「真弓!!」

 『手術中』の赤いランプが消える。救急車が病院に着いてからすでに5時間が経過していた。
 唐突に赤ランプが消え、中から看護師が出てくる。

「西奈真弓さんのご家族様はいらっしゃいますか」

僕は車椅子から立ち上がり、声を上げそうになった。

「はい!」

 声を発したのは、隣に座っていた真弓の母だった。この時はまだ、ただの友人……僕は真弓の『ご家族』ではまだ無かった。

「先生からお話があります。診察室へどうぞ。ご案内します」
「わかりました。春彦君達……今日はありがとうね」
「おばさ……はい……」

 廊下では美緒が泣いている。僕の車椅子を小夜子が片付けに向かう。良雄は警察の現場検証の為、事故現場に戻って行った。

「ひっく……ひっく……真弓……どうして……ひっく」
「美緒……大丈夫‥…だから……」
「春……彦……!!」

 美緒を元気付けようと発した僕の声も震えていた。そして美緒が僕に抱きついてくる。決してやましい事はない。ただただ不安で2人で抱き合う。手術室の前には僕と美緒の2人しかいない、人目を気にする様な事はないはずだった――。

『ドォォン……ドォォン…』
『カシャ』

 先程から遠くで大気が震える音がし、窓が小刻みに揺れる。打ち上げ花火が上がっているのだ。

『ドォォン……ドォォン……』
「春彦君、病室に戻りましょ。あなたまで倒れたら大変だわ……」
「小夜子……」
「美緒さん。良雄君が迎えに来てるわ、今日は一旦帰りましょ」
「うん……わかった。春彦、また……ね」
「あぁ、またな」

 まるで別れを惜しむ恋人の様にすっと美緒は離れる。小夜子は僕の横に立ち、手を腰に回す。

「さ、春彦君。病室に行きましょ……」
「小夜子、ありがとう」

小夜子に体を預けながら僕は病室へと戻った。

『ドォォン……ドォォン……』

 病室からは花火が小さく見える。真弓が指差したビルの上に打ち上げ花火が開く。
 ベッドに腰掛け、隣には小夜子が座る。

「小さいけど……綺麗ね。お花が咲いているよう……」
「……」
「彼女は大丈夫よ。もし亡くなっていたら、あの場でお母さんは手術室に呼ばれるはずよ。診察室に呼ばれたと言うことは……命には別状はないと言う事だと思うわ」
「……そうかもしれないな。だけど彼女の家族じゃない事がこんなに重いとは思わなかったよ……」
「春彦君、何を言ってるの?元々家族じゃないわ、友達よ?」
「まぁ……そうなんだが……そうじゃないと言うか……」
「……ばか」
「え?」

 小夜子に抱きしめられ、そのままキスをする。相変わらず両腕の使えない僕は小夜子に身を預ける。
 そして小夜子の胸に顔を埋めた。顔が赤くなるのがわかる。女性の胸に触れるのは真弓以外では初めてかもしれない。

「春彦君は初めて?」
「え?」

 体に力が入らない。小夜子はゆっくりと僕の体をベッドに横にする。

「……小夜子、ごめん。今は……」
「そっか。そうだね……私こそごめん……」

 そう言うと小夜子がまた僕にキスをし、ベッドから立ち上がる。

「ゆっくり休んでね、おやすみなさい」
「ありがとう、おやすみ」

 窓の外の花火の音を聞きながら目をつむる。真弓はどうなったんだろう。親が付いているから僕には何も出来ないのだろうか……。
 明日の朝、もう一度見に行こう。
 でも……どうしてこうなった?小夜子を助けたから?真弓が犠牲になった?
 自問自答を繰り返す。答えは出ないのに。そのままいつの間にか深い眠りについていた。

………
……


「手を!!手を伸ばせ!!もう少し!」
「もう駄目……私の事はもういいから……春彦君だけでも……お願い――」
「うるさい!!もう少し――!!」
「うぅ……!!」

 彼女はもう助からない。そんな気はした。それでも僕は必死で手を伸ばしている。
 それは罪滅ぼしなのか、自己満足なのか……そして彼女は最後に笑って言った。

「ありがとう」

と。


……
………

「また夢……」

 朝、目が覚めると涙が溢れていた。つい先日も目覚めて泣いていた。僕の体はどうにかなってしまったのだろうか……。
 タオルを濡らし、顔を拭う。朝食を食べれる気がせず、パンをひとかじりほどで薬を飲む。
 9時になり、看護師に入浴を手伝ってもらう。
 真弓の事が気になり、すべて上の空で時間が進んでいく。時計が11時を示すまでが長かった。
 11時になると面会が可能になる。女性の入院患者は5階、だが集中治療室にいる真弓に会えるかはわからない。

