「真弓!!」

 『手術中』の赤いランプが消える。救急車が病院に着いてからすでに5時間が経過していた。
 唐突に赤ランプが消え、中から看護師が出てくる。

「西奈真弓さんのご家族様はいらっしゃいますか」

僕は車椅子から立ち上がり、声を上げそうになった。

「はい!」

 声を発したのは、隣に座っていた真弓の母だった。この時はまだ、ただの友人……僕は真弓の『ご家族』ではまだ無かった。

「先生からお話があります。診察室へどうぞ。ご案内します」
「わかりました。春彦君達……今日はありがとうね」
「おばさ……はい……」

 廊下では美緒が泣いている。僕の車椅子を小夜子が片付けに向かう。良雄は警察の現場検証の為、事故現場に戻って行った。

「ひっく……ひっく……真弓……どうして……ひっく」
「美緒……大丈夫‥…だから……」
「春……彦……!!」

 美緒を元気付けようと発した僕の声も震えていた。そして美緒が僕に抱きついてくる。決してやましい事はない。ただただ不安で2人で抱き合う。手術室の前には僕と美緒の2人しかいない、人目を気にする様な事はないはずだった――。

『ドォォン……ドォォン…』
『カシャ』

 先程から遠くで大気が震える音がし、窓が小刻みに揺れる。打ち上げ花火が上がっているのだ。

『ドォォン……ドォォン……』
「春彦君、病室に戻りましょ。あなたまで倒れたら大変だわ……」
「小夜子……」
「美緒さん。良雄君が迎えに来てるわ、今日は一旦帰りましょ」
「うん……わかった。春彦、また……ね」
「あぁ、またな」

 まるで別れを惜しむ恋人の様にすっと美緒は離れる。小夜子は僕の横に立ち、手を腰に回す。

「さ、春彦君。病室に行きましょ……」
「小夜子、ありがとう」

小夜子に体を預けながら僕は病室へと戻った。

『ドォォン……ドォォン……』

 病室からは花火が小さく見える。真弓が指差したビルの上に打ち上げ花火が開く。
 ベッドに腰掛け、隣には小夜子が座る。

「小さいけど……綺麗ね。お花が咲いているよう……」
「……」
「彼女は大丈夫よ。もし亡くなっていたら、あの場でお母さんは手術室に呼ばれるはずよ。診察室に呼ばれたと言うことは……命には別状はないと言う事だと思うわ」
「……そうかもしれないな。だけど彼女の家族じゃない事がこんなに重いとは思わなかったよ……」
「春彦君、何を言ってるの?元々家族じゃないわ、友達よ?」
「まぁ……そうなんだが……そうじゃないと言うか……」
「……ばか」
「え?」

 小夜子に抱きしめられ、そのままキスをする。相変わらず両腕の使えない僕は小夜子に身を預ける。
 そして小夜子の胸に顔を埋めた。顔が赤くなるのがわかる。女性の胸に触れるのは真弓以外では初めてかもしれない。

「春彦君は初めて?」
「え?」

 体に力が入らない。小夜子はゆっくりと僕の体をベッドに横にする。

「……小夜子、ごめん。今は……」
「そっか。そうだね……私こそごめん……」

 そう言うと小夜子がまた僕にキスをし、ベッドから立ち上がる。

「ゆっくり休んでね、おやすみなさい」
「ありがとう、おやすみ」

 窓の外の花火の音を聞きながら目をつむる。真弓はどうなったんだろう。親が付いているから僕には何も出来ないのだろうか……。
 明日の朝、もう一度見に行こう。
 でも……どうしてこうなった?小夜子を助けたから?真弓が犠牲になった?
 自問自答を繰り返す。答えは出ないのに。そのままいつの間にか深い眠りについていた。

………
……


「手を!!手を伸ばせ!!もう少し!」
「もう駄目……私の事はもういいから……春彦君だけでも……お願い――」
「うるさい!!もう少し――!!」
「うぅ……!!」

 彼女はもう助からない。そんな気はした。それでも僕は必死で手を伸ばしている。
 それは罪滅ぼしなのか、自己満足なのか……そして彼女は最後に笑って言った。

「ありがとう」

と。


……
………

「また夢……」

 朝、目が覚めると涙が溢れていた。つい先日も目覚めて泣いていた。僕の体はどうにかなってしまったのだろうか……。
 タオルを濡らし、顔を拭う。朝食を食べれる気がせず、パンをひとかじりほどで薬を飲む。
 9時になり、看護師に入浴を手伝ってもらう。
 真弓の事が気になり、すべて上の空で時間が進んでいく。時計が11時を示すまでが長かった。
 11時になると面会が可能になる。女性の入院患者は5階、だが集中治療室にいる真弓に会えるかはわからない。

『お知らせします。10時になりました。定期診察を始めて下さい。繰り返します――』

 院内放送が流れ、検温、血圧、先生の診察が回ってくる。

「千家さん、順調に回復していますね。これなら早めにギブスが外せるかもしれませんね。無理はしないで下さい」
「はい…‥。先生!あの……真弓……昨日運ばれて来た西奈真弓さん具合は……?」
「あぁ、昨日の手術の女の子ですか――残念ながら……」
「え……?」

目の前が真っ暗になる。

「先生、言い方に気をつけて下さい!千家さん!彼女は無事ですよ。手術も成功しました」
「え……?え?」
「ほら、先生がまぎらわしい言い方されるから――」
「いや、すまん。手術は成功したんだが、彼女は……すぐには歩けないかもしれない。君の彼女なのか?」
「はい……いえ、今はまだ……」
「相当なショックだと思う。彼女なら支えてやってくれ。今は何も考えられないかもしれないが」
「先生、次の患者さんの準備出来ました」
「あぁ、じゃ君もちゃんと治してね。お大事に」
「……あ……ありがとうございました……」

 真弓が……歩けない?生きているだけでも喜ぶべきなのか……?でも真弓は看護師を目指して勉強して、頑張ってきたのに。

「僕が小夜子を助けたから……」

 涙がまた頬を流れる。自分の目で確かめよう。そうしないと気持ちの整理がつかない。
 僕はナースステーションで事情を説明し、面会の連絡を入れてもらう。
 集中治療室の前室で保護帽をかぶり、マスクをし、前掛けを付けられた。
 ベッドには呼吸器を付け、点滴を受けている真弓がいた。

「真弓……」
「春彦君、何かあったら合図してちょうだい。窓の向こう側にいるから――」
「はい、おばさん……ごめ……。いえ、ありがとうございます」

真弓の母は集中治療室から出ていく。

 「ごめんなさい」と言いかけて口を閉じる。謝ってしまったら、また未来を変えてしまう気がした。
 「僕が小夜子を救ったから真弓が犠牲になりました」とでも言うつもりなのか。謝るという選択肢は駄目だ。

「真弓……。わかるか?春彦だ」

 真弓の目がこちらを向き、手を伸ばしてくれた。僕は真弓の手を握り話しかける。
 真弓はうつろな目をし、視線は遠くを見ている。握った手には力はなく、しばらくしてから気付く。
 先生は『歩けない』と言った。どういう事なのだろうか。真弓の頭元にいる看護師に聞いてみる。

「彼女は元気になりますよね……?」
「そうですね、まだ確かではないですが。脳に損傷はありませんでした。ただ脊髄を損傷しており、下半身に障害が出る恐れはあると思われます」
「脊髄損傷……。そ……そうですか……」

 真弓の声が頭の中で聞こえる。それは10年後の世界でいつも聞いていた声だ。

「春彦君、おはよう」「春彦君、おやすみ」「ねぇねぇ、これ見て?」「まだ起きてるの?早く寝なさい」「春彦君、明日ね――」「春彦君、何食べたい?」「ねぇ、明日ケンタッターにしない?」「あはは!もう何言ってるの!」「春彦君!ちょっと待って!」「春彦君、私幸せ……」「春彦君!!」



「春彦君、大好きだよ!」



――僕の中で何かが音を立てて崩れた。

 頑張れば看護師にまだなれるかもしれない。ハンデはあるものの、きっと生きる道はあるはずだ。だけど、彼女が描く未来は大きく変わってしまった。夢を諦める選択肢もあるだろう。
 もし下半身不随になれば、ショックからは簡単に立ち直れないと思う。僕は彼女を支えていけるのだろうか。偽善ではなく、現実の生活の中で彼女を支えれるだろうか。

「真弓……!!」

 安心したのか、彼女は目を閉じてまた眠る。言葉に出来ない悲しみに襲われる。それは未来の彼女を知っているから……頭の中で比較してしまっているのだ。
 まだ今なら……僕にも選択肢はある。付き合ってもない。このまま友達として生きていく選択肢もあるんだ。

「そろそろお時間ですので、面会を終わります」
「……はい」

 看護師にうながされ、集中治療室を出る。廊下から見ていた真弓の母親と目が合い会釈をした。言葉には出せない……だけどマスクの下で、相手にはわからないだろう。

僕は一言だけ口にした。

「ごめんなさい……」

と。

 真弓との面会が終わり、僕は病室に戻る事なく1階のロビーへと向かう。平日ともなるとたくさんの患者でロビーはいっぱいだった。

「なぜ、真弓なんだ……こんなにたくさんの人間がいるのに」

 歯ぎしりしたくなる様な感情が芽生える。ジュースを買い、中庭の木陰のベンチに向かう。病院から一歩出ると木陰でも暑い。ベンチも熱をおびている。しかし外来の患者は中庭にはめったに来ない為、ベンチは空いていた。

「千家君……だったね?」
「え?あぁ、この前の……えぇと、片桐刑事さん?」
「そうだ、隣り失礼するよ」

 小夜子の事でお世話になった刑事が僕を見つけ声をかけてくれる。少しは気が紛れるか、そんな風にも思えた。

「何だか、顔色が良くないが?」
「いえ、大丈夫です。あ……そうだ。刑事さん、柏木先生はどうなりましたか」
「逮捕され、今は留置所だ。これから裁判になるだろう。複数人の女性から被害届けが出されたんだ」
「そうですか、安心しました。小夜子の様な思いはもうたくさんです」
「君が明らかにしてくれたお陰だ。ありがとう」
「いえ、僕は何も……」
「ところで今日来たのは、西奈真弓君の事で来たんだが、同じ高校だったんじゃないかと思ってね」
「真弓!?」
「いや、取って食おうと言うわけじゃないんだ。西奈君の事故を調べててね。結論から言うと踏切に向かい突然走り出したという目撃情報があってね……」
「踏切に飛び込んだ?真弓が?」
「自殺……というのは考えにくい。お友達と花火を見にいく為の待ち合わせをしていた。そして……」

 片桐刑事は袋に入った携帯電話を見せてくれる。その携帯の周りには血の固まりが付いている。

「真弓の携帯……ですよね」
「そうだ。携帯の最後の画面が君宛のメールだったんだが……」
「え?」

【そうだよね。無理言ってごめん。元気になっ】

「……その顔は、身に覚えがありそうだな。このメールを打ちかけて、彼女は踏切に飛び込んだ。自殺とは考えにくい。そして誰かを突き飛ばした様にも見えたという目撃情報もある」
「その突き飛ばした相手は?」
「それが誰も見ていない……どころか防犯カメラにも映っていないんだ」
「どういう事ですか……」
「わからない。防犯カメラにも突き飛ばしたような格好はしている。たまたま画面の端で見切れたのか。まぁ本人に聞こうと思ったんだが、あの状態ではしばらくは話せないだろう」

 片桐刑事は嘘を言うようには見えない。その踏切にもし誰かいたとしたら……例えば修復者(リストーラル)に関係がある……!?

