ロマランに到着すると俺たちはすぐにレオナルド国王と面会した。ジャビ帝国の動きに関して事前に一報を入れておいたにもかかわらず、レオナルド国王の表情に焦りの色は見られなかった。心底、楽観主義者のようだ。俺はレオナルド国王に言った。

「レオナルド国王、すでに周知のごとくジャビ帝国の大軍勢がロマランへ迫りつつあります。我がアルカナとしては、友好国である貴国に援軍を送るべきところですが、こちらも難しい状況にあります」

「承知しておりますぞ、エニマ国が戦争を始めたのでしょう。アルカナも大変ですな。ご心配なく。我々としては、前回ジャビ帝国が侵略してきた時と同様、おカネを差し出すことで戦争を回避したいと考えております。こうした事態に備えて、秘密の隠し場所に相当量の金貨を溜め込んでおりますからな」

「金貨で戦争を回避できるなら、それに越したことはございません。ですが、万一の場合に備えて、国王様の御一家がアルカナに逃れることもお考えください。我々がお導きいたしますので」

「それはありがたい。もし交渉が決裂した場合は、ぜひお願いします。我々の計画では、まず我が軍の主力部隊が南の国境にある砦に向かいます。そして、我が国の外交官が北上してきたジャビ帝国軍の将軍と面会する計画です」

「交渉が決裂した場合は?」

「もし交渉が決裂すれば、砦で戦いになるでしょう。戦いで時間を稼いでいる間に、我々は民衆とともにマリーを脱出して北方へ逃れます」

「交渉がうまく運ぶことをお祈りしております。ところで、我々は情報収集のためにしばらくマリーに滞在し、周辺地域で偵察をさせてただきたいのですが」

「もちろん結構ですよ。係の者に貴賓室をご案内させますので、マリーに滞在中は自由にお使いください」

 レオナルド国王にお礼を言って退室すると、使用人が貴賓室に案内してくれた。白く美しい廊下を通って入った室内は、南に大きなバルコニーのある明るい部屋で、豪華な調度品にあふれている。部屋のテーブルの上に置かれた陶器の大皿には、焼き芋が山盛りになっている。

「まあ、焼き芋ですわ」

 キャサリンは焼き芋を見つけると、さっそく手にとってソファーに座り食べ始めた。キャサリンは焼き芋を食べながら俺に言った。

「ジャビ帝国が攻めてくるという話を聞いて、マリーはきっと街中が大騒ぎになっていると思ってましたけど、普段とほとんど変わりがなくて拍子抜けしましたわ。みんな逃げ出さなくて良いのかしら」

「庶民の間には、まだジャビ帝国軍の話が伝わっていないんだろう。それに、ここから逃げたところで別の場所で生活できるとは限らない。だから本当に危険な状況にならない限り、簡単に逃げるわけにはいかないんだ」

「うううう、お兄様、み、水・・・」

 キャサリンは焼き芋を喉につまらせてもがいている。

 レイラは、バルコニーからマリー市街を眺めている。俺はレイラに向かって言った。

「我々の今回の目的は、ジャビ帝国軍の敵状を視察することでもある。レオナルド国王の話では、ロマランの南にある砦でジャビ帝国の将軍と交渉するらしい。あのあたりは確か巨大な岩がゴロゴロしている砂漠の山岳地帯だ。岩山の上からジャビ帝国軍を調査したい」

「承知いたしました陛下。野営の準備を整えて明日出発し、砦を見下ろす岩山でジャビ帝国軍の到着を待ちましょう」

「それと、レジスタンスの監視員がナンタルからジャビ帝国軍をずっと追跡して情報を集めているはずだ。彼らと接触して、情報を得たいと考えている。話によると、その監視員は少年だそうだ・・・」

「あら、たぶんアズハルのことね。頑張ってるじゃない」

 ルミアナは懐かしそうに笑顔を見せて言った。

ーーー

 ここは、ロマラン国の南の砦が見下ろせる岩山である。赤茶けた岩だらけの風景が一面に広がる。植物はほとんど生えていない。

 ここに到着してからすでに一週間以上になるが、まだ帝国軍の姿は見えない。進軍が思っていたよりもかなり遅い。俺たちは岩山の中腹にある洞窟にキャンプを張っていた。キャサリンも一緒に行くというので連れてきた。宮殿に置いてゆくと、今度はどんな騒ぎを引き起こすか、わかったものではないからだ。

 日が暮れたので食事を作ることにした。といっても、もう一週間も干し魚と干し野菜のスープ、それにビスケットである。食事がまずいとキャサリンが文句を言っている。俺は言った。

