俺はルミアナの部屋で密かに魔法の訓練を続けていた。自分に魔力が備わっていることを知った時は、内心小躍りして喜んだ俺だったが、いざ訓練を始めてみると簡単に上達するものではなかった。いきなり「オレ最強」なんて世界ではなかった。それでも幻惑と火炎の初級魔法をいくつか習得しつつあった。
俺がルミアナの部屋に行くときはキャサリンも必ず付いてきて、俺の練習の合間に、魔力黒板に向かって基本図形である「丸印」を念じている。もう何日も通っているのに、黒板に円形が表示される気配はない。それでも、いつも何かを念じているようだ。もしかすると、別の何か怪しい願望を念じているような気がして一抹の不安を覚えるのだが。
さて、ルミアナによれば、どうやら俺は攻撃系の魔法、とりわけ火炎魔法の才能に秀でているらしい。とはいえ魔力黒板で練習するばかりで、魔法石を使って実際に火炎魔法を発動したことは一度もない。魔法石はルミアナが少し持っているだけで、俺は一つも持っていないからだ。これではちっとも面白くない。
「そろそろ魔法を実践してみたい気もするのだが、魔法石が無いと何もできないな」
「そうですね。攻撃系の魔法ならほとんどの場合は魔法石が必要ですからね。魔法石を売っているのはエルフの国ですから、ここから買いに行くことは、ほとんど不可能です。時間があればアルカナ国内で、ご自身で探し出すこともできますが」
「本当か! どうやって魔法石を探すのだ」
「魔法石を探すには、<素材探知(マテリアル・ディテクション)>の魔法を使います。素材探知の魔法の発動に素材は不要です。魔法石の見つかりそうな場所、たとえば崖のような地層のむき出しになっている場所、あるいは洞窟、古い鉱山などで素材探知を行うと、魔法石から、かすかな囁きが聞こえてきます。その音を元にして見つけ出します」
「なるほど、それは地道な作業になるな」
「いま取り組んでおられるお仕事が一段落したら、一緒に探しに行きましょう」
そうか、エルフの里でなくても、素材探知の魔法を使えば国内で魔法石を調達できるのか。素材集めは必要だが、それなら魔法もかなり使い勝手が良くなるな。
「また、支援系の魔法や補助系の魔法に使用する素材であれば、このあたりの市場で売っている薬草から抽出できます。すでにこの部屋にも数多く準備してありますので、しばらくは幻惑魔法や補助系の魔法で実践してみるのもありでしょう」
「そうだな、しかし、どこで幻惑魔法を実践しようか」
「人間を相手に練習するわけにはいきませんので、まずはお庭で飼ってるウサギを幻惑魔法の<睡眠(スリープ)>で眠らせるところから始めましょう」
確かに人間を相手に魔法を掛けるわけにはいかない。とはいえウサギだって迷惑だろうな。まあ、<睡眠(スリープ)>の魔法で死んでしまうことは無いだろうから、勘弁してもらおう。
その時、魔力黒板を見ていたキャサリンが、突然大声を上げた。
「ちょっと、ちょっと見てよ! 黒板に見たこともない模様が浮かび上がったわ。これ何かしら、すごい予感がするわ。絶対にすごい特殊能力だわ」
普段から冷静なルミアナだが、黒板を一目見たとたんに驚きの表情を浮かべた。
「こ、この絵文字は・・・実物を見たのは初めてですわ。これは極めて特殊な魔法文字で、エルフの古文書で見ただけなのです。生まれながらにして、この絵文字の記憶を持っている者は、とある神より不思議な能力を授かっていると言われています。その神とは・・・」
「その神とは・・・」
「貧乏神です。あなたは貧乏神に選ばれし、貧乏神の勇者なのです」
「はあ? なんでわたくしが貧乏神の勇者なのよ! このわたくしには、美の女神の勇者とか、愛の女神の勇者がふさわしいはずですわ。よりによって貧乏神の勇者なんて納得できませんわ」
「キャサリン様、貧乏神の勇者をあなどってはいけません。貧乏神の勇者は神の勇者の一種なので、魔力も魔法素材も一切使うことなく、特別な魔法を発動できるのです。これは世界にただ一人の特別な力です。ただし、その魔法がすべて『貧乏くさい』ということが欠点ですが・・・」
