い出さなくても良くないか?
 母親と手を繋いだまま、黒い狐の仮面越しに会場を眺める。
 小説での時雨は母親と手を繋いだりはしなかったし狐の仮面も着けた事は無いが、そこは僕との違いだろう。
 何せ僕は、この年になるまで純粋と鈍感を惜しみ無く装ったのだから。

 「時雨、良いかい
 嬉しそうだから、その仮面については言及しないでおくけれど
 これから行くパーティーには同年代の子達が沢山来る
 皆、時雨と志を共にする仲間(ライバル)
 第一印象は大切だぞ
 それにくれぐれも、粗相をしてはならないよ」
 「貴方、なるべく私が側に居ますわ」

 と、家を出る前にこんな感じで両親にまともに心配された。
 良い両親!そして甘い!だが良い!好き!
 きっと元々時雨には甘かったのだろう。
 だが、僕が雪見の子供である以上、公開せざる得ない。
 僕を社交場に一夜出すだけでも不安を覚えるらしい。
 そうして溺愛と心配を滲ませた両親の手で、赤井家が催すパーティーに来ていた。

 『赤井蛍誕生日パーティー』

 ここで僕に出来る事は、狐面を外さない事と中庭に出ない事だ。
 例え両親に狐面を外す様にと言われても、僕は狐面を外す気は無い。
 黒い狐面なんて、目立つ事は承知の上だ。
 だが僕が中庭に出ない事と、周りの蛍様の従者候補達と上手く関わり情報を入手する為には、顔を晒さない、目立たない雪見家としては必要な事だろう。
 隠し隠れる事に、印象すらも操作する事に長けた雪見家らしさだと思っている。
 が、それ以上に本物の雪見時雨はどうやって目立たず隠れたままに蛍様の従者をしていたのかがわからなくて不器用な僕はこういった手段を取るしかなかっただけなんだけどね。



 さて、決意も固まった事だ。
 現実逃避はここまでにしよう。


 僕は母親の手をするりと離し、踏み出す。
 母親は余程驚いたのか、「時雨ちゃん!?」と僕の名前を呼ぶ。
 既にいくつかのグループが出来ているらしいそこに、僕は人の流れに添うように歩く。
 僕が目指した先は赤井蛍。
 挨拶をしている所なのだろう。
 僕の今の姿はグレーのフリルブラウスに黒のサスペンダー付きの半ズボン、膝下までのグレーの靴下と黒の革靴、と黒系に揃えた装いだ。
 僕はそこで挨拶待ちの列に控え、ようとして後ろから声を掛けられた。

 「そこの狐面、何処の派閥の所属だ」

 舌ったらずな警戒心の強い声。
 僕は声にゆるりと振り向き、声の主が誰かを理解した瞬間、感動した。
 黒髪、丸い眼鏡、眼鏡の下から覗く鋭い瞳、書生風の着物。
 このショタは!浅葱(あさぎ)君では!赤井蛍の未来の腹心が居る!!
 未来では丸い縁の眼鏡ではなかったけれど、今の丸縁も悪くない!
 思わず(たぎ)った。興奮した。素敵!
 仮面をしている事に心の底から安堵した。
 左手を胸元に添えて一礼。
 というか、こっそり深呼吸した。

 「──────僕の事ですか?
 これは失礼しました。派閥、派閥ですか。
 うーん…………」
 「なんだ、答えられないのか?」
 「えぇ、残念ながら」

 馬鹿にされたと思ったのか、顔を赤くする少年。
 だが僕は彼を馬鹿にはしていない。
 だって僕は、派閥には所属していないから。

 「おまっ────」

 僕に声を荒げようとした少年。
 だがタイミングが良いのか悪いのか、僕の挨拶の番が来ていた。

 「今夜は私のパーティーに来てくださりありがとうございます」

 鈴を転がす様な高い声。
 あ、良い声。

 僕は少年から赤井蛍に顔を向ける。
 左手を胸に添え、頭を垂れ腰を折る。
 雪見家は直前まで姿を現さない事から、最初に必ず謝罪をする。

 『今までより挨拶が遅れました事を、謝罪致します』
 
 僕がそう発した瞬間、正面と隣からは息を飲む音が、周囲からはざわめきが生まれた。
 名乗りはここからだ。

 「お初にお目に掛かります
 僕は雪見家が長子、雪見時雨と申します
 貴女様と今日、この良き日にお会いできた奇跡に感謝致します」
 「顔を上げなさい、あなたが雪見でしたか
 私こそお会いできて嬉しいです
 是非パーティーを楽しんでくださいね」
 「ありがとうございます」

