あの時からだ、僕が笑わなくなったのは。
 笑うという行為が、無意味なものに感じたのだ。

 キラキラした笑顔で人と接することができる人は、少なからず将来に可能性がある人たちであって、僕はそのカテゴリーには入れない。いや、入れないことはないのだろうが、将来というものを諦めた方が自分のためだと思う。

 今日も看護師が僕の右腕の突き出た肉の塊に、大きな針を刺した。僕の両腕にはこれまでに刺し込んだ針の跡がびっしり残っている。

 もう激痛なんかには慣れっ子だ。
 僕の横たわるベッドの隣では大きな機械がピッ、ピィ、と冷酷な音を病室に響かせる。そしてパイプを伝って僕の体内の汚れた血が、この機械に取り込まれ、洗浄されて僕の体に戻ってくる。
 このまま約4時間、僕はじっと時間が過ぎ行くのを待つだけだ。

 3年前、医者から告げられた人工透析という処置の宣告は、僕にとって絶望以外の何ものでもなかった。当時診察室で僕の隣に座って医師の宣告を聞いていた母さんは、自分の息子に降りかかった災難に泣き崩れた。

 腎炎という病気が進行し、遂には僕の腎臓が機能しなくなったのだ。僕は同じ病気の患者から人工透析の悲惨さを事前に聞いていたため、恐怖で震えた。

 当時僕は14歳。あの時、僕は将来とか、未来の輝きを失った。

 あれから、僕は笑う感情を失っている。これまで自殺したいと真剣に考えた回数は数え切れない。

 今、僕は17歳だ。
 健康な人だったら高校に通い、彼女をつくったり、遊びや部活に夢中になったりする年頃なんだろう。人工透析をするようになって普通の人のように生活ができないから、僕は自発的に高校へ進学するのを止めた。

 病院で透析を受ける日以外は、家に引きこもる生活を送っている。何かをしようと思っても、結局この病んだ体がついていかない。
 希望を見出そうとすればするほど、その度不可能だと悟ってむなしくなるから、変に希望は持たないようにしている。
 始めから諦めの境地でいたら、後で惨めな思いをしなくても済む。

 僕がいるせいで、家族は随分振り回されているように思う。

 それはまずお金。人工透析をする以前は腎炎で2年も入院していたし、それ以後にかかっている費用もきっと膨大だ。母さんに聞いたら、いろんな補助や助成があるから乗り切れるとは言うが、それでも、大変なのは間違いない。
 父さんは平のサラリーマンだからそんなに収入は高くないはずだ。僕が家族の生活を圧迫しているのか、と思うといたたまれない。

 そして母さんを拘束する時間も深刻だ。
 人工透析患者は週3回、各4、5時間は処置で時間を費やす。僕には電車に乗り、歩いて病院まで行く体力がないから、毎回母さんが車で僕を病院に送り迎えをしてくれる。
 だから母さんは家計を助けるために定職に就くこともできない。

 また食事という面から見ても家族に大きく迷惑をかけている。
 人工透析患者は腎臓が悪いので、塩分や辛子、コーヒー、胡椒などの刺激物を極力摂取しないようにする。だから水っぽい味噌汁や、塩気の全然ない焼き魚などの料理を母さんが作り、父さんやおじいさん、おばあさんまで僕の味に合わせてくれている。

 食は人が生きていく上で最も大切なものだからこそ、その味付けというものは、家族の生活を左右するといってもいい。
 それまでどんな料理にも醤油をたっぷりかけ、濃い味付けに慣れてきた家族は、きっと今の僕に合わせた薄味がつらいと思う。

 要するに、僕がこの世にいなかったら、家族全員が色んな苦痛から解放されるんだ。

 だから僕は、笑わない。
 こんな引け目を常に感じて、運命を呪う自分が、どうして笑えようか? 笑う感情を排除すれば、誰も僕に気軽に話し掛けようとしなくなる。これでいい。
 家族以外の健康的な人と会話がしたくない。健康的な人と僕とでは生活があまりにも違いすぎていて共感できないし、ただ羨ましく思うだけだ。

 考えてみれば、人工透析をするようになって諦めることを自分の美徳として受け入れるようになった。
 冷静にみても、この先僕は社会に出て活躍することもなければ、恋愛や結婚をするのも無理だ。一生家に引き篭もったまま進歩することなく年を老いていくだけなのだ。

