――2011年3月7日(月曜日)。

「早乙女、千家さんは何かしゃべったか?」
「片桐先輩、いえ。何もしゃべりません」
「そうか……M.M.Bの服用者を増やすわけにはいかん。ささいな事でも……何か手がかりが……」
「片桐刑事、中央病院からお電話です」
「あぁ……代わろう。もしもし……片桐です」

 M.M.B剤。それは新薬であり表立っては流通していない。国の機密機関にて試作段階であり、人の脳を支配する副作用を持つと言う。元は抗がん剤として開発されたが、その副作用の恐ろしさから開発はそこで止まっていた。
 誰かが情報を漏らし悪用しようとしている。片桐刑事は、この薬の出所を探していた。

――県立中央病院。

コンコンッ。

「失礼します。坂口院長、お邪魔しますよ」
「やぁ、片桐刑事。呼び出してすまなかった、掛けてくれ」
「はい。早乙女は廊下で見張りを頼む」
「はい、わかりました」

ソファに腰掛け、片桐刑事は部屋を見渡す。

「片桐刑事。先日頼まれていた新薬M.M.Bについてだが……」
「坂口院長、何かわかったんですか?」
「うむ。この中央病院は昔……戦時中に建てられた物だ。そして近年、上物だけを解体し地下はそのまま残してあった……」
「何の為ですか?耐震、耐震と言われる中、地下の空洞を残すのはお粗末な感じが否めません」
「そこじゃよ。新薬の開発を請け負ったのは前市長の可能性がある」
「なんですって!」

片桐は思わずソファから立ち上がる。

「考えても見なさい。国からの要請で新薬を独自に研究するとなると莫大なお金が動く。これを見なさい……」
「帳簿?西暦2000年……今から10年前か」
「左様。わしが院長になる前の話じゃ。院長は……」
「柏木……博美?顔が似ている……まさか……柏木望の……」
「あぁ、お宅の署で保護している柏木望の父親は中央病院の元院長じゃった」
「まさか……!?」

片桐の頭の中で、パズルのピースが動き出す。

「柏木博美元院長は今どこに?」
「もういないよ。わしが来てすぐじゃったかの。この病院で亡くなった」
「死因は?」
「脳梗塞じゃよ」
「……まさか、自身で新薬を……」
「可能性が無いとは言えぬ。しかし記録もそれ以上は残っておらん」
「なるほど。では柏木望を調べればもしかしたら何か知ってるかもしれないと?」
「うむ、それより彼の自宅はどうなのじゃ?自宅を調べれば……」
「先日、火災で消失しております……」
「何と……そうかそうか。証拠隠滅も……あぁ、わしが迂闊にそんな事を言う立場では無いな」
「坂口院長、助かります。それで新薬の分析結果はいかがでした?」

坂口は引き出しから、1枚の紙を片桐に渡す。

「どうもこうも……」
「すいません、勉強不足で。これは?」
「M.M.Bの成分表じゃよ、内容は……ただの風邪薬じゃったよ。脳への影響なども考えては見たが、まれに副作用で気分が悪くなる程度じゃろう」
「おかしい、そんなはずは……」

 しかし、風邪薬の成分表と見比べてもほとんど同じ成分だった。

「坂口院長、この分析表は預かっても?」
「あぁ、構わないよ」
「ありがとうございます。それでは今日はこの辺で」
「また進展があれば連絡するよ」
「失礼します」

………
……


「片桐先輩、いかがでしたか」

帰りの車の中で早乙女が聞いてくる。

「進展はあったが、振り出しに戻った感じだなぁ。M.M.Bは――」
「――そうなんですか。M.M.Bが風邪薬ですか」
「あぁ、成分表を見比べたが……さほど変わらない」
「妙ですね。あの薬を使用した者は柏木望の様に意味のわからない事を言う様になってるんですよね?」
「そうだな。しかしだ。千家さんの病室で同じ物が見つかったが彼は症状をきたしていない……」
「自分も彼の調書を取りましたが至って普通でしたね。薬をやっているとは思えませんでした」
「そうだよな。しかし彼は何か得体の知れない……そう、未来からでも来たような……いや、想像で物を言うのはやめておこう」
「ははは!未来人ですか。僕は好きですよ、そういう話は」
「おいおい、やめてくれ。未来人とか、お化けのせいにしたらすべて解決してしまう。私はオカルトは信じない性質(たち)なんでな」
「それもそうですね。未来人か……」
「変な事を考えるなよ。私は自分の目で見た物しか信じないぞ」
「はい、わかってます。片桐先輩、留置場に直接行きますか」
「そうだな。手続きをしてくれ」
「わかりました」

 ――2011年3月10日(木曜日)14時30分。

「千家さんの釈放が決まった。早乙女、手続きは済んでいるか」
「はい、片桐先輩。いつでも大丈夫です」
「よし、私が行こう。早乙女は車を回しておいてくれ。千家さんを送った足で病院へ向かう」
「わかりました、片桐先輩」
「ん……なんだ?今、揺れ――!?」
「片桐先輩!!地震です!」

グラグラグラ――

 地面の下から揺れる感じがし、しばらくじっとして様子を見る。

「震度5くらいか……やけに長いな」
「そうですね……おさまりましたね。今のうちに車を――」

 早乙女は駐車場へ、片桐は留置場へと向かう。
 ――そして14時46分。地鳴りが聞こえ、さらに大きな地震が発生する。

ゴゴゴゴゴ……!
――グラグラ
グラグラグラッ!!
ガッシャン!!ガッシャン!!

