通りは行き止まりになっていて、行き止まりには八百屋が店を構えていた。店の主人が店先で暇そうにあくびをした。
「ふあああ。いやあ、今日はちっとも客が来ないな」
そこへサルが走ってきた。サルは一瞬だけ立ち止まり、店の主人の顔を見ると、素早く店の中へ逃げ込んだ。
「おや、サルか。これは縁起が良いな。お客さんがたくさん来るかも知れないな、うひひ」
どどど、と地鳴りがしたので、店の主人がふと顔をあげると、通りの正面から土煙を上げながら、血相を変えた大集団が全速力で店に向かってくるのが見えた。主人は仰天して腰を抜かした。
「なな、なんだありゃあ。どう見てもお客さんじゃねえよな」
店の主人に向かって、キャサリンが大声で叫んだ。
「おやじさーん、サルを見なかったああ?」
「サ、サルならたったいま、店の中に入っていったけど・・・」
「よし、突入!」
「うわわ、お客さん、ダメだよ」
キャサリン、レイラに続いて人間、犬、ヤギ、馬などが次々に店内になだれ込む。野菜や果物が飛び散る、転がる、もうめちゃくちゃである。
店の中へ入ると向こうに出口が見えた。サルは出口から逃げてゆく。それを見たキャサリンも出口から外へ飛び出そうとしたが、出口のすぐ下は水路だった。気付いたキャサリンは、すんでのところで踏みとどまった。
「きゃあ、な、なんでこんな町の真ん中に水路があるのよ、あぶないじゃないの」
しかし、あまりの勢いで店の中に突入したものだから、後続の連中が勢い余ってキャサリンに次々にぶつかり、野菜や果物と一緒にそのまま全員が水路に落ちてしまった。当のサルはといえば、頭上のロープにぶら下がって、尻を叩いている。
「うわわ、流される」
「きゃああ」
一行は、水流に押されて水路を流れていった。
ーーーーーー
その頃、宮廷では三国同盟の調印式を終えて、ルーク国王ご自慢の庭で祝賀パーティーがとり行われていた。
「乾杯」
緑の多いイシル国では、庭園もまた素晴らしい出来栄えである。きれいに刈り込まれた庭木が歩道の両側に整然と並び、歩道には白い玉砂利が敷き詰められている。花壇には美しい花が咲き乱れ、香りが漂い、可憐な蝶も舞っている。庭の中央にある広場で、イシル国のルーク国王が居並ぶ外国の要人たちに庭を解説していた。
「あちらが、女神の滝になります」
庭を囲む高い石造りの外壁の、ひときわ高いところから、かなりの水量の滝が流れ落ち、豪快に水しぶきをあげていた。滝が流れ出す場所の左右には、大理石で作られた見事な女神の像が腕を広げている。
「我が国の宗教では滝はとても神聖な場所で、大変に縁起が良いとされています。私も毎朝、国民の幸福を願って、この滝に向かって祈りを捧げています。この滝を作るために、わざわざ町の真ん中に水路を掘って水を引き込んでおります。どうぞ、よく御覧ください」
みんなの視線が滝に注がれているその時である。
「ひいいいいい」
太ももむき出しでピンク色のドレスを着た女が、ふいに滝の上から飛び出し、回転しながら滝壺へ落ちていった。
「うお、何だ?」
「女が落ちていったぞ」
一瞬、背筋がざわっとした。キャサリンか?いやいや、キャサリンはレイラと食事をしているはずだ。こんなところにいるはずがない。それに、レイラを見張りとして付けたんだから、大丈夫だ。
「ああああああ」
甲冑を着た、巨大な女が滝壺へ落ちていった。見誤るはずもない、レイラである。あいつら、何をしてるんだ。どうやったら、あんなところから出てくることになるんだ。
しかも、二人の女に続いて大量の野菜、ドワーフ、ハーフリング、キャンキャン吠えるイヌが十数匹も落ちてきた。さらに、男が二人、ウマ三頭、ヤギ十匹も落ちてきた。周囲は大騒ぎになった。これを見た司祭の婆さんが仰天し、腰を抜かしたまま滝を指さして叫んでいる。
「不吉じゃー、不吉じゃー、女が滝から落ちてきたぞいー」
これはやばい。俺は知らんぞ。他人だ、他人のふりをするんだ。俺は反対側を向いて、必死に見ないふりをした。
キャサリンとレイラは滝から落ちたショックで、ずぶ濡れのまま池の中で茫然(ぼうぜん)とへたり込んでいたが、やがて俺の姿を発見するや、ものすごく嬉しそうな顔をして大声で叫びながらこちらへ向かって走ってきた。
「お兄様、お兄様、アルフレッドお兄様あ~~」
「陛下、陛下、アルフレッド陛下あ~~」
俺はうろたえた。
「うわ、わ、やかましい、声がでかいぞ、静かにしろ!」
一斉に、周囲の視線が俺に降り注いだ。ひそひそ声が聞こえる。
「あの女は、アルカナ王国の、アルフレッド殿の関係者らしいな」
もはや言い逃れはできない。滝のそそぐ池では、イヌがわんわん走り回り、ウマやらヤギやらが徘徊して、動物園状態になった。宮殿の品格がぶち壊しである。ルーク国王がこちらへ向かって歩み寄ってきた。これはまずい。だが、ルーク国王の顔は、それほど怒ってはいないようだった。むしろ、なんだか嬉しそうにも見える。なぜだろうか。
「アルフレッド殿。こちらが、妹のキャサリンお嬢様ですか?」
キャサリンが言った。
「そうよ、わたくしがキャサリンですわ。というか、なんでこの人、横を向いて話するのよ。わたくしをバカにしているのかしら」
「いや、そうじゃなくて、お国によっていろいろ複雑な事情があるんだよ。そこは立ち位置が悪いから、キャサリンはこっちにきなさい」
ルーク国王がキャサリンの正面に向き直って言った。
「私が、イシル公国の国王、ルーク・ベアードです。ルークです。私の宮殿の美しいお庭にようこそ、おいでくださいました。心から歓迎いたします」
ルークがおもいっきり作り笑いをすると、キラリと歯が光った。ははあ、これはキャサリンに惚れたな。まあ、キャサリンは金髪美少女の最上級品みたいな外見をしているからな。おまけにピンクのミニドレスが、滝から落ちて、ずぶ濡れでスケスケだ。妙なスイッチが入るのも無理はないな。しかし、キャサリンの性格を知ったら驚くだろうな。
だが待てよ、これは好都合ではないか。キャサリンとルーク国王がくっつけば、イシル国の王族とアルカナ国の王族が親戚になるから、強力な関係を築ける。しかも、あのキャサリンが俺の周りをずっと付きまとうこともなくなる。俺はキャサリンに水を向けてみた。
「やあ、キャサリン。どうだい、ルーク様は素敵なお方だろう」
「まあまあ、ですわね。でもお兄様には及びませんわ。お兄様に比べたら、ナメクジみたいなものですわね」
「こ、こら、キャサリン。失礼だぞ」
「ははは、これは手厳しいですね。キャサリン様はお兄様が、よっぽどお好きと見える」
ルーク国王はそう言いながら笑ったが、俺を見る視線に、どことなく殺意を感じる。そこへ例の司祭の婆さんが飛んできた。
「これ!何を血迷うとるのじゃ、ルーク殿。この女は、アルフレッド殿に女難の厄(やく)をもたらしておる元凶の一人じゃぞ。貧乏神に取り憑かれておる、そんな女に近づいてはならん。不吉を招き入れるだけじゃ」
ルークが意地になって言い返した。
「うるさい、うるさい。キャサリン様は、女神の滝から落ちてきたのだぞ。これは間違いなく女神様の思し召しだ。絶対にそうだ」
ふと気がつくと、ずぬ濡れの二人の男が池の中に呆然と立っていた。俺は不思議に思って、男たちに尋ねてみた。
「失礼ですが、お二人は、どちらの方でしょうか」
男たちは我に返って、慌てた様子で答えた。
「あ、兄貴とあっしは、強盗で・・・」
兄貴分が弟分の頭を思い切り殴りつけた。
「違います。お嬢様の、その、お、お友達です。そうです、今日、お友達になりました。町の雑貨屋で偶然に出会いまして、サルを捕まえるお手伝をさせていただいたんですよ、あははは、いや、お手伝いは大変でした。本当に死ぬかと思いました」
キャサリンがむくれて言った。
「そのことは思い出したくもありませんわ」
いやいや、俺も聞きたくないぞ。レストランで大人しく食事しているはずの妹が、どんだけ無茶苦茶なことをすると、ウマやヤギと一緒に宮廷の滝から落ちてくるというのか。まわりに及ぼした被害が恐ろしくて聞けないわ。
キャサリンの友達と聞いて、ルーク国王がしゃしゃり出てきた。
「キャサリン様のお友達ですか、そうですか、そうですか。キャサリン様のお友達なら、大歓迎です。これも何かの御縁ですので、パーティのお食事を召し上がっていってください」
ルーク国王が指さした先には、大きな焼肉の固まり、焼き立てのパンやケーキ、色とりどりの果物など、豪華な料理が山積みになったテーブルが並んでいる。給仕のメイドたちが頭を下げた。
「や、やったぞ!これで飯が食えるぞ」
「やりましたね、兄貴、ううっ」
手を取り合い、泣きながら喜んでいる。よっぽど大変な目にあったのだろうか。
レイラが俺のそばに来ると、申し訳無さそうに大きな体を小さくして言った。
「申し訳ありません、アルフレッド様。性悪なサルたちに挑発されたもので、つい、カッとなって暴走してしまいました」
「いや、何の話かさっぱりわからんが、気にするな。キャサリンを止められる者などアルカナには誰も居ない」
もはや祝賀会はめちゃくちゃである。ルーク国王と司祭は、キャサリンを巡ってののしりあっている。エラル国王は飲み過ぎでゲロを吐いている。ミックは迷惑をかけた貴族たちや押しかけた市民たちに頭を下げまくっている。ナッピーは動物たちと池で水遊びをしている。ルミアナはどこかへ姿を消した。
大丈夫なのか?三国同盟。
戦争を行うには莫大な費用が必要となる。戦費をどのように調達するか?エニマ国もアルカナ国も、その問題に直面していた。
ここはエニマ国、マルコムの王城である。王の執務室では、国王マルコムとエニマ国の財務大臣が話し合っていた。マルコムが言った。
「私は戦費を金貸しから借りたいと考えている。増税すれば国民の士気を下げることにもなりかねない。我が国には、まだ、おカネを借りるだけの余地はあるだろう」
「いいえ閣下、おカネを借りることはやめましょう。確かに今のエニマ国の国力であれば、金貸しからおカネを借りる余力はあるでしょう。しかし、借りたおカネは、いずれ必ず返さなければなりません。軍事費が足りないからと言ってカネを借りれば、それは将来の世代へのツケとなるのです。将来の世代にツケを回して、それで戦争に勝てたとしても、それが本当に勝ったと言えるのでしょうか」
「うむ、それは一理あるな。では、新しく金貨や銀貨を発行してはどうか?」
「いいえ閣下、金(ゴールド)も銀も、在庫がほとんどありません。余剰な金銀は、戦費調達のためにすでに使い切っています。金銀が無ければ、おカネは作れません」
「それは厳しいな」
「そうです、厳しいのです。ですが、その厳しさを我が国の国民たちにも十分に理解させる必要があります。国民を甘やかせてはいけません。おカネが足りないなら、税金を上げて税収を増やすことが正しい方法です。軍事費を増加するには、そのぶんだけ国民に負担してもらわねばならないのです」
「しかし、国民の支持率が下がってしまうではないか」
「国民を甘やかせてはいけません。国家の財政はすべて国民から徴収する税金で賄わねばなりません。財源が足りなければ増税するのが当たり前。それをしっかりと国民に知らしめる、それが責任ある王国政府のやりかたです」