「中和有珠……」
「ん?千家君、どうした?」
「いや、何でもないです。もしまた何かあれば連絡してもいいですか」
「あぁ、私の名刺を渡しておこう。電話番号もかいてある。それと、話が戻るんだが……」
「ありがとうございます。どうされました?」
「柏木の事なんだが……」
「柏木先生?留置所にいるのでは?」
「あぁ、本人はな。だが、そのご家族がな……。何でも誹謗中傷がひどく、家もめちゃくちゃになっていたそうだ。近所からの通報で何度か警察も行っている」
「そんな……!家族は関係ないのに!」
「そうなんだがな。いっときは警官が巡回して多少は収まってはいたが、毎日イタズラ電話に罵声、あるいは窓ガラスを割られたりと……色々とされたそうだ。最後には……」
「僕が刑事さんに言ったせいで……」
「……君のせいではない。だが、君も気をつけてくれ。逆恨みされる理由は十分にあり得る話だ」
「はい……ありがとうございます。気を付けます」

 そう言うと、片桐刑事はロビーへと入って行く。少し話をしたせいか、さっきまでのうやもやとした気持ちが少し楽になった気がした。

「そうだ、中和有珠に事故の事を聞いてみないと……て連絡先知らなかった……手紙にも連絡先は書いてなかったよな?」

 僕は部屋に戻り、先日の手紙を探す。床頭台の引き出しに手紙はあったが連絡先の記載は無い。

コンコン――

「千家サン、こんにちは。お昼ごハンでっセ」
「あぁ、メリーさん。ありがとうございます」
「それと、先程女の子が来て千家サンにコレを。もしかしてコレでスカ?コレ?」

小指を立ててジェスチャーするメリー。

「違うよ。ただの友達だよ」
「ほほぅ……Friendネェ……」

 メリーが部屋から出て行ってから手紙を開ける。タイミング良くなのか、どこかで見ていたのか中和有珠からの手紙だった。

【13時 屋上に来い】

 内容が電報の様になってきた。手紙を床頭台の引き出しにしまい、昼食を食べ薬を飲む。
 13時が近付き、僕は屋上へと向かった。午前中にいた中庭とは違い、屋上は暑い。
 日陰のベンチに2人の女性の姿が見える。1人は有珠の様だ。もう1人はショートカットで金髪の女の子。同じ高校の制服を着ている。金髪だが理子ではない。見た目は幼く見える。

有珠(ありす)、来たぞ。彼女は誰だ?」
「おぉ、千家良く来た。こいつは私の妹分、小野妹子じゃ」
「おののいもこ?」
「冗談じゃ」
「殴ってもいいか」
「こほん。発音黒子(はつねくろこ)じゃ」
「千家様。お初にお目にかかりますわ。私、発音黒子と申します。よろしくお願い致します」
「千家春彦……です。はじめまして」

同じ高校の制服を着てはいるが初めて見る顔だ。

「黒子は2学期から、夢希望高校に編入予定なんじゃ。わしと同じく貴様の家で居候しておる。今後とも頼んだぞ」
「は?居候?そんな話は聞いたことないぞ」
「貴様にはまだ言ってなかったからの。父上と母上には承認されておる」
「……あれか?有珠は中ニ病なのか?」
「わしは高校2年生じゃ。失敬な」
「千家様、ねぇさまを侮辱するとぶっ殺しますわよ……」

 黒子の目が赤く光り、黒い煙の様な物が黒子の周りを覆う。

「黒子やめぬか、用件が違うであろう」
「はっ!ねぇさま!失礼しました」
「今、何か見え……」
「こやつも修復者(リストーラル)じゃ……前に話したと思うが、次元の歪みを治す者なのじゃ」
修復者(リストーラル)……」
「見た目は幼いが高校2年生じゃ」
「あれか?黒子も中二病なのか?」
「ねぇさま、こいつ殺しても?」
「よさぬか。こんな顔をしておるが、中身はおっさんじゃ」
「言い方……」

有珠は首をふりふり、黒子をなだめる。

「そんな事より、今日は例の事件についてじゃ。黒子……」
「はい、ねぇさま」
「例の事件……踏切事故か」
「あぁ、貴様も知っておるように西奈真弓が踏切で電車にはねられた。あれは南小夜子の生還による修復力だと思っていたが……」
「僕もそう思っていた。違うのか?」
「うむ。もし修復力ならば西奈真弓は死んでおる。しかし現に命は助かった。そして黒子――」
「はい、私があの現場にたまたまいたのですわ。そして一部始終を見たのです」
「一部始終……?教えてくれ!何があったんだ!」
「……柏木雪菜。こいつが踏切内にいたのですわ」
「柏木雪菜?その人を助けようとして真弓は踏切に飛び込んだのか?」
「はい、その様に見えました」
「でも防犯カメラには何も映ってなかっ――」

言いかけて、気付いてしまった。

「まさか!」
「……その柏木雪菜はその日、すでに亡くなっていたのです。それがたぶん南小夜子の修復力――」
「ちょ!ちょっと待ってくれ!柏木雪菜って!!」
「うむ。貴様も知っておる」
「柏木先生の奥さんなのか……?」
「そうですわ。夫が複数人の女生徒に手を出し、逮捕された後――誹謗中傷、嫌がらせ、報復……最後は自分で命を絶ちました」
「何てことだ……」
「そしてじゃ。柏木雪菜の子供、柏木白子(しろこ)修復者(リストーラル)なのじゃ」
「悪魔なのか……自分の母親の遺体で真弓を踏切に誘導したのか……」
「詳しくはわからぬ。じゃが、あいつなら真弓にしか見えないように姿を隠すなど造作も無いこと。ぬかっておったわ」
「柏木白子は今、どこにいるんだ?」
「わからぬ。で、黒子に探させておるのじゃ。身なりは14歳、15歳のはずじゃ」
「父親か母親も修復者(リストーラル)だったのか?」
「それはわかりませんわ。私達、修復者(リストーラル)は世界を移動する度に、その世界に合わせた姿を与えられるのです。白子だけなのか、はたまた両親のいずれかが修復者(リストーラル)だったか……」

 頭をフル回転して話を鵜呑みにするが、到底信じがたい話だ。僕がタイムリープをした経験があるから多少なり信じられる、と言ったところ……本来なら鼻で笑ってしまうくらい真面目な顔をして聞いている。

「ちなみに黒子と白子はもしかして……」
「元、姉妹じゃ」
「だよね……名前似てるからそんな気はした」
「前の世界での話ですわ。この世界では他人です。何の繋がりもありません。ここに白子がいれば躊躇なく首をかっ切れますわ」
「元姉妹だろ?世界が変わってもそこは駄目だろ……」
「気にしませんわ。私には有珠ねぇさまがいますもの」
「価値観が良くわからん……」
「そういう事じゃからわしと黒子は貴様の家に住んでおる。その腕を治してさっさと戻ってこい。白子を探すぞ」
「そう言われてもまだ2週間はギブスが外れないんだ」
「千家春彦。これを」
「何だこれ?」
「私の調合した薬ですわ。修復力が大幅に向上しますの」
「大丈夫なの……か?」
「まぁ、試してみよ。前の世界では、黒子はその道のプロじゃった」
「あぁ……ありがとう」
「さて、黒子帰るぞよ」
「はっ!ねぇさま!」

 そう言うと、有珠と黒子はさっそうと帰って行く。いつもの階段で……。

「エレベーター苦手なのかな……?」

 そう思わざるを得ない2度目の修復者(リストーラル)との接触だった。

――2010年8月22日(日曜日)

 修復者(リストーラル)の中和有珠と発音黒子に会ってから1週間が経った。
 真弓の2度目の手術の日。

「真弓、頑張れ。大丈夫だから」
「春彦君……うん、ありがとう」

 病室から手術室に運ばれる真弓に声をかける。以前より元気にはなったが、まだ声に元気はない。それはそうだろう。両足が動かないのだから……。
 僕はと言えば、昨日レントゲンを撮ってもらって驚いた。

「千家さん……骨治ってますね……。ちょっと君、前のレントゲン出して。驚いたな。2週間で完治してる」
「え?治ったんですか?」
「あぁ、今日はギブスを外そう。明日からリハビリをして来週末には退院出来そうだ」
「ありがとうございます!」
「うん……どういう事だ?2週間だよな?君、ちょっとこのレントゲンを――あ、千家君はもう病室に戻って大丈夫だよ。お大事に」

 原因はあの薬しかないだろう。発音黒子にもらった修復力を高めるという薬……。1週間前の夜に服用したのだ。匂いも苦みもなく、目薬サイズの飲み薬だった。体に特段変化も無かった。だけど、医者が驚く回復力だったみたいだ。
 あの薬を真弓に飲ませれないだろうか……。今は集中治療室で何も渡せないが……。
 1人ギブスの外れて軽くなった腕で、腕組みなどをしながら病室へと戻る。

「春彦!」
「ん?あぁ、理子。今日もお婆ちゃんのお見舞いか」
「うん!あっ!果物もらったんだ!一緒に食べようよ……て!ギブス外れたんだ。おめでとう!」
「あぁ、ありがとう。今日は何かご機嫌だな」
「そお?春彦に会えたからかな」
「え?」
「冗談よ、冗談!」
「立ち話も何だし僕の病室に行くか?」
「うん!」

 髪をくくりニコニコと笑う彼女を見ていると、こっちまで楽しい気分になってくる。

「あれから小夜子には会ってないんだけど、春彦は会った?」
「あぁ、一昨日かな。ロビーでばったりと」
「そう、彼女元気そうだった?」
「あぁ、もう少しで退院出来るそうだ。ただ……」
「ただ?」
「今回の一件でもう学校には行けないそうだ。本人の希望で2学期からは転校するって言ってた」
「そう……なんだ。そっか、そうだよね……」