地震から数十秒後、留置場の火災報知器が鳴り響いた。

『ジリリリリリリリリッ!!』
「まずいな、地震の次は火災か――」

 片桐は留置場の管理室で警官と合流し保護室へと向かう。館内は停電し、足元の補助灯だけが頼りだ。
 保護室へ向かっていると銃声が聞こえる。同時に無線で現地の警官からの通達入る。

『ガガ……こちら留置場5階管理室、現在銃を所持した――』

片桐は現場の5階へと非常階段を駆け上る。

「あね様……大丈夫です。それより早くあの者を……」
「凛子!病院が先だ!掴まれ!」
「ちょいとお待ちなさい――」
「片桐刑事……!」
「千家さん、無事で良かった。遅くなって申し訳ない」
「片桐刑事!今はあんたの事情聴取を受けている暇はない!」
「わかっています。状況も先程、警官から聞きました。行きなさい。その子は私が責任を持って病院に連れて行きます」
「片桐刑事……。信じてもいいのか?」
「ご主人様……行って下さい……足手まといにはなりたくないです……」
「凛子……わかった。夢夢、行くぞ」
「はい、千家様。美甘、凛子を頼んだ」
「はひ!あね様!」
「そうそう千家さん。下に車を用意させてます。私の部下なのでご自由に――」
「……ありがとう、片桐刑事」

 5階は悲惨な有り様だった。保護室の入口は壊れ、窓は割れ、おまけに重要な証言者の柏木望が死亡、そして女性の物と思われる腕が落ちている。

「やれやれ……悲惨な有り様だな。おい、君。救急箱はあるか」
「はい!片桐刑事!」
「嬢ちゃん、腕を出しなさい」

 警官が管理室から救急箱を持ってくる。片桐は包帯をきつめに凛子の腕に巻いた。

「君、車の手配と中央病院へ連絡を――」
「はっ!片桐刑事!」
「オジサン、ありがとう。これで十分……行かなきゃ……」
「嬢ちゃん、どこへ行くんだ?病院なら連れて行くぞ」
「行かなきゃ……ご主人様を守るのが私の役目……」
「凛子が行くなら私も行くです!」
「行くよ、美甘……」
「おい、どこへ――」

 そう言うと、凛子と美甘は5階の割れた窓から飛び降りた!

「おいっ!ここは5階だぞ!誰か――って嘘だろ……」

 2人の女の子は地上に着地し、何も無かったかのように走って行く。

「おいおい……私はオカルトは信じないが……あれは人間なのか……?」
「片桐刑事!早乙女刑事から無線が入ってます!」
「あぁ……こちら片桐、どうぞ」
『ガガ……こちら早乙女。現在、東浜交差点に移動中。どうぞ』
「早乙女、そのまま出来る限りの事をしてやってくれ。それと片腕のいない女性を見かけたら連絡をくれ。どうぞ」
『ガガ……わかりました』

 片桐は念の為に東浜交差点に救急隊の派遣を要請した。

「さてさて……どうしたものか。君、防犯カメラの映像を見せてくれ」
「はいっ!」

 ――その後、津波が町を襲い捜査は一時中断される。早乙女は西奈真弓の母を連れ、無事に帰還した。数日後。

………
……


「片桐先輩!見つかったんですか!」
「あぁ……ようやくな。霧川小夜子が持っていたよ」
「例の片腕の女ですか!」
「そうだ。まぁ見つかった時は上半身と下半身も分かれていたがな」
「おぇぇ……バラバラ殺人じゃないですか……」
「あの津波に巻き込まれたんだろう。彼女のアパートから押収したパソコンで判明したんだ。そうだ、これから中央病院に行くんだが車を出してくれないか?」
「それが、昨日からまた調子悪くて修理待ちなんです。修理工場もいっぱいらしくてしばらくかかるかも……」
「そうか……たまには歩いて行くか。今やバスもタクシーもないんだ」
「そう……ですね。たまには良いかもしれないですね」

 2人は病院までの道のりを歩く。いつもなら徒歩で30分~40分と行った所だろうか。だが通行止めやガレキも多く有り、1時間程歩く事になった。
 普段見慣れた町は姿を変え、皆、片付けやゴミ出しに追われている。

