ファーメンの街に着いたのは三日後の午後のことである。ファーメンの街には城壁がなく高い建物もほとんどないため、広い敷地にゆったりとした街並みが広がって見える。王都と違って小川が流れ、緑の街路樹も多い美しい街だ。南には残雪が眩しいリクル山脈の山々を見渡すことができる。麦畑に広がる緑の小麦も風に揺れている。

 街道沿いには醸造所と思われる大きな建物がところどころにある。街の中心部には並木に縁どられた小さな広場があり、人々が集まっている。あらかじめ国王が訪問することを伝えてあったので、町長が歓迎の宴の準備をして待っていた。アルフレッド国王が即位してから街を訪問するのは初めてらしく、地元の食材を使った料理の他、特産の蒸留酒を存分に振舞ってくれるというので楽しみである。

 先日のトカゲ兵による襲撃で騎士たちも疲れているだろうから、体力と気力を癒すにはありがたい機会だ。それにレイラもストレスが溜まっているに違いない。馬車の中でも一日中姿勢を正している。気を張り詰めすぎると身体によくない。もっとリラックスして欲しいのだが、性格が真面目過ぎて冗談も通じないほどだから、この機会にお酒を飲んで、仲間ともっと打ち解けて欲しいものだ。

 町長によるお決まりの社交辞令の挨拶が終わると、全員のカップにはお酒が注がれた。キャサリンがレイラにゆっくり近づいた。

「レイラは、お酒を飲みますわよね。今日はどんどん飲んで日ごろのストレスを発散させたらいいですわ。私がお手伝いしますわ」

「まあ、どちらかと言えばお酒は好きです。しかし、ちょっと・・・・」

 遠慮しているレイラを見て俺は言った。

「いいじゃないか。今日はお酒でも飲んで身体も気分も休めるといい。先日はレイラのおかげで命を救われた。本当に感謝している」

「ありがたいお言葉です陛下。そうさせていただきます」

「アルカナの未来に乾杯!」

 レイラはカップのお酒を軽々と飲み干した。それを見たキャサリンがすかさず言った。

「レイラ、すごいですわ、見事な飲みっぷり。給仕の方、レイラにどんどんお酒をお出ししてくださいな。・・・そういえば、レイラが先日のトカゲを撃退した剣技は本当に見事でしたわ。あの固い鱗のトカゲを一刀両断にする技。お兄様に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです・・・」

 ルミアナは会場の外れの立ち木に背をもたせかけながら、一人でお酒を飲んでいた。俺はレイラをキャサリンに任せると、宴席を外れてルミアナの方へ歩み寄った。

「先日は本当にありがとう。実に鮮やかな活躍だった」

「どういたしまして」

「ところで、私はジャビ帝国のトカゲ兵を初めて見たのだが、正直驚いた。全身が固い鱗に覆われているんだな。普通の弓矢では歯が立たないし、剣で切り付けても簡単には倒せないだろう。レイラが簡単にトカゲ兵を倒せたのは、彼女が特別だったからだ」

「そうね、普通の兵士がまともに一対一で戦って勝てる相手じゃないでしょうね」

 俺は手にしたカップから蒸留酒を一口飲むと、それを味わってからゆっくり言った。

「ところで、ルミアナの弓矢は一撃でトカゲ兵を仕留めていた。エルフの弓矢を人間の弓職人に作らせることはできないだろうか。そうすればかなりの戦力になる」

 ルミアナは肩にかけた弓を手に取ると、弦を引いて矢を射るようなマネをして見せた。

「矢は人間にも作れるけど弓は作れないわ。それに作れたとしても、エルフの弓を使うには、わずかだけと魔力が必要なの。普通の人間には魔力が無いから扱うことはできないわ」

「それは残念だな。そうなるとトカゲ族を倒すためには、連中の弱点を見つけてそこを利用するしかないか。トカゲ族の情報がもっとたくさん欲しいな」

「そうね、ロマラン王国の南にあるナンタル王国だけど、そこは最近ジャビ帝国の侵略を受けて国王が殺され、今は属国領にされているわ。だからトカゲ族の総督が本国から派遣されているし、役人も兵士も多数いる。そこなら情報を集めるのに適しているんじゃないかしら」

「そうだな、もし差し支えなければ、ルミアナにナンタルの状況を探ってもらうことはできないだろうか。ナンタルでジャビ帝国の諜報活動ができればありがたい」

「お安い御用です陛下。潜入は私の専門ですからね」

 その時、キャサリンが慌ててこっちに走ってきた。

「お兄様たいへん、レイラをリラックスさせようと思ってお酒をどんどん飲ませたら、リラックスを通り越して暴走してしまったの。どうしましょう、お兄様なんとかして」

 広場の中央から女性の大声が聞こえてくる。

「町長さん、いいから私の話を聞きなさい!あはははは」

 声の主はレイラだった。彼女の顔の赤さは松明の明かりのせいではなく、無茶苦茶に酔っ払っていることが原因だ。町長を捕まえて無理やり話を聞かせている。

「ロマランの国王様って絵が趣味らしいんだけど、その絵が下手糞の何のって、ネコの絵かと思ったらイヌの絵だったんだよ、あははは。それで、その奥さんがまた、性格がきつそうな感じだったから、王様は絶対に尻に敷かれてるタイプなんだわ。外国の偉い人を困らせたらダメでしょ、とか怒られてんだから、あはははは」

 ミックが作り笑いを浮かべながら、レイラをなだめている。

「レイラ様、ロマラン国王のことを笑っては失礼ですよ、大切な友好国なんですから」

「それは失礼いたしました、あははは。でもね、ミックがゴマをすって下手糞な犬の絵を褒めたもんだからね、王様が喜んじゃって、アルカナのお城にその絵を飾るハメになったの。でも本当は絵を縁どっていた黄金の額縁が欲しかっただけなんじゃないの?」