 りんごを剝きながら、理子は寂しそうにうつむく。その後の小夜子との会話は理子には言えなかった。

………
……


「あの時の返事は……」
「小夜子ごめん。僕は今は誰とも付き合う資格なんて無いんだ。進学も就職も決まってない。3年生の大事な時期に……」
「……そっか……。うん、わかった。そういう事にしとく。助けてくれてありがとうね。色々聞いたけど、柏木と一緒にならなくて、彼の為に死ななくて良かったと思える。春彦君のお陰だよ。またいつか……元気になったら会いましょう」
「あぁ、小夜子も元気でな」
「うん、ありがとう。春彦君」

 そう言ってロビーで別れた。たぶんここ数日中には退院するのだろう。
 小夜子の着信から始まったこの奇怪な人生。しかし小夜子も一生懸命生きていこうとしている。僕は僕で頑張らないといけない。もう戻れないのならこの世界で――。

「――ねぇ?春彦、聞いてる?ぼぅとして」
「え?あぁ、何でもない。ごめん」
「もう、そんな事じゃ彼女に嫌われちゃうよ!」
「ははは!そんな彼女はいないし、理子の彼氏になったらいつも怒られるな」
「……え。う、うん……そんな事ないけど……」
「え?」

理子は頬を赤く染め、うつむく。

「あ、ごめ……変な事言った」
「うぅん……大丈夫」

 理子がりんごを皿に取り分け、床頭台のテーブルに置いてくれた。
 静かになった病室にセミの声が聞こえる。日に日にセミの声も少なくなっていき、もうすぐ8月も終わりそうだ。

「あのね、春彦……」
「あっ!理子ごめん、真弓の手術の様子をそろそろ見に行かないと!」
「あっ……うん。わかった。私も帰るね。引き止めてごめん」
「いや、いいんだ。またな」

 理子と別れ、1階の手術室へと向かう。真弓の手術は始まったばかりだ。そんな事はわかっていたが理子との妙な雰囲気に耐えられなかった――のが本音だ。

「余計な事言ってしまったなぁ……次は気をつけよ」

 と、ロビーでジュースを買おうとすると、何やら自販機の下に手を突っ込んでる人がいる。

「あのぉ、大丈夫ですか?」
「うむ……小銭を落としてしまってのぉ……」
「あ、僕が取りましょう……か?て、有珠(アリス)?」
「ぬ?何だ。千家では無いか」
「ねぇさまぁ!!棒っきれありましたぁ!これで取りましょう!ついでにプリンも買ってきましたぁ!」

 有珠が自動販売機の下に手を伸ばし、黒子が廊下の向こうからモップを持って走ってくる。

「なんでやねん。棒探しに行ってプリン買うって……黒子もいたのか」
「千家!!き……貴様!ねぇさまのパンチラを見ようとしていたのか!!しねぇぇぇ!!」
「ちょ!!黒子!!待て!!早まるな!」
「問答無用!!」
「あっ……小銭、取れた」
「ちょ!待て!!モップを振り回したら危な――!」

バチンッ!
黒子が振り回したモップが、有珠のお尻にヒットする。

「ンギャアァァァ!!」
「あっ……」
「あっ……」
「おい……貴様ら、そこに座れ……!!」
「ね、ねぇさま!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「いや、僕は悪くない……」

 とばっちりでとんでもなく怒られた。有珠がお母ちゃんとダブって見えるほどに。
 ほとぼりが冷めると、ようやく会話が出来るようになる。

「で、二人は今日は何の用で来たの?」
「うむ、プリン……じゃなかった。黒子よ、例の物を」
「はっ!ねぇさま!少々お待ちを……ちゅるん」

プリンを飲み終わると黒子は一つの瓶を取り出した。

「千家よ、これをあの娘っ子に飲ませてやるがよい」
「これは?」
「黒子の秘薬『時の砂』じゃ」
「この前、僕にくれた秘薬……!?」
「それは私が命がけで作る神秘の薬ですの。全ての生命の修復力を加速させる秘薬……」
「まぁ、鼻くそじゃがな……ぷふぅ」
「ねぇさまっ!しぃぃぃ!」
「今、鼻くそって聞こえた気がす――」
「気のせいじゃ。忘れろ」
「いや、確かに鼻く――」
「千家、それを誰かに漏らしたら殺しますわよ」
「あぁわかった。これで真弓が良くなるのなら……でも僕は……黒子の鼻くそ飲んだんだ……」
「しかし治ったであろう?」
「……反論はしない。お礼も言う。でも……鼻く……うぅ」
「ねぇさま、こいつやっぱり殺しましょう」

 踏切事故で下半身不随になった真弓。しかし今回の事故は修復者(リストーラル)の柏木白子の仕業らしい。そして小夜子の代償はすでに、柏木雪菜の命が亡くなる事で成立している。真弓が命を削る必要は無かったのだ。

「無差別というわけでも無さそうだし、なぜ真弓は狙われたんだ?」
「わからぬ。本人に聞くのが手っ取り早いと思っての、白子を探させておるのじゃが……見つからぬ」
「ねぇさま、そう言えばお猿さんからの連絡はまだ?」
「そう言えば連絡がないのぉ……」
「そうですか。ねぇさまもプリン食べますか?美味しいですよ」
「おぬし、それ何個目じゃ……?」
「8個目ですわね。人間の体の90%はプリンで出来ているのですよ」
「それは黒子だけだよ……」
「なにをぉ!千家のくせに生意気な!」

 休日の薄暗いロビーの待合室でジュース片手に、手術終わりを待つ。予定時間は3時間。あと1時間程で終わる。手術が無事に終われば、秘薬を試してみよう。

「有珠。さっきから天井に誰か張り付いているけど友達か?」
「ぬ?」

 僕がジュースを飲んだ際に、天井に人影が見えた。あまり関わりたくないので見て見ぬふりをしていたのだが……。有珠と黒子が天井を見上げ名前を呼ぶ。

「猿渡!」
「お猿さん!」
「あぁ、あれがお猿さんなんだ」

シュタッ!と天井から華麗に降りるお猿さん。

「有珠様、ご報告に参上いたしたでござる」
「うむ、猿渡よ。ご苦労‥…して成果は?」
「はっ!現在、柏木(のぞむ)は留置所にて拘留中。妻、柏木雪菜(ゆきな)は自宅にて死亡――」
「白子は?」
「はっ!それが……娘の柏木白子(しろこ)ですが……」
「どうしたのじゃ?」
「……柏木白子、母親と共に自宅で死亡」
「何じゃと!?」
「自宅で2人の遺体を確認。ご報告は以上でござる!」
「……うむ。ご苦労じゃった。しかし――」
「ねぇさま……とんでもない事が起きていますわね」
「有珠、どういう事だ?白子は修復者(リストーラル)じゃなかったのか?」
「千家よ、貴様が入院してから接触した者を全員書き出せ。黒子よ、おぬしが見た雪菜は……」
「そうですわね……」

 有珠は黒子と2人で小難しい話をし始めた。僕は有珠の脇で待機しているお猿さんにジュースを買ってくる。

「猿渡さん?でしたかね。バナナジュースで良いですか」
「かたじけない。拙者、猿渡夢夢(さるわたりむむ)と申します。千家様、よろしくお願い致します」
「僕は千家春彦、よろしくね。有珠の部下?になるのかな」
「はっ!その昔……里を有珠様に救って頂きまして。以来、猿渡一族は有珠様の情報収集のお手伝いをさせて頂いておるのでござる」
「そうなんだ。有珠ってすごい子……え?有珠って何歳なの?」
「はて?私も存じあげませんが……確か曾祖母様の猿渡楓様の遺言と聞いておりますれば……」
「……有珠っていったい何者なんだよ」

 夢夢と話をしていると、有珠が神妙な顔でこっちを向く。

「千家よ。人目があれば貴様は襲われる事はないじゃろうが、西奈真弓には気を付けよ。もし今回、西奈真弓を狙った犯行じゃとしたらまた狙ってくるかもしれぬ。わしらは白子の足取りを追う。何かあれば猿渡を呼べ、こやつはどこにでも現れる」
「わかった。有珠、黒子、色々とありがとう」
「ふっ。千家の血筋に感謝するのだな。ではさらばじゃ!」

 そう言うと有珠と黒子はロビー横の廊下を歩いて行き、急患窓口で書類に名前を書いて病院から出ていく。思っていた去り方とはちょっと違った。

 ――僕は有珠達を見送ると、手術室の待合室へと向かった。

――2010年9月1日(水曜日)

 高校生活最後の2学期が始まった。体育館で校長先生の長い話を聞く。

「――ですので柏木先生は一身上の都合にてしばらく……」

 一身上の都合ではなく、自業自得だ。と僕は心の中でツッコむ。生徒の列の中に小夜子と真弓の姿はない。
 1週間前、真弓は2回目の手術も無事に終わった。数日はまだ集中治療室だったが、今は個室へと移っている。真弓の足は……やはり動かなかった。そして涙をこらえる彼女の顔を思い出す。
 僕は8月の終わりに退院した。久し振りに家に帰ると有珠と黒子が本当に居候していたらしい。住んでいた痕跡はあるが、白子を探しているのだろうか?家にはいなかった。その為、退院してからはまだ会ってはいない。

 そんな事を考えていると、あっという間に始業式は終わっていた。
 始業式の終わり、帰り支度をしていると良雄と美緒が話しかけてきた。

「春彦、元気になったみたいだな!」
「良雄、迷惑かけたな。ありがとう」
「え?俺は何もっ――」

美緒が良雄の脇を肘で突く。

「ちょっと、真弓は春彦のお嫁さんになるらしいから、代わりにお礼言ってんのよ!気付きなさい!」
「あぁ、そういう事か。春彦気にするな。当たり前だ」

親指を立てて、グッジョブする良雄。

「いつからそんな話になったんだよ!僕は真弓とはそういう関係じゃ――」
「照れちゃってこのこのぉ!真弓の事は春彦に任せた!よし!ちゅーことで良雄帰ろう!」
「そうだな、春彦。病院行くんだろ?真弓ちゃんによろしく!じゃあな!」
「おう、また明日」

 何だかんだ言って、この2人が真っ先に救急車を呼んでくれたんだ。頭が下がる。
 2人の後を追う様に教室を出る。教室を出た所で担任の霧川先生が声をかけてきた。

「千家、職員室までちょっといいか?」
「はい、霧川先生」

 霧川先生は超が付くほどの美人な先生だ。モデルでも通用しそうなその美貌は学校中の男子生徒の憧れであり、男性教諭達もメロメロだった。先生の後ろを付いて歩くと甘い香水の良い香りがする。

