――2011年3月10日(木曜日)15時30分。

『――南小夜子を死なせるな』

 有珠に言われた言葉を思い出した僕は胸騒ぎがし、事故現場であろう交差点へと向かった。
 東浜交差点では停電の影響であろう、信号が消えている。野次馬も出歩き、事故現場は人混みが出来ている。
 その間にも頻繁に地震が起こる。震度は3程度だろうか、揺れる度に身構えてしまう。
 救急車は到着はしているが、渋滞している交差点で身動きが取れないでいた。

「道を開けて下さい!救急車が通ります!」

 救急車からアナウンスが繰り返し流される。しかし前後左右が車で埋まり動かない。

「千家様!左方の路肩に倒れている人を確認!」
「夢夢、わかった。すいません!通ります!すいません!」
「何だ!お前は!邪魔だ!」

左方向へ行こうとするが野次馬でなかなか進めない。

「千家様、お任せ下さい――」

 夢夢が僕の前に立ち道を開けて行く。夢夢の力はおそらく車を持ち上げるくらいの力がある。人をどかすなど造作もない事だった。
 現場に着くと2人の人が倒れている。1人は子供。もう1人は子供の上に覆いかぶさるように倒れる女性。女性は頭から出血している。状況からして子供を守る為に飛び出した様だ。

「小夜子……!!」

 胸騒ぎが的中する。子供に覆いかぶさっているのは……南小夜子だった。

「小夜子!しっかりしろ!」

声をかけるが意識がない。

「千家様、これはかなり危ない状況なのでは……」
「有珠に言われたんだ……『南小夜子を死なせるな』と。ここで小夜子が死んでしまうと未来に何らかの支障が出てしまう!どうしたらいい……夢夢……!」

振り返ると、夢夢ではなく救急隊員の姿があった。

「君、交代しろ!」
「え?はい、お願いします……」

 夢夢は小夜子の足元にいる。救急車は車の渋滞で近付けなかったんじゃ――!?

「お前達……追いかけて来てくれたのか……?」
「ハァハァハァ……はひっ!ご主人様!」
「ハァハァハァ……ですっ!」

 腕が血まみれの女の子が肩で息をし、僕の目の前に立っている。そして、救急車が通れる程の道が出来ていた。
 立ち上がってみると、救急車の前後に停まっていた数十台の車がすべて横向きに起き上がっている。

「ご主人様は私達を地震の時、守ってくれた。だから頑張っ……た……」
「凛子……美甘……!!」
「凛子が行くって聞かなくて……美甘は止めたのですよ!」
「2人共……助かった!!」

 救急車に小夜子とフラフラになっている凛子を乗せる。銃で撃たれた凛子の腕は簡易的に包帯が巻いてあったが、包帯は赤く染まり、血が流れていた。

「凛子、無茶し過ぎです。帰ったら説教です」
「あね様ごめんなさい……」
「でも助かったわ、ありがとう。凛子、美甘」
「はひっ!あね様!」
「えへへ……」

 後方で待機していた救急車には、小夜子がかばっていた男の子を抱きかかえ救急隊員が乗り込む。
 前方の救急車に乗った小夜子の意識は戻らない。頭からの出血も多い。小夜子の手を握るが、徐々に冷たくなっていく感覚がある。
 小夜子をこのままほってはおけない……でも真弓の元へ早く行かなきゃならない!……どうしたらいい!!
 隊員が誘導し、後方の救急車が旋回を始めた。この救急車も早く出さないといけない。凛子と美甘も、小夜子を心配そうに見ている。

「君、救急車を出すけど彼女の知り合いなら乗って行くか?」
「うぅ……」
「千家様!早く決めないとどちらの未来も……!!」

 夢夢が僕の肩を掴む。その手には痛いくらいに力が入っている。夢夢も必死なのが伝わってきた。

「くっ……!……一緒に乗って行きま――」

その時、僕の手首にはめていた念珠が光った!!

「【生還の念珠】か!!そうだ!これを小夜子に!」

 僕は念珠を外し小夜子の手首に付けた。念珠はうっすら光っている様に見える。そして小夜子の指がわずかだが動いた!

「君、時間が――」
「行って下さい!小夜子をお願いします。美甘頼んだぞ!」
「はひっ!」

救急車は僕と夢夢を降ろし走り出す。

「良かったのですか、千家様」
「あぁ、有珠が言っていた究極の選択はこの事かもしれない。あの光った念珠に賭ける。夢夢、行こう。真弓が待ってる」
「はい!千家様――!」

『ゴゴゴゴゴ……』

 遠くからまた地鳴りが聞こえる。地震だ。東海浜医療専門学校を目指し、僕と夢夢は人混みを抜け走り出す。

――15時45分。

そしてついにその時がやって来る。

「おいっ!何か来るぞ!何だあれは!」

 通り過ぎた交差点で誰かが叫んだ。海の方に目をやると何か白い物が見える。

「夢夢、あれは何だ?」
「!!?」

僕が指差した方角を見て夢夢の顔色が変わる。

「千家様……あれが津波です!」
「なっ!!」

 それは徐々に近づいてくる白波だった。防波堤を越え、それは迫ってくる。
 目視では専門学校の建物が遠くには見えている。周囲には目立った高い建物はない。

「このままでは間に合わない……!!」

 一瞬足を止めそうになった時、目の前の普通車が視界に入る。津波警報で乗り捨てられた車だろうか。鍵をつけたまま窓が半分開いている。

「夢夢!!乗れ!」
「え!千家様!?」

 思い出せ!10年後の僕はきっと運転をしていたはずだ!考えるな!体で動かせ!

