テレビのなかで、かわいらしい女のひとがかわいらしい服を着て、今日一日の空模様について伝えている。スタジオにいるアナウンサーは画面の端のワイプのなかでにこやかにその声を聞いている。
 わたしはおおきく映った素敵な笑顔を眺めながら、トーストをかじる。普段のバタートーストに、ちょっぴり贅沢にシナモンパウダーをふりかけた。
 「はい、そうですね、通勤通学の時間には傘はいらないでしょう。ただ、午後からはお天気が下り坂となりますので、お帰りの時間は折りたたみの傘だとちょっと心配かな? おおきめの傘を持っておでかけすると、安心です。以上、お天気でした」
 かわいらしい女のひとのかわいらしい声のいうとおり、お昼ごろから次第に雲が多くなり、午後の授業がはじまるころには雨が降りだした。最近の天気予報はよくあたる。でもこれくらいなら折りたたみの傘でもしのげたかな、なんて思っていたら、放課のころには本降りとなった。最近の天気予報は、ほんとうによくあたる。きょうもお気に入りの傘の出番がある。
 昇降口では「雨、長いねえ」なんて話しあう女子の声が聞こえた。「ほんとう、じめじめで嫌になる」と親しげな声が応える横で、わたしはもみじが描かれた傘を開く。すぐに中棒(なかぼう)を肩にあてて、濡れて灰色になった階段をおりる。茶色のプラスチックのカバーがつけられた手すりもすっかりびしょ濡れで、ぽたぽたと雨粒を垂らしている。この雨がやんではじまる冬がやがて本格的なものになれば、こうして雨の日に垂れる水も凍ってしまうんだろう。つららで、バラかなにかの茎みたいにとげとげした手すりを、去年までつづいた中学校生活で何度も見た。信号が変わるのを待てなくて自転車を押して使った歩道橋で、すっかり懐かしく思える中学校の昇降口で。
 傘はきょうも、わたしに連れられて図書館の傘たてに納まることになった。わたしはきょうも、ピンク地に描かれたくまのキャラクターと目が合ったような気になって、自動ドアが開く音で館内にいるひとのじゃまをしたんじゃないかと考えた。
 いくつかのプレートと一緒に『日本文学』と書かれたそれがある通りに、きょうはだれもいなかった。わたしは思わずほっと息をついて通りに入った。安心して本を選べる。
 たっぷり五分ほど悩んで、棚から一冊を抜きとった。そのハードカバーの厚い一冊を持って席にいく。座面と背面にカーペットとおなじような薄緑色のクッションがついた、木製の重たい椅子を引いてそっと腰をおろす。椅子とおなじような優しい色味の木製の机のふちに手首をあてて表紙を開く。
 最初に収録された作品を読み終えたとき、前のほうにひとの気配を感じて視線をあげると、くりくりとしながらどこか涼しげな、きれいな目と視線が重なった。きのうの女のひとだ、と気づいたときには、相手は慌てたように、自分で開いている本のページに視線を移した。
 話しかけてみたい、話をしてみたいという、強烈な願望が胸に広がった。
 なにを読んでいるんですか——そんなふうに舌を動かしそうになって、結局、相手の開いている本の表紙を盗み見るにとどまった。たしかにきのう、ちょっとぶつかったけれど、結局は知らないひと。知らないひとに、なにを読んでいるんですか、なんて声をかけるのはあまり多いことじゃない。あまり多いことじゃないはず。それを自分でやってみるだけの勇気は持てなかった。しかもそんなふうにしなくても、相手がわたしの持ってきた本に収録された作品を書いたひととおなじ時代に活躍した作家の作品集を読んでいることを知ることができた。
 なにを読んでいるんですか。そんなことを訊く必要はもうどこにもないのに、胸のなかにはまだ、目の前の女のひとと話をしてみたいと望む思いが消えずに残っていた。わたしもその作家の作品を読んだことがあるとか、その本にはどんな作品が収録されているのかとか、あなたはその作家が好きなのかとか、話しかけてみたいと思うことへのいいわけみたいな話題がたくさん湧いてくる。
 声をかけてみたい。話をしてみたい。
 「あ、」自分でも気づかないうちに、かすれた声がでていた。臆病者なままの心臓はばくばくとうるさい。それこそ、すぐそばの書棚を見ているひととか、目の前の女のひとに迷惑なんじゃないかと思うほど。
 だけど、それでも——……。
 「あ、あの、……」
 ちいさな、ごくごくちいさな声は、だれにも聞かれないまま、ただわたしの唇を、間抜けに開かせた。