「千家、夏休みの宿題の件だが……」
「はい、どうなりましたか?」

 職員室に着くと、霧川先生は自分の席に座り『千家春彦』と書かれたパソコンのファイルを開いた。

「宿題のほとんどが提出出来ない件についてだが、腕の怪我を考えて補習とする事とした」
「補習ですか?」
「そうだ。2学期の間に合計14時間の補習を行う。毎日1時間として約2週間だな」
「2週間……ひえぇぇ……」
「おいおい、これでも短くしたんだ。感謝しろよ。教頭がうるさくてな……ぶつぶつ」
「はい……」

カチカチ……

 霧川先生はパソコン上で補習の予定を入れていく。机の上にあるのは家族写真だろうか?小学生くらいの男の子と撮った写真がある。
 写真を眺めていると隣の空席が目に入る。隣は確か柏木先生の席だったな。と、上段の引き出しの鍵に目が止まった。なぜか見たことある鈴の付いたキーホルダーが鍵にぶら下がっている。

「あのキーホルダーどこかで……」
「おい、千家。出来たぞ。そこのプリンターから取ってくれ」
「は、はい!」

 僕はプリンターから出てくる用紙を受け取り、説明を聞き職員室を後にする。

「失礼します――」
「あぁ、気を付けて帰れよ」

 その足で、まだ暑い日差しの中を自転車で中央病院へと向かう。

………
……


 午後14時。真弓の病室に入ると、真弓は横になって外を眺めていた。エアコンで管理された病室は眠気を誘うちょうど良い温度だ。

「真弓……起きてるのか?」
「………」

 真弓は不安とあの事故の恐怖を思い出してか、時々無反応になり一点を見つめている。脊髄損傷と両足骨折……そして2度にわたる手術。
 今、奇跡的に生きている事だけでも感謝しなければならない。

「真弓……黒子の秘薬を持って来たんだ。怖いかもしれないけど、僕もこれで早く治ったんだ。飲めないか?」
「……」

 返事は無い。僕が部屋に来た事すら目に入ってないのだろう。僕は意を決し、目薬ほどの大きさの瓶の口を空ける。
 そして真弓の口に瓶を近づける。

「や、やめてっ!」 
「あぶなっ――!」

 無意識なのか、真弓は腕を振るい僕を跳ねのけた。瓶の中身はギリギリこぼれず、何とか助かった。
 実は今までも何度か飲ませようとしているのだが、結果飲ませれていない。食事に混ぜてもいいかと黒子に聞いたのだが『No』と言っていた。直接口から飲用させた方が効果はあるらしい。

「真弓、ごめん!」

 僕は小瓶の中身を口の中に含み、真弓の口へと運ぶ。抵抗する彼女。それでも一度抱きしめ、落ち着かせる。

「んんんん、んんん」
「春彦君?え?ちょっと――んんん!?」

 真弓は最初、抵抗していたが次第に体の力が抜け、真弓の口と僕の口が繋がったと思うと秘薬は真弓の体内へと一気に流れ込む。少量ではある。飲み込んでくれたらいいのだが――

「ごほっ!ごほっ!」
「真弓、ごめん。どうしてもこの薬を飲んで欲しく――」

パチーン!!

 平手打ちが飛んできた。ある程度、予想は出来ていた。キスをしたことないであろう真弓。片や、薬の事で頭がいっぱいの僕。当然、噛み合うわけもなく軽蔑される。

「春彦君は……女の子だったら誰でもいいの……?ごほっ!最低……!もう帰って!!」
「真弓!これには理由があって!」
「帰って!!」
「……くぅ。わ、わかった」

 でもこれでいい。あとは秘薬を信じよう。少しでも足が動けば……もしかしたら……。
 明らかに10年後とは違う未来になってしまった。これで真弓と夫婦になる事はないのかもしれない。
 彼女が怒っている姿を見るのは初めてだった。後にも先にもない。後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。

………
……


――15時。
 たった1時間ほどの間にすごく疲れた。どうやって家に帰ったかは覚えていない。病院の駐輪場で自転車に乗ったあたりから記憶があやふやだ。

「さすがに強引だったか……今度、謝ろう。ただいま……」

 家には無事着いたが両親は共働きで夜までは帰らない。汗をかいたので先にシャワーを浴びようと、カバンをリビングに置き、お風呂場へ向かう。廊下を歩きながらカッターシャツを脱ぎ、ベルトを外す。

ガラガラガラ――

「は?」
「へ?」

 脱衣所に見たことのある女の子がいる。哀れもない姿で体重計に乗っていた。そのまましばし時間は止まる。

「ギャァァァァァァァァァ!!!」
「ごめん!ごめん!ごめん!」

 急いで脱衣所から出て、思い起こす。玄関に靴は……無かった。家には自分1人だと思った。帰って来てるとは思わなかった。
 いくつもの言い訳を考えていると2階からものすごい勢いで誰かが降りてくる。

「ねぇさま!!大丈夫ですか!!ねぇさ……」

 脱衣所の前の廊下で、半裸の僕と目が合い頭から足先まで舐めるように見渡される。

「黒子……!」
「千家っ!!貴様っ!!ねぇさまに何をしたぁぁ!!」

 激昂する黒子。有珠は脱衣所から出てこない。服を着ているのだろうか。激昂する黒子を止めるのは有珠じゃなければ無理だ。

「あ、有珠!さっきのは不可抗力で!その黒子の目つきがやばいと言うか!ちょっと止めて……」

ブンッ!!

何かが目の前を横切った。

「ちょ、ちょっと待て……そんな物を振り回すな!!当たったら死ぬぞ!!」
「黙れ千家。私も見たことの無いねぇさまの……ねぇさまの……裸を見るなんて卑怯者めっ!!覚悟!!」

ブンッ!ブンッ!

 狭い廊下で日本刀らしき刀を振り回す黒子。後退りしながらリビングへと逃げ込み、対抗出来そうな物を探す。

「ちょ!黒子!落ち着け!」
「問答無用!!」

 真剣白刃取りなど器用な事は出来ない。僕は庭にあった金属バットが目に入り、急ぎ庭へと出る。
 自分の家でまさか女の子に刀で襲われるなど考えもしなかった。
 金属バットを構えて振り返ると黒子の姿が無い。

「あいつどこへ行きやがった……?」

 耳を澄ますと室内から『シュゥゥ』という音が聞こえてくる。

「何の……音だ?」
「覚悟は良いか?千家……」
「黒子……!」

 黒子の目の色が赤い。右手には刀を持っている。映画でも見ているのかと思えるシチュエーションだ。

『炎の精霊よ……今こそ……我に裁きの力を……この世の悪の源をすべて焼き払い……無に帰す……我は世界の修復者(リストーラル)也……!!』

 黒子が呪文のような言葉を語り始める。左手を上に上げポーズを取る。左手には何か持っている。

「黒子?まさかお前!魔法が使えるのっ――!?」
『くらえ!!我が極大魔法!!エクストラファイアーボール!!!!!』

カチッ――!

「え?ライター……!?」
『チュドォォォォォォォォォォン!!!!!』

 それは一瞬だった。黒子が呪文を唱え終わると轟音と爆風と共に、炎が天高く舞い上がる!
 屋根は吹き飛び家が燃えてゆく。その光景を見た僕は腰を抜かし地面に這いつくばる事しか出来ない。

「があ……あぁが……ぐ……」

 言葉にならない声が口から漏れる。目の前で家が燃えていく。黒子の逆鱗に触れた結末だ。
 有珠はどうなった?逃げれただろうか?

 ――真弓には引っ叩かれ、家は燃え、最悪な1日になった。
 呆然とする僕の目の前で高笑いする黒子はまるで悪魔の様だった。

「アッハッハッハッハッハッハ……!!」

 2010年の夏休みが終わり、2学期が始まって早々に色々ありすぎて頭を抱える僕。

――9月1日、水曜日
 10年後の妻、西奈真弓にビンタされた挙げ句、帰宅した矢先に実家が爆発する。
――9月2日、木曜日
 家を失い途方に暮れる。両親は僕が無事であった事に涙した。有珠と黒子の姿はない。
――9月3日、金曜日
 実家は老朽化したガス配管による、ガス爆発と認定。千家家族はホテルで借り暮らしをしている。
――9月4日、土曜日
 両親は火災保険の手続きに入り、新築を検討中。それまで父方の実家に行くことが決まる。
――9月5日、日曜日
 僕はなぜか、有珠と黒子と一緒に住むことになった。

「で、黒子?ガスの元栓を開けてライターで着火したんだな?」
「うん……だって……千家が……ねぇさまを襲ったのかと思って……」
「まぁまぁ、千家よ。こやつもわざとやったわけではないのじゃ。勘弁してやってくれ」
「あれはわざとだろ!」
「――有珠様、お茶が入りました」
「うむ。猿渡よ、世話になるの」
「いえ、滅相も御座いません。このくらい当たり前の事でござるよ」

 僕と有珠と黒子は、猿渡夢夢の家に居候する事になった。僕の父方の実家は高校から離れている為に、しばらくはアパートでの1人暮らしを検討していた所、猿渡がタイミング良く申し出てくれた。
 猿渡の住んでいる家は名家というか、豪邸というか、一言で言い表すなら……池がある屋敷だった。

「しかし、この屋敷は広いな。1人で住むには広すぎないか?」
「いえ、里の者も使用しているのでござるよ。いたりいなかったりですが……ここは里が管理している屋敷でござる」
「そうなのか?本当に助かった。まさか、猿渡家と千家が遠い親戚だとは思わなかったよ」
「猿渡家の元は千家からの分家みたいなものでござるよ。気にせず使ってくだされ」
「夢夢、ありがとう」

有珠が茶をすすりながら、本題に入る。

「さて、柏木白子の事なのじゃが……」
「そうだった。真弓を殺そうとした柏木白子……修復者(リストーラル)は母親と亡くなっていた……その理由を調べていたんだったな」
「そうじゃ」
「それで?わかったのか?真弓を踏切に誘導した犯人が?」
「あぁ、目星はついたのじゃが確定ではない。もうしばらく泳がせておく必要がある」
「そうなのか。で白子の件は?」
「うむ。まず、母親は前にも言った通り自殺で間違いはない様じゃ。それを見つけた白子は怒りに我を忘れた。そしてバディであったはずの修復者(リストーラル)と揉めた」
「バディ?て、あの2人1組とかていうやつか?」
「あぁ、わしのバディは黒子じゃ。白子にもバディがいた」
「それは誰なんだ……?」
「正体はわかったのじゃ。白子のバディは緑一色一族(リューイーソー)の……」
緑一色一族(リューイーソー)……」
「そうじゃ。わしらは字一色一族(ツーイーソー)。それに対抗しうる勢力が緑一色一族(リューイーソー)なのじゃが……」
「まるで……麻雀の役名だな……」
「千家、貴様は博識じゃの。その通りじゃ。我ら修復者(リストーラル)の組織はそれぞれ麻雀の役名で出来ておる!」
「なぜ――」
「この組織を作った親分が麻雀が好きじゃった。ただそれだけじゃ」
「あぁ……うん……そうか。なら追求はしない」
「……それでの。白子とバディを組んでいたのは柳川緑子なのじゃが……」
「緑子……何て安直な名前だ……」
「白子は緑子を殺害後に西奈真弓を踏切へと誘った――しかしここで腑に落ちんのは、黒子は雪菜を見たと言うておる」
「ねぇさま……まさか、白子が雪菜に変装して!」
「可能性はあるのぉ。親子なのじゃから変装くらい出来よう。しかもあの白子じゃ。電車を避けるくらい造作もない」
「白子は何の為に……いや、そもそも白子は今、どこにいるんだ!!」
「白子は貴様の知り合いの中におるっ!」