「随分……変わりましたね」
「あぁ……この内地はさほどでもないが、川沿いや海沿いはひどいもんだよ」
「あの時、自分も車に乗ってなければ今頃は……。それにもっと助けられた命も……!」
「早乙女、君は1人の命を救ったんだ。それで十分だ」
「はい……」
「そうだ。霧川小夜子には1人息子がいてな。現在入院中なんだが、その後は児童福祉施設に入る事になる。手続きをしてやってくれないか」
「わかりました。自分も弟がいるので、気にはなっていたんです。霧川真昼君ですよね……」
「そうだ。そういえば君にも弟がいたな。もう大きくなったんだろ?」
「はい。今年卒業して就職が決まっていたんですが、この津波で……今は復興のボランティアをしていますよ」
「そうか、確か……」
「早乙女良雄です」
「そうだ、良雄君だったか。1度体験学習で本署に来ていたな」
「はい。一昨年でしたかね――」

 早乙女良介25歳。警察署勤務。この数年後に彼は自衛隊救護班の東方理子と出会い、結婚をするが今は彼女いない歴を更新中である。

………
……


「坂口院長、お邪魔しますよ」
「おぉ、片桐刑事。すまんな、こんな場所で」
「いえ、お構いなく」
「院長室も急患の患者用で使用中でな。病院は患者で溢れておる……で、今日はどうしたのかね?」
「ようやく見つけましたよ。本物のM.M.Bを」
「ほぅ。見せてくれ」
「はい、これが分析内容です。心と脳を操る(Mind.manipulate.brain)薬。それがM.M.B……しかしそんな薬は元々存在しない……」
「ん……どういう事かね?片桐刑事……」
「お気付きになりませんか……霧川小夜子と同じ研究所におられたそうですね。坂口主任研究員」
「……どこでそれを?」
「亡くなった霧川小夜子のパソコンですよ。あなたは元々国の新薬研究機関に努めていた。そして同じ研究所にいた霧川小夜子が偶然にも新薬の発見をする。それは歴史を変えてしまう代物であり、あなたの部下であった霧川小夜子の手柄にもなり得る……」
「……それで?」
「あなたは霧川小夜子に近付き、その成分を盗もうとした。いや、盗んだんですよ。風邪薬の成分をね」
「……なんだと?」
「あなたが盗んだのはただの風邪薬の成分。本物の新薬の成分は別にありましたよ」
「……なぜわかった?」
「霧川小夜子の日記です。それとあなたがこの病院に来た際に心臓の手術を受けている。あなたの子供と同じ様にね……遺伝と言うやつですかね」
「片桐刑事。物は相談だ。その新薬の成分をわしにくれないか。見せてくれるだけでもいい。そしたら君にも莫大な金を――」
「坂口院長。いや、坂口さん。金じゃないんですよ……。今回の震災で痛いほどわかりました。大事なのは生き残る力なんです。金じぁ、どうする事も出来ない事もあるんですよ……」
「くっそぉ!貴様!今まで協力してやっただろう!恩を仇で返しおって!許さんぞ!」
「何とでもおっしゃって下さい。ただね。霧川小夜子もお子さんも、必死で生きていましたよ」
「……!?」
「あなたは霧川小夜子を道具としてしか見ていなかったんじゃないですか?彼女はあなたと別れた後も教職員として働き、お子さんに心臓手術を受けさせている。ご存知でしょう?ここで手術を行っているのですから……」
「わしは!わしのこの新薬が出来れば……!」
「新薬の本当の名前はT.P.Pでしたかね……。坂口さん。過去は変えれないし、変えてもいけないんです。その新薬は失敗ですよ」
「貴様に何がわかる!貴様に……うぅ……」
「さぁ、行きましょう。あいにく私はオカルトは信じない性質(たち)なので――」

 最後まで言葉に出来ず坂口は泣き始めた。坂口はこの後、生涯をかけて償う事となる。

 ――新薬T.P.P。それは霧川小夜子の日記にこう記されていた。M.M.Bの開発途中で突然生まれた新しい成分。それを人工的に作ろうとする場合、継続的に人間の血液、脳脊髄液が必要となるだろう。今回の実験では治験男性K.Hを使用したが効果は無かった。新しい治験者が必要になる。柳川緑子に後日、治験者を探させる事にする。
 尚、この新薬が完成すれば時に歴史を変える事が出来るかもしれない。私の子供の心臓病も……。
 新薬の名前は……T.P.Pとする。時を追う者(Time.pursue.person)
 
―完―



 ――もし過去に戻れる薬があったらあなたはどうしますか。本当に未来が変わると思いますか。捻じ曲げた未来は必ず自分自身に返ってきます。過去に戻る事を考えるより、今を一生懸命生きる事も必要かもしれません。未来から見たら今も、過去なのですから……。

著・雑魚ぴぃ
2023.12.24

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。