「わかった、お前に任せよう。ところで、アルカナ国は、どうやって軍事費を調達しているか知っているか?」
「スパイの報告によれば、アルカナ国の政府は借金をどんどん増やしているとのことです」
「なんと愚かな」
マルコムが笑う。
「アルカナは借金が返せなくなって財政破綻するに違いない。借りたカネは返さなければならないのだからな」
ーーーーーー
一方、ここはアルカナ国である。俺は執務室に財務大臣のヘンリーを呼び、戦費の調達について指示を出した。
「エニマ国との戦争に備えて、食料や武器の備蓄をすすめたい。王立銀行からの借り入れを増やしてくれ」
「お言葉ですが陛下、王立銀行からの借金をこれ以上借金を増やしますと、おカネを返せなくなって財政破綻します。どうか増税をご検討ください」
「ヘンリーの気持ちもわかるが、その考え方は間違いだ。なぜなら、そういう問題を解決するために、私はアルカナ王国に王立銀行という仕組みを作ったからだ。王国政府が王立銀行から借りたおカネは返す必要がない」
「おカネを返す必要がないとは、狂っています」
「いやいや、王立銀行だからこそ、おカネを返す必要はないのだ。このことは以前にも説明したはずだ。
もし民間の金貸し業者からおカネを借りたのであれば、必ず返さなければならない。返さなければ金貸し業者は大損するからだ。困ることになるだろう。
一方、王立銀行は『信用創造』という方法で新たにおカネを発行し、王国政府に貸している。王立銀行も王国政府も、どちらもアルカナ国だ。だから自分がおカネを発行して自分に貸しているのと同じだ。実質的に貸し借りの関係はない。アルカナ国として見た場合、単におカネを発行することに過ぎないのだ」
「しかし、王立銀行の貸したおカネが戻らなければ、王立銀行が損をするのではないですか」
「いや、損はしない。銀行券を印刷して王国政府に貸しているだけだから、何も損をしないのだ。もちろん厳密に言えば紙幣の印刷代金は損するだろうが、それは『通貨の発行費用』だ。どんなおカネも、発行するためには費用がかかる。例えば金貨を鋳造するにも鋳造費用がかかる。それと同じだ」
「それでは、どれだけ王立銀行から借金を増やしても、陛下は何の問題も起きないとおっしゃるのですか?」
「そうではない。王立銀行がおカネを発行して王国政府に貸し、それを政府が軍事費などとして財政支出すれば、結果として世の中のおカネの量が増加する。世の中のおカネが増えると、物価の上昇を引き起こすことが考えられる。これをインフレというのだ」
「それはそうです。おかねを増やせば、おカネの価値が毀損(きそん)するからです。おカネの価値が水増しされて減るから、物価が上がるのです」
「いや、それはまったく考え方が間違っている。インフレになる理由は、おカネの価値が毀損(きそん)するからではなく、みんなが商品をたくさん買うからだ。
王国政府がたくさんおカネを使えば、そのおカネはアルカナの人々に支払われることになり、人々の持つおカネの量が増える。すると、おカネを持った人々は、そのおカネを使ってより多くの買い物をするようになるだろう。その結果、市場では商品が足りなくなって、より高い値段でも売れるようになる。だから商人は価格を釣り上げ、値段が高くなるのだ。決しておカネの価値が下がったからではない。
仮にどれほどおカネを発行しても、市場で商品の売れる量が増えなければインフレは生じない。あくまでも商品が売れすぎることでインフレが生じるのだ。
従って、あまり多くのおカネを王立銀行から借りると、世の中のおカネの量が増えすぎて商品が売れすぎ、インフレになる。それを防ぐためには、市場価格を注意深く観察し、借りるおカネの量を加減すれば良いのだ」
「ううむ・・・しかし、これはルールの問題です。そもそも、国の財政は税収の範囲で行わなければならないと昔から決められています。国家の運営におカネが必要なら、税金で集めるのが古くからのならわしです。借金はしない、それが守るべきルールです」
「それも間違いだ。古くにそんなルールはない。昔の政府は税収だけではなく、金貨を鋳造することで財源としていた。アルカナ王国も金があれば金貨を鋳造して財源にする。金がないから銀行券を発行しているのだ。おカネを発行して財源とすることは、むしろ古くからのならわしだ。
しかも、ルールとは時代によって、その時の状況によって変わるべきものだ。現在のルールに盲目的に従うだけでは、やがて新しい時代に適合できなくなる。状況に合わせて柔軟にルールを変えてきた国家だけが生き残る。ルールを決めて盲目的に従ったところで、結果が出る保証はないのだ。
ちなみに、私が夢で体験してきた世界では、政府の財政支出で生じた物価上昇を『インフレ税』と呼んでいた。政府が税金を課さなくとも、物価が上昇することで実質的に国民負担となることから、インフレ『税』と呼んだわけだ。そういう見地からすれば、通貨発行は税とも言えるぞ」
「いいえ、税金は国民から直接取り立てなければ駄目です。国民を甘やかせてはいけません。税は政府に対する服従の証です。誰が誰を支配しているのか、国民に思い知らせるべきです」
「いや、その必要はない。税金は支配の道具ではない。
そもそも増税すれば、ろくなことにならない。増税は脱税を助長する。税金が少ないうちは国民も黙って払うだろう。しかし税金を上げれば多くの国民が税金を逃れようと考えるだろう。あの手この手で脱税するようになり、国民の納税モラルが低下する。
また、金持ちの中には徴税官に賄賂を渡して税金を逃れようとするものも現れ、王国政府に腐敗が蔓延する。
また、重税を嫌って金持ちが国外へ逃げ出すこともある。そうした連中はさまざまな事業を行っている場合が多いので、事業を担う連中まで国外へ逃げてしまうことになる。そうなれば、アルカナの産業に悪影響が出るだろう。
それに、重税は国民のやる気を損なうものだ。懸命に働いて得たおカネの大部分を税金として王国政府に取られてしまうなら、働く気を無くしてしまうだろう。これでは産業は活気づかない。仮に物価が上昇したとしても、自分で稼いだおカネの大部分が自分の所得になるなら、もっと多くのおカネを稼ごうとして働き続けるだろう
アルカナ王国は必要な時に必要なだけおカネを発行できる。その特権を自ら放棄するとは、愚かな判断だ」
「左様ですか・・・アルカナ国の国王は陛下ですので、私の考えがどうであろうと、陛下のご命令には従います。せいぜい、破綻しないことを祈っております」
「ああ、よろしく頼む」
ヘンリーは、まったく納得していないようだ。不機嫌そうに部屋から出ていった。まあ、仕方がないことだ。それまで自分が信じていたことを変えることは、本当に難しいからだ。
国家財政の財源をどのように確保すべきか。古代より方法は二つある。一つは税収、もう一つは通貨発行である。国家は税収と通貨発行の両方を財源としてきたのである。ローマ帝国も、江戸幕府もそうだった。
しかし、銀行が発明される以前の世界では、通貨発行を財源にすることには大きな制約があった。銀行が発明される以前の世界では、おカネは金や銀のような貴金属を鋳造して作られていたからだ。そこで、その制約を克服するために、俺はこの世界で銀行を作った。銀行の仕組みである『信用創造』を利用すれば、金や銀とは無関係に、おカネを自由に作り出すことができるからだ。
中世以降、銀行制度は経済を飛躍的に発展させてきた。なぜなら、銀行の仕組みを利用すれば、金や銀とは無関係に、信用創造によっておカネをどんどん発行することができたからだ。これによって世界貿易の拡大や産業の急速な発展に伴う通貨需要に柔軟に対応することができたのである。これを利用しない手はない。
ただし、通貨発行を財源とした場合、やりすぎると物価高、すなわちインフレを招くことが問題となる。このインフレがあまりに酷くなると、社会に悪影響を及ぼすようになる。
だから、通貨発行によって市場での需要が増えすぎ、財の生産が追いつかなくなるとまずい。逆に言えば、財の生産が追いつく限り、おカネは増やしてもまったく問題ないことになる。ということは、本当に重要なのは、おカネではなく『国家の生産能力』だ。おカネは経済を動かすための道具に過ぎない。おカネは、それだけでは何の役にも立たないものだ。
経済を拡大するには国家の生産能力をいかにして高めるかが重要になる。生産とは人間の行う活動であり、人間が働けば働くほど生産能力は向上する。つまり「いかにして人々に働いてもらうか」が鍵になる。しかし強制労働ではだめだ。長続きしないし不幸を生むだけだ。それではまるでジャビ帝国と同じではないか。
そうではなく、ウマの鼻先にニンジンをぶら下げるようにして、人々を誘導するほうがいい。そのニンジンに当たるのが「おカネ」だ。人間はおカネの魅力に弱い。おカネが欲しくて一生懸命に働く。そして人々が働けば働くほど、より多くのモノやサービスが生み出される。技術開発がすすみ、設備も作られる。そして生産能力が高まるのだ。使い方さえ正しければ、おカネは成長の呼び水になる。だからこそ、おカネは経済を動かす道具なのだ。
新たに発行されたおカネには、価値の裏付けが何もない。だが、そのおカネを求めて多くの人が働けばモノやサービスが生み出され、それがおカネの価値の裏付けとなる。
問題はインフレだ。中世時代は、現代のように技術も生産設備も十分に発達していない。ほとんど人海戦術の世界だ。だから、通貨を発行すればインフレを招きやすい。だが、エニマ国との戦争に負けるわけにはいかない。
その昔、アメリカの南北戦争において、時の大統領リンカーンが戦費を調達するために膨大なおカネを発行し、戦争に勝ち、奴隷解放を成し遂げた。だが、大量に発行されたおカネのために、後にインフレを引き起こした。とはいえ、もしこのときリンカーンがインフレを恐れて通貨を発行せず、戦費の調達ができなかったとしたらどうだろうか?歴史は大きく変わっていただろう。ある意味で、通貨発行が新たな世界の扉を開いたのだ。
中世時代はインフレになりやすい。供給力が低いからだ。だが、我がアルカナ国では、これまで生産活動をしてこなかった数千人のスラムの住人が生産活動に参加したことから、物を作り出す能力が大きくなった。灌漑や施肥で農業の生産性も高まって、農民の余剰労働力も生まれている。我が国では、おカネを増やすことの必然性が高まっているのである。
ひと騒動あったものの、無事に三国同盟は結ばれた。だが、それだけで安心はできない。本格的な戦闘が始まる前に、少しでも多くの戦力を整える必要がある。そこで、ルミアナが以前に話していた「魔導具」とやらを探そうと考えた。
ルミアナの話によれば、魔導具が眠っている可能性のある古代エルフの遺跡が、王城の地下にあるらしいのだ。そう、毎日ウンチを投げ入れていた、例の『穴』である。王国農場で堆肥を作るようになってからは、もう一年以上、ウンチを投げ入れていないので、そろそろ探検しても匂いで気絶する心配はないだろうと考えたのである。ルミアナを呼んで話をしてみることにした。
