サファイアは、はるか昔を思い出すように宙を見つめながら言った。

「われは自ら望んでこの人間界に来たわけではない。いわば政敵の策略によって人間界に飛ばされてきたのじゃ。

 われは、魔界にあまたある王国の一つ、キメラナ国の姫じゃった。欲望がどろどろと渦巻く魔界では、勢力争いが絶えることはない。われの王国も周辺諸国と覇権を競っておった。姫であるわれも、一族の先頭に立って戦っておった。

 そんなある日、われは部下と共に敵の要塞に攻め込んだ。そこに罠が仕掛けてあったのじゃ。うかつにも、われはそれに気付かず、床に開いた転移門に落ちてしまった。そのあとは何も覚えておらん。気がつくと、大きな川のほとりに一人で倒れておった。誰かがわしのことを知らせたのじゃろうか、しばらくすると、武装したエルフの軍隊がやってきて、われは囚われてしまったのじゃ」

 俺は不思議に思った。

「魔族は強力な魔法を使えると聞くが、どうして簡単に捕まったのか?」

「そこが問題なんじゃ。というのも、人間界に落ちたわれは、ほとんど魔法が使えなくなっておったのだ。この世界では魔法は魔法石を使って発動するが、魔族は魔法石など使わん。どうやら魔界と人間界では魔法の使い方が異なるようじゃ。じゃから魔法を使えないわれは、あっけなく捕まってしまったのじゃ」

「それにしても、なぜエルフは魔法も使えないサファイア殿を、こんな地下深くに厳重に封じ込めたのだろう」

「さっぱりわからん。じゃが、われの魔法の力がいずれ復活すると考えたのじゃろう。それで、われが無力なうちに閉じ込めてしまおうと考えたのかもしれぬ」

「なるほど。もし魔族が魔法を自由に使うようになれば、エルフにとって脅威になるわけだ」

「さよう。じゃが、このとおり。われは、今でもほとんど魔法が使えないというわけじゃ。まったく早とちりの馬鹿な連中よのう、あっはっは」

 あっはっは、じゃないだろ。魔族なのに魔法が使えないってことは、まるで役に立たないってことだろ。この先どうするつもりなんだ。

「ああ、われのことはサファイアじゃなくて、サフィーと呼んでくれて良いぞ。お主は恩人じゃから、われに気を使うことはない。もっとフレンドリーに話せば良いのじゃ。それに、これからも末永くお主たちの世話になるつもりじゃからのう」

「え? 末永くって、我々の仲間になりたいということか」

「そりゃそうじゃろう。まさか、われを見捨てるつもりか?」

 すかさずカザルが言った。

「旦那、お姉ちゃんを見捨てるなんて出来ませんぜ。そんなもったいない・・・いや、薄情なことをしたら、バチが当たりますぜ」

 鼻の下が伸び切ったカザルの顔を見たキャサリンが不機嫌そうに言った。

「いやよ。魔法の使えない魔族なんて、単なるお荷物ですわ。クズですわ、クズ」

 サフィーは焦って言った。

「まてまてまて。この世界に来てすぐは、まるで魔法は使えなかったが、今のわれは攻撃魔法こそ使えんが防御魔法は使えるんじゃ。本当じゃ、証拠を見せてやろう。まず、直接攻撃に対する防御魔法である<皮膚硬化(ハーデニング)>を見せてやろう」

