――2010年9月1日(水曜日)
高校生活最後の2学期が始まった。体育館で校長先生の長い話を聞く。
「――ですので柏木先生は一身上の都合にてしばらく……」
一身上の都合ではなく、自業自得だ。と僕は心の中でツッコむ。生徒の列の中に小夜子と真弓の姿はない。
1週間前、真弓は2回目の手術も無事に終わった。数日はまだ集中治療室だったが、今は個室へと移っている。真弓の足は……やはり動かなかった。そして涙をこらえる彼女の顔を思い出す。
僕は8月の終わりに退院した。久し振りに家に帰ると有珠と黒子が本当に居候していたらしい。住んでいた痕跡はあるが、白子を探しているのだろうか?家にはいなかった。その為、退院してからはまだ会ってはいない。
そんな事を考えていると、あっという間に始業式は終わっていた。
始業式の終わり、帰り支度をしていると良雄と美緒が話しかけてきた。
「春彦、元気になったみたいだな!」
「良雄、迷惑かけたな。ありがとう」
「え?俺は何もっ――」
美緒が良雄の脇を肘で突く。
「ちょっと、真弓は春彦のお嫁さんになるらしいから、代わりにお礼言ってんのよ!気付きなさい!」
「あぁ、そういう事か。春彦気にするな。当たり前だ」
親指を立てて、グッジョブする良雄。
「いつからそんな話になったんだよ!僕は真弓とはそういう関係じゃ――」
「照れちゃってこのこのぉ!真弓の事は春彦に任せた!よし!ちゅーことで良雄帰ろう!」
「そうだな、春彦。病院行くんだろ?真弓ちゃんによろしく!じゃあな!」
「おう、また明日」
何だかんだ言って、この2人が真っ先に救急車を呼んでくれたんだ。頭が下がる。
2人の後を追う様に教室を出る。教室を出た所で担任の霧川先生が声をかけてきた。
「千家、職員室までちょっといいか?」
「はい、霧川先生」
霧川先生は超が付くほどの美人な先生だ。モデルでも通用しそうなその美貌は学校中の男子生徒の憧れであり、男性教諭達もメロメロだった。先生の後ろを付いて歩くと甘い香水の良い香りがする。
「千家、夏休みの宿題の件だが……」
「はい、どうなりましたか?」
職員室に着くと、霧川先生は自分の席に座り『千家春彦』と書かれたパソコンのファイルを開いた。
「宿題のほとんどが提出出来ない件についてだが、腕の怪我を考えて補習とする事とした」
「補習ですか?」
「そうだ。2学期の間に合計14時間の補習を行う。毎日1時間として約2週間だな」
「2週間……ひえぇぇ……」
「おいおい、これでも短くしたんだ。感謝しろよ。教頭がうるさくてな……ぶつぶつ」
「はい……」
カチカチ……
霧川先生はパソコン上で補習の予定を入れていく。机の上にあるのは家族写真だろうか?小学生くらいの男の子と撮った写真がある。
写真を眺めていると隣の空席が目に入る。隣は確か柏木先生の席だったな。と、上段の引き出しの鍵に目が止まった。なぜか見たことある鈴の付いたキーホルダーが鍵にぶら下がっている。
「あのキーホルダーどこかで……」
「おい、千家。出来たぞ。そこのプリンターから取ってくれ」
「は、はい!」
僕はプリンターから出てくる用紙を受け取り、説明を聞き職員室を後にする。
「失礼します――」
「あぁ、気を付けて帰れよ」
その足で、まだ暑い日差しの中を自転車で中央病院へと向かう。
………
……
…
午後14時。真弓の病室に入ると、真弓は横になって外を眺めていた。エアコンで管理された病室は眠気を誘うちょうど良い温度だ。
「真弓……起きてるのか?」
「………」
真弓は不安とあの事故の恐怖を思い出してか、時々無反応になり一点を見つめている。脊髄損傷と両足骨折……そして2度にわたる手術。
今、奇跡的に生きている事だけでも感謝しなければならない。
「真弓……黒子の秘薬を持って来たんだ。怖いかもしれないけど、僕もこれで早く治ったんだ。飲めないか?」
「……」
返事は無い。僕が部屋に来た事すら目に入ってないのだろう。僕は意を決し、目薬ほどの大きさの瓶の口を空ける。
そして真弓の口に瓶を近づける。
「や、やめてっ!」
「あぶなっ――!」
無意識なのか、真弓は腕を振るい僕を跳ねのけた。瓶の中身はギリギリこぼれず、何とか助かった。
実は今までも何度か飲ませようとしているのだが、結果飲ませれていない。食事に混ぜてもいいかと黒子に聞いたのだが『No』と言っていた。直接口から飲用させた方が効果はあるらしい。
「真弓、ごめん!」
僕は小瓶の中身を口の中に含み、真弓の口へと運ぶ。抵抗する彼女。それでも一度抱きしめ、落ち着かせる。
「んんんん、んんん」
「春彦君?え?ちょっと――んんん!?」
真弓は最初、抵抗していたが次第に体の力が抜け、真弓の口と僕の口が繋がったと思うと秘薬は真弓の体内へと一気に流れ込む。少量ではある。飲み込んでくれたらいいのだが――
「ごほっ!ごほっ!」
「真弓、ごめん。どうしてもこの薬を飲んで欲しく――」
パチーン!!