「ルミアナ、お前が以前に話していた古代エルフの遺跡のことだが、王城の裏庭にそれらしき入り口が見つかったぞ」
ルミアナが目を輝かせ、いかにも興奮した様子で言った。
「本当ですか陛下、それは素晴らしいです。ついに古代エルフの神聖な遺跡をこの目で見ることができるんですね。きっと神殿もあるに違いありませんわ。今すぐにでも参りましょう。どこですか?」
「あ、いや、待て。いま、使用人たちに水洗いさせているからな」
「は? 水洗い? なぜ遺跡を水洗いなどしているのですか?」
「いやまあ・・・私は埃っぽい場所では、くしゃみが出るんだ。あらかじめきれいにしておかないと」
そこへ、遺跡の清掃をしていた使用人のリーダーが入ってきた。
「陛下、ご報告申し上げます。遺跡の中には、ウンチらしきものはほとんどありませんでした。排水路のような設備があって、放り込んだウンチは、どこかへ流れ出していたものと思われます。ウンチの匂いも気になるほどではありません。念のため、陛下のご指示の通り、床は丹念に水洗いしておきましたので、ウンチを踏むことはないでしょう」
大きなルミアナの目が、ますます大きくなった。慌てて俺は言った。
「いやあ、遺跡は長年放置されていたので、野良犬の巣になっていてな、イヌのウンチが溢れていたのだ。それで水洗いを・・・」
使用人が怪訝な顔をして言った。
「お言葉ですが陛下、野良犬など、おりませんが・・・・」
「ええい、もう下がってよい。ご苦労さまだった」
ーーーーーー
翌日、俺たちは古代エルフの遺跡探検を行うことになった。メンバーは俺の他に、ルミアナ、レイラ、カザル、もちろんキャサリンも一緒である。ミックは万一に備えて遺跡の入り口で待機することになった。
「アルフレッド様、お気をつけて」
探検だというのに、キャサリンは相変わらずピクニック気分である。例によって手作りの食べ物を持参してきた。カザルがそれを見て言った。
「キャサリンお嬢様、その背中に担いでいる巨大な棍棒は何でやすか?」
「棍棒とは失礼ね、これは、わたくしが今朝、丹精込めて焼いた『パン』よ」
パンと言っても、バゲット、つまりフランスパンのような長くて固いパンである。それにしても、キャサリンの作るものは相変わらずサイズが大きい。長さ1.2メートルはあるだろう。どう見ても棍棒にそっくりだ。
「でも、焼き方を少し失敗して、ちょっと固くなってしまいましたわ」
「いや、こういうパンは、ちょっと固いほうが美味しいんですぜ」
と言いながら、カザルがキャサリンの背中のパンに触ったが、黙ってしまった。
「どうした、カザル」
と言いながら俺もさわってみた。確かに固い。人を殴り殺せるほど硬い。これはもはやパンと呼ぶより凶器である。それにしても、どうやったらこんな殺人パンが焼けるのだろうか。
「キャサリンは、なにか特別な方法でパンを焼いているのか?」
「いいえ、本で読んだ通りに作ってますわ。そして、かまどの前でパンに向かって『おいしくなーれ』って、一生懸命に念じているのですわ」
ははあ、それがあやしいぞ。キャサリンは「貧乏神の勇者」だというから、無意識のうちに意図しない「貧乏神の魔法」が発動している可能性がある。つまり、美味しく焼けるように念じているつもりが、無意識に貧乏化の魔法が発動して、逆に『絶対食えない代物』に変化しているのかもしれないのだ。
しかし、そんなこと思いもよらないキャサリンは張り切っている。
「さて、食料も持ったし、遺跡に出発ですわね」
遺跡に通じる穴を垂直に十五メートルほど降りると通路が横方向へ伸びており、そこから三十メートルほど横に行った通路の突き当りが広い空間になっていた。空間の中央の壁には大きな石の扉がそびえている。この扉の向こうに遺跡があるのだろう。しかし、分厚い石の扉はどれほど押しても微動だにしない。扉を囲む石には、様々なレリーフが施されていた。扉にはエルフ文字の碑文が刻まれている。ルミアナが碑文に近づいて、文字を解読する。
「イグラム歴1025年・・・都市ラスクを封印し、我らこの地を去る。いつの日か再びこの地に戻る日まで・・・炎の熊と月の狼に守られて」
扉の上には熊と狼の頭部をかたどったレリーフ板が並んでいる。ルミアナは腰に手を当てて、しばらく考えていたが、やがて魔法素材の入ったバックを探り始めた。
「ルミアナ、何かわかったのか?」
「ええ、陛下。これはきっと魔法を鍵にした封印ですわ。炎の熊とは、熊の爪を素材に使用する腕力向上の魔法、使用時に炎のような赤い光を出します。月の狼とは、狼の牙を素材に使用する敏捷性向上の魔法、使用時に月の光のような、淡い青い光を出しますわ。たぶん、この魔法をレリーフに向けて使うことで、封印が解けるかと」
ルミアナが熊と狼のレリーフに向かってそれぞれに呪文を唱えると、カチリと音がして、びくともしなかった石の扉が動き出した。扉はゴリゴリと岩を引きずる音と共に下へゆっくり下がってゆく。それと同時に、真っ暗な扉の奥に続く通路の両側の壁に、ひとりでに明かりが灯った。どのような仕掛けなのかわからないが、壁に取り付けられた燭台の上にある石が輝いている。おそらく魔法を利用した照明なのだろう。
「すごいな、かなり古い遺跡だと思うが、まだ設備が生きているんだな」
「そうですね、放棄されたのは今から1000年以上前のはずですから、驚きですね」
遺跡の内部は石造りである。材質はアルカナではありふれた砂岩のようだ。表面はザラザラしているが、きれいに四角く切り出された石が丁寧に組まれている。広い通路を少し進むと左右に細い脇道がいくつも現れた。周囲の壁には木の扉が数多く並んでいる。その扉の一つを開いて、中に踏み込んでみた。内部はあまり広くないが、小部屋がいくつも繋がっていた。中を見回していたルミアナが言った。
「小部屋がたくさんあることから、これは、古代のエルフたちが住んでいた住居の跡じゃないかしら。入り口の碑文にも『都市ラスク』と刻まれていたから、ここはエルフたちが住む街だったはず」
カザルが周囲を見回して退屈そうに言った。
「はあ、エルフの住居でやすか。でも、何もないですぜ」
「それは、エルフがこの場所を去るときに、貴重品をすべて運び出してしまったからでしょうね。おカネになりそうな目ぼしいものは、何も残ってないでしょう」
キャサリンが何かを見つけたようだ。
「あら、これは何かしら」
キャサリンが何気なく壁から突き出したレバーを引いた。かちりと音がして、カザルの足元に開いた無数の小さな穴から、真っ赤な炎が吹き出した。
「うわあ、あちちち。な、なんだこれは」
ルミアナが言った。
「気をつけてカザル、それはたぶん暖炉の跡よ。暖炉の周りを囲んでいた柵などが無くなっているからわかりにくいけど。仕掛けはまだ生きているのよ」
「あぶねえ、あやうく焼き殺されるところでしたぜ。キャサリンお嬢様、危ないから、やたらと、そのへんのレバーに触らないでくだせえ」
「あら、わかったわ。レバーには触らないわ」
「やれやれ、キャサリンお嬢様には気を付けていただかないと、なにせ貧乏神の勇者なんだから、こっちがとんでもないことに巻き込まれるんですぜ。・・・ところで、この小さい部屋はなんだ?」
カザルが小部屋を覗き込んだ。中には柄付きのブラシが見えた。カザルがそれを手に取ろうと小部屋の中に入ると、突然、四方の壁から水が勢いよく吹き出した。
「ぐは、げほげほ、うげー、おい、止めてくだせえ」
ルミアナが言った。
「気をつけてカザル、それはシャワーか、あるいは洗濯場ですね。こんな水の少ないアルカナで、どこからこれだけの水を確保しているのか不思議です」
「ゲホゲホ、こんなのシャワーなんかじゃないですぜ、あやうく溺れるところだった。お嬢様、だからレバーにはさわるなと・・・」
「何よ、レバーなんか触ってないわ。この赤いボタンを押しただけよ。青いボタンを押したら、水が止まったの。本当に不思議ですわね」
「レバーもボタンもダメです。お嬢様は何も触らないでくだせえ」
ルミアナが言った。
「あ、それと、エルフの古代文明を調査した報告書では、家庭で出るゴミを吸い出して捨てる装置も洗い場の近くにあったらしいから、カザルも気をつけてね」
「うぎゃ、もう遅いですぜ。あっしの尻が吸い込まれました」
「まあ大変、キャサリンお嬢様、そっちの停止レバーを引いてください」
「え、でも、レバーにはさわるなって言ったわ」
「いまはいいんだよ」
「え、どれよ」
「そっちの、黄色いレバーです」
キャサリンが全身の力を込めて、赤いレバーを引いた。それは逆噴射レバーだった。ぼんという噴射音とともに反対側の壁まで吹き飛ばされたカザルは、壁に顔面をうちつけた。カザルは立ち上がるとヤケクソになって叫んだ。
「ええい、エルフの住居はもう、こりごりだ。先へ進みましょうぜ」
エルフの住宅おそるべし。というか、貧乏神キャサリン恐るべし。俺たちはエルフの居住区をあとにして、先へ進むことにした。広い居住区を抜けると道は広場に突き当たった。見たところ遊具もある。昔はエルフの家族たちが、ここで憩いのひとときを過ごしていたのだろうか。
道は広場で行き止まりである。遺跡はこれで終わりなのだろうか。先へ進む道を探して広場をしばらくうろうろしていたが、先へ進む入り口は見当たらず、一行はここで休憩することにした。
広場には壁に面して半円形の大きな池があり、池に面した壁には3つの大きなライオンの顔が彫り込まれている。その口からは水が流れ落ち、水音と共に波紋が広がっている。半円の池の縁に沿って人間や動物など様々な形の白い石像が並んでいる。池の周囲には石のベンチが設置されており、一行はそれぞれ思い思いの場所に座って休憩した。ルミアナは広場を囲む石壁を一人で丹念に調べていたが、やがて俺のところに戻ってきた。
「やっぱり通路は見当たりませんね」
「そうか。ここはエルフの古代遺跡に間違いないのだろうが、残念ながら住居だけの遺跡なのかも知れないな」
俺の腰掛けていたベンチの前には白い馬の石像が立っていた。しばらくするとキャサリンが歩いてきて、馬の石像を眺め回し、馬のお尻を軽く叩きながら俺の方を見て言った。
「思い出しますわね。お兄様ったら、子供の頃は馬が怖くて乗れなかったのですわ」
「はは、そうか。そりゃあ馬は大きいから怖かったんだよ。当たり前じゃないか」
「子供の頃のお兄様は臆病で馬に乗れなかったけれど、お兄様が『私のお馬さん』になるのは得意でしたわね。私がお兄様の背中にまたがると、とても喜んで、はあはあ言いながら這い回っていってましたわ。懐かしいですわ」
カザルが変な目で俺を見ている。
「ち、違う。お前とは違うからな。いや、あれだ、お馬さんごっこだ。子供の頃に兄が妹のお馬さんになってあげるのは、よくあることじゃないか。普通だぞ、普通」
「いいえ、お兄様は大人になっても、ときどき私のお馬さんになってくれましたわ。あの日、毒で倒れてしまってからは、ちっともお馬さんになってくれなくて。キャサリンは悲しいのです。恥ずかしがらなくていいですわ。ほら、お馬さんになって」
この変態兄妹が!