「仕方ないだろ、この世界にレトルト食品みたいな便利な物はないんだから・・・」

 しまった、つい、元の世界の話をしてしまった。

「お兄様、レトルトって、何の話ですの?」

「あ、レトルト食品って言うのは、俺が夢で見た異世界の保存食のことだ。何でもない」

「何よ、教えてくれてもいいじゃないの。面白そうですわ」

 サフィーが不思議そうに俺の顔をじっと見た。

「異世界? お主は異世界からの転生者なのか? 異世界から来た人間なのか?」

 キャサリンが頭(かぶり)を振った。

「それは違いますわ。お兄様は二年くらい前に何者かに毒を飲まされて、死にかけたことがあるの。そのときは五日間も意識がなくなって、生死の間を彷徨ったのですわ。そして意識を失っている間に、異世界の夢を見たらしいの。わたくしが思うに、たぶんそれは神様からの啓示だと思いますわ」

 俺は、はげしく頷いた。

「あははは、そうなんだ。私は意識を失っている間に、夢で異世界を体験したんだ」

 サフィーは相変わらず俺の顔を見ている。

「ふ~ん。われが聞いた話では、不思議な力によって、時々、異世界から人間や魔物が送られてくることがあるというのじゃ。じゃからアルフレッド殿も異世界から来たのかと・・・」

 キャサリンがまじまじと俺を見ながら言った。

「そうですわね、確かに生き返ってからは、以前のお兄様と違うところもあるのですわ。急に賢くなったり、魔法を使ったり。でも見た目は何も変わっていないし、あいかわらず女の人には、頭が上がらないのですわ」

 やかましいわ。そもそも俺の周りには、キャサリンをはじめとして強い女ばかりじゃないか・・・いや、そんなことはどうでもいい。俺は声を大にして言った。

「ええと、まあとにかく、私は意識を失っている間に、神の不思議な力によってこの世界よりも遥かに文明の進歩した異世界を見てきた。だからその異世界の知識を活用して、アルカナ王国を平和で豊かな国にしたいと考えているんだ」

 ルミアナがうらやましそうに言った。

「異世界ですか・・・今よりも遥かに文明の進んだ異世界なら、みんな幸せに生活しているのでしょうね」

「いや、そうでもない。確かにこの世界よりはマシだ。疫病で人がバタバタ死んだり、餓死する人が大勢いるわけじゃないからね。しかし文明が遥かに進歩した異世界であっても、貧しくて生活に苦しむ人は大勢いた。

 貴族のような暮らしを享受する人たちが居る一方で、十分に栄養のある食事が取れない子供も多かった。食料が不足していたわけではない。世の中には余って捨てられるほど食べ物はあるのに、きちんと人々に行き渡らないのだ。すべての人が幸福に暮らせる社会ではないよ」

 ルミアナは深くため息をつくと、大きな瞳で夜空を見上げて言った。

「どんなに文明が進歩しても、貧困に苦しむ人はいなくならないのね」

「ああそうだ。だが私は諦めない。この世界を、みんなが豊かで幸福な生活ができる社会にしたいと思っているんだ。死ぬまでに実現できるかどうか、わからないけれど。しかし、おそらく魔法を進化させて行けば、異世界と同じくらい高度な文明は実現できる。文明の利器とは、いわば魔導具みたいなものだからな」

 ルミアナが悲しそうに言った。

「でも魔導具の製法はエルフ文明の衰退とともに失われたわ。今から取り戻すことができるかどうか・・・」

「大丈夫、きっと取り戻せるさ。それにしても私は不思議に思うのだ。なぜそれほど高度な魔法を使えたエルフ族が衰退してしまったのだろう」

「少子化よ。子供が少なくなってエルフの人口がだんだん減り続けたの。もちろんエルフの王国でも子供を増やそうとしたけれど、『おカネがない』という理由で対策は常に中途半端だった。すでに少子化によって税収が不足して、財政が赤字になっていたの。おかげで少子化を止められず、ますます少子化がすすんで税収が減るという悪循環を断ち切れず、後世になって騒いだときには遅すぎたわ」

 俺は驚いて聞き返した。

「カネがない、財源がないという理由でエルフ族は自滅したのか」

「そうよ。笑い話みたいだけど本当の話。もちろん他にも要因があったわ。少子化で人手が足りなくなったエルフたちは、人間たちを労働力として利用するようになった。人間の寿命は短いけれど、子供をどんどん増やしてエルフの土地に住み着くようになった。やがて人間たちは力をつけて、エルフたちとは違う社会、違う王国を築くようになり、エルフたちは追われるように去っていったの。そして今では、世界の辺境の地に小さな王国を残すのみになったの」