「使える魔法がすべて貧乏くさいなんて、ちっとも凄くないわ! ぷんぷん・・・まあいいわ。例えば具体的にどんな奇跡が使えるのよ?」
「貧乏神の基本魔法である『貧乏になあれ』という魔法が使えます。これをかけられた相手は、いつの間にかおカネを落としたり、盗まれたり、税金をふんだくられたり、仕事が無くなったりして、高い確率で貧乏になってしまいます」
「なによ、ただ貧乏になるだけじゃないの」
それを聞いた俺が身を乗り出した。
「それだ! その『貧乏になあれ』という貧乏神の魔法は、敵の国家を破壊する恐ろしい威力を持っているぞ。まず身分がバレないよう、キャサリンが頭から、ぼろぼろのローブ被って敵国の王都に乗り込むんだ。そして、街の端から端まで『貧乏になあれ』と念じて歩き回れば、みんな貧乏になって国が滅びる。だから戦わずして勝てる。キャサリンは最凶の兵器だ」
「何よ! それって、そのまんま私が貧乏神なだけじゃないの。いやよ、そんなかっこわるいのは。もっとかっこいい魔法は無いの?」
「それは私にもわかりません。古文書にわずかに記載があっただけですので・・・ただし、神の勇者は、経験を積むことで新しい魔法を体得できるようです。つまり訓練を続けることで能力が一定レベルを超えると、突然、頭の中に新しい貧乏魔法が閃くわけです。ですから、魔力黒板で『貧乏になあれ』を念じ続ければ、やがて強力な貧乏魔法を会得できるでしょう」
「強力な貧乏魔法を会得しても、ちっともうれしくないわよ。まあ、しかたがないですわ。わたくしも貧乏魔法の練習をしますわ」
「間違っても町の人間を相手に練習しないでくださいね。アルカナじゅうが貧乏人だらけになって国が滅びますので」
「うるさいわね、そんなのわかってるわよ」
ーーー
数日すると、たい肥を作るためにトミーがショーベン村からやってきた。たい肥小屋は王都から十分に離れた農園の一角に十数棟建ててある。藁も大量に準備した。そろそろたい肥作りを始めてもらおうと考えている。
「わっはっは、国王陛下、仕事場はこちらですかな」
「そうだ。たい肥を作る作業員としてスラムの住人からとりあえず五十人ほど採用した。若い男はすべてアルカナ川の工事に従事してもらっているので、たい肥を作る作業員は年寄りや女性ばかりだが、人数が足りなければ追加で採用する。糞尿の収集については、そちらの準備さえ整えば、いつでも開始してもらうつもりだ」
「それはありがたい。そうだな、糞尿の収集は1週間後に始めてくだされ」
「わかった。糞尿は各家から早朝に回収して北門の外に集め、馬車に積んだ樽でここまで運んでくる段取りになっている。頼んだぞ」
俺の横で話を聞いていたミックが言った。
「これで王都もきれいになりますね。それにしても、たい肥の製造だの、糞尿の回収だの、言っては悪いですが、こんな汚い仕事を誰が引き受けるんだろうと思っていました。しかも報酬といえば食料の配給量が増える程度ですからね。
ところが、こんなに報酬が安くて汚い仕事なのに、募集人数の十倍もの応募が殺到して驚きました。こんな安くて汚い仕事でもやりたがる人が大勢いるんですね」
俺は転生前の世界を思い出しながら言った。
「それは、この社会に貧しい人が多いからだ」
「それはどういうことですか、陛下」
「貧しくて明日の食べ物にも困っている人は、たとえ汚くてキツくて危険な仕事であっても、たとえ報酬がわずかでも、それをやらなければ飢えて死んでしまう。だから糞尿回収のような仕事であっても、希望者が殺到するのだ」
「なるほど、確かに飢え死にするよりは糞尿回収の仕事をするほうが良いですからね」
「そうなんだ。今のアルカナは、あまりにも貧困な人が多すぎるのだ」
転生前の世界でも同じだった。汚くてキツくて危険な仕事を、貧乏な人たちが安い給料でやらされていたのだ。それは景気が悪くて仕事がない社会だったからだ。仕事が無ければ生きてゆけない。だから汚くてキツくて危険な仕事を安い給料でもやらざるを得ない。現代国家のくせに、中世のアルカナと同じなのだ。