そうこうするうちに、キャサリンは石像の馬によじ登って、その背中にまたがると楽しそうに跳ね始めた。
「おウマは上手、おウマは上手、おウマは上手・・・」
喜んでキャサリンが跳ねていると、いきなり馬の首が取れて、そのまま池の中にぼちゃんと落ちて沈んでしまった。キャサリンは唖然として首が沈んだ池を見つめた。
「あらら、おウマさんの首が取れちゃいましたわ」
すると突然、地鳴りがして、地面がビリビリと振動し始めた。俺は叫んだ。
「き、キャサリン、今度は何をやらかしたんだ」
首の取れた馬にまたがったキャサリンが叫んだ。
「な、な、何も悪いことはしてませんわ。お馬さん首が勝手に取れて、なくなってしまっただけよ」
「へ、陛下、御覧ください。池の水が・・・」
レイラが指差す方を見ると、池の水がどこかへ吸い込まれるように、どんどんなくなってゆく。池の水位が下がるにつれて池の底へ続く石の階段が姿を現してきた。そして階段の先には金属の扉があり、水がなくなると扉が左右に開いて、奥へと続く真っ暗な通路が現れた。まさか馬の石像の首がスイッチになっていたとは。
「こ、これは・・・」
「隠し通路ですね、進みましょう」
隠し通路にはこれまでと違って照明がなく、真っ暗で何も見えない。俺とルミアナは<灯火球(ライト・オーブ)>の魔法を念じた。オレンジ色に明るく輝く二つの球体が空中に浮遊し、周囲を照らす。
魔法に使う魔法石は、以前に閉じ込められたドワーフの坑道で手に入れたものだ。ルミアナからもらった「魔法石袋」に入れてきた。魔法石袋に魔法石を入れておけば、魔法石をいちいち取り出さなくとも魔法を念じるだけでよいのだ。
通路は折れ曲がったり、枝分かれしたり、複雑な構造をしている。どうやら迷路、ダンジョンのようである。外敵が侵入した際に時間を稼ぐために作られたに違いない。俺たちは道に迷わないよう、床にチョークで印を書きながら慎重に進んだ。
曲がり角の多い通路をしばらく進むと、急に長い直線に出た。前方が暗くて見えない。何か嫌な予感がする。周囲に気を配りながら慎重に進むと、突然、前方から巨大な<火炎弾(ファイア・ボール)>が飛んできた。火球の大きさは通路一杯に広がっており、逃げ場はない。驚いたキャサリンとカザルが叫ぶ。
「きゃああ」
「うおお、やべえ」
不意を突かれて驚いたが、俺は魔法攻撃に対する防御も十分に訓練している。では、どのようにして魔法を防御するのか。<火炎弾(ファイア・ボール)>の魔法は、魔力で火球の軌道をコントロールしている。だから、敵から放たれた火球も、自分の魔力を使ってその軌道をコントロールできるのだ。
俺は正面から飛んできた火球に向かって<火炎弾(ファイア・ボール)>を強く念じると、火球を反対側へと弾き飛ばした。俺の魔力レベルが相手の魔力レベルよりも強ければ、相手の魔法を弾き返すことができる。逆に言えば、強力な魔力の相手なら攻撃を弾き返すことは難しい。その場合は避けるしかない。
「あんな巨大な火の玉を弾き飛ばすなんて、さすがはわたくしのお兄様ですわ」
<火炎弾(ファイア・ボール)>は次々に打ち込まれてきたが、飛んでくる火炎弾の魔力はそれほど強くない。やがて魔法石が切れたのか、火炎弾は飛んでこなくなった。通路の突き当りまで進んだが、敵の姿はない。よく見ると石壁に親指ほどの穴が空いている。この穴から火炎弾が飛び出してきたのだろう。壁に炎の魔導具が埋め込まれているに違いない。俺はルミアナに尋ねた。
「この壁に埋め込まれている魔導具を取り出して利用できないかな」
「いいえ、壁と一体化されているので、壁を破壊して取り出すと壊れてしまうでしょう。杖の形をした携帯型の魔導具でなければ利用は難しいかと」
「それは残念。魔導具がほしいなあ」
その後、しばらく進むと、通路の前後から石のこすれるような音が聞こえてきた。どこかで扉が開いている音だ。それが止むとすぐに、前後から多数の足音が響いてきた。音は急速に大きくなる。ルミアナが叫んだ。
「何かくるわ、しかも前後から挟み撃ちだわ」
俺は言った。
「レイラは前方を、カザルとルミアナは後方を頼む」
通路の前後の暗闇から、ほぼ同時に、四、五匹の犬に似た動物が飛び出してきた。鋭い歯をむき出している姿は、一瞬、犬のように見えたが体には体毛はなく、関節につなぎ目がある。これは犬型の人形だ。いわばロボットである。おそらく魔法の力を利用して動いているのだろう。
「行きます!」
前方を守っていたレイラが、突進してくる犬人形に向かって駆け出すと、気合とともに剣を大きく横に振り回した。横に並んで突っ込んできた二匹の犬人形の頭が、ほぼ同時に砕け散り、二匹は右壁にふっ飛んだ。返す刀であとに続く犬人形の胴体を上から真っ二つに切り捨てる。その動きは流れるようだ。
さらに、後続の犬人形がレイラに飛びかかる。大きく開いた顎がレイラの喉元に迫る。即座に鋼鉄の盾で犬の顎を打ち付ける。衝撃音と同時に、犬人形の頭が折れ曲がる。その間に残りの一匹もレイラに飛びかかり右腕に噛み付いた。だが堅牢な近衛騎士の鎧には歯が立たない。噛み付いた犬人形を、大きく腕を振って地面に叩きつけ、その胴体を剣で刺し貫いた。
あっという間に、前方の敵は片付いてしまった。後方を守っていたルミアナは、接近する三匹の犬人形の頭部を素早い弓で射抜く。そして、突っ込んできた残る二匹の犬人形をカザルが上からハンマーで叩き潰した。今回は俺の出る幕はなかった。
レイラは、壊れて床に転がった犬人形をまじまじと見ながら言った。
「陛下、何ですかこれは?犬の形をした人形のようですが、このような生き物は初めてみました」
「これは生き物じゃない。おそらく魔法の力で動いている人形のようなものだ」
犬人形から矢を引き抜きながら、ルミアナが言った。
「そうです。古代エルフは魔法の力で動く『魔法人形』を作り、戦闘や労働に利用していました。犬の形をしたものや、人間の形をしたものなど、様々な種類があります」
破壊された犬人形をナイフで切り裂いてみた。比較的柔らかい粘土のような材料に、木材の骨格を埋め込んで作られている。どうやって動いているのかまったく想像もつかないが、魔法を使っていることは確かなようで、ちょうど心臓のあたりに数個の魔法石が埋め込まれていた。
人形に仕込まれていた魔法石は簡単に取り出すことができた。これまであまり手に入らなかった青や黄色の魔法石を手に入れることができ、思わぬ収穫である。
ルミアナは、犬人形をナイフで解体しながら言った。
「これは遺跡を守るガーディアンの一種ですね。ガーディアンがいるということは、この遺跡にはかなり重要な何かが保存されているに違いありません」
しばらく進むと小部屋に出た。天井には小さい丸い穴がいくつも開いている。こういうところでは、だいたい何かが出てくるものだ。タン、タン、タンという音が響き渡り、その音が終わると同時に天井の穴から、灰色の丸いかたまりが次々に落ちてきた。それは拳ほどの大きさで、地面に落ちると開いて蜘蛛のような形になった。
それを見たキャサリンが剣を抜きながら自信満々に言った。
「まあ、こんなちっこい奴なら、わたくしでも倒せますわ。えい」
キャサリンの剣が蜘蛛に触れた瞬間、バチッと音がして電撃が走った。蜘蛛のガーディアンは、瞬間的な電撃を放つ攻撃能力を持っているようだ。キャサリンは驚いて、尻もちをついてしまった。数匹の蜘蛛がキャサリンに素早く這い寄ってくるとその体に取り付き、次々と電撃を放ち始めた。
「ひゃああ、あああ、ひい」
床に転がって悶えるキャサリン。それを見たレイラが駆け寄る。だか、全身金属のプレートアーマーで覆われたレイラは、たちまち蜘蛛の電撃攻撃の餌食になってしまった。鎧に取り付いたロボット蜘蛛が次々に放つ電撃で体が麻痺して、剣を振るうこともできず、四つん這いになった。
「きゃあ、いやあ、はああ」
俊敏なステップで蜘蛛の電撃を避けていたルミアナだったが、頭上の穴から落ちてきた蜘蛛に隙をつかれ、ひるんだ隙に四、五匹の蜘蛛に取り付かれてしまった。
「あああ、はああ、うううん」
キャサリンとレイラとルミアナが悲鳴を上げて床の上で悶えている。この様子を見たカザルが興奮した様子で俺に言った。
「・・・三人の美女が床の上で悶えている・・・こ、これは、めったに見れない光景ですぜ旦那、どうしやしょう」
「ば、ばか。喜んでいる場合か、早く助けないと・・・。しかし蜘蛛が近すぎて、私の魔法だと仲間にもダメージを与えてしまう。直接武器で蜘蛛だけを叩かないと」
「でも剣やハンマーのような金属製の武器は使えませんぜ。蜘蛛の電撃で、こっちも感電してしまいます。金属じゃない武器が必要ですぜ」
「金属じゃない武器か・・・木の棍棒のような・・・」
俺はカザルと顔を見わせた。棍棒といえば、キャサリンの焼いた「殺人パン(バゲット)」があるではないか。俺とカザルは、キャサリンの近くの床に転がっていた棍棒のようなパンをひっつかむと、力任せに蜘蛛を殴りつけた。パンの硬さが尋常ではないためか、蜘蛛がもろいためかわからないが、数回殴ると蜘蛛は壊れて動かなくなった。
俺とカザルはパンを振り回して蜘蛛を次々に破壊して、彼女たちを救出した。
「はあはあ・・・お兄様、助かりましたわ。ところで、その手に持っている棍棒は何かしら。わたくしが今朝焼いてきたパンにずいぶん似てますこと・・・」
「あ、これか・・・これはその・・・カザルがこれを使おうと言ったんだ」
「うわ。ち、ちがいやすぜ、あっしは『金属製じゃない武器が必要だ』って言っただけです」
キャサリンはムッとした。
「まあ、食べ物をおもちゃにしちゃいけないって教わらなかったの?バツとして、いま手に持っているパンは、あとで自分たちで食べるのよ。わかった?」
まったな、こんな棍棒みたいな硬いパンは食えないだろ。悪いが、ドサクサに紛れて、後で捨ててしまおう。
俺たちは先へ進んだ。
やがて通路はT字路に突き当たった。どちらへ進むべきか通路の真ん中あたりで悩んでいたときだ。頭上からガリガリという音が響くと、いきなり石の壁が落ちてきた。
「あぶない」
俺はとっさに左へ転がり、壁の直撃を避けた。石は地響きをたてて床に落ちた。気が付くと壁によって俺たちのパーティーは二つに分断されてしまった。壁のこちら側には俺とレイラ、向こう側にはキャサリンとルミアナ、カザルがいる。俺は壁を叩いた。
「おい、大丈夫か?聞こえるか?」
壁の向こうから何らかの音は聞こえるものの、何を話しているか聞き取ることはできない。壁はかなりの厚さがあるらしく、叩いても押してもびくともしない。これは参ったな。レイラが言った。
「とりあえず、先へ進むしかありません」
「そうだな」
気が付くとレイラの目がギラギラ輝いている。戦士というのは、ピンチになるほど本能的に興奮するものらしい。
「陛下は何があっても私がお守りいたします。ご安心ください」
「あ、ありがとうレイラ、頼りにしているよ」
レイラは、俺から頼りにしていると言われて、ますます気合が入っているようだ。意味もなくブンブン剣を振り回している。
ダンジョンもかなり奥まで進んできたので、そろそろラスボス的な敵が出現してもおかしくないタイミングだ。まあ、だいたいラスボスはサイズが巨大と決まっているので、大広間に出現するものだ。しばらく行くと、案の定、広い部屋に出た。部屋はとても広いため、俺の<灯火球(ライト・オーブ)>の明かりでは、部屋の四隅が暗くてよく見えない。天井が高く、その天井を支えるためか、部屋には柱が何本も立ち並んでいる。
「これは、いかにも強敵が出そうな雰囲気だな」
「用心してください」
緊張感が漂う。暗い部屋の中に踏み込むと、入ってきた通路に壁が落ち、俺たちは部屋に閉じ込められた。敵を倒さない限り、先へ進むことも戻ることもできない。
やがて、暗い天井に開いた真っ黒い大きな穴から巨大な黒い塊が落ちてくると、グシャという大きな音を立てて床の上に広がった。
そいつは直径が5メートルほどもある巨大スライムだった。中央部分は小山のように盛り上がっている。ぬるっとした光沢を放つ表面のあちこちが不気味に波打っており、腐ったゴミのようなにおいもする。幸いなことに、恐れていたウンチスライムではなかったが、こんなでかいスライムにどう対処したらいいのか。