 顔を上げ、お礼を述べる。
 さて、と一息付くと隣に顔を戻した。
 あくまでも、にこやかに。
 仮面のせいで顔なんて見えもしないだろうが。

 ────僕の所属派閥の話でしたね。

 そう切り出すが、隣の少年は慌てた様に僕から数歩下がる。
 少年も知っているのだろう。
 雪見家は派閥から切り離されると。

 「雪見様とは知らず、申し訳なっ────

 僕は少年の言葉を頬を撫で、親指を唇に当てる事で無理矢理止めた。
 僕の知る浅葱君は誰に対しても堂々としていて。
 未来では、時雨にだって牙を剥いてたぐらいだから。

 「僕としては、君にだけは畏まって欲しくはないんだけれどね?
 浅葱君」

 名前を呼んだ瞬間、目を見開く少年。
 頬を撫でながら、唇から手を離す。
 あぁー、可愛い。
 思わずセクハラ紛いな事をしてしまった。

 「何故、俺の名前を」
 「ふむ、合っていた様で何よりだ
 答えにはならないだろうが、君とは仲良くしたかったんだ
 これからよろしく、浅葱誠(あさぎ まこと)君」

 僕は少年に右手を差し出す。

 「俺達の内の誰が赤井蛍様の側近になるかも分からないのに、あなたは随分余裕なんですね」

 行き場をなくした右手は下ろした。
 いや、うん。言いたい事はわかったからね。
 だから僕も声のトーンを落とす。

 「では僕からも一言。あまり気負う必要は無い」

 もう既に決まっているだろうから。
 本当に僕達は顔合わせの為に呼ばれていたんだよ。

 僕は浅葱君の返事を待たずに、「では、僕はこれで失礼します」と軽く一礼してその場を離れる。
 第一印象は中々、印象に残せたんじゃ無いだろうか。

 しばらく後に、僕の知る限りの未来の側近達に挨拶をした。
 赤井家当主へ、もしくは赤井蛍への溢れんばかりの尊敬と敬意と忠誠心が雰囲気で伝わる。
 彼らの表情は真剣そのものだった。
 美しい忠誠心だ、と感動した。
 全身が痺れる感覚に、一瞬僕の体が麻痺した様に力が抜けそうになった。
 今倒れる訳にはいかないので足を踏ん張る羽目になった。
 皆派閥は違う様だったが、僕は鈍感を発揮して声を掛けていた。
 狐面というのも相まって目立っていたそうだ。
 勿論、筆頭は浅葱(あさぎ)君だった。
 そして浅葱君のは中々に活きの良い返事だったね。
 さて、では気を取り直して次だ次。

 「改めまして、僕は雪見時雨です。
 どうかあなたの名前を教えて頂けませんか?」

 今は小さく可愛らしい彼らに口説く勢いで声を掛ける。
 大丈夫、名前はちゃんと教えてもらえてる。

 そう、未来の側近達の名前を知れてホクホクしていた僕を、会場の端で見ていた母親は唖然としていた。
 僕が流暢に敬語を話す事にか、それとも僕の態度に対してか。
 もしかしたら両方。
 粗相をしないギリギリを攻めたのだからこれは仕方がないだろう。
 父親は僕をチラリと見たりはするものの、赤井家当主との話をしていた。
 最初は僕に背を向けていたが、いつの間にか、赤井家の当主と一緒に会場内を見ていた事には一瞬驚いた。
 と、そんなこんなで交流への一歩を踏めて満足した頃。
 困った事に、喉の乾きを覚えていた。

 まずい、仮面は取りたくない。
 と言うか目立ちすぎて仮面はもう取れない。
 仕方ない。名残惜しいがここで退場するとしよう。
 小説では最後まで見届けられなかった分、僕が見届けようと思っていたのに。

 肩を落として母親の元まで歩く。
 その様が分かりやすかったのか、母親は気遣わしげに僕を抱き上げた。

 「ごめんなさい。けほっ
 興奮し過ぎたみたいです」

 事を急いては仕損じる

 ふと過った先人の残した言葉と共に、僕は大人しく力を抜いて母親に身を預けた。

 僕にはその後の記憶は無かったものの、どうやら寝惚けている所を母親から父親、父親から赤井家当主へと順番に抱き上げられていたらしく、僕としては知らない間に黒歴史が作られていた。

 小説でもこんなシーン無かったよ!!

 後日、浅葱君に聞いた話では僕は「雪見家の子狐」と言う印象的な噂が広まっていたのだとか。