貧しい人たちに嫌な仕事を押し付けることで成り立つ現代の社会。しかもそれを当たり前だと思っている世間の人々。曰く「仕事があるだけマシと思え」。どれほど文明が進歩しても、本質は中世の時代と何も変わらないではないか。そんな偽善社会なら、俺はこの世界に転生してきてよかったと思った。
俺がルミアナの部屋に行くときはキャサリンも必ず付いてきて、俺の練習の合間に、魔力黒板に向かって基本図形である「丸印」を念じている。もう何日も通っているのに、黒板に円形が表示される気配はない。それでも、いつも何かを念じているようだ。もしかすると、別の何か怪しい願望を念じているような気がして一抹の不安を覚えるのだが。
さて、ルミアナによれば、どうやら俺は攻撃系の魔法、とりわけ火炎魔法の才能に秀でているらしい。とはいえ魔力黒板で練習するばかりで、魔法石を使って実際に火炎魔法を発動したことは一度もない。魔法石はルミアナが少し持っているだけで、俺は一つも持っていないからだ。これではちっとも面白くない。
「そろそろ魔法を実践してみたい気もするのだが、魔法石が無いと何もできないな」
「そうですね。攻撃系の魔法ならほとんどの場合は魔法石が必要ですからね。魔法石を売っているのはエルフの国ですから、ここから買いに行くことは、ほとんど不可能です。時間があればアルカナ国内で、ご自身で探し出すこともできますが」
「本当か! どうやって魔法石を探すのだ」
「魔法石を探すには、<素材探知(マテリアル・ディテクション)>の魔法を使います。素材探知の魔法の発動に素材は不要です。魔法石の見つかりそうな場所、たとえば崖のような地層のむき出しになっている場所、あるいは洞窟、古い鉱山などで素材探知を行うと、魔法石から、かすかな囁きが聞こえてきます。その音を元にして見つけ出します」
「なるほど、それは地道な作業になるな」
「いま取り組んでおられるお仕事が一段落したら、一緒に探しに行きましょう」
そうか、エルフの里でなくても、素材探知の魔法を使えば国内で魔法石を調達できるのか。素材集めは必要だが、それなら魔法もかなり使い勝手が良くなるな。
「また、支援系の魔法や補助系の魔法に使用する素材であれば、このあたりの市場で売っている薬草から抽出できます。すでにこの部屋にも数多く準備してありますので、しばらくは幻惑魔法や補助系の魔法で実践してみるのもありでしょう」
「そうだな、しかし、どこで幻惑魔法を実践しようか」
「人間を相手に練習するわけにはいきませんので、まずはお庭で飼ってるウサギを幻惑魔法の<睡眠(スリープ)>で眠らせるところから始めましょう」
確かに人間を相手に魔法を掛けるわけにはいかない。とはいえウサギだって迷惑だろうな。まあ、<睡眠(スリープ)>の魔法で死んでしまうことは無いだろうから、勘弁してもらおう。
その時、魔力黒板を見ていたキャサリンが、突然大声を上げた。
「ちょっと、ちょっと見てよ! 黒板に見たこともない模様が浮かび上がったわ。これ何かしら、すごい予感がするわ。絶対にすごい特殊能力だわ」
普段から冷静なルミアナだが、黒板を一目見たとたんに驚きの表情を浮かべた。
「こ、この絵文字は・・・実物を見たのは初めてですわ。これは極めて特殊な魔法文字で、エルフの古文書で見ただけなのです。生まれながらにして、この絵文字の記憶を持っている者は、とある神より不思議な能力を授かっていると言われています。その神とは・・・」
「その神とは・・・」
「貧乏神です。あなたは貧乏神に選ばれし、貧乏神の勇者なのです」
「はあ? なんでわたくしが貧乏神の勇者なのよ! このわたくしには、美の女神の勇者とか、愛の女神の勇者がふさわしいはずですわ。よりによって貧乏神の勇者なんて納得できませんわ」
「キャサリン様、貧乏神の勇者をあなどってはいけません。貧乏神の勇者は神の勇者の一種なので、魔力も魔法素材も一切使うことなく、特別な魔法を発動できるのです。これは世界にただ一人の特別な力です。ただし、その魔法がすべて『貧乏くさい』ということが欠点ですが・・・」
「使える魔法がすべて貧乏くさいなんて、ちっとも凄くないわ! ぷんぷん・・・まあいいわ。例えば具体的にどんな奇跡が使えるのよ?」
