「ポーラちゃん、いつも通り箒で掃いてから水拭きしよう」
「うん、わかった」

 ドッペルゲンガーを退治してから数日後。
 お屋敷での日常が戻ってきた。
 今はエヴァちゃんとロビーの掃除中。
 小さな舞踏会が開けそうなほど広いので、数人で作業するのが定番だった。
 アレン君は食堂に飾る花を摘む当番だから、ここにはいない。
 お屋敷に帰ってきてからルイ様と相談した結果、‟希望の館”は数か月かけて少しずつ修理を進める予定となった。
 とは言っても、ルイ様もお忙しいので、基本的には週に1~2日“霧の丘”に向かう。
 修繕には手間がかかるけど、逆に言うとやりがいがあった。

「ねえ、もう一度ドッペルゲンガー退治の話を聞かせて」
「え? ま、また?」

 エヴァちゃんは箒を動かしながら、ワクワクした様子で私に聞く。
 お屋敷に帰ってから、すでに三回くらい話したはずだけど……。

「何度聞いても聞き足りないよ。なるべく怖く話して」
「わ、わかった。……私たちが“霧の丘”に着いたときは、それこそ幽霊のような霧が辺りを包み……」

 退治に行ったときの光景を思い出し、なるべく怖くなるよう話す。
 ひとしきり話が終わると、エヴァちゃんは両手で身体を抱えてぶるぶる震えた。

「……ドッペルゲンガーは人の身体を奪ってなりすますなんて……ひいいっ、恐ろしいっ」

 この光景は四回くらい見たっけ。
 彼女は怖い話を聞いては怖がるのが好きだった。

「怖いなら聞かなきゃいいのに……」
「いやいや、背筋がゾクッとする感覚が病みつきになるんだよねぇ」
「へ、へぇ~」
「アレンは怖い話を聞かせても全然へっちゃらなの。本当に生意気なんだから。いつか怖がらせてやりたいわ」

 エヴァちゃんは悔しそうな顔で拳を握る。
 そんな光景を見るたびに、二人は本当に仲のいい姉弟だな、と微笑ましい気持ちになった。
 会話がひと段落したところで、二階からルイ様が降りてきた。
 私とエヴァちゃんは手を止めてご挨拶する。

「「辺境伯様(ルイ様)、お疲れ様でございます」」
〔掃除のほどご苦労。相変わらず、二人とも良い働きぶりだな〕
「「ありがとうございます」」

 話しながらも箒はきちんと動かしていたので、床は埃もなく綺麗サッパリだ。
 後は布切れで水拭きをして掃除は完了となる。

〔ポーラ、後で執務室に来てくれるか? 渡したい物があるんだ〕
「わかりました。ロビーのお掃除が終わり次第、お伺いいたします」

 渡したい物ってなんだろうね。
 忘れないようにしなくちゃ。

〔ところで、食堂の花がなかったが入れ替えているのか?〕
「はい、萎れてきましたので新しいお花を集めています。今、アレンが外で作業しているかと……あっ、ちょうどお庭から帰ってきたようです」

 玄関の扉が開き、アレン君がロビーに入る。
 手にはお花が入った袋を垂らし、新しい花瓶を持っていた。
 せっかくなので、気分転換も兼ねて花瓶も取り変えようという話だったのだ。
 アレン君はふらふらしたかと思うと、助ける間もなく床につまずいてしまった。
 お花が散らばり、陶器の割れる鋭い音がロビーに響く。

「アレン君!?」
「ちょっと、アレン、大丈夫!?」

 私とエヴァちゃん、そしてルイ様は急いで駆け寄る。
 アレン君は床に手をついて俯いていた。

「……申し訳ございません、辺境伯様。花瓶を割ってしまいました。弁償しますので、お金は給金から引いてください」
〔花瓶などどうでもいい。怪我がないか見せなさい〕

 ルイ様はアレン君の身体を慎重に確認する。
 どうやら、大きな怪我は負っていないようで、私とエヴァちゃんはホッと安心した。
 花瓶の破片で指でも切ってしまっていたらと、心配だったのだ。

「姉さんとポーラさんもすみません……。びっくりさせてしまいましたね」
「いえ、気にしないで。怪我がなくて良かったわ」
「もしかして、具合が悪いんじゃないの? 熱はない? おでこを見せなさい」

 エヴァちゃんは心配そうな表情でアレン君のおでこに、自分の額をつける。
 それだけで、弟をとても大事に思う気持ちが伝わってきた。
 熱もないようだ。
 アレン君の顔をよく見ると、目の下に黒いくまが薄っすらと浮き出ている。
 寝不足が続くと現れるような黒いくまが……。

「アレン君、最近はよく眠れていないの?」
「あの火事の一軒以来、悪夢を見るようになって……よく眠れなくなってしまったんです。血のように赤くて恐ろしい悪魔が、どこまでも追いかけてくるような夢です。身体も熱くなって、いつも寝汗がびっしょりで……」

 アレン君は暗い顔で呟く。
 ‟ロコルル‟の街のレストランで起きた火事……。
 あのときの火の勢いはそれこそ悪魔が躍っているようで、私が見ても恐ろしかった。
 今でも鮮明に思い出される。
 何より、アレン君はまだ子どもだ。
 ショックは大きかっただろう。

「わたしの知らないところでそんなに苦しんでいたなんて……」
「気づかなくてごめんね、アレン君」
〔私も把握できず悪かったな。辛い思いをさせてしまった〕

 ドッペルゲンガー退治などがあり、このところアレン君とはあまり話すこともなかった。
 結果、悪夢の存在に気づくのが遅れてしまったのだ。

「僕もお伝えするのが遅くなり申し訳ございませんでした。でも、しばらくすれば悪夢も見なくなると思います。きっと、悪夢が出るのも今だけですから」
「そういうわけにはいかないでしょうよ。教会で祈祷してもらう?」
「いや、そこまではしなくていいよ。時間が経てば治るだろうし」

 エヴァちゃんの言葉に、アレン君は首を横に振る。
 アレン君は幼くとも、人一倍強い責任感を持っていた。
 時間が経てば治ると言っても、何もしないわけにはいかない。
 彼らのやり取りを見ると、私は自然と告げていた。

「大丈夫、私に任せて。【言霊】スキルで悪夢を追い払うよ」

 そう言うと、アレン君はハッとした顔で私を見る。

「い、いいんですか?」
「もちろん。アレン君も私の大切な人なんだからね。お屋敷に来てから、ロッド君にもすごく助けられたから……。今度は私の番よ」
「ポーラさん……ありがとうございます。お願いします……」

 アレン君はぺこりと小さく頭を下げる。
 悪夢なんか見ず、よく眠れるようになってほしい。
 今こそ、【言霊】スキルの出番だ。