「……どうして、誰も来ないのかしらぁ?」

 もう閉店の時間というのに、"言霊館 ver.シルヴィー”の中は一日中がらんとした空気に包まれていた。
 ドアベルが鳴る音も、依頼を頼む声も、客たちの話し声もまるでない。
 いつからか、客がさっぱりと来なくなった。
 子ども大人も年寄りも全部だ。
 あんなに文句を言いに来ていたくせに。
 用が済んだら、はい終わり?
 ふざけんじゃないわよ。
 言い逃げされた気分でむしゃくしゃする。
 やり場のない怒りに身を焦がしていたら、カランッとドアベルが鳴った。
 有力貴族の令息かしら!?

「いらっしゃ~い……なんだ、ルシアン様ですか」

 入ってきたのは見慣れた金髪の男性。
 客かと思ったらルシアン様だった。
 期待されるんじゃないわよ。
 間の悪い人ね。
 ルシアン様は店の中を見渡す。

「今日も客がいねえな。ここ三日ほど、ずっと誰も来てねえよ」
「そうなんですのぉ。どうしかしてくださいませんかぁ? ルシアン様のツテで有名な貴族の方を呼んでくださいましぃ」

 腕にしな垂れかかりながら、さりげなく有力貴族との接触を頼んだ。
 ククク……使える物は何でも使うわよ。
 伯爵家ともなれば、有名な貴族の知り合いも多いはず。
 ルシアン様は宙を見ながら考える。
 
「俺のツテねぇ……」
「そうでございますわぁ」
「めんどくせえな」

 ……は?
 めんどくさがるなよ、ボンボンが。
 可愛くて尊くて美しい、絶世の美女たる婚約者からの頼みでしょう。
 めんどくさいどころか、むしろルシアン様から協力を申し出るレベルの話だ。

「ルシアン様ぁ、そこをどうにかお願いしますわぁ。このままじゃ、"言霊館 ver.シルヴィー”が潰れてしまいますぅ」

 どうにか引きつった笑みを浮かべ、なおもやる気のないルシアン様を揺する。
 あたくしの言うとおりにしなさいよ。
 もっと激しく揺すろうかと思ったとき、ルシアン様が衝撃的なセリフを吐いた。

「そういや、街でお前の悪口を聞いたぞ」
「なんですって!? 詳しく聞かせてくださいまし!」
「どうやら、この前来た客たちが広めているようだ」

 そのまま、ルシアン様から話を聞く。
 あたくしのスキルは失敗ばかり、あたくしに詩を歌われると不幸になる、あたくしではなくお義姉様でないとダメ……などなど。
 いずれも、大変に腹立たしい話ばかりだ。
 許せん。
 きっと、あたくしの才能に嫉妬して、あることないこと言いふらしているに違いない。
 庶民や下級の貴族は噂話が好きだもの。
 こんなんじゃ商売上がったりだわ。

「俺が睨んだらすぐ口をつぐむんだぞ。……面白かったなぁ。やっぱり、俺は偉いんだよ。なんと言っても、ダングレーム伯爵家の跡取りだからな」

 庶民や下級貴族をいびった話をして、ルシアン様は一人で喜ぶ。
 あたくしはとても喜ぶ気分にはなれなかった。
 有力貴族が来ないのであれば、"言霊館 ver.シルヴィー”を続ける意味はない。
 何より、高位の貴族と知り合うチャンスがなくなってしまった。
 他人のお悩み解決なんてどうでもいいもの。
 もう廃業しようかしら。
 こんなことをしているより、お茶会や夜会に出た方が効率良さそうね。
 となると、ここはやはりルシアン様を利用しましょう。

「ねぇ、ルシアン様ぁ。今度、夜会に連れて行ってくださいませんかぁ? 侯爵様が来るような大きな夜会ぃ」
「わかった、わかった。そのうち連れて行ってやるから」

 適当な返事。
 思い返せば、ルシアン様は面倒なことはいつもこうやって誤魔化してきた。
 本当に夜会へ行けるのか、半信半疑も甚だしい。
 これは厳しい躾が必要そうね。
 指を鳴らしながらルシアン様に迫る。

「あたくしは真剣に頼んでいるのに、ルシアン様はいつも空返事されますよねぇ。……一度痛い目を見た方がよろしいですかぁ?」
「や、やめろっ、来るなっ。やめろ……やめろぉおお!」

 以前の二連撃が身に染みているのか、ルシアン様は恐怖の表情を浮かべてじりじりと後ずさる。
 婚約者に向かって来るな、なんてひどいじゃないの。
 おまけに魔物でも見たかのような顔をして。
 さらなる躾が必要そうね。
 壁まで追い詰めたところで、ルシアン様があたくしの後ろを指して叫んだ。