 おカネがないという理由で自滅したエルフ族。だが、誰が彼らを笑うことなどできるだろうか。俺の元いた世界でも、カネがないという理由で少子化対策を十分に行うことができなかった。減り続ける人口を放置し、人手不足を補うために外国から労働者を受け入れていた。おカネが無いなら、発行すればいくらでも作れるというのに、なんだかんだ理由を付けておカネの発行をためらった。おそらくエルフ族と同じ道をたどるだろう。

 だが、俺が同じ轍を踏むことはない。なぜなら、王立銀行を設立して、金や銀の産出量とは関係なしに必要に応じておカネを作ることができるようにしたからだ。おカネがないという理由で国家が何もできないという事態は、絶対にあってはならない。

 俺はルミアナを励ました。

「人口減少でエルフ族が衰退するとは、なんとも残念な話だな。しかし、今からでも何かできるに違いない。このままエルフ族の知識が失われてしまうのは、あまりに惜しい。魔導具の知識とやらも、取り戻して欲しい。今からでも遅くない、エルフの人口を増やすんだ」

 それを聞いたサフィーは大声で笑いながら言った。

「あっはっは、エルフの人口を増やすって? そんなの簡単じゃ。アルフレッド殿がルミアナに子供を産ませればよいのじゃ。正確に言えばハーフエルフの子供だが、この際いいじゃろ。アルフレッド殿がルミアナに子供をどんどん産ませれば、エルフの人口が増える、あっはっは」

 うわわ! いきなり何を言い出すんだ。サフィーは魔族だから常識やデリカシーというものがないのか。み、見ろ、一瞬で場が妙な雰囲気になってしまった。

 ルミアナが上目遣いで俺を見つめている。

「まあ・・・アルフレッド様も、そうお考えですの?」

 キャサリンとレイラが物凄い形相で俺を睨んでいる。俺は激しく首を振った。 

「と、とんでもない。私がエルフの人口増加に直接貢献するんじゃなくて、エルフの人口が増えるための方法をいっしょに考えよう、という話だ」

「あっはっは、なんじゃ、お主、照れなくても良いぞ。魔界の王は、妾を何人もはべらせて、子供を産ませてなんぼじゃぞ。お主も頑張るのじゃ」

「あのなあ、魔界といっしょにするなよ。まったく何でそういう話になるのだ。もう話はやめ。私は寝るからな。何か発見したら起こしてくれ」

 俺はそう言い残すと洞窟の奥へ行き、横になった。

ーーー

 翌朝、俺は岩山の山頂に登り、ジャビ帝国軍が来ると思われる谷の方角に目をやった。持参したバッグから黒塗りの長い円筒を取り出して覗き込んだ。

 キャサリンが不思議そうに言った。

「お兄様、それは何ですか」

「ああ、これは望遠鏡というものだ。遠くのものを大きく拡大して見ることができる。アルカナで入手した老眼鏡を組み合わせて作ったんだ」

「ちょっと見せて!」

「あ・・・それ、上下が逆さまに見えるからな。言っておくけど、逆立ちして見ても逆さまに見えるからな・・・言っても無駄か・・・」

 キャサリンは、前屈して股の間からしばらく望遠鏡を覗いていたが、急に叫びだした。

「ああーっ、お兄様。何か動いているのが見えますわ」

 俺は慌ててキャサリンから望遠鏡を取り戻すと覗き込んでみた。来た。ジャビ帝国の軍勢だ。陽炎(かげろう)の立ち込める谷の両側一杯に広がったトカゲ兵の隊列が、こっちに向かってくる。盾を持った歩兵と弓兵が確認できる。まだ遠すぎてよくわからない。

 ロマランの砦にも動きがあった。使者と思われる騎兵が単騎、旗を立ててジャビ帝国軍に向かって駆けてゆくのが見えた。使者がトカゲ兵の中に消えると、しばらくして帝国軍の動きが止まった。交渉が始まるのだろうか。

 俺は望遠鏡から目を離すとルミアナに言った。

「ルミアナ、申し訳ないがジャビ帝国軍を追尾しているレジスタンスの監視員を探してみてくれ。向こうもこっちを探しているはずだ」

「承知しました、すぐに探して参ります」

 ルミアナはバックを背負うと弓と矢筒を携え、弾むように岩山を降りていった。