日曜日の朝。僕は病室のカレンダーを見つめる。
――2010年8月15日(日曜日)
美緒がカレンダーに花火のマークを書いて帰っていた。今夜が花火大会か。ふと、真弓が指差したビルが目に入る。
13時には中和有珠が病院の入口で待っていると手紙をもらった。
日曜日は一般の面会は出来ない。そのためかいつもより静かな病院だ。朝食を済ませ看護婦の介護の元、お風呂に入れてもらう。
あと2週間くらいすればギブスも外せるそうだ。それからリハビリ次第で退院と言う事になる。
病室に戻ると時計は10時を少し過ぎていた。両腕が固定されていて何もする気にならない。本は読めるのだが、同じ体勢でいるのがきつかった。
「おはよう、春彦おる?」
「え?」
病室のドアが開き見覚えのない女の子が入ってくる。くくってる金髪の彼女を見て、一瞬理子かと思ったが雰囲気がいつもと全然違う。
「どうしたの?ジロジロ見て」
「え?どちら……様?」
「はぁ?理子だよ!」
「理子!?え?化粧してない……し、ピアスも無いし……え?」
「今日はお婆ちゃんの着替えを持って来ただけなんだ。ツケマもしてないし、髪くくってるから……」
「かわいいな……」
「えっ……」
「あっ……いや……何でもない」
「……ばか」
口から出た言葉は何と言うか、28歳の言葉だった。高校生の頃はこんなにストレートに自分の気持ちは言えなかった。
「ねぇ、春彦。あれから小夜子と話した?」
「あぁ、でも理子の話はしてないぞ」
「そう……そうだよね。私ね……」
理子は窓辺に腰掛ける。
「小夜子の事はちゃんと好きだった。でも今回の事で迷惑たくさんかけて……色々考えて諦める事にしたんだ」
「そっか。そうだな、理子はかわいいから男共がほっておかないさ」
「うん……今までも何度か告白されたり、ナンパされたりもしたけど……その……男の人怖くて誰とも付き合った事ないんだ」
「え……」
「意外でしょ?こんなナリしてるから軽く見られてもしょうがないんだけどね……」
「ごめんな。男の扱いに慣れてるというか、僕もそういう風に見えてたよ」
「えへへ……本性は見せたくないの」
そう笑う彼女は暑い夏が本当に良く似合う、素直で無邪気な女の子だった。
「春彦。私が……付き合って?て言ったら困る?」
「え!!それは……」
「ウ、ウソウソ!冗談よ、冗談!本気にするな!」
「あぁ、嘘か……」
「そう、ウソ!さて、帰ろうかな!また来ても良い?」
「もちろん。また来てくれ」
「……うん。アリガト」
そう言うと彼女は少しうつむいて行ってしまった。未来が変わっていく気がしてきた。こんなにモテた記憶はない。
昼食を済ませ、ナースステーションへ外出許可をお願いしに行く。外出といっても病院の敷地内だ。
すぐに許可が降り13時前に病院の入口に向かう。外は36度……ジリジリとした暑さが、慣れてない体に堪える。
病院の入口には日傘を差した女性がいた。僕は声をかける。
「あのぉ……中和有珠さんですか?」
「……来たか……千家春彦。ついて来い」
「は、はい……」
そう言うと彼女は病院の中へと入って行く。エレベーターに乗り、屋上のボタンを押す。
「屋上?中和さんどこへ……」
「……」
彼女は何かを警戒しているのか、緊張した面持ちで一言も話さない。エレベーターは7階を過ぎ屋上へと着いた。
屋上の日陰になっているベンチに腰掛ける。日陰だが暑い。背中に汗が流れる。
「単刀直入に言おう」
「うん?」
「貴様、タイムリープして来たのか」
「なぜそれを!!」
「やはりな」
「お前は……何者だ……?」
「中和有珠じゃ」
「いや、そうじゃなくて」
「時々……世界に時空の歪みが生じる。わしはそれを見つけ修復する者。修復者と呼ばれておる。ここ数年で何度か歪みが起きておるのだが、今回は貴様が狭間に落ちた様じゃ」
「そんな話を信じろと?」
「あぁ。一語一句な」
「なら聞くが、僕はどうやったら元の世界に――」
「戻れぬ。もう二度と」
「なっ!?なんだって!」
「タイムリープをした者はパラレルワールドに落とされる。貴様がここにいると言う事は、元々いた貴様が別の世界に飛ばされておる。つまり、貴様はここで生きて行くか……死ね」
「選択肢が2択しかないのかよ……参ったな……」
「貴様はすでに過ちを侵したのじゃ。南小夜子の命を救った事……それにより幾千もの人の人生は変わる。それは同時に小夜子の命の代わりがどこかで必要になると言う事――」
「言っている意味がわからない」
「そのうちわかる。心しておけ、それと――」
「――え。嘘だろ……?」