「貧乏神の基本魔法である『貧乏になあれ』という魔法が使えます。これをかけられた相手は、いつの間にかおカネを落としたり、盗まれたり、税金をふんだくられたり、仕事が無くなったりして、高い確率で貧乏になってしまいます」
「なによ、ただ貧乏になるだけじゃないの」
それを聞いた俺が身を乗り出した。
「それだ! その『貧乏になあれ』という貧乏神の魔法は、敵の国家を破壊する恐ろしい威力を持っているぞ。まず身分がバレないよう、キャサリンが頭から、ぼろぼろのローブ被って敵国の王都に乗り込むんだ。そして、街の端から端まで『貧乏になあれ』と念じて歩き回れば、みんな貧乏になって国が滅びる。だから戦わずして勝てる。キャサリンは最凶の兵器だ」
「何よ! それって、そのまんま私が貧乏神なだけじゃないの。いやよ、そんなかっこわるいのは。もっとかっこいい魔法は無いの?」
「それは私にもわかりません。古文書にわずかに記載があっただけですので・・・ただし、神の勇者は、経験を積むことで新しい魔法を体得できるようです。つまり訓練を続けることで能力が一定レベルを超えると、突然、頭の中に新しい貧乏魔法が閃くわけです。ですから、魔力黒板で『貧乏になあれ』を念じ続ければ、やがて強力な貧乏魔法を会得できるでしょう」
「強力な貧乏魔法を会得しても、ちっともうれしくないわよ。まあ、しかたがないですわ。わたくしも貧乏魔法の練習をしますわ」
「間違っても町の人間を相手に練習しないでくださいね。アルカナじゅうが貧乏人だらけになって国が滅びますので」
「うるさいわね、そんなのわかってるわよ」
ーーー
数日すると、たい肥を作るためにトミーがショーベン村からやってきた。たい肥小屋は王都から十分に離れた農園の一角に十数棟建ててある。藁も大量に準備した。そろそろたい肥作りを始めてもらおうと考えている。
「わっはっは、国王陛下、仕事場はこちらですかな」
「そうだ。たい肥を作る作業員としてスラムの住人からとりあえず五十人ほど採用した。若い男はすべてアルカナ川の工事に従事してもらっているので、たい肥を作る作業員は年寄りや女性ばかりだが、人数が足りなければ追加で採用する。糞尿の収集については、そちらの準備さえ整えば、いつでも開始してもらうつもりだ」
「それはありがたい。そうだな、糞尿の収集は1週間後に始めてくだされ」
「わかった。糞尿は各家から早朝に回収して北門の外に集め、馬車に積んだ樽でここまで運んでくる段取りになっている。頼んだぞ」
俺の横で話を聞いていたミックが言った。
「これで王都もきれいになりますね。それにしても、たい肥の製造だの、糞尿の回収だの、言っては悪いですが、こんな汚い仕事を誰が引き受けるんだろうと思っていました。しかも報酬といえば食料の配給量が増える程度ですからね。
ところが、こんなに報酬が安くて汚い仕事なのに、募集人数の十倍もの応募が殺到して驚きました。こんな安くて汚い仕事でもやりたがる人が大勢いるんですね」
俺は転生前の世界を思い出しながら言った。
「それは、この社会に貧しい人が多いからだ」
「それはどういうことですか、陛下」
「貧しくて明日の食べ物にも困っている人は、たとえ汚くてキツくて危険な仕事であっても、たとえ報酬がわずかでも、それをやらなければ飢えて死んでしまう。だから糞尿回収のような仕事であっても、希望者が殺到するのだ」
「なるほど、確かに飢え死にするよりは糞尿回収の仕事をするほうが良いですからね」
「そうなんだ。今のアルカナは、あまりにも貧困な人が多すぎるのだ」
転生前の世界でも同じだった。汚くてキツくて危険な仕事を、貧乏な人たちが安い給料でやらされていたのだ。それは景気が悪くて仕事がない社会だったからだ。仕事が無ければ生きてゆけない。だから汚くてキツくて危険な仕事を安い給料でもやらざるを得ない。現代国家のくせに、中世のアルカナと同じなのだ。
貧しい人たちに嫌な仕事を押し付けることで成り立つ現代の社会。しかもそれを当たり前だと思っている世間の人々。曰く「仕事があるだけマシと思え」。どれほど文明が進歩しても、本質は中世の時代と何も変わらないではないか。そんな偽善社会なら、俺はこの世界に転生してきてよかったと思った。