――2010年9月6日月曜日

 その日は長い一日だった。
 西奈真弓のお見舞いに行った。真弓の回復している様子を見て喜び、その反動もあったのだろう。
 一緒に病院にお見舞いに来ていた東方理子に、真弓の事が好きだという思いを伝えた。
 そしてそれは突然起こる。あろうことか、理子が歩道橋によじ登り……飛び降りた。理子を助けようと必死で手を伸ばし、手を掴んだ所までは良かった。
 ――のだが、体が反転し僕が真っ逆さまに落ちていく。理子は……歩道橋の手すりに立っている。

――死ぬ。

 脳内では走馬灯の様に今日起きた事が思い出される。僕は目をつむり、最後の時を待った。

ガタンガタンガタンッ!!

 歩道橋の下を電車が通過する。電車にはねられるか、地面に叩きつけられるか、どちらにしても死ぬほどの激痛だろう。真弓が電車にはねられた時の痛みは何事にも変えられない痛みだったのだろう……。

「うぅ……」

 背中が冷たい……冷たいが痛みはない。痛みなく死ねたのか?そんな馬鹿な……。そんな事を考えていると声が聞こえてくる。

「貴様っ!!」
「ちっ!邪魔が入ったか!」
「千家様!大丈夫ですか!」

 野次馬だろうか。ゆっくりと目を開ける。言い争う複数人の声が聞こえ、見たことのある人影がそこにはあった。

「有珠!黒子!夢夢!?」

 理子に日本刀で斬りかかる発音黒子。僕を守っている猿渡夢夢。そして出口で通せんぼする中和有珠。

「いったい……どういう状況なんだ……?」
「千家よ!詳しくは後で話す!今はこやつを!」
「有珠……」

 黒子が斬りかかり、理子はギリギリでかわす。かわしてはいるが、それは東方理子の……いや、到底人間の技ではないように思えた。空中で宙返りをしてみせ、片手でバク転をし映画さながらだった。

「春彦……私は……」
「しねぇぇい!!」
「待て!黒子!!」

 一瞬、躊躇した黒子の隙を突き、今度こそ歩道橋から飛び降りる理子。しかしその身のこなしは普段の理子のそれではなかった。

「ちっ!千家!!貴様!なぜ止めた!あやつが今回の事件の犯人だぞっ!」
「違う……あれは理子……」
「ふむ。とりあえず千家は助かったのじゃ。猿渡よ、ようやってくれた。今日の所は帰るぞ」

 理子は飛び降りた先の電車に乗り込む。貨物列車だろうか。あっという間に行ってしまった。

………
……


――19時。

 猿渡の屋敷に戻ると、夢夢がお茶を入れてくれる。一息ついてから僕は有珠に質問した。

「順番に説明してくれ……何がどうなったんだ……」
「うむ、今日は猿渡に貴様の尾行を頼んでおいたのじゃ」
「それで学校を出てから視線を感じていたのか……」
「さすが千家様です。私の尾行に気付いていたとは」
「あ、いや。夢夢とは気付かなったよ。何か見られてる気がしただけだ」
「千家様が病院から出て来られた際に、東方理子の異変に気付いたのです。病院に来た時と雰囲気がまるで別人でした」
「え?何も変わった様子は無かったけど……」
「いえ。殺気……の様な。明らかに雰囲気が違ってました」
「殺気……?僕は何も感じなかった……」
「……あれは東方理子に似せた柏木白子です」
「な、なんじゃと!!」
「なんだっ――え?有珠も知らなかったのか?」
「う、うむ……」
「こちらが、柏木白子の写真です」
「あぁ、それは前に見せてもらった。色白で金髪……で青目の……!!」
「こちらが、昨日の東方理子の写真です」
「に、似てる……!」
「そうなのです。日焼けしている上に化粧をしていて気付かなかったのですがおそらくあれが柏木白子です」
「柏木白子は母親と死んだのを確認したんじゃなかったのか!!」
「……はい。私の落ち度です。遺体がおそらく柳川緑子。白子と入れ替わっています」
「理子が柏木白子……」
「はい。そうなります」
「そんな……」
「だから言ったではないか!あそこでお前が止めねば斬れていたものを!」
「黒子!落ち着くのじゃ!千家を責めるでない!」
「うぅ……はい、ねぇさま」
「待て!じゃあ理子は!本当の理子はどこにいるんだ!」
「おそらく、病院に……」
「それってまさか……お婆ちゃんなのか?お婆ちゃんて言ってたが見たことはない……入院中なのが理子なのか……?」
「おっしゃる通りだと思われます」

