「ルイ様のお話しされない理由……ですか……?」

 まさかそのようなことだとは思わず、驚きを隠せなかった。
 私が尋ねると、ルイ様はこくりと静かにうなずく。

〔今まで誰にも話したことはないが、君にだけは伝えたいと思ったんだ。……聞いてくれるか?〕

 ルイ様の言葉に、私も黙ってうなずいた。
 張りつめた表情や魔法文字の硬さなどからも、真剣な気持ちで聞かねばならないと心を引き締める。
 しばし静寂が包んだのち、ルイ様はゆっくりと書き始めた。

〔私はアングルヴァン家の跡取りとして生を受け、両親の下で幸せな日々を過ごした。両親は辺境伯の矜持を教えることも忘れなかったが、それ以上に無償の愛を注いでくれた。幼少期は私も魔法文字で会話することはなく、普通に会話を行っていたんだ〕

 ルイ様のお話を静かに聞く。
 ご自身の生い立ちを語られるのは初めてだ。
 その言葉一つ一つを零さぬように、真摯な思いで受け止めた。

〔だが、そんな幸せな日々にある転機が訪れた。……両親の死だ。流行り病で二人とも亡くなってしまった。子どもの私には一段と強い衝撃で、あのときの悲しみは今でもよく覚えている〕
「ルイ様のご両親の……心中お察しします……」

 “久遠の樹”の話を聞いたときから、ルイ様のご両親はすでに天界にいると知っていたけど、やはり悲しい気持ちで胸がいっぱいになった。

〔両親の死後、私は叔父夫妻の下に預けられることになった。そこからだ。今のように魔法文字で会話するようになったのは。叔父夫妻は仲が悪く……常に互いを責めては傷つけ合う毎日だった。私もその標的になるのに時間はかからなかった〕

 ルイ様は表情を変えずに魔法文字を書かれるけど、その陰には暗い感情が見える。

〔侮辱や侮蔑、罵倒……。まさしく、言葉のナイフが声に乗って突き刺さるような毎日だった。そして、私は思ってしまった。言葉は人を傷つける力があるのだと……。それ以来、私は人と会話することを止めてしまったのだ。いつか、叔父夫婦のように言葉で人を傷つけてしまうかもしれない……。そう思うと、声にして出すのが怖かった。魔法文字なら会話より考える猶予があるので、そのような恐れもないと考えたんだ〕

 今になってわかった。
 ルイ様が他人と話さず、魔法文字で意思疎通を図られる理由が。
 心が締め付けられるような境遇と日々のお話に、私は言葉が出ない。
 聞くだけで胸が痛く、呼吸が苦しくなった。
 そんな辛い毎日を過ごしてしまったら、それこそ会話自体止めてもおかしくはないのに……。
 辺境伯として領地を支えようと頑張ってこられた、ルイ様の気概や責任感といった目に見えない重責を思うと、さらに心が締め付けられる。

〔ポーラ……どうしたんだ……?〕

 顔の強張りを感じていたら、ルイ様に心配そうに尋ねられた。
 私はふるふると首を振る。

「いえ、ルイ様の境遇を考えると私も辛い気持ちになってしまって……」
〔……そうか。君は本当に優しいな〕

 心臓がキュッとなり、思わず下を向いてしまった。
 ルイ様の心の内にこのような辛く悲しい出来事が積み重なっていたとは、まったく思わなった。

〔だが……誰よりも言葉を大事にする君を見て、私の考えは間違っていると気づいた〕

 そこで、ルイ様は言葉を切った。
 流星群が降り注ぐ中、星の煌めきにも負けないくらいキラキラと光る魔法文字が書かれる。

〔言葉は人を傷つけるだけじゃない。人を幸せにする力があるんだ。両親からもそう教わったはずなのに、ずっと忘れていた。……ポーラ、君のおかげで私は人として大事な心を取り戻せたんだ。感謝してもしきれない〕
「こんなに大事なお話を渡しにしてくださって……ありがとうございます。感動で胸がいっぱいになります」

 ルイ様は……私の日々の頑張りを見ていてくださったんだ。
 どれだけ尊いことなのか、私にはよくわかる。
 お屋敷に来て、一番幸せな瞬間だった。
 ルイ様に信頼していただける……それだけで十分過ぎる幸せだ。
 お話はこれで終わりかと思っていたけど、まだ……大事な続きがあった。

〔ここからは……自分の言葉で直接伝えたいと思う〕

 な、なんだろう。
 ドキドキとしながら続きを待つも、ルイ様は何も書かない。
 空中に浮かぶ魔法文字が端から少しずつ薄くなって完全に消えたとき、ルイ様が口を開いた。

「私は………………君が好きだ」

 初めて、ルイ様の声を聞いた。
 低くて優しくて、それでいて力強いけど落ち着く声音……。
 精霊に守られているような安心感に身体が包まれる。
 ルイ様のお声が聞けて嬉しい。
 お屋敷で過ごすうち、ルイ様は私の心の大部分を占めるようになった。
 他の人たちとはまた違う意味の大切さ。
 改めて自分の心と向き合う必要もなく、それがどういう意味なのか、今の私にはとてもよくわかる。

「私も…………ルイ様が好きです」

 気がついたら、そう伝えていた。
 私の心で一番強い気持ちを。
 不思議と気恥ずかしさや不安は少しもない。
 好きな人に自分の思いを伝えることがこんなに幸せだと、初めて知った。
 ルイ様はポカンとしたかと思うと、見たことないくらいおずおずと慎重に私に言う。

「ほ、本当か……ポーラ」
「ええ、本当です。優しくて頼りになって、いつも私を大事にしてくださるルイ様が大好きです」
「わ、私が優しい……? 誰とも話そうとしないこの私が……?」

 お伝えしても、ルイ様はポカンとしたままだった。
 ルイ様は本人が思っている以上にとても優しいだ。
 だって……。

「相手が見やすいように鏡文字で書いて、その人の目線に合わせてくれるではありませんか」

 そうお伝えすると、ルイ様はハッとされた。
 鏡文字なんて難しい書き方は、習得するのが本当に難しかっただろう。
 私も昔書いてみようと挑戦したことがあるけど、あまりにも大変で途中で諦めてしまった。
 日常会話に支障をきたさないスピードでサラサラと書けるようになるには、どれくらいの猛練習が必要だったのか想像に難くない。
 ルイ様はいつも、話す相手によって魔法文字を書く場所を変えていた。
 相手の背の高さに合わせて、高くしたり低くしたり……。
 それも全て、相手が読みやすいようにという気遣いによるものなのだ。
 私たちは、どちらともなく椅子から立ち上がった。

「……ポーラッ!」
「ルイ様っ!」

 勢いよく抱き合う。
 私の心は胸は、人生で一番の幸福感でいっぱいになった。
 これ以上の幸せを、私は知らない。
 腕の隙間から満天の星が見える。
 全てを包み込むような藍色の夜空に、流星群が新たに二つ輝いた。