『お知らせします。10時になりました。定期診察を始めて下さい。繰り返します――』

 院内放送が流れ、検温、血圧、先生の診察が回ってくる。

「千家さん、順調に回復していますね。これなら早めにギブスが外せるかもしれませんね。無理はしないで下さい」
「はい…‥。先生!あの……真弓……昨日運ばれて来た西奈真弓さん具合は……?」
「あぁ、昨日の手術の女の子ですか――残念ながら……」
「え……?」

目の前が真っ暗になる。

「先生、言い方に気をつけて下さい!千家さん!彼女は無事ですよ。手術も成功しました」
「え……?え?」
「ほら、先生がまぎらわしい言い方されるから――」
「いや、すまん。手術は成功したんだが、彼女は……すぐには歩けないかもしれない。君の彼女なのか?」
「はい……いえ、今はまだ……」
「相当なショックだと思う。彼女なら支えてやってくれ。今は何も考えられないかもしれないが」
「先生、次の患者さんの準備出来ました」
「あぁ、じゃ君もちゃんと治してね。お大事に」
「……あ……ありがとうございました……」

 真弓が……歩けない?生きているだけでも喜ぶべきなのか……?でも真弓は看護師を目指して勉強して、頑張ってきたのに。

「僕が小夜子を助けたから……」

 涙がまた頬を流れる。自分の目で確かめよう。そうしないと気持ちの整理がつかない。
 僕はナースステーションで事情を説明し、面会の連絡を入れてもらう。
 集中治療室の前室で保護帽をかぶり、マスクをし、前掛けを付けられた。
 ベッドには呼吸器を付け、点滴を受けている真弓がいた。

「真弓……」
「春彦君、何かあったら合図してちょうだい。窓の向こう側にいるから――」
「はい、おばさん……ごめ……。いえ、ありがとうございます」

真弓の母は集中治療室から出ていく。

 「ごめんなさい」と言いかけて口を閉じる。謝ってしまったら、また未来を変えてしまう気がした。
 「僕が小夜子を救ったから真弓が犠牲になりました」とでも言うつもりなのか。謝るという選択肢は駄目だ。

「真弓……。わかるか?春彦だ」

 真弓の目がこちらを向き、手を伸ばしてくれた。僕は真弓の手を握り話しかける。
 真弓はうつろな目をし、視線は遠くを見ている。握った手には力はなく、しばらくしてから気付く。
 先生は『歩けない』と言った。どういう事なのだろうか。真弓の頭元にいる看護師に聞いてみる。

「彼女は元気になりますよね……?」
「そうですね、まだ確かではないですが。脳に損傷はありませんでした。ただ脊髄を損傷しており、下半身に障害が出る恐れはあると思われます」
「脊髄損傷……。そ……そうですか……」

 真弓の声が頭の中で聞こえる。それは10年後の世界でいつも聞いていた声だ。

「春彦君、おはよう」「春彦君、おやすみ」「ねぇねぇ、これ見て?」「まだ起きてるの?早く寝なさい」「春彦君、明日ね――」「春彦君、何食べたい?」「ねぇ、明日ケンタッターにしない?」「あはは!もう何言ってるの!」「春彦君!ちょっと待って!」「春彦君、私幸せ……」「春彦君!!」



「春彦君、大好きだよ!」



――僕の中で何かが音を立てて崩れた。

 頑張れば看護師にまだなれるかもしれない。ハンデはあるものの、きっと生きる道はあるはずだ。だけど、彼女が描く未来は大きく変わってしまった。夢を諦める選択肢もあるだろう。
 もし下半身不随になれば、ショックからは簡単に立ち直れないと思う。僕は彼女を支えていけるのだろうか。偽善ではなく、現実の生活の中で彼女を支えれるだろうか。

「真弓……!!」

 安心したのか、彼女は目を閉じてまた眠る。言葉に出来ない悲しみに襲われる。それは未来の彼女を知っているから……頭の中で比較してしまっているのだ。
 まだ今なら……僕にも選択肢はある。付き合ってもない。このまま友達として生きていく選択肢もあるんだ。

「そろそろお時間ですので、面会を終わります」
「……はい」

 看護師にうながされ、集中治療室を出る。廊下から見ていた真弓の母親と目が合い会釈をした。言葉には出せない……だけどマスクの下で、相手にはわからないだろう。

僕は一言だけ口にした。

「ごめんなさい……」

と。