 短い人差し指をめいいっぱい伸ばし、有珠が僕を指差す。

「有珠……指が短――」
「西奈真弓がいなくなって1番喜ぶのは誰か考えればおのずと答えは出る」
「真弓がいなくなって喜ぶ……?小夜子か!有珠!そうなんだな!」
「……え?」

 有珠は黒子と夢夢を近くに呼び、ひそひそ話を始める。

「……おい、黒子。犯人は小夜子なのか?」
「ねぇさま、私にもわかりませんわ……お猿さんはご存知なのでしょ?」
「私も知らないでござる。皆、有珠様のご推測を待っておりますれば……」
「むむむ。わし次第ではないか……まずいのぉ。わしも実はわからん……」

こそこそ話が終わると有珠が続ける。

「こほん。千家よ、ここからは貴様の出番じゃ!見事犯人を突き止めよ!」
「えぇぇぇぇ!?」
「さ、さすがねぇさまですわ!千家!これはねぇさまのご命令よ!犯人を探すのですわ!」
「なんでやねん!」

 そういう流れもあり、白子が成りすましている犯人を探す事になった。

――9月6日月曜日
 家の爆発事故から一週間が経とうとしていた。先週は始業式以来、事故の事情聴取や引っ越し等で学校には行けなかった。
 担任の霧川先生に事情を説明し教室へと戻る。1日中、授業には身が入らなかった。
 犯人探しを有珠に任された結果、クラスの全員、学校の先生……目に映る人全てが怪しく見える。
 白子の容姿は黒子に写真を見せてもらった。色白、金髪、ブルーの瞳。まるで人形の様だった。

(そういえば2年生に外国籍の転入生が来てると、朝礼で言ってたな。それなら色白金髪の可能性があるのか……)

 思案していると、机の上に丸めた紙が飛んできた。2学期から隣の席になった女の子からだった。

【今日、お婆ちゃんの病院に行くんだけど春彦も病院行く?もし行くなら一緒に行きませんか】

 隣を向くと理子がチラッとこっちを向く。病院で見た姿とは違い、学校での理子はまたギャルの格好に戻っていた。

【補習あるから17時位なら大丈夫】

 僕はそう書いた紙を丸めて理子の机に返すと、理子は目を通し軽くうなづいた――。

 ――17時のチャイムが鳴る。部活動のない生徒の下校の合図になっている。
 病院の面会時間は18時まで。学校からは自転車で10分程の距離だ。
 僕は自転車置き場へと駆け足で向かう。自転車置き場では理子が1人で待っていた。

「春彦!」
「理子、ごめん!病院ギリギリだな。急ごう」
「うん、ごめんね。無理言って」
「いや、僕も真弓の容態が気になるから――」
「そだね!急ごう!」

 僕達は他の生徒に気付かれないように少し距離を空けて病院へと向かう。
 途中、誰かに見られているような視線を感じる。犯人が気になりすぎて敏感になっているのか、それとも学校から誰か付けて来たのか?様子を伺いながら病院へと向かう。

――県立中央病院、駐輪場

「春彦は西奈さんのお見舞いっしょ?」
「あぁ、面会時間は18時までだったよな。18時にここで待ち合わせにしようか」
「うん……家族は19時まで大丈夫だから少し遅くなるかもだよ?」
「大丈夫、理子は学校で待っててくれたし。僕も待ってるよ」
「……ありがと。春彦は優しぃね」
「え?理子、何て――」
「何でもない!ほら早く行こ、面会時間終わっちゃう!」

 理子との何気ない会話が日常生活を思い出し安心する。僕はもしかして、理子の事……。

「お婆ちゃんの病室こっちだから、また後で」
「あぁ、わかった」

 ロビーで理子と別れ僕は真弓の病室へと向かう。西棟のエレベーターに乗り、5階を押すタイミングだった。看護師が走ってくる。

「すいまセンネ!あたしも上へ参りマス!」
「あ、どうぞどうぞ」
「ふぅ、あぶナイあぶナイ。礼を言ウ」
「いえ……ってメリーさんじゃないですか!入院中はお世話になり――」
「ダレダ!ナンパはお断りダ!」
「404号室にいた千家春彦です」
「そうか。私語は禁止されてイル。サラバ!」

 そう言うとメリーは、エレベーターの扉が開くのをそわそわしながら待ち、4階に着くと降りていく。

『チーン』
「サラバ!」
「あ、はい……」

 最初に「サラバ」と言うのが早すぎたのだろう。エレベーターのドアが開くともう一度言ってから降りていった。

「相変わらずだな、メリーさ――!?」
『チリーン』

 エレベーターのドアが閉まる瞬間だった。メリーの腰からぶら下がっていたキーホルダーの鈴が鳴った。

「あのキーホルダー!!そうか!メリーさんが持っていたのか!」

 職員室の柏木先生の机で見たキーホルダー。僕はどこかで見た気がしていた。

「なぜメリーさんが……?偶然か?良くある物と言えば良くある物だが気になるな。後で有珠に報告しておこう」

 そして5階にエレベーターは着く。真弓に引っ叩かれてからは来ていない。理子に誘われなかったら、今日も来るつもりは無かった。気にはなっていたが、薬を飲ませるのに、無理やりキスをして……。
 510号室前には来たものの、ドアを開ける勇気が沸かない。どんな顔をして、何を言えば良いんだろう。
 17時30分。このまま18時になれば面会時間が終わり強制的に帰れる……。看護師達も夕食の配膳でバタバタしだすだろう。ここにいたら迷惑だ……。
 言い訳を色々考えている自分が情けなかった。ドアの取手に手をかけたまま時間が過ぎていく。

その時だった。

『ガタンッ!!』
「きゃっ!」

室内で何かが倒れる音と、真弓の声がした。

「真弓っ!?」

僕はとっさにドアを開けてしまった……。

――2010年9月6日月曜日

 僕は西奈真弓の怪我の容態を見に、ここ県立中央病院にお見舞いに来ている。ロビーまで東方理子と一緒に来たのだが、理子は祖母のお見舞いに僕は真弓のお見舞いにそれぞれ向かった。
 病室の前でドアを開けるのをためらっていると、室内からひっくり返る様な音と真弓の声が聞こえた。

『ガタンッ!』
「きゃっ!」

 僕は勢いでドアを開ける。真弓には1週間前にビンタをされてから顔を合わせずらかった。

「真弓!!どうした――!」

 病室に入って目を疑う。真弓が床に倒れている。ベッドに付属してあるサイドテーブルがひっくり返っている所を見ると、サイドテーブルにもたれてひっくり返ったのだと推測できた。
 ベットの頭元から床に垂れ下がっているナースコールを押す。

「大丈夫か!真弓!」
「……いたた。あれ?春彦くん?どうして?」
「あ……いや、それより怪我は?どこか痛くないか?」
「うん……たぶん」

 真弓を抱え、ベッドに座らせる。すぐに看護師が駆けつけてくれ、怪我の具合を見たり倒れたサイドテーブルを片付けたりしてくれた。

「西奈さん、無理をしないでくださいね。トイレに行く時は言ってください、車椅子も用意してますし……」
「いえ!違うんです。さっき足が……」

真弓はさすりながら足をベッドに伸ばす。

「足?また痛むのですか?痛み止め用意しましょうか」
「真弓、大丈夫か。無理をしたら駄目だ」
「いえ……ちょっと……足が……うぅ……」

痛みをこらえてか、少し力む真弓。すると……!

「足が……曲がった……?」
「うぅ……」

 ベッドの上で膝を折り曲げて見せる真弓。ゆっくりだが、足を曲げ体育座りの姿勢を取ろうとする。

「はぁはぁ……こ、ここまで……」
「嘘でしょ……?西奈さんちょっと待ってて、先生呼んでくる!」

 看護師は慌てて先生を呼びに行く。そのくらい衝撃的な事が起こっているのだ。
 下半身不随――真弓は歩くどころか、腰から下はもう動かせないと聞いた。リハビリをしても車椅子の生活になると先生も言っていたそうだ。
 ところが目の前で真弓の足は動いた。それは奇跡だった!

「真弓……!!足が!!」
「へへ……さっきなぜか立てるような気がして、無理して倒れちゃった。失敗失敗」

 少しだけ、はにかんで見せる真弓の顔を見て涙が出た。足が動いた事も、真弓が笑顔になってくれた事も、全部が……嬉しかった。

「真弓……愛してる」
「え?ど、どうしたの!春彦くん、急に。もうからかわないで――」
「愛してる。君がもし歩けなくても僕は君と一緒にずっといたい……いや、ずっと支えていく」
「……え。何よ……急に……もう……ばか……ぐす……」

 そっぽを向き、涙を流す彼女。あれ……この風景なんだか見たことあるな。状況は違えど確か、結婚前にも同じ様な事を言った記憶が……走馬灯の様に頭の中の記憶と、目の前で起きている現実が重なる。

「……私は……この先、歩けるかわからない。けど……こんな私で良かったら……お願いします……」
「あぁ、僕が真弓を支えていくよ」
「うん……ありがと……ぐす」

 真弓をそっと抱きしめる。彼女もまた僕を抱きしめる。そして、今度は確かめ合ってキスをした。

コンコンコンコン!

