朝から降ったりやんだりを繰り返して、放課後は傘がいらないほどの霧雨だった。昇降口では、折りたたみの傘を広げようとして、そのあとの片づけが面倒に思えたのか、結局広げかけた折りたたみ傘を使わずに帰るひとを見かけた。
わたしはそっと傘を広げた。「さして帰るの?」と声がしてそちらを向く。おなじ教室にいる女子だった。前髪を、大胆にもおでこのうえでおおきなヘアピンで留めている。丸く広いおでこは魅力的で、大胆な髪型もよく似合っている。
「おまじない」とわたしは答えた。
「おまじない?」
「うん。雨が降ってると、友だちに会えるから」
明るい笑い声が弾けた。「おもしろいひとなんだね」
「……そう、かな」
「いつもひとりで本を読んでるから、もっとこう、とっつきにくいひとなのかと思ってた。その友だちとは、雨が降ってないと会えないの?」
「……わからない。でも、会う日はいつも雨が降ってるの」
「へえ。その友だちは雨神さまなのかもね」
「神さま?」
「雨を司ってるんじゃない? 今はこんな霧雨だけど、これから友だちと会う場所に近づくにつれて強くなるかもよ」
「そうかな。でも、神さまっていうより……天使かも」
「使いのほうだったか」
「うん」
わたしを変えるために、こうしてはじめて話すひとともそれなりに話すことができる程度には成長できるように、神さまがわたしの元に使わせた天使。そうと聞いても驚かないほど、あのひとはわたしを変えた。
「だって、こんなに話せる」
「話せる?」
「わたし、人見知りなのに」
はは、と笑われた。「人見知りなひとは自分で人見知りだなんていわないよ」
わたしははじめて、きれいなおでこのしたの目を見た。ぱっちりというより細い、優しい目だった。わたしはその目の形と表情を知ることができたことにうれしくなって笑った。「うん、そうだね」
わたしはもう、人見知りじゃない。
わたしの友だちは雨を降らせる神さまではなかった。霧雨はほんの一瞬、ぽつぽつと傘を鳴らしたけれど、図書館に着くころにはやんでしまった。
そして、わたしの友だちは雨の図書館にだけ現れる美しい妖精でもなかった。雲の切れ間から太陽が顔をだしているからなんとなくそわそわとしながら待ったけれど、ふわりと微笑んで現れた。
「おつかれ」という声に「おつかれ」と応える。
「ねえ、わたし、学校で友だちができそうなんだ!」——。興奮した声が重なった。
「わあ、すごい!」
いつまでも声が重なるから、ふたりして可笑しくなって笑った。
「どんなひと?」わたしが訊いた。
「髪をポニーテールにしてるひと。大胆に前髪も全部まとめちゃってるの」
「へえ!」
「顔は……優しい目をしてる。前髪あげててかわいいくらいだし、かなりかわいいひとだと思う」
「すごい、わたしが友だちになれそうなひととそっくり! ポニーテールにはしてないけど、前髪をピンで留めてるの。おでこのうえで。それがよく似合ってて、やっぱり優しい目をしてるの」
「すごい偶然」と友だちは笑った。
きょうもたくさん話をした。なんだかここで会ってから変わったなあとか、それまではこんなふうに過ごしていたんだとか、こんな本が好きなんだとか、この作家さんが好きなんだとか。
でもこれからは、本を読む時間が減りそうだとか。
傘の出番は次第に減った。そのうちに布団からでるのがつらくなった。着替えるのに服を脱ぐ瞬間が一日のうちで一番嫌いになった。朝、外にでてあくびをすると吐いた息が白く見えるようになった。
友だちは雨の日にだけ現れる妖精ではなかった。神さまがたまたま、雨の日に巡り合わせてくださったひとだった。
制服のうえにコートを着こんだ寒い寒い朝、朝に比べれば寒さのやわらいだ昼を越えて、夕焼けのきれいな放課後。オレンジ色のあたたかい西日の射しこむ休憩スペース、一枚板の机に肘をついて話すわたしの声に、友だちの笑い声が弾ける。