その奇妙な姿を見て、レイラは思わず後ずさりした。
「うわ、な、なんですか、これは。気味が悪いし、においも酷い。これでも生き物なのですか」
「これは、スライムという怪物だ。体がゼリー状の液体でできている。古代のエルフはこんな怪物まで飼い慣らしていたのだろうか」
「まずは、私が切り込んでみます」
「だめだ、レイラ、不用意に近づくな」
レイラがスライムに斬りかかると、突然スライムの表面から数本の黒いムチのような触手が飛び出し、レイラの足に絡みついた。次の瞬間、触手がスライムの中心へ向かって引っ張られると、レイラはバランスを崩して転倒してしまった。スライムの表面には口のような大きな穴が開き、そのままズルズルと中へ引きずり込もうとしている。飲み込まれれば、窒息して一巻の終わりだ。
「きゃああああ」
俺はスライムに駆け寄ると、口らしき穴に向かって<火炎噴射(フレイム・ジェット)>を放射した。スライムはさすがに驚いたのか、大きく開いていた口を即座に閉じ、触手の力を緩めた。その隙にレイラが触手を振りほどき、這って逃げる。レイラがスライムから離れたことを見届けると、俺はスライムに向けて、最大魔力で<火炎噴射(フレイム・ジェット)>を放射した。床も天井も焦げるほどの火炎である。
「熱い、熱いです」
俺の後ろにいたレイラが熱さで思わず悲鳴をあげる。部屋には焦げたような匂いが充満してきた。俺は火炎放射をやめてスライムの様子を見た。スライムの全体から白い水蒸気のような煙が立ち上っている。動きは止まっているようだ。やったか? だが、しばらくすると、再びうねうねと動き始めた。
俺が再び火炎攻撃を行おうと身構えたところ、突然、スライムの中央付近から、何かが飛び出した。それは俺の顔の横をかすめると、後ろにいたレイラの盾にぶつかって、貼り付いた。ねっとりとした粘液の塊である。その粘液がレイラの盾をじわじわ溶かし始めた。レイラが驚いて大声を上げる。
「た、盾が溶ける・・・」
「まずい、これは溶解液だ」
スライムは、鋼鉄の盾をも溶かすほどの強力な溶解液を次々に飛ばしてきた。金属を溶かすだけでなく、皮膚に触れれば、たちまち焼けただれてしまうだろう。目を持たないスライムだけに狙いは不正確だったが、粘液を次々に飛ばしてくるため近くにいれば非常に危険だ。
「向こうの柱の陰に逃げ込め」
俺とレイラは全力で走り出したが、逃げる途中でレイラは背中に粘液の直撃を受けてしまった。溶解液が背中からお尻にかけてべっとり張り付いている。なんとか柱の陰に逃げ込んだ俺はレイラに言った。
「残念だが、プレートアーマーは脱いだほうがいい。そのままだと溶解液が皮膚にまで到達する危険がある」
「うわ、陛下。陛下のおズボンにも溶解液が・・・」
レイラに言われて見ると、いつの間にかズボンに粘液のしぶきが付着している。これはやばい。俺は急いでズボンを脱ぎ捨てた。そうこうする間にも、スライムがズルズルと俺たちに近づいてくる。俺はレイラがプレートアーマーを脱ぐのを手伝いながら、時々スライムに<火炎噴射(フレイム・ジェット)>を放射する。火炎を浴びせている間はスライムの動きが止まる。だが、放射をやめて少し経つと、再び動き出す。くそ、火炎魔法は効かないのか。
俺とレイラは、火炎魔法でスライムが怯んでいる間に、部屋の反対側の柱の陰まで走って逃げた。スライムは動きが遅いので、すぐには追ってこない。だが、このままではいずれ俺の魔力か魔法石が尽きて、餌食にされてしまう。こうなったら火炎魔法とは逆に凍結魔法で凍らせるか。幸い、先に倒した犬人形や蜘蛛人形から、冷却魔法で使う魔法石を入手できた。俺はレイラに言った。
「凍結魔法を使ってみる。かなり寒くなるかも知れないので、覚悟してくれ」
レイラは溶解液の付着したアーマーと鎧下を外してしまったので、下着だけの姿である。
「大丈夫です、陛下」
柱の陰から覗くと、スライムがゆっくり近づいてくるのが見えた。俺はスライムめがけて<凍結(フリーズ)>を噴射した。瞬時に周囲の水蒸気が氷結して、細かい氷の結晶がきらめく。冷気はスライムを直撃した。俺はそのまま<凍結(フリーズ)>を噴射し続ける。スライムの前進してくる速度が徐々に落ち始め、表面のうねりも見えなくなり、やがてスライムの動きが止まった。全体に白っぽく霜が付着している様子だ。
「動きが止まりました、陛下」
「ああ、効き目はあるようだ。だが安心はできない。完全に凍りつくまで攻撃を続ける」
そう言うと、俺は渾身の魔力で再び<凍結(フリーズ)>を噴射し続けた。凍結魔法の余波で部屋の温度が急激に低下してゆく。俺とレイラの吐く気が、白くもうもうと湯気のような煙になり、眉毛も凍り始めた。レイラは下着姿のまま震え始めた。このままでは凍えてしまう。俺は凍結魔法を止めた。
スライムは完全に凍りついたようだ。そのまま放置すれば解凍して復活する恐れもあるが、しばらくの間は大丈夫だろう。ハンマーのようなもので叩けば、ばらばらになるかも知れない。が、とりあえず体を温めるのが先だ。
俺とレイラはスライムと反対側の壁際へ行くと床に座った。尻が冷たい。とにかく体を温めるため、俺は床に魔法石を置くと魔法で火を起こした。魔力を調整して、丁度よい火加減にする。
「陛下、ものすごく寒いです。凍えそうです」
俺は上着を脱ぐと、下着姿のレイラに掛けてやった。レイラの体がでかすぎて、下の方はほとんどむき出しだったが、何もないよりはマシだろう。俺もズボンを脱いでしまったので下半身が寒くてかなわない。寒さを防ぐため、俺とレイラは自然と体を寄せ合った。ふと思ったが、こんな姿を誰かに見られたら大変だ・・・。
突然、俺たちの横の壁から音が響いてきた。そして壁の一部が上へ上へと引き上がり、通路が口を開けた。通路から、キャサリンとカザルが飛び出してきた。
キャサリンが俺を見つけて言った。
「まあ、こんなところにお兄様が。ご無事でしたのね。それにレイラも・・・あれ? ここで何をしているんですの? 二人で抱き合って・・・」
「う、うわ。ち、違うぞ。やましいことは何もしていないからな。部屋が寒いから、二人で温まっていただけだ」
カザルが寒さで身震いした。
「うげ、旦那、なんですかここは。とんでもねえ寒さですぜ。なんでこんな寒いところで抱き合ってるんですか。裸で抱き合うなら、もっと温かい部屋がいいと思いますぜ」
「いやちがう、抱き合ってるわけじゃないんだ、体を温め合っているだけだ」
「同じことですぜ」
「ええい、やかましい、あれを見ろ!」
俺はガチガチに凍結させた巨大スライムを指さした。
「なんですか、ありゃあ・・・あのかたちは・・・巨大なウンチですか」
「馬鹿野郎、あんな巨大なウンチをする生き物なんかいるかよ。スライムだ、スライム。あれが、鋼鉄を溶かすほど強力な溶解液を飛ばして攻撃してきたため、レイラの鎧も俺のズボンもやられてしまったんだ。そして、あれの動きを封じるために強力な凍結魔法を放射した。だから部屋が凍りついて、あやうく凍死するところだった」
「へえ、あれがスライムですかい。あっしは初めてみやしたぜ」
ルミアナが言った。
「そうですわね、スライムは異形の怪物だから、この世界ではめったにお目にかかれません。私も本物を目にするのは初めて。レイラも災難でしたわね。私のマントを貸してあげますわ」
そう言うと、ルミアナはバッグからマントを取り出すと、レイラの肩に優しくかけた。俺はカザルに言った。
「ところで、あのスライムは魔法でカチカチに凍らせてある。今のうちに、カザルのハンマーで叩き割ることはできないか?」
「は、お安い御用ですぜ、旦那」
カザルは凍りついたスライムに駆け寄ると手前で大きく飛び上がり、勢いを付けてスライムの真ん中めがけてハンマーを打ち下ろした。ガキンと音がして、スライムにヒビが走った。カザルがスライムの上で同じ場所にハンマーを何度も打ち下ろすと、ビビは大きくなり、やがてスライムは真っ二つに割れた。念のため、さらにバラバラにしてもらった。
スライムを破壊したあと部屋をよく調べると、隅の方に小さな扉があり、隠し部屋が見つかった。隠し部屋にあったレバーを操作すると部屋の壁がせり上がって、広い通路が現れた。通路の両側には複数の扉が並んでいる。扉の上にはエルフ文字が刻まれており、その一つをルミアナが読んだ。
「・・・保管庫」
ついに保管庫を発見したのである。
保管庫の扉は全部で6つあり、順に調べることにした。最初の扉に鍵はかかっていなかった。両開きの扉は木製で、少し力を入れて押すと、かすかに蝶番(ちょうつがい)のきしむ音がして簡単に開いた。期待に胸が高まったが、保管庫は空っぽだった。キャサリンが落胆の声をあげた。
「なによ、空っぽじゃないの。こんなに苦労してきたのに、がっかりですわ」
普通に考えれば、エルフがここを去るときに大切なものはすべて持ち去るのが当然だ。
次に調べた部屋には、壁に巨大な地図が描かれていた。ルミアナが言った。
「これは、古代メグマール地方の勢力図ね。すでにこの時代にアルカナ王国の名前もあるわ。人間の王国が徐々に勢力を拡大して、エルフは次第に追いやられていたのかも知れないわ。それで人間から身を守るために、こんな地下都市を築いたのかも知れない」
ルミアナはどことなく悲しそうに見えた。それにしても、高度な魔法技術を持つエルフ族が、なぜ衰退してしまったのだろう。不思議だ。
別の部屋は遺跡全体の制御室だった。壁面には地下都市の住居やダンジョンの配置図が書かれ、あちこちにレバーが並んでいた。ここから各所に配置されたトラップや魔法の人形を操作できるようだ。うかつに触ると余計なトラップが起動しそうなので、そのままにしておいた。
どの部屋も何も残されていなかった。制御室に戻って再びダンジョンの配置図を調べた。スライムの居た部屋から奥に7つの部屋が描かれている。だが、実際に調べた部屋は6つだけだ。一番奥にある部屋の扉が見つかっていない。
「ルミアナ、扉が強力な魔法で隠されているかも知れない。魔法を解除してくれないか」
ルミアナは幻惑系魔法のスペシャリストだ。配置図から推測して部屋があると思われる周辺の壁に向かって<幻影解除(ディスペル・イリュージョン)>の魔法を使うと、霧が晴れるように両開きの青銅の扉が現れた。扉の表面には、遺跡の入口にあったのと同じ、熊と狼のレリーフが施されている。ルミアナが魔法を唱えると鍵が外れる音がして、扉を手で押すとゆっくりと開いた。
部屋には、いくつものテーブルが並んでいる。テーブルの上には種類ごとに分けられた魔法石が一杯に入った壺が並んでいる。かなりの量だ。
「旦那、こりゃあ、すごい量だ。旦那の魔法が使い放題ですぜ」
これまでほとんど入手できなかった数多くの種類の魔法石が大量にある。これだけの量の魔法石があれば、俺とルミアナが魔法を使うのに当分不自由することはないだろう。これは大きな収穫だ。
ところで魔導具はあるだろうか。部屋の壁には杖を収めていたと思われる丈の長い箱が並んでいたが、その中に魔導具はない。よく見ると、部屋の奥の方の棚に数本の杖のようなものが立っていた。ルミアナはそれを手に取ってしばらく観察してから言った。
「これは魔法石を探知する魔導具ですわ。これを使えば、人間でも魔法石を探すことができます。攻撃魔法が使える魔導具ではないので直接の戦力にはなりませんが、長い目で見れば、自前で魔法石を調達できることは、大きなメリットになります」
いやいや、これは大きいぞ。何しろ魔法石がなければ、魔法なんて坊さんの念仏よりも役に立たないからな。これで一般の兵士たちを使ってアルカナ全土から魔法石の収集ができる。
部屋をうろついていたキャサリンが、奥で何かを見つけたようだ。
「お兄様、見て。ここにも扉があるのですわ」
ルミアナが近づき、扉の文字を読む。
「開けるな危険・・・」
なんじゃそりゃ。ずいぶんベタな表現だな。というか、開けるなと言われて『ハイそうですか』なんて引き下がる奴はいない。むしろ開けたくなるというものだ。