「お、おい、シルヴィー、窓の外を見ろ! 王族の馬車が来ているぞ!」
「下手な嘘はやめなさぁい、ルシアン様ぁ。話を逸らそうという魂胆が見え見えですわよぉ」
「ほ、本当なんだよ。本当に王族の馬車が来ているんだって!」

 ルシアン様は切羽詰まった表情でさらに叫ぶ。
 話を逸らさせてなるものですか。
 右ストレートのポーズを取る。
 
「嘘を吐くような悪い男性には……」
「信じられないなら自分の目で見てくれ!」

 力強く肩を掴まれ、すごい勢いで振り向かされた。
 まったく、相変わらず乱暴な人ね。
 しょうがないのであたくしも窓の外を見る。
 どうせ、何も……。

「そ、そんな、まさか!」

 窓の外に目を向けた瞬間、思わず驚きの声を上げてしまった。
 "言霊館 ver.シルヴィー”の前に伸びる道に、豪勢な馬車が停まっている。
 白地に金の装飾。
 扉には太陽と月の紋章が刻まれていた。
 ここ、メーンレント王国の紋章だ。
 王族以外の誰も乗ることはできない……。
 つまり、あれは王族専用の馬車を意味する。
 あたくしが驚く様子を見て、ルシアン様はこれ以上ないほど得意げな顔となった。

「どうだ、シルヴィー。俺の言った通りだろうが……ぐわあああ!」
「お黙りなさい!」

 まとわりつくルシアン様を突き飛ばす。
 なんと……馬車から降りたのは王様だった。
 長い白髪を揺らし、口元にはこれまた長くて白い髭を蓄える。
 偉大な魔法使いといった見た目と雰囲気。
 まさしく、メーンレント王その人だ。

「……ごほっ、マ、マジか。王様じゃねえかよ。どうするんだ、シルヴィー。早く閉めた方がいいんじゃないのか?」
「どうするも何も、お出迎えするに決まっております。これは一世一代のチャンスですわ」
「だ、だけどよ、相手は王様だぜ? 不敬でもあったら大変な目に遭うぞ」

 ルシアン様は怖じ気づいていたけど、閉店するなんてあり得ないでしょうが。
 王様は幾人もの衛兵に連れられ、"言霊館 ver.シルヴィー”へと歩み寄る。
 きっと、庶民や低級貴族の噂は届いていないのだ。
 身分が違いすぎるから。
 ここであたくしが本気を見せて王様の高評価をいただければ、ハンサムかつ聡明なことで有名な王太子との婚約も夢ではない。
 あまりの好都合に、思わず笑みが浮かぶ。

「それに、王様に気に入られれば、ルシアン様だって今よりもっと有名になれるかもしれませんわよ?」
「……たしかになぁ」

 一転して、ルシアン様はご満悦な表情となる。
 わかりやすい男ね。
 身なりを整え、ルシアン様と扉を開ける。
 王様を出迎えるのだ。
 すでに一行は"言霊館 ver.シルヴィー”の前に着こうかというところだった。
 衛兵がビシッと二列に並ぶ。

「「メーンレント王がいらっしゃいました!」」

 あたくしとルシアン様もまた、姿勢を正して王様を待つ。

「突然来てしまい申し訳ないな。ポーラ嬢はおるかの?」

 開口一番、王様はお義姉様の名前を口にする。
 ……どいつもこいつも。

「あいにくでございますが、お義姉様はもう"言霊館”にはおりませんわ。婚約が決まり、家から出て行きました」
「……なに? そうなのか? 婚約なんてワシも初めて知ったが」
「急に決まったことですので……。申し訳ございません」

 もちろん、お義姉様を追放した件は黙っておく。
 あたくしたちが悪者にされてしまうもの。
 いないと聞くと、王様は露骨に表情が沈んだ。

「それは困ったのぉ。まさか、もういないとは思わなかった」
「どうされたのですか?」
「最近、胸の持病が悪くなってきての。王宮医術師の治療や秘薬でもなかなか治らなくて困っておる。そこで、ポーラ嬢の詩は病気にも効くと聞いたので来たんじゃよ。詩の芸術性も高いそうじゃな。実は、それも楽しみなんじゃ」

 王様は楽しそうに話す。
 こんなところまでお義姉様の評判が伝わっていたなんて……腹立たしい。
 いや、それも今日までだ。
 あたくしの活躍でお義姉様の印象なんか消し飛ばすわ。

「ご心配はいりませんわぁ、王様。あたくしもお義姉様と同じ、いえ、それ以上に強力な言葉のスキル【忌み詞】を持っているのです」
「ほぅ、お主も言葉のスキルがあるのか。しかし、聞いたことがないのぅ」