「ふぅぅ……」

 頭を空っぽにし、ハンドルに手をかけキーを回しエンジンを掛ける。
 クラッチを切り、ローギアに入れた所で……体が反応した!
 ローギアからクラッチを繋ぎ車を動かす。徐々にスピードを上げ、2速3速4速――

「いけるっ……!」

 時速はあっという間に90キロを超える。見る見る専門学校が近付いてきた。専門学校方面からの車と何台かすれ違う。津波が迫ってる事を伝えたいがそんなすべは無く、ただ見守る事しか出来ない。
 沿岸部が湾になっているのだろうか。後方にある先程の東浜交差点の方向から砂煙が見える。あれが津波なのか?
 僕はさらにアクセルを踏み込む。専門学校までは見通しの良い直線道路。

「夢夢、周りを見ていてくれ!!猿渡の目なら僕より見えるはずだ!」
「はいっ!前方交差点、障害物ありません!しかし……千家様、運転が出来たのですね……」

 時速は110キロを超えた。専門学校の手前で大きなカーブに差し掛かる。

「掴まってろ!!」
「は、はい!!」

 ブレーキを踏み込む。荷重が車の前方にかかり、ハンドルを切ると車の後部が横向きに滑り始める!

キュルキュルキュルキュル!!

「千家様!危ない!スピード出し過ぎです!!」
「いや!これでいい!」

 車は後輪を滑らせながらカーブを曲がっていく!ハンドルに伝わるタイヤの感触……ゆっくり流れる景色。まるでゲームの中の様な感覚だ。

「これはドリフト……!!まるでゲームをしてるかの様な……」

 一瞬、未来の記憶が垣間見えた様に思えたがすぐに消えた。

「ひぇぇぇぇぇ!!」
「大丈夫だ!行けるっ!」

キュルキュルキュルキュル!!

 カーブの出口が見え、車の速度を落としていく。目の前には専門学校の駐車場が見えてきた。

「よし!まだ津波は来ていない!」
「はぁはぁ……怖かったぁ……」

 車を正面入口に横付けした。入口はすでに鍵がかかっており中には入れなかった。急いで携帯から真弓に電話をする。ここに着くまでも何度か試したが――!

『おかけになった電話番号は現在電波の届かない――』
「くっ、くそっ!やっぱり電話が繋がらない!夢夢!」
「こっちも電話は誰にも繋がりません!」
「まさかさっきのすれ違った車に――」

その時、一瞬道路向かいのバス停に人影が見えた。

「……真弓?」

 神に祈る気持ちでバス停に向かう。そしてその人影がはっきりと見えた時、確信に変わる。そこには車椅子に乗った女性がいたのだ。

「真弓!!」
「春彦……君?どうしてここに?」
「話は後だ!津波が来てる!逃げるぞ!」
「え?え?津波?」
「夢夢!」
「東と西に砂煙が見えます。北はまだ大丈夫ですが、車では行けません!たぶん……あの建物の屋上に逃げるのが一番早いかと!」
「わかった!ドアを壊せるか!」
「御意!」
「真弓!背中に乗れ!」
「う、うん!」

夢夢は専門学校の入口を何度も蹴りつける!!

ガッシャン!!

 防犯ベルが鳴り響くがおかまい無しに中へと入る。夢夢が非常階段の扉を開け先導し、僕は真弓を背負い夢夢の後を追う。
 専門学校は4階建だった。屋上の扉を開け、夢夢が先に外へと出る。僕もそれに続き、要所要所の踊り場で休憩しながら屋上へと向かう。
 非常ベルの音に混じり『ゴォォォ!』という音が下から聞こえてくる。津波が入って来たのだろうか?
 校内は暗く足元の補助灯しか見えず、下の階がどうなっているのか確認も出来ない。

「はぁはぁはぁ……真弓……降ろすぞ……はぁはぁ……」

 屋上に着くと真弓を壁にもたれさせる。背中が軽くなり、無事に屋上まで来れた事に安堵した――

「千家様!!離れて下さい!!」
「え?」
「キャァァァァ!!」

すぐ後ろで悲鳴が聞こえた。

「え?真弓?」

 振り返ると、そこには真弓を抱えた霧川小夜子がいた……。