「特殊な魔法で封印されていますね。扉の表面に魔法の図形が描かれていますが、もしかすると扉をあけるための魔法の図形かも知れません。ちょっと試してみましょうか」
そう言うと、ルミアナは魔法を念じた。しばらく念じていたが、何も起こらない。
「私の魔法の能力では、この魔法は使えないようです。アルフレッド様なら、もしかしたら使えるかも知れません」
俺は扉に描かれている魔法図形を丹念に見て記憶する。そして、そのイメージを扉へ向けて解き放った。すると扉は音もなく消え去り、その奥に小さな部屋が見えた。部屋の壁は全面が真っ黒な色で塗りつぶされていて、異様な雰囲気である。部屋にはやはり黒い色をした、どことなく棺桶を思わせるような箱が安置されている。箱にはフタがなく、中には何者かが横たわっていた。
俺がその人物を確認しようと一歩近づいた時、突然、その人物がむっくりと上半身を起こして、大きく伸びをした。
「ふわわあああ、あーよく寝た」
俺は驚いて後ずさりした。それは女のようだった。俺たちがあっけに取られていると、その女は箱の上に立ち上がると、ぽんとジャンプして床に降り立ち、こちらを見た。
「あれ、お主らは何者じゃ?なぜここにおる?」
女は不思議そうな目で俺たちを見た。その女は美しかった。腰まで届きそうな青く長い髪、そして大きな胸にくびれたウエスト。抜群のプロポーションだ。ふっくらとした唇、切れ長の目、しかしその瞳は赤く燃えていた。明らかに人間ではなさそうだ。
しかも、その体にまとうのは・・・ビキニアーマーだ。ビキニアーマとは、どう考えても何の防御にもならない、ほとんど裸のような鎧である。実用性はゼロだが、男性には絶大な人気を誇る。その実物を着用した美人を、このアルカナで拝めるとは・・・。
いやいや、喜んでいる場合ではないぞ。こいつは人間ではない。しかもエルフでもない。何者なんだ?俺は女の質問にゆっくりと答えた。
「私は、アルカナ国の国王、アルフレッドです。このエルフの遺跡を探検しているところです。あなたに危害を加えるつもりはありません。ところで、あなたは?」
「われか? われの名は『サファイア』じゃ。かの有名なキメラナ国の姫じゃ」
「キメラナ国?・・・大変失礼ながら、キメラナ国という名はこれまで聞いたことがありません。どこの地方にあるのでしょうか」
「うむ。キメラナ国は人間界の国ではない。魔界の国じゃ。われは魔族なのじゃ」
魔族と聞いて俺たちは身構えた。なるほど、魔物ならば、この容姿にも納得がいく。
「安心せい。われは人間族に敵対するものではない。われはエルフどもによって捕らえられ、無理やりここに閉じ込められておったのじゃ。それを、人間族であるお主らが救い出してくれたわけじゃ。感謝するぞ・・・ん?」
サファイアと名乗る魔族の女は、ルミアナの姿に気がつくと怒り出した。
「お・・・お主は、あの憎きエルフではないか! エルフめ、われをこんなところに閉じ込めおって、許さんぞ。他の連中はどうした?」
ルミアナが静かに言った。
「サファイア様、もはやここにエルフはおりません。この都市のエルフはひとり残らず、どこかへ消えてしまったのです。私はよそからやってきた流れ者のエルフです。あなたのことは何も知らないのです」
「は? 消えたじゃと? あれだけ、うじゃうじゃおったエルフ族が一人残らず消えるわけなかろう」
「いえ、サファイア様がここに閉じ込められている間に、この都市は放棄されたのです。そしてそれ以来、1000年以上もの間、サファイア様はここで眠り続けていたのです」
「な、なんと・・・われは、1000年以上もここに閉じ込められておったのか・・・そして、誰からも忘れ去られて、眠り続けておったと・・・」
サファイアと名乗る魔族の女はショックを受けているようだった。俺はサファイアに尋ねた。
「なぜ魔族のお姫様であるサファイア殿が人間界に来られたのですか?」
サファイアは、はるか昔を思い出すように宙を見つめながら言った。
「われは自ら望んでこの人間界に来たわけではない。いわば政敵の策略によって人間界に飛ばされてきたのじゃ。
われは、魔界にあまたある王国の一つ、キメラナ国の姫じゃった。欲望がどろどろと渦巻く魔界では、勢力争いが絶えることはない。われの王国も周辺諸国と覇権を競っておった。姫であるわれも、一族の先頭に立って戦っておった。
そんなある日、われは部下と共に敵の要塞に攻め込んだ。そこに罠が仕掛けてあったのじゃ。うかつにも、われはそれに気付かず、床に開いた転移門に落ちてしまった。そのあとは何も覚えておらん。気がつくと、大きな川のほとりに一人で倒れておった。誰かがわしのことを知らせたのじゃろうか、しばらくすると、武装したエルフの軍隊がやってきて、われは囚われてしまったのじゃ」
俺は不思議に思った。
「魔族は強力な魔法を使えると聞くが、どうして簡単に捕まったのか?」
「そこが問題なんじゃ。というのも、人間界に落ちたわれは、ほとんど魔法が使えなくなっておったのだ。この世界では魔法は魔法石を使って発動するが、魔族は魔法石など使わん。どうやら魔界と人間界では魔法の使い方が異なるようじゃ。じゃから魔法を使えないわれは、あっけなく捕まってしまったのじゃ」
「それにしても、なぜエルフは魔法も使えないサファイア殿を、こんな地下深くに厳重に封じ込めたのだろう」
「さっぱりわからん。じゃが、われの魔法の力がいずれ復活すると考えたのじゃろう。それで、われが無力なうちに閉じ込めてしまおうと考えたのかもしれぬ」
「なるほど。もし魔族が魔法を自由に使うようになれば、エルフにとって脅威になるわけだ」
「さよう。じゃが、このとおり。われは、今でもほとんど魔法が使えないというわけじゃ。まったく早とちりの馬鹿な連中よのう、あっはっは」
あっはっは、じゃないだろ。魔族なのに魔法が使えないってことは、まるで役に立たないってことだろ。この先どうするつもりなんだ。
「ああ、われのことはサファイアじゃなくて、サフィーと呼んでくれて良いぞ。お主は恩人じゃから、われに気を使うことはない。もっとフレンドリーに話せば良いのじゃ。それに、これからも末永くお主たちの世話になるつもりじゃからのう」
「え? 末永くって、我々の仲間になりたいということか」
「そりゃそうじゃろう。まさか、われを見捨てるつもりか?」
すかさずカザルが言った。
「旦那、お姉ちゃんを見捨てるなんて出来ませんぜ。そんなもったいない・・・いや、薄情なことをしたら、バチが当たりますぜ」
鼻の下が伸び切ったカザルの顔を見たキャサリンが不機嫌そうに言った。
「いやよ。魔法の使えない魔族なんて、単なるお荷物ですわ。クズですわ、クズ」
サフィーは焦って言った。
「まてまてまて。この世界に来てすぐは、まるで魔法は使えなかったが、今のわれは攻撃魔法こそ使えんが防御魔法は使えるんじゃ。本当じゃ、証拠を見せてやろう。まず、直接攻撃に対する防御魔法である<皮膚硬化(ハーデニング)>を見せてやろう」
サフィーが呪文を唱えると、全身が淡く発光し始めた。サフィーはキャサリンに向かって言った。
「よし、そこのお嬢ちゃん、われを剣で切ってみよ。遠慮はいらぬぞ」
キャサリンの横に居たレイラが、鋼鉄の長剣をさやから引き抜きいた。
「では、わたしが」
「へ? そっちのお嬢ちゃんじゃなくて、お主か・・・まずいな、われは、そっちのお嬢ちゃんの方が良かったのだが・・・まあよい。えへん。お主、われに切りかかってこい」
「では遠慮なく。そりゃあああ」
「ぐは・・・」
肩口からバッサリ切り切られたサフィーだったが、驚いたことに体に傷はまったく付かず、血も出ていなかった。しかし、サフィーはもんどり打って床に転がった。
「うわおお、いててて、ぐわわわ、痛い・・・お主は加減というものをしらんのか」
サフィーは、しばらく床でのたうち回っていたが、やがて静かになった。そして、むっくり起き上がると自信満々の表情で俺に言った。
「まあ、こんなもんじゃ。このように剣で切られても傷も付かんし、死ぬこともない。ただし痛みはそのまんまじゃから、死ぬほど痛いのが欠点じゃがな。まあ、死ぬよりはましじゃろ。どうじゃ、すごかろう?」
「まあ、すごいことはすごいが、死ぬほど痛いのは嫌だな」
「やっぱりこの魔族の女はポンコツですわ、ダメですわ」
「あああ、まてまて、はやまるな。別の魔法がある。これはすごいぞ。人間界には存在しない防御魔法じゃからな。弓矢や魔法などの遠距離攻撃を弾き返す魔法の盾じゃ」
確かにエルフ魔法には、弓矢や魔法を弾き返す魔法はない。それが本当なら戦闘で役に立つかも知れないな。サフィーが右手を上げて呪文を唱えた。
「<魔法障壁(マジック・バリア)>」
サフィーが<魔法障壁(マジック・バリア)>を唱えると、半透明なドーム状の盾が現れ、サフィーを囲んだ。
「さあ、そこのエルフよ。われを弓で射てみよ」
ルミアナが弓を引き絞り、サフィーをめがけて矢を放った。
「では遠慮なく行きます。はいっ」
矢はバリアの表面で跳ね返り、後ろへ飛んでいった。半透明のバリアが消えて、サフィーはドヤ顔で言った。
「どうじゃ、見事に跳ね返したぞ。このように弓矢攻撃に対しては・・・」
「はいっ、次」
ルミアナが放った二本目の矢が、ドヤ顔のサフィーの額の真ん中に刺さった。
「うぎゃ、いてててて・・・」
サフィーはわめきながら床をごろごろ転がっている。しかし先に唱えた<皮膚硬化(ハーデニング)>の効果で、ダメージを受けていないようだ。サフィーはむっくり起き上がると矢を引き抜いて大声で言った。
「痛いじゃろ、二本続けて矢を放つんじゃない」
ルミアナが呆れてサフィーに言った。
「戦場では、無数の矢が飛んできますわ。この防御魔法は持続時間が短すぎると思います」
「ち、違うんじゃ。われは1000年以上も何も食事しておらんかったので、魔力がほとんど枯渇しておるのじゃ。じゃから魔法が持続しない。何か食えば、魔力が回復する。そしたら、魔法の威力も元に戻る。お主ら、何か食べるものを持っておらんか」
キャサリンが言った。
「仕方ないわね。食べ物なら、ここにありますわ。わたくしの焼いたパンですわ」
「あ、それはやめたほうが・・・」
俺が止める間もなく、サフィーはキャサリンから棍棒パンを手渡されると、すぐにバリバリ音をたてて食べ始めた。うまいうまいと言って食っている。俺もカザルも、目を大きくして驚いた。
「か、固くないのか・・・」
「ふむ、確かに尋常でなく硬いが、われの歯は特別じゃからの。どんな固いものでも食えるのじゃ。骨付き肉も、骨ごと食えるのじゃ」
「ちょうど良かった。俺とカザルの分も食ってくれ」
俺とカザルは蜘蛛型の魔法人形を叩き潰すのに使ったパンをサフィーに手渡した。
「あっはっは、驚いたか。しかも、それだけではないぞ。われの胃袋は異次元構造をしておるので、いくらでも食える。魔界におったころは、百人前くらいの飯を一度に食ったものじゃ。どんなもんじゃ、あっはっは」
俺たちは顔を見合わせた。
「一度に百人前も食われたら、アルカナ城の食料がたちまち食いつぶされてしまいますわ」
「エルフがサフィーを地下牢に閉じ込めた理由も、それじゃないのか」
「これは、連れて帰るわけにはいかないな」
サフィーはあわてて言った。
「いやいや、食おうと思えば食えるというだけで、食うとはいっておらんぞ。人間界では十人前・・・じゃなくて三人前の食事で十分じゃ。あっはっは」
サフィーの腹がぎゅるると鳴る。みんなの視線が一斉にサフィーの腹に注がれる。
「あっはっは、行儀の悪いおなかじゃのう・・・」
気まずい静寂があたりを包んだ。サフィーの顔が引きつっている。何か思いついたのか、サフィーが手を打った。
「おお、そうじゃ、こうしよう。お主とわれが結婚するのじゃ。われは魔界のキメラナ国の姫じゃから、身分的にも釣り合いが取れておる。われとお主が結婚して、魔界と人間界の支配を目指すのじゃ、すばらしかろう、あっはっは」
キャサリンが全身の毛を逆立てて叫んだ。
「まああ、突然何を言い出すのかと思ったら、お兄様と結婚するですって? ふざけないで欲しいですわ。魔界のお姫様だか何だか知りませんけど、わたくしが許しませんわ」
レイラは俺の前に飛び出すと、長剣をサフィーに突きつけた。顔が真っ赤である。
