「此方こそ。どうもありがと」
にこりと笑って、彼が夜に溶けていく。
ゆづき、と呼ぶ俺の声が聞こえた。
柚月。透夏?どっちで呼んだら、彼は出てきてくれるだろうか。戻ってきてくれるだろうか。
彼とは違って、なんの苦労もなく触れられる自分の頬に触れた。目から頬を伝って、熱い雫が流れていくのが分かる。
視えるこの目が、ずっと憎かった。
小さな頃から、みんなが見えないものが視えてしまったから。「そこに何かいるよ」って訴えても、頭がおかしいのだと思われて、笑われて、信じてもらえなくて。
何も視えなかったら、どんなに幸せだろうかと思った数は、もう嫌気が差して数えなくなってしまった。
この目が憎い。
それは今も変わらない。
だけど、透夏と会って、生まれて初めて、少しだけ、ほんの少しだけ、視えてよかったと思えた。
俺が視えなかったら、きっと彼は迷い子のままだったから。
ゆっくりと立ち上がって部屋に戻り、机の上に置いてあるPCを立ち上げる。
《お盆 時期》
そう検索エンジンに打ち込んで、Enterキーを押した。
新盆が7/13〜/16、旧盆が8/13〜/16。
この街は新盆が主流らしいけど、もう終わってしまっているのでもうすぐ来る旧盆にやることにするか。
お墓の場所も、有無さえも分からない。でも、俺が勝手に小さな花束と精霊馬ぐらい飾ってもバチは当たらないだろう。
そんなことをぼんやり考えながらネットサーフィンをしていると、いつの間にかニュースサイトに飛んでいた。
なんとなくスクロールしていると、柚月の名前が見えてマウスを動かす手が止まった。
《⬛︎⬛︎県の山中で森畑柚月さんの遺体を遺棄したとして、同居していた××××容疑者が逮捕されました。××××容疑者は容疑を認め、警察の調べに対し『遠い親戚が捨てた子供が邪魔だった』と供述しており...》
思わず天井を見て溜息を吐いた。

嗚呼、柚月。
君は、もしかしたら地獄に生きていたのかもしれないね。
でも、だからこそ。
せめて、そっち側では心の底から笑っていてほしいな。
君に対する心からの感謝と、既に叶わぬ後悔と、色とりどりの想い出を全部ひっくるめて曲を描くから。
まだ俺がこの街で生きていたいと思うのは、透夏の、柚月の、存在があってこそだから。
だから、いつかそっちにいった時には、また笑って聴いてくれたら嬉しいな。

頭の中に、たった3週間、されど3週間の鮮やかな想い出が蘇る。
それらと俺の気持ちと彼の言葉が、混ざり合って重なり合って、俺の中に詩を、旋律を、みるみるうちに溢れ出させてくれた。
久しぶりに、自分の手で楽譜を起こしてみようか。
ゆっくりと思い出しながら、アナログに進めていくのも偶には悪くない。

開けた窓から入ってきた夜風が、俺の乾いた頬を優しく撫でていく。
はらりと音がして振り返ると、或る幽霊が家に転がり込んできた日、名前の候補を書き出してやった紙が床に落ちていた。
「透夏」という名前に丸がしてある。
それだけで、この部屋に彼が居た証が見つかったみたいで、街の喧騒の中の部屋で、一人。思わず顔をほころばせた。

一人だけど、独りじゃない。
夜風が吹き抜ける静かな部屋は、不思議と寂しく思わなかった。