「あの!おとりこみチュウ、申し訳ナイのデスガ!先生がチュウしにきまシタ!チュウ?チュウシャ?ハイハイ、部外者は帰ってくだサイ!」
「あっ!えっと……はい。真弓、またな。無理するなよ」
「うん、春彦くんありがと。またね」
「ンモウ!イチャイチャしてンモウ!」

 イライラするメリーに病室を追い出され、ロビーに向かう。エレベーターのボタンを押し待つ間に、先程の真弓の嬉しそうな姿が脳で再生される。

「良かった……あの薬効いたんだ……良かった……」

 それは黒子のくれた『秘薬』。製造方法は企業秘密らしいが、あの秘薬が効いたと信じたい。

『チーン』

 エレベーターを降り1階のロビーへと向かう。心なしか、この1週間のもやもやした気持ちが晴れ足取りも軽い気がした。
 ロビーの時計は18時前を差している。ジュースを買い、理子が来るのを待つ事にした。18時には正面入口は閉まるが急患出入り口から出れるだろう。

『ピーポーピーポー』

 ロビーのソファで待っていると救急車が入ってくる。医者と看護師が僕の座ってる後ろで何かを話している。聞くつもりは無かったが、ヒソヒソ話はなぜか良く聞こえる。

『――先生、患者さんは霧川真昼君8歳です。以前も受診されてますが――』
『あぁ、心臓の……20歳まで持てばいいが、やはり移植手術をしないと……』
『移植手術ですか?ご両親には説明をされますか』
『いや、まずはドナーを探す所からだ。手続きをしてくれ』
『わかりました――』
 
 8歳で可哀想に。ドナーが見つかるといいな……何気にそんな事を思った。
 そう言えば免許証の裏にもドナー登録の記入欄があったな。免許を取ったら今回は書いておこう。以前の僕はそんな事思いもつかなかったのにな……。

 しばらく待っていると、理子が東棟のエレベーターから降りてくる。小麦色に肌焼けし、金髪に短いスカートをはいている彼女は遠目でもすぐわかる。来た時とは違いリュックを背負っている。祖母の洗濯物だろう。

「春彦、おまた!めんご、ごめんこ」
「いや、僕もさっき降りて来たんだ」
「西奈さんの容態どうだった?」
「あぁ、順調というか。回復の兆しが見えたみたいだよ」
「そっか。あっ、入口閉まってる!また記入して出なきゃ……」

 僕と理子は急患出入り口で面会者名簿に名前を記載して外に出る。夕日が傾きかけ、オレンジ色の空が広がっている。

「お婆ちゃんさぁ……」

唐突に理子が口を開く。

「もう長く無いんだって」
「え?」
「癌なんだよね」
「そうなんだ……」
「うん、だから今日は荷物を片付けてたの」

 リュックはその為に用意したのか。返答に困り、理子が求めている回答がすぐに出てこない。

「ごめん、何て言ったらいいか……」
「うぅん、こっちこそごめん。急にそんな事を言われても困るよね――帰ろ」
「あぁ……」

 理子は自転車に乗り静かにこぎ出す。僕も理子の後に続く。今度来る時は1人で来よう、たぶんお互いの為にそれがいい。
 真弓の事があり、優しく接してくれる理子に甘えていた。でも僕ははっきりと真弓に言ったんだ。『愛してる』と。それならそれで理子にちゃんと言わないと過度な期待をさせてしまう。

 駅方面に向かい自転車で走ると、日も落ち辺りが暗くなり始める。道路脇の外灯もぽつぽつと点き始めた。
 理子は駅近くの駐輪場に自転車を止め、ここから電車に乗り換えるみたいだ。見送りにと僕も理子の後を追い歩道橋を上がる。

「理子っ!ちょっと、帰る前に話があるん――」
「春彦……西奈さんの事が好きなのよね?」
「え?……うん」

カツンカツンカツン……。

歩道橋を歩く理子の足音が響く。

「私ね……それでも春彦が……ちょっとでも私に振り向いてくれないかな。て思ってた」

 歩道橋の上から、行き交う電車を見ながら理子は続ける。

「何でだろうね……うまくいかないなぁ。小夜子の事も、柏木先生の事も、そして西奈さんの事も――」
「ごめん、理子。僕は君に甘えていたんだと思う――理子?え?」

 目を離したわずかの隙に理子はおもむろに歩道橋の手すりに足をかけ、手すりの上によじ登る。

「おい!理子!危ない!降りろっ!!」
「春彦。それは命令?それとも同情?それとも……」

 ふわっと……躊躇なく理子は飛んだ。一瞬頭の中が真っ白になる。
 目の前で1人の女の子が歩道橋から飛び降りた。下は電車が行き交う線路。即死もあり得る。必死で僕は手を伸ばす!

「くそっ!!届けっ!!」

 それは偶然だったのだろうか……一度、理子の手を掴んだ。瞬間……!

「え?あれ?どういう――」

 理子の手を強く引き上げた瞬間、入れ替わる様にして僕はなぜか落下している。
 歩道橋の上には理子が立っている。理子を引き上げた反動?理子が助かって……僕が死ぬ……のか?

「ア……リ……ガトウ……」

 理子が歩道橋の上で何かを言っている。しかしはっきりとは聞こえない。
 どんどん理子の姿が遠ざかる。理子がまた飛び降りたら誰も助けられないな……いや、僕が落ちる所を見た誰かがそれまでに駆けつけるか。

「真弓……ごめん……」

 死を覚悟し、目をつむる瞬間――自分の涙が宙を舞った。そして伸ばした手で空を掴むのが最後に見た光景だった。

――2010年9月6日月曜日

 その日は長い一日だった。
 西奈真弓のお見舞いに行った。真弓の回復している様子を見て喜び、その反動もあったのだろう。
 一緒に病院にお見舞いに来ていた東方理子に、真弓の事が好きだという思いを伝えた。
 そしてそれは突然起こる。あろうことか、理子が歩道橋によじ登り……飛び降りた。理子を助けようと必死で手を伸ばし、手を掴んだ所までは良かった。
 ――のだが、体が反転し僕が真っ逆さまに落ちていく。理子は……歩道橋の手すりに立っている。

――死ぬ。

 脳内では走馬灯の様に今日起きた事が思い出される。僕は目をつむり、最後の時を待った。

ガタンガタンガタンッ!!

 歩道橋の下を電車が通過する。電車にはねられるか、地面に叩きつけられるか、どちらにしても死ぬほどの激痛だろう。真弓が電車にはねられた時の痛みは何事にも変えられない痛みだったのだろう……。

「うぅ……」

 背中が冷たい……冷たいが痛みはない。痛みなく死ねたのか?そんな馬鹿な……。そんな事を考えていると声が聞こえてくる。

「貴様っ!!」
「ちっ!邪魔が入ったか!」
「千家様!大丈夫ですか!」

 野次馬だろうか。ゆっくりと目を開ける。言い争う複数人の声が聞こえ、見たことのある人影がそこにはあった。

「有珠!黒子!夢夢!?」

 理子に日本刀で斬りかかる発音黒子。僕を守っている猿渡夢夢。そして出口で通せんぼする中和有珠。

「いったい……どういう状況なんだ……?」
「千家よ!詳しくは後で話す!今はこやつを!」
「有珠……」

 黒子が斬りかかり、理子はギリギリでかわす。かわしてはいるが、それは東方理子の……いや、到底人間の技ではないように思えた。空中で宙返りをしてみせ、片手でバク転をし映画さながらだった。

「春彦……私は……」
「しねぇぇい!!」
「待て!黒子!!」

 一瞬、躊躇した黒子の隙を突き、今度こそ歩道橋から飛び降りる理子。しかしその身のこなしは普段の理子のそれではなかった。

「ちっ!千家!!貴様!なぜ止めた!あやつが今回の事件の犯人だぞっ!」
「違う……あれは理子……」
「ふむ。とりあえず千家は助かったのじゃ。猿渡よ、ようやってくれた。今日の所は帰るぞ」

 理子は飛び降りた先の電車に乗り込む。貨物列車だろうか。あっという間に行ってしまった。

………
……


――19時。

 猿渡の屋敷に戻ると、夢夢がお茶を入れてくれる。一息ついてから僕は有珠に質問した。

「順番に説明してくれ……何がどうなったんだ……」
「うむ、今日は猿渡に貴様の尾行を頼んでおいたのじゃ」
「それで学校を出てから視線を感じていたのか……」
「さすが千家様です。私の尾行に気付いていたとは」
「あ、いや。夢夢とは気付かなったよ。何か見られてる気がしただけだ」
「千家様が病院から出て来られた際に、東方理子の異変に気付いたのです。病院に来た時と雰囲気がまるで別人でした」
「え?何も変わった様子は無かったけど……」
「いえ。殺気……の様な。明らかに雰囲気が違ってました」
「殺気……?僕は何も感じなかった……」
「……あれは東方理子に似せた柏木白子です」
「な、なんじゃと!!」
「なんだっ――え?有珠も知らなかったのか?」
「う、うむ……」
「こちらが、柏木白子の写真です」
「あぁ、それは前に見せてもらった。色白で金髪……で青目の……!!」
「こちらが、昨日の東方理子の写真です」
「に、似てる……!」
「そうなのです。日焼けしている上に化粧をしていて気付かなかったのですがおそらくあれが柏木白子です」
「柏木白子は母親と死んだのを確認したんじゃなかったのか!!」
「……はい。私の落ち度です。遺体がおそらく柳川緑子。白子と入れ替わっています」
「理子が柏木白子……」
「はい。そうなります」
「そんな……」
「だから言ったではないか!あそこでお前が止めねば斬れていたものを!」
「黒子!落ち着くのじゃ!千家を責めるでない!」
「うぅ……はい、ねぇさま」
「待て!じゃあ理子は!本当の理子はどこにいるんだ!」
「おそらく、病院に……」
「それってまさか……お婆ちゃんなのか?お婆ちゃんて言ってたが見たことはない……入院中なのが理子なのか……?」
「おっしゃる通りだと思われます」

 猿渡の推測によるとこうだ。まず、柏木望(父)が逮捕され、誹謗中傷が始まる。そして柏木雪菜(母)が自宅で自害。それを見つけた柏木白子(娘)は、同僚の柳川緑子を自宅へ呼ぶ。 
 この時、緑子がすでに東方理子になりすましていた可能性がある。父が逮捕されたのは南小夜子のせいだと思っていた白子は、南小夜子に肩入れする緑子と口論となり殺害。
 緑子に白子の格好をさせ、母娘共に誹謗中傷に耐えられず自害したことにする。
 その後、白子は緑子の容姿……つまり東方理子の格好をし生活。そこで春彦と出会う。春彦に心を奪われていく白子。だがここで、西奈真弓の存在が邪魔になる。
 白子は踏切内で西奈真弓を待つ。おそらく本人は柏木雪菜(母)の格好で線路内にいたと推測した。そして目の前で電車に引かれそうになった雪菜(母)を助けようと西奈真弓は線路に飛び込み、事故に合う。
 防犯カメラには雪菜(母)の姿は無い。死角を利用したのか、あるいは別の方法があったのか……。
 
 その後も白子は何食わぬ顔で、東方理子として生活。一方で東方理子本人は、元々入院していた可能性がある。柳川緑子がいつからなりすましていたかはわからない。が、死なぬように毒を盛る事は可能なのだそうだ。特に緑子は毒の扱いには慣れていた。