平手打ちが飛んできた。ある程度、予想は出来ていた。キスをしたことないであろう真弓。片や、薬の事で頭がいっぱいの僕。当然、噛み合うわけもなく軽蔑される。
「春彦君は……女の子だったら誰でもいいの……?ごほっ!最低……!もう帰って!!」
「真弓!これには理由があって!」
「帰って!!」
「……くぅ。わ、わかった」
でもこれでいい。あとは秘薬を信じよう。少しでも足が動けば……もしかしたら……。
明らかに10年後とは違う未来になってしまった。これで真弓と夫婦になる事はないのかもしれない。
彼女が怒っている姿を見るのは初めてだった。後にも先にもない。後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。
………
……
…
――15時。
たった1時間ほどの間にすごく疲れた。どうやって家に帰ったかは覚えていない。病院の駐輪場で自転車に乗ったあたりから記憶があやふやだ。
「さすがに強引だったか……今度、謝ろう。ただいま……」
家には無事着いたが両親は共働きで夜までは帰らない。汗をかいたので先にシャワーを浴びようと、カバンをリビングに置き、お風呂場へ向かう。廊下を歩きながらカッターシャツを脱ぎ、ベルトを外す。
ガラガラガラ――
「は?」
「へ?」
脱衣所に見たことのある女の子がいる。哀れもない姿で体重計に乗っていた。そのまましばし時間は止まる。
「ギャァァァァァァァァァ!!!」
「ごめん!ごめん!ごめん!」
急いで脱衣所から出て、思い起こす。玄関に靴は……無かった。家には自分1人だと思った。帰って来てるとは思わなかった。
いくつもの言い訳を考えていると2階からものすごい勢いで誰かが降りてくる。
「ねぇさま!!大丈夫ですか!!ねぇさ……」
脱衣所の前の廊下で、半裸の僕と目が合い頭から足先まで舐めるように見渡される。
「黒子……!」
「千家っ!!貴様っ!!ねぇさまに何をしたぁぁ!!」
激昂する黒子。有珠は脱衣所から出てこない。服を着ているのだろうか。激昂する黒子を止めるのは有珠じゃなければ無理だ。
「あ、有珠!さっきのは不可抗力で!その黒子の目つきがやばいと言うか!ちょっと止めて……」
ブンッ!!
何かが目の前を横切った。
「ちょ、ちょっと待て……そんな物を振り回すな!!当たったら死ぬぞ!!」
「黙れ千家。私も見たことの無いねぇさまの……ねぇさまの……裸を見るなんて卑怯者めっ!!覚悟!!」
ブンッ!ブンッ!
狭い廊下で日本刀らしき刀を振り回す黒子。後退りしながらリビングへと逃げ込み、対抗出来そうな物を探す。
「ちょ!黒子!落ち着け!」
「問答無用!!」
真剣白刃取りなど器用な事は出来ない。僕は庭にあった金属バットが目に入り、急ぎ庭へと出る。
自分の家でまさか女の子に刀で襲われるなど考えもしなかった。
金属バットを構えて振り返ると黒子の姿が無い。
「あいつどこへ行きやがった……?」
耳を澄ますと室内から『シュゥゥ』という音が聞こえてくる。
「何の……音だ?」
「覚悟は良いか?千家……」
「黒子……!」
黒子の目の色が赤い。右手には刀を持っている。映画でも見ているのかと思えるシチュエーションだ。
『炎の精霊よ……今こそ……我に裁きの力を……この世の悪の源をすべて焼き払い……無に帰す……我は世界の修復者也……!!』
黒子が呪文のような言葉を語り始める。左手を上に上げポーズを取る。左手には何か持っている。
「黒子?まさかお前!魔法が使えるのっ――!?」
『くらえ!!我が極大魔法!!エクストラファイアーボール!!!!!』
カチッ――!
「え?ライター……!?」
『チュドォォォォォォォォォォン!!!!!』
それは一瞬だった。黒子が呪文を唱え終わると轟音と爆風と共に、炎が天高く舞い上がる!
屋根は吹き飛び家が燃えてゆく。その光景を見た僕は腰を抜かし地面に這いつくばる事しか出来ない。
「があ……あぁが……ぐ……」
言葉にならない声が口から漏れる。目の前で家が燃えていく。黒子の逆鱗に触れた結末だ。
有珠はどうなった?逃げれただろうか?
――真弓には引っ叩かれ、家は燃え、最悪な1日になった。
呆然とする僕の目の前で高笑いする黒子はまるで悪魔の様だった。
「アッハッハッハッハッハッハ……!!」