「ななな、なんと。そのようなことはございませんよ。あれはアルフレッド陛下のお部屋を飾るのにふさわしい芸術的な絵画です」

 なんだよ、邪魔だからって俺の部屋に飾るのかよ。まあいいか。それにしてもレイラの豹変ぶりはすごいな、お酒でタガが外れて一気に感情が爆発した感じだ。かなりストレスを溜め込んでいたに違いない。

「あの、頭が三つある犬の絵をアルフレッド陛下のお部屋に飾るの?それはいいわ、陛下の頭も三つになるかもしれないわね、あははは。町長もぜったい見に来なさいね、あははは、あ、国王陛下、そこにいらしたんですか」

 酔っ払いに絡まれると厄介なので、速攻で視線を逸らしたが遅かった。レイラがズカズカとこっちに歩いて来た。

「陛下、なんで視線を逸らすんですか、私が嫌いなんですか。からだがでかくて、剣を振り回す暴力的な女だと思ってるんでしょう」

「いやいやいや、それは誤解だ。頼もしい部下だと思っているし、その剣術は尊敬に値する。その、女性としても素晴らしい人物だと思うよ」

 と言ったものの、すでにレイラは俺の話など全然聞いていない。あらぬ方向を見て、一人でしゃべり続けている。

「それでも、先王であるウルフガル様は私を大切にして下さったのれす。ひっく。いつも私の剣技を褒めてくれて、お付きの近衛騎士に取り立ててくださいました。小さい頃から父にしごかれてきた私の努力は報われたのれす。ひっく。なのに・・・なのに・・・なぜウルフガル様はお亡くなりになったのですか。わああ、ウルフガルさまああ」

 号泣し始めた。しばらくワアワアと泣いていたが、ふと泣き止むと、今度は俺を見つめてきた。やばい、タダならぬ予感を感じて俺は思わず後ろへ引いた。

「あたしが陛下をウルフガル様のような、屈強の剣士に鍛えて差し上げるのれす。ひっく。それがウルフガル様への恩返し・・・。い、いまから陛下を特訓して差し上げます」

「あ、いや、それはありがたいが、今はちょっと・・・」

「大丈夫れすよ。ひっく。まずは何より身体づくりれす。筋肉強化トレーニング。さあ、いっしょに腕立て伏せやるのれす・・・」

 レイラが両腕を広げて迫ってきたので、俺は全力で逃げた。捕まったら腕立て一万回とか、やらされかねない。他の近衛騎士たちがあわててレイラを押さえた。そのすきに、俺は酒樽の影に隠れた。だがレイラは近衛騎士たちを投げ飛ばすと、隠れている俺をみつけて、猛牛のような勢いで走ってきた。

「みーつけた!」

 逃げ場はない、ここは反射神経の勝負だ。相手はぐでんぐでんの酔っ払いである。レイラが目の前まで近づいた瞬間に、俺はさっと右に避けた。レイラはまっすぐ酒樽に突っ込み、そのまま両腕で酒樽に抱きついた。

「つかまえたー、ははは」

 レイラの腕の中で酒樽がミシミシと音を立て、樽の栓が吹き飛び、詰められているお酒が噴水のように勢いよく噴き出した。あたりにお酒の雨が降り注いだ。

「あれ、まちがえたのれす、ひっく・・・」

 まちがえたじゃねえだろ、レイラに捕まったら、また別の世界に転生しかねない。

「あ。陛下、そんなところに・・・捕まえた・・・あはは」

 レイラはお酒まみれのまま、俺の方にフラフラと歩み寄ってきたが、五歩ほど歩いてばったり倒れ、そのまま寝てしまった。助かった。

 ファーメンのお酒は蒸留酒だからアルコール度数が高い。あんなにガブガブ飲んで全力で走り回れば、さすがのレイラでも、あっという間に酔いが回ってしまう。しかし・・・酔いつぶれて寝ているレイラは意外にかわいいな。トカゲを一刀両断にしている豪快な姿からは、想像もつかないが。

 ミックが俺の傍らにやって来て言った。

「国王陛下、・・・レイラ様が寝てしまわれて、すこし残念そうですね」

「な、何を言ってるんだ、何かを期待していたわけないだろ。レイラに追い回されて喜んでなんかいないぞ。ミ、ミックまで俺の事を何か誤解しているんじゃないのか」

 レイラが仲間の近衛騎士に担がれて宿屋へ運ばれていくのを見届けると俺は言った。

「ふう、危なかった。まあ、たまには、こういうのもありじゃないか。ちょっとお酒がきつ過ぎたんだ。そのうちレイラもお酒との付き合い方に慣れるよ」

 キャサリンが慌てて俺たちに駆け寄ると、やや困惑した表情を浮かべて言った。

「わたくしのせいじゃありませんわ。レイラったらお酒を注いだらすぐに全部飲んじゃうのですわ。途中から『もう飲むな』って言ったのですけど、止まらなくって」

「わかってる。レイラにはもっと肩の力を抜いて欲しいと思っていたから、キャサリンが気を使ってくれて嬉しいよ。今回は失敗したけど、今後もレイラを頼むよ」

「そうよ、わたくしはいつだってお兄様のお役に立つように頑張っていますわ。お兄様はわたくしにもっと感謝していいと思うの。怖い思いもしたけど、こうしてお兄様と旅ができて、とても楽しいですわ」

 辺りはすっかり暗くなり、見上げれば満天の星空が広がる。星は驚くほど明るい。転生前の陰鬱な気分が嘘のように感じられた。これが生きているという実感なのか。俺は町長に丁重なお礼を言うと祝宴の席を離れ、宿屋へ向かった。