 そして今日、白子は春彦が手に入らぬとわかりいっそ殺してしまおうと考えた。自分が歩道橋の上に立ち、春彦が手を伸ばすタイミングで引っ張る。そうする事で白子と入れ替わるようにして春彦が落下する。もし誤って白子が落ちた所で、受け身を取りかすり傷程度だったのだろう。そのくらい白子は運動能力には秀でた人物だった。
 春彦が落ちるタイミングで尾行の限界を感じた猿渡夢夢が春彦を助ける。そこに事前に連絡をしていた有珠と黒子も駅に到着する。

ズズズ……とお茶をすする猿渡夢夢。

「パチパチパチパチ!」
「あっぱれじゃ!猿渡よ、褒美を使わす!」
「ははっ!有珠様!ありがたき幸せにござる!」
「ねぇさま!私にもご褒美ください!」
「事実かどうかはさておき、壮大な犯行計画だな……。大体の事はわかった。明日、病院に行って確かめるか」
「そうじゃの。東方理子の本人がどんな状況なのか、白子が今夜中に何か仕掛けてくるのか……黒子よ」
「はっ!ねぇさま!」
「病院で東方理子を見張って――」
「プリンを買ってくるのですね!わかりました!では!」

そう言うと、猛ダッシュで黒子は行ってしまう。

「あっ……。う、うむ……おてんばな子じゃ」
「有珠様、今夜は私が東方理子の調査と見張りをして参ります」
「猿渡よ、頼んだぞ」
「はっ!では御免!」

黒子の代わりに、夢夢が病院へと向かう。

「千家よ。貴様にも話しておこう」
「ん?何だ?」
「猿渡が見張りに行ってしまうと……」
「そうか。こっちに白子が襲撃してくる可能性があると言うのか!」
「晩御飯を作る者がおらん」
「ん?え?」
「え?白子がどうした?」
「あぁ、晩御飯な……。コンビニで買ってくるよ」
「すまぬな。わしは文無しなのじゃ」
「どうやって生きてんだよ……」

 僕は3人分の弁当を買いにコンビニに出かける。猿渡の屋敷から徒歩5分程の所にコンビニはある。

「しまったな、黒子がプリン買いに行くなら弁当も頼めば良かったな。何なら、この道でばったり会うんじゃないのか?て、そんなわけないか――」
「シュタタタタタタタッ!!」
「え?黒子――」

黒子はすごい速さですれ違い、見えなくなる。

「やっぱりそうなるか……うん。さて、弁当弁当」

 コンビニに向かって歩いていると、ふいに白子の言葉を思い出した。『アリガトウ』……と言った気がしたが、あれはどういう意味だったんだろう。
 そんな事を考えながら買い出しをし、屋敷へと帰った。

 修復者(リストーラル)時追者(トラベラー)鍵持者(キーホルダー)――この3人が揃う時、狭間の世界が開くとされている。
 中和有珠、千家春彦、そしてもう1人……。偶然ではなく導かれ、引かれ合う様にして出会った。
 ここは2010年、猿渡夢夢の屋敷。

「ずるずるずる……」
「ずるずるずる……」
「ずるずるずる……」

3人はだだっ広い台所で、カップ麺をすする。

「のぉ、春彦。わしはこれでも超有名な修復者(リストーラル)なのじゃよ……ずるずるずる」
「へぇ、そうなんだ。ずるずるずる……」
「そうですわよ!それはそれはねぇさまの神々しさと言ったらもうっ!きゅんですわ!きゅん!……ずるずるずる」

 豆電球の明かりでカップ麺をすすりながら嘆く有珠。きっと、お弁当を買ってもらえるものだと思っていた。

「仕方ないだろう。生活費切り詰めないと、親にはなるべく迷惑かけれないし。それに元々家を吹き飛ばしたのは誰だよ、まったく」
「あぁ!!千家!貴様!まだそれを言うか!!表へ出ろ!この黒子様が成敗してくれるぅ!」
「2人共静かにせい!わしは……焼き肉が食べたいのじゃ!!」

 お茶の入れ方もわからない3人は、冷蔵庫にあったペットボトルのお茶を飲む。プリンだけで20個は冷やしてある。プリン買うのやめたら焼き肉弁当食えるのでは?と思ったりもしたが、プリン好きな黒子とまた喧嘩になるので控えた。

「時に有珠。中央病院のメリーって看護師が持っているキーホルダーが、たまたま柏木先生の机にもあったんだが何か共通点があるのかな」
「知らん……ずるずるずる――」
「確か、看護師のメリーは元々あの学校で務めていた。とお猿さんの報告書にあったかと。ですわね?ねぇさま!」
「そうじゃ!黒子の言う通りじゃ」
「有珠はさっき、知らん、て言っただろ……。でもそれならメリーと柏木先生の繋がりは無いと見ていいな」
「なんじゃ千家。貴様は探偵にでもなる事にしたのか?」
「違うよ、これだけ色々あると気になる事が多すぎて……1個ずつ解決しときたいだけだ。でも探偵かぁ……まだ就職先も考えて無いんだよなぁ」

 有珠はごちそうさまをすると、真面目な顔でこっちを向く。

「千家よ。明日、東方理子を見に行くのじゃが心しておけよ」
「な、何だよ。改まって……」
「推測通り、東方理子が長期に渡り入院しているとなると、長年緑子の毒を服用し見る影も無い、と言う事じゃ。貴様は白子の変装した東方理子しか見ておらぬじゃろ。心して明日は行くが良い」
「だ、大丈夫だよ。病院で管理されてるんだろ?そんな事では驚かない――」

………
……


――翌日。

 猿渡夢夢の報告通り、理子の入院する東棟の病室に向かう。
 学校へは通院の為と連絡をし、朝から病院に来ていた。怪我をしたのが夏休みでなければ出席日数もギリギリだったかもしれない。
 黒子がナースステーションで、東方理子の親戚を名乗り面会に向かう。
 病室に入り、理子の姿を見て愕然とした。

「うっ……ちょっと、ごめん。トイレに行ってくる……」
「はぁ。だから言うたではないか。心しておけと……黒子。毒消しと鼻くそじゃ」
「はい!ねぇさま!!」

 理子は全身に生命維持装置のようなコードが付けられ、点滴、心電図、酸素マスクを付けていた。
 それより驚いたのはその姿だ。まるでお婆ちゃん……肉は痩せきってシワだらけ、骨が浮き出た腕は今にも折れてしまいそうだった。
 何歳からこの状態なのだろう。生きているのが不思議だった。
 トイレから帰ると、黒子による処置は終わっていた。部屋の外では夢夢が見張りをしている。

「千家、気分はどうじゃ?」
「あぁ……ちょっとびっくりしたんだ。健康的な理子の姿しか知らなかったから……こんな事になっていたなんて」
「まぁ、予想通りじゃ。緑子の毒で徐々に弱り、死ぬる一歩手前で生かされておる」
「なぜこんな事をするんだ……」
「東方理子の生命力、精神力……毒をもって弱らせ、すべてのエネルギーを緑子が吸っておったのじゃろう。毒が切れれば死ぬ。白子は昨日、東方理子に見切りをつけたのじゃ」
「そうですわね。あと1日でも処置が遅れればこの者は死んでいたでしょうね。この毒は覚醒剤と同じで切れたら激しい痛みと幻覚作用がありますわ」
「だから白子は昨日、お婆ちゃんは癌で長くない、と言ったのか……」
「おそらく。この毒はこの時代には存在しない細菌。ここの医学では到底治せないでしょう」
「治るのか?」
「もちろんですわ。先程、点滴に解毒剤と回復剤を入れましたので……おそらく3日程度あれば気が付くかと」
「そうか、ありがとう。黒子」
「千家にお礼を言われる筋合いはありませんわ。私はねぇさまの――」
「わかったわかった。そう言うと思ったよ」
「それでじゃ。東方理子はこれで助かるとして、後は緑子の遺体じゃな。この病院の遺体安置室にも行かねばなるまい」
「そうですわね。緑子が修復者(リストーラル)である以上、遺体の回収は致しませんと……」
「遺体の回収!?ぼ、僕はちょっとパスかもしれない……はは……は……」
「うむ。黒子、千家とは後で落ち合うとして遺体安置室に入る方法を調べるかの」
「はい!ねぇさま!」

 理子の病室で有珠と黒子と別れ、僕は真弓のお見舞いに向かう。ロビーで一息つこうとジュースを買い、ソファに腰掛ける。

「おや?よくお会いしますなぁ、千家さん」
「え?あぁ……片桐刑事さん。おはようございます。今日はどうされたのですか?」
「また奇妙な事件が起きましてね。遺体安置室の……と、あなたに話す事では無いですね。西奈真弓さんは順調に回復されているそうですよ。良かったですね」
「はは、僕は何もしてないので真弓の回復力ですかね!」
「僕は……ですか?そうですねぇ、人知を超える何かが作用しているのかもしれませんねぇ。おっと、院長を待たせているのでこれで失礼しますよ――」
「はい、また――」

 片桐刑事はそう言うと行ってしまった。何かに勘づいてる?様な事を口走ったが、誘導尋問かもしれないのでそれ以上は詮索するのをやめた。

 真弓の病室を訪ねると、真弓は昨日と変わらず笑顔で迎えてくれた。もう真弓をこの事件に巻き込ませたくない、と強く思う。その為には早くこの事件を解決しなければならない。しばらく真弓と話をした後、病室を後にしロビーへと向かう。

 一刻も早く白子を捕まえたい。しかし捕まえてどうするんだろう?前に有珠が言っていた麻雀協会みたいな名前の所に送り返すんだろうか。そもそも有珠達はいつまでこっちの世界にいられるのだろう――。
 ロビーに戻ると、有珠と黒子と夢夢が待っていた。深刻そうな顔をして話をしている。

「どうしたんだ、3人共」
「あぁ、千家か……。黒子、猿渡よ。一旦戻るぞ……」
「はい……ねぇさま……」
「はい……」

――猿渡の屋敷。

 一旦猿渡の屋敷に戻る。途中で夢夢は買い出しをして帰ると言うので別行動となった。

「実はな……」
「どうしたんだ?病院で何かあったのか?」
「うむ。東方理子の件はこれで落ち着いたのじゃが、柳川緑子がな……」
「遺体安置室にあるって言ってたやつだな」
「……無くなっていたのよ。頭部だけが……」
「!!?」
「昨日、白子はリュックを背負っておったのぉ……たぶんあれじゃ」
「白子は何をする気なんだ……?そもそも頭部だけ……切ったのか……うぅっ!」
「千家、吐くならトイレで吐きなさい。ねぇさまの前で失礼です」
「す、すまん……ちょっとトイレに……」