 猿渡の推測によるとこうだ。まず、柏木望(父)が逮捕され、誹謗中傷が始まる。そして柏木雪菜(母)が自宅で自害。それを見つけた柏木白子(娘)は、同僚の柳川緑子を自宅へ呼ぶ。 
 この時、緑子がすでに東方理子になりすましていた可能性がある。父が逮捕されたのは南小夜子のせいだと思っていた白子は、南小夜子に肩入れする緑子と口論となり殺害。
 緑子に白子の格好をさせ、母娘共に誹謗中傷に耐えられず自害したことにする。
 その後、白子は緑子の容姿……つまり東方理子の格好をし生活。そこで春彦と出会う。春彦に心を奪われていく白子。だがここで、西奈真弓の存在が邪魔になる。
 白子は踏切内で西奈真弓を待つ。おそらく本人は柏木雪菜(母)の格好で線路内にいたと推測した。そして目の前で電車に引かれそうになった雪菜(母)を助けようと西奈真弓は線路に飛び込み、事故に合う。
 防犯カメラには雪菜(母)の姿は無い。死角を利用したのか、あるいは別の方法があったのか……。
 
 その後も白子は何食わぬ顔で、東方理子として生活。一方で東方理子本人は、元々入院していた可能性がある。柳川緑子がいつからなりすましていたかはわからない。が、死なぬように毒を盛る事は可能なのだそうだ。特に緑子は毒の扱いには慣れていた。

 そして今日、白子は春彦が手に入らぬとわかりいっそ殺してしまおうと考えた。自分が歩道橋の上に立ち、春彦が手を伸ばすタイミングで引っ張る。そうする事で白子と入れ替わるようにして春彦が落下する。もし誤って白子が落ちた所で、受け身を取りかすり傷程度だったのだろう。そのくらい白子は運動能力には秀でた人物だった。
 春彦が落ちるタイミングで尾行の限界を感じた猿渡夢夢が春彦を助ける。そこに事前に連絡をしていた有珠と黒子も駅に到着する。

ズズズ……とお茶をすする猿渡夢夢。

「パチパチパチパチ!」
「あっぱれじゃ!猿渡よ、褒美を使わす!」
「ははっ!有珠様!ありがたき幸せにござる!」
「ねぇさま!私にもご褒美ください!」
「事実かどうかはさておき、壮大な犯行計画だな……。大体の事はわかった。明日、病院に行って確かめるか」
「そうじゃの。東方理子の本人がどんな状況なのか、白子が今夜中に何か仕掛けてくるのか……黒子よ」
「はっ!ねぇさま!」
「病院で東方理子を見張って――」
「プリンを買ってくるのですね!わかりました!では!」

そう言うと、猛ダッシュで黒子は行ってしまう。

「あっ……。う、うむ……おてんばな子じゃ」
「有珠様、今夜は私が東方理子の調査と見張りをして参ります」
「猿渡よ、頼んだぞ」
「はっ!では御免!」

黒子の代わりに、夢夢が病院へと向かう。

「千家よ。貴様にも話しておこう」
「ん?何だ?」
「猿渡が見張りに行ってしまうと……」
「そうか。こっちに白子が襲撃してくる可能性があると言うのか!」
「晩御飯を作る者がおらん」
「ん?え?」
「え?白子がどうした?」
「あぁ、晩御飯な……。コンビニで買ってくるよ」
「すまぬな。わしは文無しなのじゃ」
「どうやって生きてんだよ……」

 僕は3人分の弁当を買いにコンビニに出かける。猿渡の屋敷から徒歩5分程の所にコンビニはある。

「しまったな、黒子がプリン買いに行くなら弁当も頼めば良かったな。何なら、この道でばったり会うんじゃないのか?て、そんなわけないか――」
「シュタタタタタタタッ!!」
「え?黒子――」

黒子はすごい速さですれ違い、見えなくなる。

「やっぱりそうなるか……うん。さて、弁当弁当」

 コンビニに向かって歩いていると、ふいに白子の言葉を思い出した。『アリガトウ』……と言った気がしたが、あれはどういう意味だったんだろう。
 そんな事を考えながら買い出しをし、屋敷へと帰った。