「「火事!?」」

 エヴァちゃんとアレン君は目を見開く。
 どこで火事が起きているの……!
 私もまた、心臓がドキリとして周囲を見渡した。
 周りの住民たちも声が聞こえたのか、お店や家から出てくる。
 焦げ臭さとともに、東の方角の空に不気味な黒い煙がモクモクと立ち昇るのが見えた。
 ちょうど、商店街の影になっている場所だ。
 建物に邪魔され、広場からは詳細な状況がわからない。

「エヴァちゃん、アレン君! 急いで行ってみよう! あっちに煙が見える!」
「「うん(はい)!」」

 私たちは荷物を持ったまま、声が聞こえた方へ急いで駆ける。
 広場から出て商店の角を曲がった瞬間、言葉を失ってしまった。
 大通りに面した建物の一か所から、ゴウゴウ……という音が聞こえるほど炎が勢いよく燃え盛る。
 血のように赤い炎が、闇の死神を思わせるほど黒い煙とともに……。
 数十mは離れているのに、熱気で顔が焦げそうだ。
 炎と煙の隙間からわずかに見える看板に、“ロコルルレストラン”と見えた。
 火元はレストランか。
 住民たちがバケツで何度も水を被せたり、水魔法を使って消化を試みているけど、火の手はまったく緩まない。
 エヴァちゃんとアレン君は唖然とした様子で呟く。

「ど、どうして、火が消えないの……変だよ。きっと、悪い魔女が魔法をかけたんだ……」
「あんなに水をかけているのに消えないのはおかしいです……。もしかして、悪魔の呪いなんじゃないでしょうか……」

 二人の疑問はもっともだけど、あれは魔女の魔法でも悪魔の呪いでもない。

「あれは……油が燃えている炎だよ。だから、消えにくいんだと思う」
「「油が……?」」

 油が燃えると、白い煙より何倍も人間に毒がある黒い煙を放つ。
 水をかけてもなかなか消えない。
 本で読んだ通りだった。
 そう思ったとき、ひと際大きな男性の声が轟いた。

「頼む! 家内がまだ中にいるんだ! 火を消してくれえ!」

 レストランの店主だろうか。
 シェフの格好をした小太りの男性が、住民たちにしがみつくのが見える。
 家内がまだ中に……という言葉を聞き、この場にいる誰もが息を呑んだ。

「わたし、ご主人様に知らせてくる! アレン、ポーラちゃん、荷物をお願い!」

 エヴァちゃんは地面に荷物を置くと、お屋敷へ向かって走り出した。
 ルイ様ならこんな火事でもすぐ消せるだろうけど、片道二十分はかかるし帰りは緩やかな登り坂だ。
 いくら足が速くても、最低十五分はかかってしまうだろう。
 火の手は隣の家々にも回りそうだし、取り残された人の命が危ない。
 とても待ってなどいられなかった。
 かつてない速さで辞書をめくり、大急ぎで詩を作る。

「ポ、ポーラさん、何をやっているのですか。」
「【言霊】スキルで消化するのよ」

 水魔法がダメでも、【言霊】スキルならどうにかできるかもしれない。
 何より、ジッとしてなどいられなかった。
 必死の願いを込めて詩を詠う。


――
 目抜き通りに輝く真紅の光
 蒼天を切り裂く幾重もの黒
 それは精霊が悪霊になる標

 空気は火照り
 体躯は焦がれる

 燃ゆる水を得し者たちよ
 我らを導く光とはならぬ
 消えたもう
 消えたもう

 そなたらが生み出す光は
 救いの光明とはならぬ
 消えたもう
 消えたもう
――


 詩を詠い終わると、炎の勢いが明確に弱くなった。
 顔を焦がすような熱気も弱まり、住民たちが歓喜の声を上げる。

「おい、火が弱くなったぞ! あのお嬢ちゃんの力だ!」
「水魔法でも消せない火を弱めるなんてすごいじゃないか!」
「お嬢さんは名の知れた魔法使いなのかい!?」

 みな、口々に私を褒めてくれた。
 火が弱まったおかげで、店の入り口にも空間が生まれた。
 煙もぐんと少なくない。
 チャンスだ。

「今のうちに、奥さんの救助をお願いします!」
「「了解! 任せておけ!」」

 叫ぶように言うと、男性が数人急いで店に入った。
 瞬く間に、一人のおばさんを抱えて戻ってくる。
 顔や腕は煤だらけだけど、目は開いて息もちゃんと吸えているようだ。
 店主のおじさんが抱き着くと、涙を浮かべながら抱きしめ返した。
 大通りは歓声と拍手で満たされる。

 ――よかった……生きていた……。

 人の命が救われ、私も心の底からホッとする。
 だけど、安心したのもつかの間、また火の勢いがぶり返した。
 住民たちの驚きと不安の声が響く。

「ポーラさん、大変ですっ。火がまた燃え始めましたっ」
「すぐ詩を作るわっ」

 きっと、新たな油や燃えやすい物に引火してしまったのだ。
 もう一度詩を作らなきゃ……!
 急いで辞書をめくり出したとき、パシュッという弾けるような音がして、私の前が暗くなった。
 ふっ……と目を上げる。
 目の前に、黒いジャケットを着た黒髪の男性が立っていた。
 おなじ黒でも、煙のような不気味さは微塵も感じない。
 むしろ、もう大丈夫だ、という強い安心感を覚えた。