 トイレから戻ると、夢夢が帰ってきてお茶を煎れてくれる。

「夢夢、ありがとう」
「いえ、大丈夫ですか」
「あぁ、落ち着いた……有珠すまない。続きを頼む」
「……ここからが本題じゃ。千家よ、以前屋上でわしが言った事を覚えておるか?」
「屋上……あぁ、歴史上の自然災害は人知ではどうする事も出来ない。同じ歴史は繰り返される、だったか」
「そうじゃ。わしら修復者(リストーラル)は歴史の壁の修復を任されておる。未来で起こり得る歴史に変化が生じる場合は元の状態に戻さねばならん」
「それと緑子が関係するのか?」
「千家……人柱と言う言葉をご存知で?」
「人柱?昔話のやつだろ。災害や不況の時に人間の命を神に捧げるとか言う……」
「そうじゃ。白子はあろうことか、緑子……修復者(リストーラル)を人柱にし、すでに遺体安置室で呪術を行った形跡があったのじゃ」
「でも人柱と言う事は災害が止まるとか、不況じゃなくなるとか、良い事じゃないのか?」
「はぁ……逆じゃよ。目の前の小さい災害を止めると言う事は、その先の災害の規模を大きくすると言う事じゃ」
「なっ!その先で調整されてしまうのか!」
「ようやく理解できたようじゃな。もし白子が近い将来起きるであろう災害に、その日までに起きるはずであった災害をさらに重ねたら……」
「ねぇさま……この国……日本が消滅しますわね……」
「そうじゃな。かなりの数の人間が死ぬことになる」
「そんな……」

 台所に沈黙が訪れる。裸電球が点滅し、水道の蛇口から流し台に落ちる水の音が響く。
 各々が情報は共有出来た。しかし、何をどうすればいいのか。白子をどうやって説得するのか。頭の中はいっぱいだった……。

――2010年9月9日木曜日。

 猿渡の屋敷は朝から賑やかだった。僕は皆の隙間をかいくぐり、学校へと向かう。

「いってきまぁ――」
「お嬢様!わしらは病院の警護で――!」
「お嬢様!では千家様の用心は私めが――!」
「お嬢様!白子の捜索隊の準備が――!」
「えぇぇい!!やかましい!!猿渡よ!何とかせい!」
「はっ!有珠様!申し訳ありません!じぃ!少し静かにせぬかっ!!」

 猿渡夢夢の里に応援を求めた所……「有珠様の命令とあらば行かぬ訳には!」という村人が押し寄せた。総勢50名はいるだろうか。10名程が病院の警護、10名程が僕達の用心棒、そして残りの30名が柏木白子の捜索隊として出発した。

………
……


「ふぅ……疲れたでござる」
「夢夢、お疲れ様。はい、バナナジュース」
「千家様、恩に着るでござる」

 学校の屋上でお昼ご飯を食べながら、猿渡夢夢と話をしていた。僕には猿渡夢夢と部下2名が付いている。有珠達も同じく猿渡家の者が用心棒として付き添う。

「今日は学校帰りに病院に行くのと、ちょっと調べて欲しい事があるんだ」
「はい、何なりと」
「うん、2年生に転入生がいるんだけど……名字が『山羊(やぎ)』なんだ。珍しい名字だからたぶん看護師のメリーの子供なんじゃないかと思ってる。それと職員室にある鈴のキーホルダー。これもメリーが持っていた。今回の事件に関係しているのかはわからないが、何かひっかかると言うか……」
「わかりました。有珠様には報告せず、千家様に報告したのでよろしいのですね?」
「話が早くて助かる。頼むよ」
「はっ!午後から調査しておきます。もう少ししたら部下の凛子(りんご)美甘(みかん)も来ますので――」
「ありがとう」
「ところで千家様。昨日、こんな写真が出回ってるとお聞きしましてどうしようかと悩みましたが一応ご報告をしておきます」
「写真?」
「はい。写メールとやらで生徒の間で回ってまして、千家様が写っておったので入手致しました」
「入手って……どうやっ――え?」

 夢夢の持つ携帯の画面には、僕と抱き合う女の子が写っている。一瞬頭がパニックになる。相手は北谷美緒だ。

「いや、これは合成写真だ。病院で美緒と抱き合った記憶はある。確か真弓の手術の時に待合室で……」
「しかし背景がホ、ホ、ホ、ホテルの前かと!!」
「だから背景が合成写真なんだ。参ったな、いったい誰がこんな嫌がらせを……」

 しかしこれで終わらなかった。昼食を終え教室に戻ると美緒が泣いている。

「春彦……!良雄が……!良雄が!」
「良雄がどうしっ――!?」
「春彦っ!!お前っ!!」
「えっ!?」

ガッシャーン!!

 それは急な展開すぎて僕自身にも何が起きているのかわからなかった。
 良雄が僕を殴り飛ばしたのだ。机や椅子をなぎ倒し僕は床に倒れ込む。

「千家様っ!」

 夢夢がどこからともなく現れてすかさず良雄の首を掴み、あろうことか良雄を体ごと持ち上げる。

「がはっ!!」
「きゃぁぁぁぁ!!」

教室に女生徒の悲鳴が響く。

「貴様……下郎の分際で千家様に手を上げるとは……殺すっ!!」

夢夢が腰に帯刀していた剣を引き抜こうとする。

「夢夢!やめろ!もういい!」
「千家様!しかし……!」
「命令だ!下がれ!」
「は……はい……」

生徒の悲鳴はいつしか不審者を見つけた声へと変わる。

「誰かっ!!先生を!!」
「不審者だ!」
「夢夢、逃げろ!」
「しかし!」
「僕は大丈夫だ!」
「わ、わかりました……御免!」

 夢夢は窓を開け、そのまま飛び降りる。校舎の三階から――

「きゃぁぁぁ!飛び降りた!」
「救急車を!」

 夢夢はこれで大丈夫だろう。怪我などしないはずだ。しかし驚いた。あの細い腕で100キロ近くある良雄の体を片手で持ち上げるなんて……猿渡一族の力に正直、恐怖すら感じる。

「春彦、大丈夫?」
「あぁ……」

美緒が駆けつけ起こしてくれる。

「良雄の馬鹿!!あんた何て事をするの!!あの写真は作り物だって言ってるじゃない!!」
「ぐっ……ごほごほ……」

首にアザが出来た良雄は座ったまま答える。

「浮気だ……あれは浮気現場の……ごほ」
「もういい!マジ良雄最低!――春彦、保健室行こ!」
「あぁ……」

 座ったまま床を向き、何か言いたそうな良雄を残し保健室へと向かう。

「どうしてこんな事になったんだ?」
「あの写真よ……クラスの女子グループに『no name』で投稿されて……最低。春彦も真弓に早く言った方がいいよ、たぶん見てるはず」
「あちゃ……それは最悪だ。せっかく仲直り出来たのに……」
「それより、良雄よ!あいつ!私が浮気なんてするはずないのに……馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……!」
「ちゃんと話そう。あの時は僕だって誰かに寄り添いたかったのは本当だ……」
「そだね。馬鹿良雄にも言って聞かせないと」

 保健室で殴られた痕に薬を塗ってもらう間、窓の外から夢夢が様子を伺っていた。あの強さだ、心配はしてないが大丈夫そうで安心はした。
 放課後、不審者騒動で職員室に呼ばれたが知らぬ存ぜぬで押し通す。そこのとこは有珠達に任せよう。しかし有珠達は2学期になってからほとんど学校には来ていない。いつもどうやって休んでいるんだろう……そんなどうでも良い事を考えながら病院へと向かう。

――県立中央病院510号室。

コンコン!

「真弓、調子はどうだ――」
「春彦君……?帰って……」
「はぁ、やっぱり。写真を見たんだろ?あれは合成写真――」
「帰って!!不潔!」
「あ、いや……はぁ……わかったよ。またな」
「あっ……ばか……」

 予想通り、真弓にも写真を見られしばらく時間を置くことにした。病院の警戒も猿渡一族が面倒を見てくれている。しばらくは大丈夫だろう。
 僕はロビーでジュースを買い、いつもの中庭のベンチで一息付く。夕方になるとまた病院のロビーは混み始めていた。
 ジュースを飲み終わったら帰ろうと思っていた矢先、いつもの刑事がタイミング良く現れる。

「やぁ、千家君。ご機嫌よう」
「片桐刑事……こんにちは。僕が来るのを見張っています?」
「はははっ!そんな事はないよ。隣、いいかな?」
「はい」

 片桐刑事は煙草に火を点ける。それを見て思い出す。まだこの頃は屋内でも煙草が吸えたんだな……と。少しだけ干渉に浸る。

「千家君。君に聞きたい事があってね」
「はい。わかる範囲でしたら――」
「……南小夜子君の事故、西奈真弓君の事故、歩道橋での飛び降り自殺未遂、それから柏木白子君の……」
「柏木白子君の?」
「あぁ、先日ここで私に会ったのを覚えているかね?」
「はい、院長先生に呼ばれたとか――」
「そうその日。厳密にはその前日なのだが、柏木白子君の頭部が無くなっていたのだよ」
「えぇぇ!」
「しっ!千家君、声が大きい!」
「すいません……」

 それは柳川緑子で、本当の柏木白子が逃げてるのですよ。と言いたいが知らないフリをする。

「そこで君に聞きたいのだよ。どういうわけか夢希望高校の生徒を中心にこの1ヶ月、事故が起きている。解決出来ていれば特に気にならないのだが、妙な事に全て未解決。君が教えてくれた柏木望の逮捕以外、何の進展もないのだよ」
「そうなんですね、それは偶然が重なってますね」

言葉少なく片桐刑事に返答をする。

「なぁ、千家君。教えてくれないか。君が犯人だとは思っていない。しかし、全く無関係だとも思えない」
「え?」
「千家君……君は何者なんだ?」

 ドキッ!と心臓が動いた気がした。まるで本当の僕を探すように、目を直視してくる片桐刑事。言えるわけがない。未来から来たトラベラーだなんて。頭がおかしいと思われる。

「僕は……その……」
「はっはっはっ!冗談だよ。半分ね……さて、千家君。何か思い出したらまた連絡でもしてくれ。悪いようにはしないから、それでは失礼するよ」
「はい、お疲れ様でした」

軽く会釈をし、片桐刑事が中庭を出ていく。

「千家様、あやつは危ないですね。気を付けないと」
「うわっ!びっくりした!」

 夢夢が、僕の座ってるベンチの隙間からこっちを見ている。

「どこから見てるんだよ……びっくりした……」
「すみません……」

 この日は病院を後にすると、夢夢と買い出しをし屋敷へと無事に帰れたのだった。