「さて……始めましょうか」

 お屋敷に帰ると、お庭の掃除用具を片付けてから図書室に入った。
 もちろん、“久遠の樹”を救う詩を書くためだ。
 図書室は数十個の棚が並び、数え切れないほどの本が収められている。
 古代樹についての本を見つけ、知識を蓄えよう。
 今日中に完成させることを決意し、本棚に向かった。
 棚は細かく分類されており、古の時代や植物のゾーンを重点的に探す。
 タイトルやあらすじ、目次を見たりするも、少々困ることに気づいた。
 パット見ただけでは、古代樹に関する本なのか判断が難しい。
 内容を読まなければならないのだ。
 本を読むのは好きだけど、早く詩を書きたいこともあって少しばかり焦ってしまう。
 どうしよう……と思ったとき、広げた本の上に暗い影が落ちた。

「……あっ、ルイ様」
〔ポーラ、私にも手伝わせてほしい〕

 目の前の空中に書かれたのは優しい筆跡の文字。
 影の主はルイ様だった。

「い、いえ、しかし、ルイ様のお手を煩わせてしまうのは……」
〔別に気にしなくていい。今、古代樹に関する本を集める。ちょっと待っていなさい〕

 ルイ様が空中でサッと手を動かすと、棚から自然に本が抜き出され、一冊一冊と近くの机に積み重なる。
 あっという間に、十数冊の本が集まってしまった。

「す、すごい……これは何の魔法ですか?」
〔ただ、本を検索して集めるだけの魔法だ。古代樹に関する記述がある本だけ厳選した。一冊ずつ読んで探すのは手間がかかるだろう。ついでに、どこのページに書かれているか魔力の付箋をつけておく〕
「ありがとうございます! 詩を書くのが大変に捗ります!」

 図書室なのに、大きな声で喜んでしまった。
 “久遠の樹”のことを考えると、少しでも早く詩を書いてあげたい。
 だから、時間を節約できて嬉しかったのだ。
 本を開き、古代樹に関する知識を集める。
 魔力の付箋があるおかげで、すぐにページを見つけられた。
 まずは木の図鑑から読む。
 どうやら、古代樹にも原種と亜種があるようだった。
 ルイ様も隣に座ると、本を見ながら視界の隅っこに魔法文字を書く。

〔わからないことがあったら私に聞きなさい。答えられることなら、なんでも答えよう〕
「ありがとうございます。……では、さっそくですが、“久遠の樹”は原種と亜種のどちらになるんでしょうか」
〔原種だな。両親からは樹齢二千年ほどと聞いた〕
「二千年……。途方もない年月ですね」

 思わずため息が漏れる。
 長生きだとは思ったけど、想像以上の樹齢だった。
 アングルヴァン家にとっても大切な樹だし、世界的に見ても貴重な樹だと改めて実感する。
 ルイ様は思い出すように話を続ける。

〔“久遠の樹”の葉は、本来なら美しい翠色なんだ。青みがかった緑色は、風に揺れるたび何物にも代えがたい輝きを放つ。君にも見せたい〕
「そうなんですねっ。もっと“久遠の樹”について聞かせてください、ルイ様!」
〔もちろんだ。一度、落ち葉を茶にできないかと思い煎じたことがあるんだが、これがまたうまい茶になったんだ。草原を吹き抜ける爽やかな風のようで……〕

 本で読んだ普遍的な内容と、ルイ様からお聞きした“久遠の樹”特有のエピソードを合わせてノートにまとめる。
 楽しい思い出がたくさんあるようで、“久遠の樹”について話すルイ様の表情は明るかった。
 お話を聞きながら、私は思う。

 ――お屋敷で一緒に過ごすうち、ルイ様の顔に少しずつ感情が見えるようになってきた。

 訪れたばかりの頃は無表情が張り付いたようなお顔だったけど、今はもう違う。
 ふと、向かいの窓の外を見ると、窓枠に隠れるようにしてみんなが図書室を覗き込んでいた。
 エヴァちゃん、アレン君、ガルシオさんにマルグリットさん。
 なぜか、みんなワクワクしているような気がするけど……どうしたんだろう。
 一瞬そんなことを思ったけど、すぐに頭を振って打ち消した。
 いや、きっと気のせいだ。
 それより今は詩の制作に集中しないと。
 本を読み、お話を聞き、辞書をめくって羽ペンを走らせること一時間半ほど。
 一篇の詩が完成した。

「……できました、ルイ様!」
〔見事だ、ポーラ。よく頑張ってくれた〕

 詩ができあがって、室内が暗くなりつつあるのに気づいた。
 空は西側から赤くなり、濃い藍色や青など、空には夜の気配が混じる。
 時計を見ると、ちょうど黄昏時の時間帯だった。