「お、お前なんかに、アルフレッド様は、ぜ、絶対、渡さないからな」
また面倒なことになってきたぞ。魔族のサフィーを連れて帰れば、何かと厄介事が起きそうだ。とはいえ、サフィーを見捨てるわけにもいかないだろう。魔族は貴重だし、何よりビキニアーマーの女性を捨てるわけにはいかない。俺は言った。
「まあ待て。いまは結婚とか考えている場合ではない。メグマール地方はこれから戦争になりそうだし、ジャビ帝国という強敵との決着も着いていないからな。それはさておき、サフィーだが、ここに捨て置くのも可愛そうだ。食事の量が普通の人間と同じで良いというなら、しばらく城で面倒をみてやってもよいだろう」
「何よ、お兄様は甘いんだから・・・。仕方がありませんわ。でも、サフィーがお兄様に手を出したら、承知しませんからね」
「そうです。アルフレッド様に、て、手を出したら、許しません」
サフィーを連れて俺たちは帰路についた。帰り道では大きなトラブルもなく、遺跡の入り口まで無事に戻ってきた。遺跡の入り口ではミックが首を長くして待っていた。
「陛下、お戻りが遅いので心配しておりました・・・うわ、ど、どうされたのですか、その格好は?」
ミックは俺たちを見て驚いた。俺は下半身パンツ姿だし、レイラは下着姿だ。おまけにほとんど裸のようなビキニアーマーの女まで居る。不思議に思わないはずがない。
「遺跡でいったい何があったのですか・・・それにレイラ様は下着姿ではないですか。これはもしや、いけないことに・・・」
「か、勘違いするな。やましいことは何もしてないぞ。責任問題にもなっていない。遺跡の中で鎧を溶かす化け物と戦って、俺の服とレイラの鎧がダメになっただけだ」
「それと、この、ほとんど裸のような破廉恥な女性は何ですか。青い髪に赤い瞳・・・とても人間の女性とは思えませんが・・・」
「この女性は遺跡で救出した魔族のお姫様だ。魔族と言っても、魂を食らうとか、生き血を飲むとか、そういう心配はないから大丈夫だ。飯を三人前食う以外は人間とあまり変わりはない。しばらくは城で面倒をみてやってくれ」
サフィーはミックに向かって偉そうに胸を張って言った。
「われはサファイアと申す者じゃ。サフィーと呼んでくれ。それと、夕食にはワインを忘れんようにな、肉はミディアムにしてくれ」
ミックはハンケチで汗を拭きながら小声で呟いた。
「はあ・・・陛下が、また厄介なのを連れてきた」
こうして古代エルフ遺跡の探検は終わった。
古代エルフの遺跡探検から戻ってまもなく、エニマ国がネムル国の国境を超えて侵攻したとの知らせがもたらされた。三国同盟の結成後、戦争を止めるようエニマ国には再三警告してきたのだが、それを完全に無視した格好である。
彼らの言い分からすれば、これは侵略戦争ではなく、分裂しているメグマール地方を統一するための正義の戦争なのだ。だが、戦争の大義名分など、いくらでも作ることができる。大義名分があれば戦争が許されるなら、すべての侵略戦争が許されることになる。
アルカナ国は三国同盟の盟約に基づき、当初の作戦通り、エニマ国の南部を制圧すべく進軍を開始した。エニマ国南部の要衝は、アルカナとの国境に近いゲニア城である。南部地域をすみやかに占領するためには、このゲニア城を早期に攻略しなければならない。しかし、ゲニア城の守備は予想以上に強固で、これまでのところ城への二度の攻撃はすべて失敗し、損害だけが増えている状況だ。そこで今回、俺が援軍を率いてゲニア城攻略へ向かったのである。
城の近くに作られた攻城陣地では、大将軍のウォーレンが待っていた。
「陛下、この度の失態は、誠に申し訳ございません」
「謝ることはない。それより、どのような状況なのだ?」
「はい、ゲニア城はご覧のとおり岩山の頂上に築かれており、周囲は崖、あるいは傾斜がきついため攻略に手こずっております。攻城塔や破城槌を近づけることが可能なのは城の正面だけです。そのため正面から城門を攻撃しておりますが、正面城壁には多数の弓兵の他、投石機も数多く配置されており、破城槌や攻城塔は、城壁や城門に辿り着く前に破壊されてしまう有様です」
「そうか。今回は精鋭を連れてきたので、私も攻撃に参加する」
「陛下、それは危険すぎます。弓矢や投石機の餌食にされてしまいますぞ」
「大丈夫だ。新たに防御魔法を使える者が仲間に加わった。弓矢や投石機などの遠距離攻撃に対して、強力な魔法のシールドを張ることができる。これで破城槌や兵士を保護しながら、城門へ突入するのだ」
防御魔法とは、新たに仲間に加わった魔族の姫、サフィーの<魔法障壁(マジック・バリア)>のことだ。もちろん、その有効性は城で何度も検証しているから間違いない。より大きな魔力を消費するが、直径二十メートルほどもある巨大なシールドを作り出すこともできる。これなら破城槌をまるごと守ることができる。
ただし問題がある。サフィーは「腹が減ると魔力が激減する」ということだ。サフィーから話を聴いたところ、どうやら魔族は、魔法石のエネルギーを利用するかわりに体内のエネルギーを利用することで、魔法にエネルギーを与えるらしいことがわかった。サフィーによるとこれが「マナ」と呼ばれるものらしい。
マナは食べ物に含まれていて、食べ物を食べることで体内にマナが蓄積される。ところが、マナは魔界の食べ物には豊富に含まれているが、人間界の食べ物には少ししか含まれていない。そのため強力な魔力を維持するには、大量の食べ物を食べ続ける必要がある。こいつは厄介な問題だ。
攻撃は今夜行うことにした。夜間に攻撃を行えば、俺の使う火炎魔法の巨大な炎が闇に映えることで、敵兵に与える心理的な威圧効果が増すと考えられるからだ。
ーーー
夜になった。天候は晴れ、月が出て、そこそこに明るい。攻撃の時間だ。サフィーは魔力を蓄えるために、少し前からずっと食べ続けている。
「どうだ?サフィー。いけそうか?」
サフィーは片手にパン、片手に骨付き肉を握って、交互に食い付いている。
「ふぁれは、いつへも、よいぞ」
レイラとルミアナも頷いた。俺は全軍に合図を送った。大型の破城槌を先頭に重装歩兵による突入部隊が続き、援護の弓兵がその後方を追う。
ゲニア城の城門の見張り小屋で、エニマ軍の兵士が叫んだ。
「敵襲! アルカナ軍が接近」
「馬鹿め、性懲りもなくまた攻めてきたか。今度もこっぴどく叩きのめしてやる」
射程内に近づいた俺たちに、エニマ兵が矢と石の雨を降らせてきた。俺が言った。
「よし、頼むぞサフィー」
サフィーは大きく頷くと両手を上へ掲げた。両手を使って魔法を展開することで、巨大な防御ドームを展開することができるのだ。サフィーが呪文を唱えると、わずかにきらめく半透明の魔法の盾が破城槌と周囲の兵士の頭上を広く覆う。
ゲニア城の城壁では投石機があわただしく準備されている。
「ははは、これでもくらいやがれ」
次々に石が飛んできて破城槌に命中するが、すべて透明な盾に弾かれて横に落ちる。アルカナ軍は、何事もなかったように城門へまっすぐ前進してくる。それまでに見たことのない奇妙な光景を目にしたエニマ軍の投石兵は唖然とした。
「なんだあれは。確かに命中しているはずだが・・・」
「ええい、怯むな。何かの見間違いだ。もっとどんどん打て」
サフィーは両手を掲げたままなので食事ができない。給仕係がサフィーの両側に着いて、サフィーが開けた口の中にスプーンで食事をどんどん入れる。サフィーはそれを飲み込むと、また口を開く。・・・そう言えば、昔、似たような光景を見たことがあるな。蒸気機関車のボイラーに石炭をどんどん放り込む様子にそっくりだ。俺はちょっと申し訳ない気持ちになった。
「サフィー、すまないな。もう少し頑張ってくれ」
「んああ、んあ」
近くで破城槌を押している兵が叫ぶ。
「急ぐぞ、もっと押せー、死ぬ気で押せー」
まもなく破城槌と突入部隊が敵の城門へたどり着いた。城門の上の敵兵は大騒ぎになっている。頭上からは石の他に、熱した油なども降り注ぐ。だがサフィーの防御魔法は完璧だ。後方からは我が軍の弓兵隊も接近し、激しい撃ち合いになっている。ルミアナの矢が敵の弓兵を次々に倒してゆく。
「いち、に、それ」
掛け声とともに、破城槌の衝角が城門に何度も打ち付けられる。木材の割れる音や、きしむ音が響く。城門の付け根がメキメキと音を立てる。歪んだ門扉の隙間から、門を取り囲むエニマ国の歩兵の姿が見える。盾を並べ、槍を突き出し、突入に備えている。ついに扉が音を立てて崩れた。敵兵が怒声を上げる。
その瞬間、俺は城門の前に並んだエニマ国の重装歩兵めがけて<火炎噴射(フレイム・ジェット)>放射した。まさか炎が吹き出すとは予想もしていなかった敵兵は、こちらの狙い通りパニック状態に陥って逃げ出した。そのまま連続して火炎を放射し、左右の敵を後退させると、城門の前が広く空いた。俺は大声で叫んだ。
「突入!突入!」
後ろに控えていた我が軍の重装歩兵が、一気に城内に突入する。兵力はこちらの方が圧倒的に多いので、城内に入ってしまえば数の暴力で押し切れる。
「続けええ」
レイラが先陣を切って突っ込んでゆく。すでに敵は及び腰だ。主塔へ向かって徐々に後退を始めた。我軍の重装歩兵が城壁の敵を制圧すべく、石段を駆け上ってゆくのが見える。俺は城門前の広場に進み出て周囲を見渡した。その時、風切り音とともに、俺に向かって数本の矢が飛んできた。
「あぶない!」
叫び声と同時に、サフィーが俺に飛びついてきた。東の塔から俺を狙って、弓兵の一団が狙撃してきたのである。サフィーは俺に飛びついた瞬間に<魔法障壁(マジック・バリア)>を展開し、飛んできた矢はことごとく弾き返された。俺はサフィーに押し倒されたような格好になった。
「お主、大丈夫か。われの魔力もかなり減ってきたので、シールドの範囲が狭くなっておる。われから離れないでくだされ」
うわ、俺の目の前にビキニアーマーが・・・。しかも、ものすごく近い、というか密着している。これは嬉しいけど、こんなことをしている場合ではないぞ。
城壁の上で戦っていたレイラは、アルフレッドが気になって城門付近に目をやった。サフィーがアルフレッドに抱きついている。たちまち嫉妬の炎がメラメラと燃え上がった。大変だ、こんなところでボヤボヤしていられない。レイラはすぐに引き返そうとした。行く手に敵兵が立ちふさがり、挑発した。
「貴様、逃げる気か、腰抜けが。所詮は女だな、ははは」
「どけ・・・今は、それどころではないのだ・・・」
レイラは猛獣のような目つきで兵士を睨みつけた。レイラの全身からは業火が燃え上がり、背後には凶暴な龍がとぐろを巻いて口を開いている。
「ひいい、ど、どうぞ、お通りください」
レイラが俺に駆け寄ってきた。
「陛下! 陛下! お怪我はありませんか」
こ、これはやばい状況だ。俺はサフィーを跳ね除けて瞬時に立ち上がると、何事もなかったかのように冷静に言った。
「ありがとう、幸い怪我はない。東の塔から狙撃されたので、サフィーに防いでもらったのだ。それ以上でも以下でもない」
「そうですか陛下。ここは危険ですので、私が陛下をお守りいたします。私から離れないようにしてください」
「なんじゃ。お主がおらんでも、われがアルフレッドをお守りいたすぞ」
「いいえ、私は、陛下のお付きの近衛兵ですから、陛下をお守りするのは、私の勤めです。私が一番で、あなたは二番です」
そうこうするうちに攻撃部隊が主塔に突入し、激しい戦闘が繰り広げられた。そして屋上に掲げられていたメグマール帝国の旗が降ろされ、代わりにアルカナ王国の旗が掲げられた。ゲニア城は陥落した。城内はアルカナ軍の歓喜の声が響き渡った。大将軍のウォーレンが俺に歩み寄ってきた。
「いやあ、お見事でした陛下。陛下の部下たちの活躍は素晴らしいです。しかも、なんと、陛下自身が魔法をお使いになられるとは驚きです。あのような力をいつの間に?」
「黙っていて悪かった。実は以前からエルフのルミアナに魔法を教えてもらい、密かに練習してきたのだ。おかげで、戦闘でも使えるほどに能力が向上した。これからも我が軍が苦戦するようなことがあれば、積極的に魔法を使うつもりだ」
「それは心強い限りです。しかし、くれぐれも慎重にお願いしますぞ。陛下が万が一にも戦死されるようなことがあれば、アルカナ国はおしまいですからな」