〔待たせてすまない。後は私に任せなさい〕

 ……ルイ様だ。
 隣にはエヴァちゃんもいる。
 お屋敷から駆けつけてくれたのだ。
 ルイ様を見て、大通りはピタッと静かになった。
 炎の燃える音しか聞こえない。
 ルイ様がそっと手をかざすと、レストランは一瞬で水浸しになり火は消えた。
 あんなに凶暴だった火はもうどこにもいない。
 今度は、かざした手を上に向ける。
 不気味な黒い煙がどんどん空高く昇り、瞬く間に風に流され消えてしまった。
 住民たちはしばしポカンとしたけど、やがて大歓声を上げる。
 火事は完全に鎮火した。
 みな、口々によかった、と嬉しそうに言う。
 取り残されたおばさんはすでに救助されたと伝えると、ルイ様もホッとした様子だった。

〔火元はあのレストランか……。壁の焦げ具合を見ると相当燃えたようだな〕
「聞いてください、ご主人様。ポーラさんが大活躍だったんです。【言霊】スキルで詩を詠って、火を弱めてくれました。詩の美しさや力強さもさることながら…」

 アレン君が興奮しながら、ルイ様が来るまでの火事について説明する。
 住民たちの水魔法でも弱まらなかった火の勢いが私の【言霊】スキルで弱くなり、おばさんが救助された……と聞くと、いつもは無表情な目が見開いた。

〔君が【言霊】スキルを使ってくれたのか〕
「ですが、火の勢いも強く……消すことはできませんでした。ルイ様がいらっしゃって本当に良かったです。ありがとうございました。エヴァちゃんも呼びに行ってくれてありがとう」
「ポーラちゃんがいてくれて良かったよ」

 エヴァちゃんこそ大活躍だった。
 みんながいたから、大きな火事も鎮火できたのだ。

〔ポーラ、君に怪我はないか?〕
「はい、私は大丈夫です。火から離れていましたので」

 私の身体はいたって問題ない。
 たしかに顔は熱かったけど、火傷も怪我もなかった。
 ルイ様は私の顔をジッと見ると、静かに魔法文字を書く。

〔顔に……煤がついているぞ〕
「え? そ、そうなんですか?」

 飛んできた灰がこすれたのかな。
 服の裾で拭おうとしたとき、ルイ様が指の先で、そっと私の頬を撫でる。
 不意の優しい仕草と感触に、心臓がドキリと高鳴った。
 ビックリして思わず固まると、ルイ様は慌てた様子で魔法文字を書く。
 乱れてしまっているけど、なんとか読み取れた。

〔す、すまない。いきなり失礼だったな。しかも、逆に汚れが広がってしまった〕
「あ、いえ、煤を取ってくださりありがとうございましたっ。自分じゃ気づけないのでっ」

 私も慌ててお礼を告げる。
 さりげなく、エヴァちゃんとアレン君の目がキラキラしているのはなぜ……?
 諸々疑問を感じていると、あの店主さんとおばさんが近くに来た。

「「あ、あの……辺境伯様……」」
〔怪我はないか? 店が燃えてしまって大変だったな〕
「「た、助けていただき本当にありがとうございました」」

 ルイ様が怖いのか、二人ともおずおずとしながらお礼を言っていた。
 緊張した様子のおばさんが尋ねる。

「辺境伯様、こちらのお嬢さんとお知り合いなのですか?」
〔彼女は私の屋敷で働く特等メイドだ〕

 ルイ様が書くと、おばさんは意を決した表情で言った。

「彼女はあたしの命の恩人です。不躾ながら、お名前を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
〔……君の名前を教えてあげなさい〕

 一歩前に踏み出し、おばさんの前に立つ。

「私はポーラ・オリオールと申します」
「……いい名前だねぇ。一生忘れないよ。店が再開したら食べに来ておくれ。ちゃんとお礼をさせてほしいのさ」
「はい、ありがとうございます」

 笑顔のおばさんと握手を交わす。
 ガサガサとした手から柔らかな温もりを感じた。
 そんな私たちを、店主さんも泣きそうな顔で見ていた。
 挨拶してレストランに戻ろうとする二人を、ルイ様が魔法文字で書き止めた。

〔ちょっと待ちなさい。軽い火傷を負っているようだ。今治そう〕
「へ、辺境伯様のお手を煩わせるわけには……!」
〔構わない。ジッとしていなさい〕

 ルイ様が手をかざすと、おばさんは優しい緑の光に包まれた。
 回復魔法が放つ癒しの光だ。
 十秒も経つと身体の煤や火傷はなくなり、おばさんの顔にも安らぎが見えた。
 ルイ様は魔法文字を書く。

〔他に苦しいところや痛いところはないか?〕

おばさんはびくびくしながらルイ様を見ると、叫ぶように言った。

「だ……大丈夫でございますのでーっ」

 店主さんと一緒に、逃げるようにレストランへ戻り、大急ぎで後片付けを始めた。
 助けてくれたと言っても、やっぱりルイ様は怖がられているのだろう。

 ――でも、あんなに怖がらなくてもいいのに……。

 怖そうに見えるのは見た目だけで、本当はとても優しいことを私は知っている。
 おばさんたちにも教えてあげたかったな。
 ルイ様は振り返ると、今度は私の目の前に魔法文字を書く。

〔ありがとう、ポーラ。君のおかげで住民たちの命が救われた。一領主として、深く感謝する〕

 今までよりも大きく、そして力強い文字でそう書いてくれた。