――2010年8月22日(日曜日)

 修復者(リストーラル)の中和有珠と発音黒子に会ってから1週間が経った。
 真弓の2度目の手術の日。

「真弓、頑張れ。大丈夫だから」
「春彦君……うん、ありがとう」

 病室から手術室に運ばれる真弓に声をかける。以前より元気にはなったが、まだ声に元気はない。それはそうだろう。両足が動かないのだから……。
 僕はと言えば、昨日レントゲンを撮ってもらって驚いた。

「千家さん……骨治ってますね……。ちょっと君、前のレントゲン出して。驚いたな。2週間で完治してる」
「え?治ったんですか?」
「あぁ、今日はギブスを外そう。明日からリハビリをして来週末には退院出来そうだ」
「ありがとうございます!」
「うん……どういう事だ?2週間だよな?君、ちょっとこのレントゲンを――あ、千家君はもう病室に戻って大丈夫だよ。お大事に」

 原因はあの薬しかないだろう。発音黒子にもらった修復力を高めるという薬……。1週間前の夜に服用したのだ。匂いも苦みもなく、目薬サイズの飲み薬だった。体に特段変化も無かった。だけど、医者が驚く回復力だったみたいだ。
 あの薬を真弓に飲ませれないだろうか……。今は集中治療室で何も渡せないが……。
 1人ギブスの外れて軽くなった腕で、腕組みなどをしながら病室へと戻る。

「春彦!」
「ん?あぁ、理子。今日もお婆ちゃんのお見舞いか」
「うん!あっ!果物もらったんだ!一緒に食べようよ……て!ギブス外れたんだ。おめでとう!」
「あぁ、ありがとう。今日は何かご機嫌だな」
「そお?春彦に会えたからかな」
「え?」
「冗談よ、冗談!」
「立ち話も何だし僕の病室に行くか?」
「うん!」

 髪をくくりニコニコと笑う彼女を見ていると、こっちまで楽しい気分になってくる。

「あれから小夜子には会ってないんだけど、春彦は会った?」
「あぁ、一昨日かな。ロビーでばったりと」
「そう、彼女元気そうだった?」
「あぁ、もう少しで退院出来るそうだ。ただ……」
「ただ?」
「今回の一件でもう学校には行けないそうだ。本人の希望で2学期からは転校するって言ってた」
「そう……なんだ。そっか、そうだよね……」

 りんごを剝きながら、理子は寂しそうにうつむく。その後の小夜子との会話は理子には言えなかった。

………
……


「あの時の返事は……」
「小夜子ごめん。僕は今は誰とも付き合う資格なんて無いんだ。進学も就職も決まってない。3年生の大事な時期に……」
「……そっか……。うん、わかった。そういう事にしとく。助けてくれてありがとうね。色々聞いたけど、柏木と一緒にならなくて、彼の為に死ななくて良かったと思える。春彦君のお陰だよ。またいつか……元気になったら会いましょう」
「あぁ、小夜子も元気でな」
「うん、ありがとう。春彦君」

 そう言ってロビーで別れた。たぶんここ数日中には退院するのだろう。
 小夜子の着信から始まったこの奇怪な人生。しかし小夜子も一生懸命生きていこうとしている。僕は僕で頑張らないといけない。もう戻れないのならこの世界で――。

「――ねぇ?春彦、聞いてる?ぼぅとして」
「え?あぁ、何でもない。ごめん」
「もう、そんな事じゃ彼女に嫌われちゃうよ!」
「ははは!そんな彼女はいないし、理子の彼氏になったらいつも怒られるな」
「……え。う、うん……そんな事ないけど……」
「え?」

理子は頬を赤く染め、うつむく。

「あ、ごめ……変な事言った」
「うぅん……大丈夫」

 理子がりんごを皿に取り分け、床頭台のテーブルに置いてくれた。
 静かになった病室にセミの声が聞こえる。日に日にセミの声も少なくなっていき、もうすぐ8月も終わりそうだ。

「あのね、春彦……」
「あっ!理子ごめん、真弓の手術の様子をそろそろ見に行かないと!」
「あっ……うん。わかった。私も帰るね。引き止めてごめん」
「いや、いいんだ。またな」

 理子と別れ、1階の手術室へと向かう。真弓の手術は始まったばかりだ。そんな事はわかっていたが理子との妙な雰囲気に耐えられなかった――のが本音だ。

「余計な事言ってしまったなぁ……次は気をつけよ」

 と、ロビーでジュースを買おうとすると、何やら自販機の下に手を突っ込んでる人がいる。

「あのぉ、大丈夫ですか?」
「うむ……小銭を落としてしまってのぉ……」
「あ、僕が取りましょう……か?て、有珠(アリス)?」
「ぬ?何だ。千家では無いか」
「ねぇさまぁ!!棒っきれありましたぁ!これで取りましょう!ついでにプリンも買ってきましたぁ!」

 有珠が自動販売機の下に手を伸ばし、黒子が廊下の向こうからモップを持って走ってくる。

「なんでやねん。棒探しに行ってプリン買うって……黒子もいたのか」
「千家!!き……貴様!ねぇさまのパンチラを見ようとしていたのか!!しねぇぇぇ!!」
「ちょ!!黒子!!待て!!早まるな!」
「問答無用!!」
「あっ……小銭、取れた」
「ちょ!待て!!モップを振り回したら危な――!」