 サフィーが呪文を唱えると、全身が淡く発光し始めた。サフィーはキャサリンに向かって言った。

「よし、そこのお嬢ちゃん、われを剣で切ってみよ。遠慮はいらぬぞ」

 キャサリンの横に居たレイラが、鋼鉄の長剣をさやから引き抜きいた。

「では、わたしが」

「へ? そっちのお嬢ちゃんじゃなくて、お主か・・・まずいな、われは、そっちのお嬢ちゃんの方が良かったのだが・・・まあよい。えへん。お主、われに切りかかってこい」

「では遠慮なく。そりゃあああ」

「ぐは・・・」

 肩口からバッサリ切り切られたサフィーだったが、驚いたことに体に傷はまったく付かず、血も出ていなかった。しかし、サフィーはもんどり打って床に転がった。

「うわおお、いててて、ぐわわわ、痛い・・・お主は加減というものをしらんのか」

 サフィーは、しばらく床でのたうち回っていたが、やがて静かになった。そして、むっくり起き上がると自信満々の表情で俺に言った。

「まあ、こんなもんじゃ。このように剣で切られても傷も付かんし、死ぬこともない。ただし痛みはそのまんまじゃから、死ぬほど痛いのが欠点じゃがな。まあ、死ぬよりはましじゃろ。どうじゃ、すごかろう?」

「まあ、すごいことはすごいが、死ぬほど痛いのは嫌だな」

「やっぱりこの魔族の女はポンコツですわ、ダメですわ」

「あああ、まてまて、はやまるな。別の魔法がある。これはすごいぞ。人間界には存在しない防御魔法じゃからな。弓矢や魔法などの遠距離攻撃を弾き返す魔法の盾じゃ」

 確かにエルフ魔法には、弓矢や魔法を弾き返す魔法はない。それが本当なら戦闘で役に立つかも知れないな。サフィーが右手を上げて呪文を唱えた。

「<魔法障壁(マジック・バリア)>」

 サフィーが<魔法障壁(マジック・バリア)>を唱えると、半透明なドーム状の盾が現れ、サフィーを囲んだ。 

「さあ、そこのエルフよ。われを弓で射てみよ」

 ルミアナが弓を引き絞り、サフィーをめがけて矢を放った。

「では遠慮なく行きます。はいっ」

 矢はバリアの表面で跳ね返り、後ろへ飛んでいった。半透明のバリアが消えて、サフィーはドヤ顔で言った。

「どうじゃ、見事に跳ね返したぞ。このように弓矢攻撃に対しては・・・」

「はいっ、次」

 ルミアナが放った二本目の矢が、ドヤ顔のサフィーの額の真ん中に刺さった。

「うぎゃ、いてててて・・・」

 サフィーはわめきながら床をごろごろ転がっている。しかし先に唱えた<皮膚硬化(ハーデニング)>の効果で、ダメージを受けていないようだ。サフィーはむっくり起き上がると矢を引き抜いて大声で言った。

「痛いじゃろ、二本続けて矢を放つんじゃない」

 ルミアナが呆れてサフィーに言った。

「戦場では、無数の矢が飛んできますわ。この防御魔法は持続時間が短すぎると思います」

「ち、違うんじゃ。われは1000年以上も何も食事しておらんかったので、魔力がほとんど枯渇しておるのじゃ。じゃから魔法が持続しない。何か食えば、魔力が回復する。そしたら、魔法の威力も元に戻る。お主ら、何か食べるものを持っておらんか」

 キャサリンが言った。

「仕方ないわね。食べ物なら、ここにありますわ。わたくしの焼いたパンですわ」

「あ、それはやめたほうが・・・」

 俺が止める間もなく、サフィーはキャサリンから棍棒パンを手渡されると、すぐにバリバリ音をたてて食べ始めた。うまいうまいと言って食っている。俺もカザルも、目を大きくして驚いた。

「か、固くないのか・・・」

「ふむ、確かに尋常でなく硬いが、われの歯は特別じゃからの。どんな固いものでも食えるのじゃ。骨付き肉も、骨ごと食えるのじゃ」

「ちょうど良かった。俺とカザルの分も食ってくれ」

 俺とカザルは蜘蛛型の魔法人形を叩き潰すのに使ったパンをサフィーに手渡した。

「あっはっは、驚いたか。しかも、それだけではないぞ。われの胃袋は異次元構造をしておるので、いくらでも食える。魔界におったころは、百人前くらいの飯を一度に食ったものじゃ。どんなもんじゃ、あっはっは」