「ああ、わかっている。ところで、これからの進軍ルートはどのようになってるのか」
「はい。事前の偵察によりますと、敵軍の砦はあと三箇所ありますが、どれも規模が小さく、兵力も1000人程度と思われます。領内の貴族から派遣された部隊には、北のエニマ川沿いの砦を攻撃していただく予定で、王国の政府軍は東へ侵攻して残りの二つの砦を攻略します。それでエニマ川の南側は制圧が完了します」
「そうか、そのあとは友軍であるイシル国の軍が、エニマ国の西側に侵攻するのを待つことになるな」
その時、伝令の馬が城門を駆け抜けてきた。伝令の兵士は急いで馬から飛び降りると、俺たちに駆け寄ってきた。
「緊急事態に付き、ご報告いたします。ナンタルのレジスタンスから伝書鳩が来ました。それによりますと、ジャビ帝国の軍が、ナンタルの郊外に集結しつつあるとの情報です」
俺は驚いた。
「なに? それは本当か。それで、ジャビ帝国の兵の数はどれくらいなんだ」
「まだ集結中であり、後続も次々に到着しているため、最終的な規模は不明です。しかし、その数は少なくとも十万人を遥かに超える勢いということです」
「おのれジャビ帝国め。メグマール地方が分裂状態になったことに付け込んで、我々を侵略しようということか・・・」
アルカナ国はメグマール地方の最も西側に位置していている。もしシャビ帝国が侵攻してくれば、真っ先に攻撃を受けるだろう。これはまずいことになった。おれはウォーレンに言った。
「大将軍、聞いてのとおりだ。ジャビ帝国が動き出した。私は状況を確認して今後の作戦を練るために、いちど王都アルカへ戻る。我が軍は進軍を停止し、ここで待機させてくれ」
「はい、承知いたしました陛下」
朝だと言うのに、いつの間にか空には厚い雲が垂れ込めて日差しは見られない。降り出した雨に濡れながら、俺たちは王都アルカへの帰路についた。
王都に戻った俺は城の会議室に主要メンバーを集め今後の対応を確認していた。この度のジャビ帝国の動きは事前に誰も予想していなかっただけに、その驚きは大きく、会議室は重苦しい雰囲気に包まれていた。俺は切り出した。
「ナンタルに集結中のジャビ帝国軍の兵力だが、あまりにも規模が大きいために正確な兵力を推計するのは難しい。しかし最新の情報によれば、おそらく二十万人規模だろうとのことだ。これは我が軍の四倍以上だ」
「奴らは、アルカナに進軍してくるでしょうか」
「今のところそれに関する正確な情報はない。だが、地理的にナンタルから最も近く、兵力も我々より弱小なロマラン王国を最初に侵略することは、ほぼ間違いないだろう。問題はその後だ」
「その後、と申しますと?」
「ジャビ帝国とまともに戦ってもロマラン王国に勝ち目はない。そうなるとロマラン王国は戦わずして降伏する可能性もある。その場合、ジャビ帝国軍はロマランとの戦いで足止めを食うことも無く、兵力が損耗することもなくなる。仮にそうなると、ジャビ帝国軍はロマランに一部の占領部隊を残し、残りの大部分の兵力が、そのままメグマール地方、つまり、我が国に侵攻してくる危険性が高い」
大将軍ウォーレンが身を乗り出した。
「それなら陛下、ロマラン王国に援軍を送って、ロマラン王国がジャビ帝国と戦うことを手助けしてはどうでしょうか」
「うむ、それも作戦の一つだが、ロマラン王国のレオナルド国王がその考えに応じるとは思えない。以前にそれとなく聞いた時の印象では、もしジャビ帝国に侵略された場合、レオナルド国王はジャビ帝国におカネを払って見逃してもらうつもりだった。過去にもそうした歴史があったらしい」
「確かにロマラン王国は交易の中継地として、カネだけはかなり潤沢にありますからな。カネで侵略を回避できるなら、その方が良いと考えるのは当然でしょうな」
「それに、もし仮にアルカナからロマランに援軍を派遣したところで、ロマランとアルカナの連合軍よりも、ジャビ帝国軍の兵力のほうが遥かに上回っているので、野戦での決戦は分が悪すぎる。となると、王都マリーでの籠城戦に持ち込むことになるが、その場合、ジャビ帝国軍の大部隊がマリーを迂回し、アルカナへ進軍してくる危険性もある」
「なるほど、下手に我が軍の兵力を分散すると、アルカナを危険に晒すことになりますな」
「そうだ。だから、残念ながらロマランに兵を派遣することは難しい。ただし万一に備えて、ロマランからレオナルド国王と家族を脱出させたい。以前に属国化されたナンタルでは、王の一族が処刑されたらしい」
「なるほど、レオナルド国王が生き残っていれば、王都マリーを奪還してロマラン王国を再興することもできますな」
「いずれにしろ、ジャビ帝国軍がロマランの次にアルカナを攻めてくることは間違いない。王都アルカでの籠城戦に備えて、早急に防御を固めなければならない。王都アルカを囲む堀の建設はどこまで進んでいる」
「まだ半分程度しか進んでおりません」
「そうか、堀で敵軍を食い止めることは無理か。何か別の方法を考えなければ。アルカナの貴族たちに連絡して、さらなる兵力の増援を要請してくれ」
「かしこまりました」
俺は大きくため息をついて天を仰いだ。それから言った。
「それと、残念だがエニマ国への進軍は中止だ。ゲニア城に待機している我が軍はすべてアルカナへ引き上げさせてくれ。ジャビ帝国の動きを同盟国であるイシル国とネムル国へ連絡して、作戦の一時中止を伝えてくれ。いまはアルカナを守ることが最優先だ」
「それと、エニマ国に使いを出せ。ジャビ帝国を撃退するまでの間、すべての戦いを停戦するよう勧告するのだ。メグマールの中で争っている場合ではないと。無駄かもしれないが・・・」
「かしこまりました」
ーーー
ここはジェイソンの屋敷である。ジェイソンの領地はエニマ国に隣接しており、エニマ国によるメグマール帝国建国宣言は、ジェイソンにとって極めて重大な事件であった。部屋にはジェイソンとレスター、そしてヘンリーがいる。レスターは相変わらず苛立たしい表情でブツブツ言いながら部屋を歩き回っている。
「ジェイソンがぐずぐずしている間に、エニマ国のマルコムが戦争を始めたではないか。しかもジャビ帝国まで動き出したと言う。こうなったら、この混乱に乗じて内戦を起こし、武力で王位を奪うのが良いかもしれんぞ。ジェイソン、兵を動かしてくれないか」
「いえ、いくらレスター殿下の願いでも、それはできませんな。今の段階ではまったく勝算がございません。今は状況を見極める時です」
「くそ、腰抜けめ・・・。まあよい。今は待つことにする。また来るぞ」
レスターは部屋から出ていった。ジェイソンは窓から外を眺めていたが、レスターの乗った馬車が走り去るのを見届けるとゆっくりと部屋の椅子に腰掛けて言った。
「レスターという男は、驚くほど馬鹿な奴だな。いずれにしろ、そろそろレスターもお払い箱だ。あの男を担ぎ上げるよりも、エニマ国のマルコムを利用する方が良さそうだ」
ヘンリーはジェイソンに歩み寄ると、愛想笑いを浮かべながら言った。
「と、申されますと?」
「私の領地はエニマ国に接している。だからエニマ国には真っ先に攻め込まれる恐れがある。ならばいっその事、密かにエニマ国側に寝返るのも一つの方法だ。いや、むしろ領地を拡大する好機ともいえる。
今やアルカナ国の兵力よりもエニマ国の兵力の方が大きい。エニマ国がメグマール地方を支配するかもしれん。今のうちにマルコムに恩を売っておけば、王都アルカの管理官の地位を得ることができるかもしれん」
「さすがはジェイソン様、抜かりはありませんな。して、レスターはどう処分するおつもりで?」
「確かにレスターは我々のことを知りすぎている。だが口封じのために殺すまでもないだろう。いずれ我々はアルカナを裏切ることになるのだからな。むしろレスターの謀略をアルフレッドに暴露してやれば、面白いことになるだろう」
「いひひ、それは、さぞ面白いでしょうな」
ーーー
エニマ国の王城では、マルコムと大将軍のジーンが戦況について話し合っていた。マルコムは、深刻な表情で机に広げた地図を確認しながら言った。
「ゲニア城がアルカナ軍に落とされたのか・・・あの、難攻不落の要塞が一ヶ月も持ちこたえられなかったのは、まったくの計算外だ。アルカナ軍は、一体どうやってあの城を落としたのだ」
「はい。国王アルフレッドの援軍が到着してから間もなく陥落したようです。陥落前に脱出した兵士らの証言によれば、どうやら強力な魔法を使う者がいたそうです。弓矢や投石機の攻撃を、すべて跳ね返されたとのことです」
「ああ、エルフの女戦士のことだろう。そのエルフなら一度見たことがある。以前、アルカナのアルフレッドが、我が父に謁見した際に同行してきたからな。そんなにすごいのか」
「いえ、そのエルフ以外にも魔法を使う者がいるらしいのです。おそらくエルフが二人以上いるのではないかと。しかも、あのアルフレッド国王が、みずから強力な火炎魔法を使って攻撃してきた、との噂があるのです」
「なに?アルフレッドが魔法を使うだと? 馬鹿な、あれは人間のはずだ。・・・それが間違いだとしても、魔法を使える者が何人もいることは事実だ。厄介だな。こちらもエルフの傭兵を雇うことはできないだろうか」
「エルフは数が少ないですから、傭兵を雇うことは容易ではないでしょう。しかし北方にあるザルトバイン帝国の遥か西方には、エルフの国があるとの噂がありますので、北方で探させれば、あるいは・・・」
その時、書簡を持った兵士が玉座の間に入ってきた。
「陛下、アルカナから書簡が届きました。アルフレッド国王の直筆です」
「なに? 本当か。すぐにここへ」
玉座の間では、書簡に目を通すマルコムの様子を大将軍ジーンが見守っていた。兵士が部屋から出てゆくと、ジーンが言った。
「マルコム陛下、アルカナの書簡にはどのような事が書かれていたのですか」
「ジャビ帝国が動き出したらしい。ナンタルにすでに二十万人規模の兵が集結しているという。だから、今はメグマールの国々が戦争をしている場合ではない、すべての戦いを一時停戦すべきだ、と書いてある。ジーンはどう思う?」
「ジャビ帝国の動きについては、我が方の密偵からまだ何の情報もございません。ですから真偽についてはわかりません。しかし、これが本当だとした場合、我が方にとっては有利に働くかもしれません」
「というと?」
「シャビ帝国軍とアルカナ王国軍が互いに潰し合えば、両軍とも弱体化するでしょう。頃合いを見計らって我が軍が介入すれば、アルカナ王国軍とジャビ帝国軍の両方を打ち破り、アルカナを併合できるかも知れません」
「ジャビ帝国を利用して漁夫の利を得るわけか。しかしジャビ帝国の軍は強力だぞ」
「確かにそうです。ですがジャビ帝国軍もかなりの損害を被るはずです。しかもアルカナ軍との戦闘が長引けば冬になり、寒さに弱いトカゲ族は戦力が低下します。そうなれば我が軍をもって撃破することも可能ではないかと思われます」
そこへ別の兵士が入ってきた。
「陛下、アルカナ国の貴族、ジェイソン殿から書簡が届いております」
「アルカナの貴族から?何だろう。すぐに目を通すので、こちらへ」
マルコムは気難しい顔つきで手早く書簡の封を切ると、文面に目を通した。やがてその表情に狡猾な笑みがこぼれた。
「ふふふ、これは面白いことになってきた」
「何と書かれてあるのですか?」
「ジェイソンとやらは、アルカナ王国を見限り、エニマ国へ寝返っても良いと書いている。どうやら、天は我らに味方しているようだ。アルカナは自国を守るだけで手一杯で、余力はない。この機にネムル国を攻略するのだ」
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それから数日後、俺はレオナルド国王と面会するためロマランの王都マリーへ向かった。
馬車の中でレイラが俺に尋ねた。
「陛下、レオナルド国王とお会いしてどうするおつもりでしょうか」
「マリーを脱出するよう説得するつもりだ。また、領内でジャビ帝国の動きを監視する許可を得たい。ジャビ帝国軍を直接この目で確かめたいのだ」
それからまもなく、ジャビ帝国軍が北へ向けて移動を開始したとの知らせが届いた。