バチンッ!
黒子が振り回したモップが、有珠のお尻にヒットする。

「ンギャアァァァ!!」
「あっ……」
「あっ……」
「おい……貴様ら、そこに座れ……!!」
「ね、ねぇさま!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「いや、僕は悪くない……」

 とばっちりでとんでもなく怒られた。有珠がお母ちゃんとダブって見えるほどに。
 ほとぼりが冷めると、ようやく会話が出来るようになる。

「で、二人は今日は何の用で来たの?」
「うむ、プリン……じゃなかった。黒子よ、例の物を」
「はっ!ねぇさま!少々お待ちを……ちゅるん」

プリンを飲み終わると黒子は一つの瓶を取り出した。

「千家よ、これをあの娘っ子に飲ませてやるがよい」
「これは?」
「黒子の秘薬『時の砂』じゃ」
「この前、僕にくれた秘薬……!?」
「それは私が命がけで作る神秘の薬ですの。全ての生命の修復力を加速させる秘薬……」
「まぁ、鼻くそじゃがな……ぷふぅ」
「ねぇさまっ!しぃぃぃ!」
「今、鼻くそって聞こえた気がす――」
「気のせいじゃ。忘れろ」
「いや、確かに鼻く――」
「千家、それを誰かに漏らしたら殺しますわよ」
「あぁわかった。これで真弓が良くなるのなら……でも僕は……黒子の鼻くそ飲んだんだ……」
「しかし治ったであろう?」
「……反論はしない。お礼も言う。でも……鼻く……うぅ」
「ねぇさま、こいつやっぱり殺しましょう」

 踏切事故で下半身不随になった真弓。しかし今回の事故は修復者(リストーラル)の柏木白子の仕業らしい。そして小夜子の代償はすでに、柏木雪菜の命が亡くなる事で成立している。真弓が命を削る必要は無かったのだ。

「無差別というわけでも無さそうだし、なぜ真弓は狙われたんだ?」
「わからぬ。本人に聞くのが手っ取り早いと思っての、白子を探させておるのじゃが……見つからぬ」
「ねぇさま、そう言えばお猿さんからの連絡はまだ?」
「そう言えば連絡がないのぉ……」
「そうですか。ねぇさまもプリン食べますか?美味しいですよ」
「おぬし、それ何個目じゃ……?」
「8個目ですわね。人間の体の90%はプリンで出来ているのですよ」
「それは黒子だけだよ……」
「なにをぉ!千家のくせに生意気な!」

 休日の薄暗いロビーの待合室でジュース片手に、手術終わりを待つ。予定時間は3時間。あと1時間程で終わる。手術が無事に終われば、秘薬を試してみよう。

「有珠。さっきから天井に誰か張り付いているけど友達か?」
「ぬ?」

 僕がジュースを飲んだ際に、天井に人影が見えた。あまり関わりたくないので見て見ぬふりをしていたのだが……。有珠と黒子が天井を見上げ名前を呼ぶ。

「猿渡!」
「お猿さん!」
「あぁ、あれがお猿さんなんだ」

シュタッ!と天井から華麗に降りるお猿さん。

「有珠様、ご報告に参上いたしたでござる」
「うむ、猿渡よ。ご苦労‥…して成果は?」
「はっ!現在、柏木(のぞむ)は留置所にて拘留中。妻、柏木雪菜(ゆきな)は自宅にて死亡――」
「白子は?」
「はっ!それが……娘の柏木白子(しろこ)ですが……」
「どうしたのじゃ?」
「……柏木白子、母親と共に自宅で死亡」
「何じゃと!?」
「自宅で2人の遺体を確認。ご報告は以上でござる!」
「……うむ。ご苦労じゃった。しかし――」
「ねぇさま……とんでもない事が起きていますわね」
「有珠、どういう事だ?白子は修復者(リストーラル)じゃなかったのか?」
「千家よ、貴様が入院してから接触した者を全員書き出せ。黒子よ、おぬしが見た雪菜は……」
「そうですわね……」

 有珠は黒子と2人で小難しい話をし始めた。僕は有珠の脇で待機しているお猿さんにジュースを買ってくる。

「猿渡さん?でしたかね。バナナジュースで良いですか」
「かたじけない。拙者、猿渡夢夢(さるわたりむむ)と申します。千家様、よろしくお願い致します」
「僕は千家春彦、よろしくね。有珠の部下?になるのかな」
「はっ!その昔……里を有珠様に救って頂きまして。以来、猿渡一族は有珠様の情報収集のお手伝いをさせて頂いておるのでござる」
「そうなんだ。有珠ってすごい子……え?有珠って何歳なの?」
「はて?私も存じあげませんが……確か曾祖母様の猿渡楓様の遺言と聞いておりますれば……」
「……有珠っていったい何者なんだよ」

 夢夢と話をしていると、有珠が神妙な顔でこっちを向く。

「千家よ。人目があれば貴様は襲われる事はないじゃろうが、西奈真弓には気を付けよ。もし今回、西奈真弓を狙った犯行じゃとしたらまた狙ってくるかもしれぬ。わしらは白子の足取りを追う。何かあれば猿渡を呼べ、こやつはどこにでも現れる」
「わかった。有珠、黒子、色々とありがとう」
「ふっ。千家の血筋に感謝するのだな。ではさらばじゃ!」

 そう言うと有珠と黒子はロビー横の廊下を歩いて行き、急患窓口で書類に名前を書いて病院から出ていく。思っていた去り方とはちょっと違った。

 ――僕は有珠達を見送ると、手術室の待合室へと向かった。