 俺たちは顔を見合わせた。

「一度に百人前も食われたら、アルカナ城の食料がたちまち食いつぶされてしまいますわ」

「エルフがサフィーを地下牢に閉じ込めた理由も、それじゃないのか」

「これは、連れて帰るわけにはいかないな」

 サフィーはあわてて言った。

「いやいや、食おうと思えば食えるというだけで、食うとはいっておらんぞ。人間界では十人前・・・じゃなくて三人前の食事で十分じゃ。あっはっは」

 サフィーの腹がぎゅるると鳴る。みんなの視線が一斉にサフィーの腹に注がれる。

「あっはっは、行儀の悪いおなかじゃのう・・・」

 気まずい静寂があたりを包んだ。サフィーの顔が引きつっている。何か思いついたのか、サフィーが手を打った。

「おお、そうじゃ、こうしよう。お主とわれが結婚するのじゃ。われは魔界のキメラナ国の姫じゃから、身分的にも釣り合いが取れておる。われとお主が結婚して、魔界と人間界の支配を目指すのじゃ、すばらしかろう、あっはっは」

 キャサリンが全身の毛を逆立てて叫んだ。

「まああ、突然何を言い出すのかと思ったら、お兄様と結婚するですって? ふざけないで欲しいですわ。魔界のお姫様だか何だか知りませんけど、わたくしが許しませんわ」

 レイラは俺の前に飛び出すと、長剣をサフィーに突きつけた。顔が真っ赤である。

「お、お前なんかに、アルフレッド様は、ぜ、絶対、渡さないからな」

 また面倒なことになってきたぞ。魔族のサフィーを連れて帰れば、何かと厄介事が起きそうだ。とはいえ、サフィーを見捨てるわけにもいかないだろう。魔族は貴重だし、何よりビキニアーマーの女性を捨てるわけにはいかない。俺は言った。

「まあ待て。いまは結婚とか考えている場合ではない。メグマール地方はこれから戦争になりそうだし、ジャビ帝国という強敵との決着も着いていないからな。それはさておき、サフィーだが、ここに捨て置くのも可愛そうだ。食事の量が普通の人間と同じで良いというなら、しばらく城で面倒をみてやってもよいだろう」

「何よ、お兄様は甘いんだから・・・。仕方がありませんわ。でも、サフィーがお兄様に手を出したら、承知しませんからね」

「そうです。アルフレッド様に、て、手を出したら、許しません」

 サフィーを連れて俺たちは帰路についた。帰り道では大きなトラブルもなく、遺跡の入り口まで無事に戻ってきた。遺跡の入り口ではミックが首を長くして待っていた。

「陛下、お戻りが遅いので心配しておりました・・・うわ、ど、どうされたのですか、その格好は?」

 ミックは俺たちを見て驚いた。俺は下半身パンツ姿だし、レイラは下着姿だ。おまけにほとんど裸のようなビキニアーマーの女まで居る。不思議に思わないはずがない。

「遺跡でいったい何があったのですか・・・それにレイラ様は下着姿ではないですか。これはもしや、いけないことに・・・」

「か、勘違いするな。やましいことは何もしてないぞ。責任問題にもなっていない。遺跡の中で鎧を溶かす化け物と戦って、俺の服とレイラの鎧がダメになっただけだ」

「それと、この、ほとんど裸のような破廉恥な女性は何ですか。青い髪に赤い瞳・・・とても人間の女性とは思えませんが・・・」

「この女性は遺跡で救出した魔族のお姫様だ。魔族と言っても、魂を食らうとか、生き血を飲むとか、そういう心配はないから大丈夫だ。飯を三人前食う以外は人間とあまり変わりはない。しばらくは城で面倒をみてやってくれ」

 サフィーはミックに向かって偉そうに胸を張って言った。

「われはサファイアと申す者じゃ。サフィーと呼んでくれ。それと、夕食にはワインを忘れんようにな、肉はミディアムにしてくれ」

 ミックはハンケチで汗を拭きながら小声で呟いた。

「はあ・・・陛下が、また厄介なのを連れてきた」

 こうして古代エルフ遺跡の探検は終わった。