 一行は【忌み詞】と聞いて、首をかしげていた。
 王様も知らないなんて、やはりあたくしのスキルは貴重なのね。

「あたくしはシルヴィーと申します。ポーラの義妹でございますわ」
「なるほど、だからお主も言葉のスキルがあるんじゃの」
「どうぞ中へお入りください」
「うむ、失礼するぞよ」

 王様を店に連れ込むことに成功した。
 ここまでくればこっちのもんよ。
 後は詩を読んで、王様の病気を治しておしまい。
 王太子に見初められれば、王妃になるのも夢ではない。

「では、今詩を作りますね」
「よろしく頼むぞ、シルヴィー嬢。病気が逃げ出すような詩を作ってくれ」

 少し話しただけで、頭の中にいくつもの言葉が思い浮かぶ。
 やはり、あたくしは天才ね。
 羽ペンと紙を取り出して詩を書く。
 あたくしを未来の王妃にしてくれる詩を。


――
 胸に宿る負の結晶
 それは美しい花を咲かせるでしょう

 遅い開花は
 見事な花を咲かせるため

 クロユリとスノードロップ

 黒と白のコントラストが
 あなたのを行く先を暗示する
――


 素晴らしい詩ができた。
 詠い終わると、王様の身体……胸辺りが、数秒ほど黒い光りに包まれた。

「どうでしょうかっ、王様っ」
「あまり変わった気がしないぞよ……」

 王様は不思議そうな顔で言う。
 ……チッ、きっと年寄りだから、スキルの効きが悪いのだ。
 仕方がないので詩を渡した。
 以前にも、お義姉様は詩を読んだ後、客にその紙を渡すことがあった。
 どうやら、その日くらいは客が読んでも効果があるらしい。
 直接自分で詠うより力は弱まるけど……とかなんとか言っていたっけ?
【忌み詞】も言葉のスキルだから、同じような効力のはずよ。

「でしたら、この王様専用の詩を夜にでもお詠みくださいませぇ。胸の病気などたちまち治ってしまうでしょう」
「しかし……なんだか情緒もへったくれもないのぉ。風情もないし字も汚いし……」

 なんですって!?
 王様は目を通したかと思うと、つまらなそうに言った。

「さ、さようでございますかぁ。王様のご健康を祈って精一杯書かせていただいたのですけどぉ」

 怒りたくなるも必死に抑える。
 こんなじいさんだろうが、相手は王様。
 不敬罪にでもされたらたまったもんじゃないわ。
 この怒りは後でルシアン様にぶつけましょう。

「まぁ、せっかく書いてくれたのだから、ありがたく頂戴しようかの。ご苦労じゃった、シルヴィー嬢。ワシらはお暇するぞよ」

 王様たちは馬車に乗り帰る。 
 ルシアン様と見えなくなるまで見送った。

「クソが……結局、俺とはろくに話さなかったな」
「仕方がないですわぁ。次の機会にお話しできることを祈りましょう」

 ルシアン様は王様にアピールできなかったことをずっと悔やんでいる。
 反面、あたくしはもうウキウキだ。
 王様の病気は完全に治って、あたくしは聖女のように崇め奉られる。
 今までの不遇を帳消しにして、王妃に成り上がってやるわ。
 今日の夜が楽しみ~。


 ◆◆◆(三人称視点)


「「王様、お疲れ様でございました」」
「うむ、皆もご苦労じゃった」

 宮殿に帰ったメーンレント王は食事を済ませた後、使用人に案内され寝室へ向かう。
 やはり、胸の行き苦しさはまだ残っていた。
 寝るには少し早いが、今日はもう休息を取ることにする。
 メーンレント王は、シルヴィーに渡された詩を読んだ。

「……行く先を暗示する……うっ……!」

 詩を詠い終わったとき、彼の胸を鋭い痛みが襲った。
 今まで感じたことがない痛みと辛さに、メーンレント王は脂汗を流す。
 とても座ってなどいられず、ベッドに崩れ落ちた。
 使用人たちは異変に気づくと、悲鳴に近い叫び声を上げた。。

「た……大変だ。王様が倒れられたぞー!」」

 宮殿は大騒動に包まれる。 
 今回のシルヴィーの詩は遅効性だった。
 クロユリの花言葉は"呪い”、そしてスノードロップの花言葉は……"あなたの死を望む”。 シルヴィーは言葉の意味も深く知らず、メーンレント王に呪いともいえる詩を書いてしまった。

 ――国王の危篤。

 直属の医術師や薬師が次から次へと寝室に集まり、王宮中は大騒ぎだ。
 シルヴィーやルシアンがのんびりとグラスを傾ける裏で、メーンレント王国きっての一大事が起きていた。