学校でもでかけた先でも、もう、うらやむものはなにもない。
西日が、地面に机と長椅子の影を写す。机を挟んだ長椅子に座る影はふたつずつ。
わたしはそっと傘を広げた。「さして帰るの?」と声がしてそちらを向く。おなじ教室にいる女子だった。前髪を、大胆にもおでこのうえでおおきなヘアピンで留めている。丸く広いおでこは魅力的で、大胆な髪型もよく似合っている。
「おまじない」とわたしは答えた。
「おまじない?」
「うん。雨が降ってると、友だちに会えるから」
明るい笑い声が弾けた。「おもしろいひとなんだね」
「……そう、かな」
「いつもひとりで本を読んでるから、もっとこう、とっつきにくいひとなのかと思ってた。その友だちとは、雨が降ってないと会えないの?」
「……わからない。でも、会う日はいつも雨が降ってるの」
「へえ。その友だちは雨神さまなのかもね」
「神さま?」
「雨を司ってるんじゃない? 今はこんな霧雨だけど、これから友だちと会う場所に近づくにつれて強くなるかもよ」
「そうかな。でも、神さまっていうより……天使かも」
「使いのほうだったか」
「うん」
わたしを変えるために、こうしてはじめて話すひとともそれなりに話すことができる程度には成長できるように、神さまがわたしの元に使わせた天使。そうと聞いても驚かないほど、あのひとはわたしを変えた。
「だって、こんなに話せる」
「話せる?」
「わたし、人見知りなのに」
はは、と笑われた。「人見知りなひとは自分で人見知りだなんていわないよ」
わたしははじめて、きれいなおでこのしたの目を見た。ぱっちりというより細い、優しい目だった。わたしはその目の形と表情を知ることができたことにうれしくなって笑った。「うん、そうだね」
わたしはもう、人見知りじゃない。
わたしの友だちは雨を降らせる神さまではなかった。霧雨はほんの一瞬、ぽつぽつと傘を鳴らしたけれど、図書館に着くころにはやんでしまった。
そして、わたしの友だちは雨の図書館にだけ現れる美しい妖精でもなかった。雲の切れ間から太陽が顔をだしているからなんとなくそわそわとしながら待ったけれど、ふわりと微笑んで現れた。
「おつかれ」という声に「おつかれ」と応える。
「ねえ、わたし、学校で友だちができそうなんだ!」——。興奮した声が重なった。
「わあ、すごい!」
いつまでも声が重なるから、ふたりして可笑しくなって笑った。
「どんなひと?」わたしが訊いた。
「髪をポニーテールにしてるひと。大胆に前髪も全部まとめちゃってるの」
「へえ!」
「顔は……優しい目をしてる。前髪あげててかわいいくらいだし、かなりかわいいひとだと思う」
「すごい、わたしが友だちになれそうなひととそっくり! ポニーテールにはしてないけど、前髪をピンで留めてるの。おでこのうえで。それがよく似合ってて、やっぱり優しい目をしてるの」
「すごい偶然」と友だちは笑った。
きょうもたくさん話をした。なんだかここで会ってから変わったなあとか、それまではこんなふうに過ごしていたんだとか、こんな本が好きなんだとか、この作家さんが好きなんだとか。
でもこれからは、本を読む時間が減りそうだとか。
傘の出番は次第に減った。そのうちに布団からでるのがつらくなった。着替えるのに服を脱ぐ瞬間が一日のうちで一番嫌いになった。朝、外にでてあくびをすると吐いた息が白く見えるようになった。
友だちは雨の日にだけ現れる妖精ではなかった。神さまがたまたま、雨の日に巡り合わせてくださったひとだった。
制服のうえにコートを着こんだ寒い寒い朝、朝に比べれば寒さのやわらいだ昼を越えて、夕焼けのきれいな放課後。オレンジ色のあたたかい西日の射しこむ休憩スペース、一枚板の机に肘をついて話すわたしの声に、友だちの笑い声が弾ける。
学校でもでかけた先でも、もう、うらやむものはなにもない。
西日が、地面に机と長椅子の影を写す。机を挟んだ長椅子に座る影はふたつずつ。