「綺麗な空ですね……」
〔ああ、ポーラの詩にはぴったりの空だな〕
「では、夜になる前に森に行きましょう」
〔ん? 休まなくていいのか? 別に明日でも構わないが〕

 ルイ様は明日で良いと言ってくれたけど、私はこの後すぐ詩を詠うつもりだった。

「いえ、今日やらせてください。一刻も早く癒してあげたいのです。……ルイ様の大事な樹ですから」

 そう言うと、ルイ様は一段と真面目な顔になり、正面から私を見た。
 視線がぶつかり、私の心臓がトクン……と軽やかに高鳴る。
 ルイ様はしばし黙っていたかと思うと、キラキラと光る魔法文字を書いた。

〔ポーラ……ありがとう〕

 その言葉は、私の目の中で満月のように煌々と輝いた。
 エヴァちゃんたち四人と合流し、森の奥へと進む。
 “久遠の樹”は美しい夕焼けを背景に、音もなく佇んでいた。
 生命の象徴たる太陽がその姿を消したからか、昼間より死の気配を色濃く感じる。
 一歩前に踏み出すと、背中からみんなが応援してくれる声が聞こえた。

「ポーラちゃん、頑張って!」
「僕たちも救われたのですから、古代樹も救われるはずですっ」
『お前なら絶対にうまくいくぞっ』
「あんたの力を見せとくれ!」

 みな、固唾を飲んで私の詩を待つ。
 深呼吸しながら、心の中で“久遠の樹”に語りかける。

 ――ルイ様の大事な古代樹……。辛かったね。今、元気にしてあげるから……。

 大きく息を吸い、ルイ様と一緒に作った詩を詠う。


――
 古の時より
 この地を守護する
 北の領主のよき理解者たる
 偉大な樹よ

 色濃く纏うは
 終焉の気配
 北の領主が願うは唯一つ
 汝は永遠に生きてほしい

 汝の不撓不屈な姿を想うたび
 北の領主の苦悩は消え去りし

 雅な鳶色の樹皮
 壮美な翠色の樹葉
 胸を打つ
 唯一無二の情景を

 我らは再び見たし
――


 詩を詠い終わると、“久遠の樹”は全体が白い光に包まれた。
 地面に見える根っこから枝の先まで、隅から隅まで波動が伝わるように。
 いつものように、白い光は十秒も経たずに消えた。
 でも、樹には何の変化もない。
 相変わらず、痛々しい姿のままだ。
 【言霊】スキルが効かなかったのかと不安になる。
 思わず顔がこわばると、ルイ様がそっと私の肩に手を乗せ、枝の一部を指した。

〔あれを見なさい〕

 目を凝らすと、ぽつり……と小さな芽が見える。
 あれ?
 さっきまで枝には何もなかったような気がするけど……。
 そう疑問に思う間もなく、次から次へと枝に芽が現れた。
 ひび割れた樹皮も潤い、生命力に満ちあふれる。
 今や、死の気配は完全に消え去った。

「やったー! 樹が治ったよー!」
「元気いっぱいです!」
『お前のスキルはどんな問題も解決しちまうな!』
「ポーラ、あんたはすごい力の持ち主だよ!」

 エヴァちゃんたち四人は、大歓声を上げる。
 私も一緒に喜びたかったけど、あいにくと言葉が出ない。

「う、嘘……。ルイ様、“久遠の樹”が復活しました!」
〔ああ。だが、どうやらこれだけではないようだ〕

 その言葉を証明するかのように、ルイ様が魔法文字を書いた瞬間、芽からいっせいに翠色の葉が芽吹いた。
 風に揺れるたび、独りでに美しい光を放つ。
 サラサラ……と奏でられる音は、天界の讃美歌を思わせるほど優雅で厳かだった。
 あまりのも素敵な光景に、感動を呟くことしかできない。

「こんなに美しい樹を見たのは……生まれて初めてです……」
〔これが、君に見せたかった景色なんだ〕

 ルイ様以外のみんなは幹の近くに走り、わいわいと嬉しそうな声を上げる。

「ポーラちゃーん、こっちに来てー!」
「一緒に近くで見ましょー!」
『樹も喜んでいるぞ!』
「撫でておやり!」

 もっと近くで見ようと、みんなは私を呼ぶ。

 ――良かった……うまくいった……。

 “久遠の樹”が蘇ってくれて、安心感で胸がいっぱいになる。
 ホッとしたとき、ふいに身体の力がかくんと抜けた。
 意識も薄れ、体勢を崩す。
 視線が上にずれていくのを感じ、後ろに倒れているんだなと思った。
 幹の下にいるみんなが、慌ててこちらに駆け寄るのが視界の端っこに見える。

『「ポーラ!」』
「「ポーラちゃん(さん)!」」

 きっと、力を使いすぎたんだ。
 昨日は“御影の書”の解読を手伝ったし、疲れが残っていたのかもしれない。
 連日、古の時代のものに【言霊】スキルを使うのはやっぱり大変だったのだ。
 地面にぶつかる……と思ったとき、ふわっと優しく何かに止められた。
 ルイ様が私の背中を支えてくれた。