「本当じゃ」
「そんな……」
彼女は不敵な笑みを浮かべ、一瞬で消える。かと思いきや屋上から階段で降りて行った。
「エレベーター使わないんだな……」
僕は病室に戻り、有珠の言った言葉を書き留める。パラレルワールド……か。10年後の――つまり元の2020年の僕はもうすでにいないのかもしれない。生きてるのか死んでるのかもわからない。そして真弓も……。
ノートになぐり書きで書き込んでいく。僕が高校を卒業するまで残り半年。
「そんな話を急に言われても……」
ブゥブゥブゥ――。
「ん?誰だ?」
一通のメールが届く。
『春彦君急にメールしてごめん。今夜、もし良かったら花火一緒に見ませんか。真弓』
「真弓?」
『大丈夫だけど、どこで見れるの?夜は病院からは出られ……』
メールを打ちかけて削除する。彼女を巻き込みたくはない。今は距離を置くのが得策かもしれない。
『ごめん、ちょっと体調がすぐれなくて。退院したらまた遊ぼう。春彦』
しばらく待ったが、メールの返信は来なかった。体調が悪いと察してか、それとも他に宛てが出来たのか。
真弓とはこの世界でもまた夫婦になり、添い遂げたい。だが有珠の言う話が本当ならば、僕と真弓が接近するにはまだ早い。お互いが22歳……このタイミングで接近するのがベストだ。
今はそれより小夜子の代わりで亡くなる人がいるかもしれない……。
――陽が傾き始め直射日光がビルの間から差し込み、僕はブラインドを下げようと立ち上がる。その時ちょうど病院に入って行く救急車が見えた。
『ピーポーピーポー』
ブゥブゥブゥ――。
「着信?イヤホン……イヤホン……」
携帯電話を充電器から外したタイミングだった。両腕が曲げにくい為、携帯電話にイヤホンを挿す。着信の画面には『北谷美緒』の名前が表示されていた。
「もしもし?美緒か。花火のお誘いなら――」
「いあ…ぁ…ぁぁ……あぁ!いやぁぁぁ!!いやぁぁ!!」
電話口の美緒の様子がおかしい。電話の向こうで泣きじゃくる美緒のおえつと、踏切の警笛が聞こえる。
「もしもし!春彦か!俺だ!良雄だ!今からそっちに向かう!!真弓が――!!」
「え……」
頭が真っ白になる。と同時に有珠の言った言葉が頭に蘇る。
『貴様はすでに過ちを侵した。南小夜子の命を救った事……それにより幾千もの人の人生は変わる。それは同時に小夜子の命の代わりがどこかで必要になると言う事――』
「――もしもし!春彦!聞こえてるか!救急車がそっちにもうすぐ着くはずだ!春彦!聞こえて――」
『プツ――プゥープゥープゥー』
「さっきの救急車はまさかっ!?行かなきゃ……」
足が震える。真弓が僕にメールを送った後……返信が無くなった。もしかして……?
心臓の鼓動が早くなり、吐きそうになる。
コンコンッ!
「千家サン、ケンオンオンのお時間デス。ご機嫌いかがデス……千家サン?」
「看護師さん、さっきの救急車は……!」
「顔色が真っ青デス。チョット待ってクダサイ!看護師サン!看護師サァン!ダレカ――」
廊下に出る足がおぼつかない。立ち暗みがする。真弓の身に何かあった場合はどうなるんだ……10年後の真弓にも影響が出るのだろうか。しかしそれを知るすべは僕にはない。もし真弓の身に何かあったなら僕が助けないと――。
そこで意識が遠のいた。
………
……
…
夢を見ている。10年後の僕だ。酸素マスクと点滴をつけられ病室で眠っている。傍らで涙を流し泣く女性。
(僕は死んだのか?)
医者が来て女性と何やら話し込んでいる。女性は頷くと、書類にサインをする。
しばらくすると、医者と数人の看護師が僕の周りに整列する。そして全員が合掌した後……
――僕に繋がっている酸素マスクを外した。
…
……
………
目が覚めると病室の天井が見える。僕は涙を流しているのか?ほっぺたが濡れている。そして誰かが僕の手を握っている事に気付く。
「――彦君。春彦君」
名前を呼ばれ、顔を向ける。
「……小夜子?」
「良かった、気が付いたのね」
「どうして……」
「ちょうど廊下で看護師さんが春彦君を運ぶのが見えて……貧血ですって。大丈夫?」
「貧血……あっ!救急車は!!」
事情を説明し、起き上がるのを手伝ってもらう。小夜子がナースステーションで詳しい話を聞く。救急車で運ばれた人は1階の手術室に入ってるそうだ。
僕は車椅子に乗せてもらい、看護師の付き添いの元、手術室へと向かう。
日曜日の夕方、静かな廊下を車椅子のタイヤ音がやけに響く。
人違いだったらどんなにいいか。そんな思いさえした。しかし、目を疑う現実が待っていた……。