 しかも、人工透析患者の寿命は短い。人工透析を始めて30年以上生きている人は少ないらしいから、僕の人生は、ひょっとしたら、あと20年くらいかもしれない。

 病院の処置室には、僕と同じ人工透析患者が4人いる。みんな男性で、高齢者の人もいれば、中年、20代の人など年齢もさまざまだ。

 顔馴染のメンバーではあるが、誰も会話をしない。誰もが伏せ目がちで重々しく、ただ処置が終わるのを待っている。
 僕だけでなく、他の人工透析患者にも笑顔などないのだ。人工透析患者には、健康な人たちには到底理解できないような独特の閉塞感があり、同じ苦しみを共有する人たちが集っても、お互いに前向きにはならない。

 最初の頃、処置をするこの病室の雰囲気が異様に思えたけど、今はこれが当然だと思う。看護師もこの雰囲気を察して一切笑顔を見せない。

 不気味な沈黙を引き裂くかのように、人工透析の機械がピッ、ピッと音を部屋に響かせている。恐らく健康な人だったら、ここに数分間いることすら耐えられないんじゃないだろうか。

 こうやって生涯の大半の時間を人工透析と共に過ごさなければならない。本当は人工透析などすぐにでも止めて自由に羽ばたきたいが、止めたら、僕は死んでしまう。

 僕は生きているんじゃない。この機械に生かされているのだ。

 夜の8時。やっと人工透析を終え、体重計に乗ったら体重が3キロ減っていた。ベッドから急に立ち上がったものだから、目まいがする。

 人工透析をする機械は人間の腎臓のように精密ではないので、貧血などの症状が起こりやすい。ぐったりした体をむち打って、僕は病院の裏出口へと向かった。

 診察時間を過ぎているから病院内はもう真っ暗で、緊急避難経路を示す緑色の電光掲示板が薄暗い光を廊下に投げ掛けている。

 病院を出ると、車で僕を迎えに来てくれた母さんがクラクションを鳴らした。
「体は平気?」
 車の助手席に座ると、いつも母さんはお決まりの言葉を言う。
「うん」
 そして僕もお決まりの言葉で返す。

 本当は目まいがしているのだが。
 例え体の調子が悪くても、本当に具合が悪い、などと言ってしまったら母さんは車の運転がおぼつかなくなるまでに動揺してしまう。ただでさえ感情的で精神的にもろい母さんには、元気なフリをするのが一番いい。

「お母さんね、今度カラオケに挑戦しようと思うのよ」
 ふと、母さんが口にした言葉に僕は驚いた。
「え?」
「お隣の水谷さんに誘われてね。来月、地元の北勢市民会館で市民文化祭があるから、そこで唄うつもり」
「そうなんだ」
「出てもいいかしら?」
「別に僕の許可なんかいらないよ。いいと思うよ」

 僕の住む三重県いなべ市には、毎年秋に地元のこどもから大人までいろんな人たちの絵画や書道、生け花などを展示し、またステージでは詩吟や合唱などを発表する文化祭が開かれる。
 僕が母さんの提案に反対する訳がない。今まで母さんは自分のことに見向きもせず、僕の体のことだけを心配して暮らしてきたから、カラオケを通して自分だけの時間を楽しめるのならいいことだと思った。

「それでね、……」
 母は何かを言おうとしてためらった。僕は母さんが何か企んでいる、と感じ、警戒する。
「何だよ」
「それで、……克成も出ない?」

 どうやら母さんは、僕も表舞台へと連れ出したいみたいだ。冗談じゃない。僕は身の毛がよだつ気分になる。

「嫌だよ。それにカラオケってしたことがないし」
「別にカラオケじゃなくてもいいのよ。克成はギターが得意だから弾き語りすればカッコいいじゃない?」
「嫌だ。僕が人前に出たがらないのを知ってるだろ」

 むちゃくちゃな提案をする母さんに僕は反抗した。
 母さんが自分のためにやってみるのなら応援するが、それで僕を引き合いに出すやり方が卑怯だ。
 人前には出たくない。僕の住む町は田舎だから、僕が人工透析をしているのを誰もが知っている。憐れみと同情の目で見られ、さらし者にされるのは真っ平だ。

「そう」
 僕の怒りに気落ちした母さんは、沈んだ表情で前を見て運転を続ける。そして一言も話さなくなった。

 実は母さんがこんな突拍子もない提案をして僕を困惑させるのは初めてではない。以前にも詩を書くサークルに入ってみないか、だとか絵画教室に通ってみないか、だとか言って何かをやらせようとしてきた。
 きっと社会福祉推進員とかカウンセラーが母さんに入れ知恵をしているのだ。

 僕は願わくば、静かに誰とも関わらずに時間を過ごしたい。人と関われば関わるほど車での送り迎えなどが増えて、僕は更に家族に迷惑を掛けるからだ。
 母さんはどうして、家族を思う僕の気持ちが分かってくれないのか? ただ強い憤りを感じる。