二人は宿屋に入った。宿屋のホールには装飾品が一つもなく、ひび割れた木製のテーブルと椅子が並んでいるだけだ。金目の装飾品はすべて略奪されてしまったのだろう。人間の先客が二組ほど、薄暗い部屋の中で押し黙ったまま食事をしている。

「いらっしゃい」

 店主と思しき白髪交じりの男が、店の床を掃きながら愛想よく声をかけた。荒んだ街の状況に気分が落ち込んでいた二人だったが、その威勢の良い声に少し救われた気がした。ルミアナが言った。

「食事と今夜の宿をお願いしたい。ここが気に入ったら何日か泊まろうと思う」

「ありがとうございます。うちはここらじゃ、安くて飯もうまいって評判なんです、必ずお気に召すと思いますよ。一泊130ギル、食事は朝晩で19ギルだ、それでいいかい」

「それでいいわ。まず、お水をいただけないかしら、喉がカラカラなの。」

 店の主人が水差しになみなみと注がれた水と木のカップを二つ持ってきた。

「はいよ、好きなだけ飲んでくれ」

 レイラが待ちかねたように訊ねた。

「ところで、この宿に風呂とか水浴び場とかはないか」

「身体をタオルで拭くならできるけど、風呂は無いよ。まちなかじゃあ綺麗な水は貴重品だからね、身体を洗い流すほど贅沢な使い方はできないんだ。もし水浴びや洗濯がしたいなら、町の外に大きな川が流れているから、そこでするといい。水は少し濁っているけど、洗濯はみんなその川でしてるからね」

「それはいいな。どうやって行くんだ」

「北門を出てナツメヤシの農園を抜けると、大きな川がリフレ湖に流れ込む河口付近に出る。ただし最近は大きなワニが迷い込んで住みついているらしく、人間を襲うこともあるから注意した方がいい。私なら身体を拭くだけで我慢するけどね」

「ありがとう」

 二人がくつろいでいると、突然入口の木製ドアが壊れんばかりに激しく開き、大きな足音を響かせてトカゲ族の一団が入ってきた。おそらく奴隷オークションに参加していた、トカゲ族の奴隷商人だろう。オークションが終わったので、一杯やりに来たといったところか。

 トカゲの姿を見ると店の主人は眉をしかめ、そそくさとカウンターの後ろへ戻ってしまった。トカゲが店の奥へと歩いてきた。

「おい、人間、その席は俺たちが座る、どきな」

 奥の席に座っている客を無理やりに退かせると、トカゲたちが座った。一人のトカゲが乱暴に足をテーブルの上に投げ出した。別の一人が懐からタバコの様なものを取り出すと、先端に火をつけて吸い込み、上を向いて大量の煙を吐き出した。もう一人が大声で言った。

「おい、おやじ、酒を持ってこい、それと料理だ。肉だぞ、焼き肉を持ってこい。酒はいつものいちばん上等なやつだ、わかってるな」

「へいへい、わかりました。でも旦那、少しはお代をいただきませんと、宿屋が潰れてしまいます。少しでいいんで、なんとかひとつ、お願いできませんか・・・」

 トカゲが大口を開けて不愉快そうに言った。

「はあああああ?何を生意気なことを言ってるんだあ。誰のおかげで宿を開いていられると思ってるんだ。宿屋がつぶれるだと? 文句があるなら、今すぐここで潰してやってもいいんだぜ、なあおい」

 トカゲ達は顔を見合わせてニタニタ笑っている。宿屋の主人はそれ以上何も言えず、黙って厨房へ入って行った。トカゲの吸っているタバコの煙は独特の臭いがきつく、人間には耐えられないほどだ。それが部屋中に充満してくる。

 一人のトカゲが暇そうに周囲を見回し、住民たちは彼らに視線を合わせないよう、うつむいて食事を続けている。レイラは身体も大きく目立つ存在だから、連中の目に留まらないわけがない。

「あんだ? 妙にデカいやつがいるな。・・・おい、見ろよ、こいつ男じゃなくて人間の女だぜ。とても女には見えねえな、ゴリラ女だ、シャシャシャシャ」

 周りのトカゲがみんな大声をあげて下品に笑った。

「お前が相手してやれよ。デカい女が好きなんだろ」

「バカいえ、デカけりゃいいってもんじゃねえ。ゴリラ女と寝るくらいならメスワニの方がマシだ。ゴリラは毛が生えているから気持ち悪いんだよ。げえええ」

 トカゲたちは前より一段と大声で笑うと、狂ったようにテーブルをバンバン叩いて喜んでいる。レイラの握っているカップがミシッと音を立てた。

「だめよ、挑発に乗ったら。ここで騒ぎを起こしたら、町を追い出されてしまうわ」

「なあにをコソコソ話してるんだ、俺たちにも聞かせてくれよ姉ちゃん、へっへっへん、・・・こいつはゴリラ女とは対照的に痩せたカラダだな」

「本当だ、胸がないじゃねえか。洗濯板だ。洗濯板おんな」

「ゴリラに洗濯板のコンビだとよ、ウヘへへ、こりゃ傑作だな」

 ルミアナの顔が引きつっている。ルミアナは決して痩せているわけではないのだが、からだ全体が大きいレイラの隣にいると、誰でもそう見えてしまうのである。たまりかねたルミアナが叫んだ。

「おやじさん! 私たちはもう疲れたから部屋で休むことにするわ。食事はあとで部屋に運んでちょうだい」

「わかりました、ただいまお部屋にご案内します」

「なあんだ、逃げちまうのか、つまらねえな」

「やめとけ、あいつらは旅の商人だ。トラブルになったら後が面倒だ」

 二人は二階の部屋に案内された。ベッドと椅子、机以外は何もない部屋だが、広さは十分だった。ヤシの油で満たされたランプに火を灯すと、部屋の中がぼんやりと明るくなった。部屋のドアを閉めるとレイラはベッドの上に腰を掛けてブリブリ怒っている。

「あのトカゲ野郎、町の外で会ったらぶっ殺して皮を剥いで財布にしてやる」

「あまりゆっくりしている暇はないわ。今夜、私は街を調査してジャビ帝国の総督府の場所を探るわ。おそらく昔の宮殿が総督府として利用されていると思う。宮殿の内部も軽く見ておきたい。それと、お願いがあるんだけど、私が偵察に出ている間に馬車から荷物をこの部屋に運んでおいて欲しいの」

「お安い御用だよ。じゃあ、そのあとで私は水浴びに出かけてくるから」

「それはかまわないけど、騒ぎは起こさないでね。私は明け方までには戻るわ」

「気を付けて」

 馬車から部屋にすべての荷物を運び入れると、レイラは宿屋の主人に桶とタオルを借りて鼻歌交じりに川へ向かった。つい先ほどトカゲにさんざんバカにされたことはすっかり忘れて、水浴びのことを考えると上機嫌だった。北の門を抜ける際、トカゲ兵に通行許可証の提示を求められたが、すんなり町の外に出られた。

 すでに真夜中になっており、川へ向かう通りに人影はない。これなら水浴びしても誰かに見られる心配はなさそうだ。そんなレイラの後ろを、二つの影が物陰に隠れながら歩いている。先ほどの宿にいたトカゲ族の奴隷商人である。夜中に人さらいをしようと企んでいるようだ。