「ポーラ・オリオール。俺はお前との婚約を破棄する。お前は本当に小言が多いんだよ」
その日、いつものように離れの仕事部屋で詩を書いていたら、男性の野太い声が私の胸に突き刺さった。
驚いて振り返ると、尖らせた金髪に美しい碧眼の男性が私を睨んでいる。
それこそ獅子のように鋭い目で。
こ、この方は……。
驚きとは別の意味で心臓が嫌な鼓動を打つ。
「ルシアン様っ、こ、こんにちは。すみません、いらっしゃっているとは気づきませんでした」
「相変わらず鈍くてのろい女だな。恥ずかしくないのか? 地味な見た目なんだから、せいぜい気配りくらいは上達したらどうだ。まったく、何度言わせれば気が済むんだ」
「……申し訳ありません」
ルシアン様の言葉を聞き、心が暗く沈むのを感じる。
彼はここメーンレント王国の名家、ダングレーム伯爵家の嫡男で、私の婚約者だ。
私が生まれたとき、すでに婚約は決まっていたらしい。
俗に言う政略結婚だった。
私は今十六歳で、ルシアン様は十八歳。
将来、自分の夫となる人だったけど、ルシアン様は少々乱暴というか言葉遣いに棘があり、私はどうにも苦手だった。
この方と結婚するのかと思うと、気が滅入るのもまた事実ではあった。
ルシアン様は威嚇を思わせる怖い眼差しを和らげると、今度は見下したような笑みになる。
「まぁ、安心しろよ、ポーラ。お前の代わりにちゃんと‟真に愛する人”を見つけてるからよ」
「し、‟真に愛する人”……ですか?」
「今見せてやるよ。ほら、入ってこい」
ルシアン様がドアに向けて言うと、静々と一人の女性が入室する。
華やかなピンクの縦ロールに、エメラルドグリーンの輝く瞳。
まったく予想もしない人物で、私は大変に驚いてしまった。
「シ、シルヴィー!? あなたがルシアン様の”愛する人‟!?」
「こんにちはぁ、お義姉様ぁ。驚いたお顔もまぬけでございますねぇ」
語尾を伸ばしてふわふわと話す少女。
彼女はシルヴィー・オリオール、十四歳。
私の義妹だった。
ルシアン様はシルヴィーを抱き寄せると、縦ロールを指でくねらせる。
「お前はいつも華やかでいいな。地味で小言ばかりのポーラとは大違いだ」
「ありがとうございますぅ、ルシアン様ぁ。ルシアン様のためを思って、毎日おしゃれを磨いておりますのぉ」
二人は私のことなど目に入らないようにベタベタと抱き合う。
彼らの様子から、長い関係なのだと感じられた。
陰で浮気や密会を繰り返していたと思われる。
ショックを受けないと言えば嘘になるけど、正直あまり悲しくはなかった。
実は、シルヴィーは気に入らないことがあるとすぐに烈火のごとく怒るのだが、ルシアン様は知らないらしい。
ルシアン様もまた、気に入らないことがあるとすぐ叩いてくるのだけど、シルヴィーは知らないようだ。
そのまま二人から、今回の件は両家とも合意済み……とも聞かされた。
父上はお義母様とシルヴィーの言いなりだし、伯爵家と婚姻関係になれればそれでいいのだろう。
「どうした、ポーラ。いつものように小言を言わないのか?」
「言いたいことがあるのなら言ってもよろしいですわよ?」
二人の言葉はじりじりと私の心を抉る。
できれば会話はおしまいにしたかったが、聞いておかねばならないことが一つある。
「お言葉ですが……‟言霊館‟はどうするのでしょうか?」
オリオール家の離れで、私はスキルを活かして“言霊館“という小さなお店を開いて家計を助けていた。
うちは男爵だけど、決して裕福ではないから。
私は【言霊】というスキルを持っていた。
言葉に魔力を乗せ、願った通りの現象を起こすのだ。
例えば、萎れてしまった草花を復活させたり、病気を癒したり、魔物避けの効果をもたらしたり……色々と応用が利く。
スキルを授かってから研究を重ねた結果、詩の形式が一番効力を発揮するともわかった。
だから、私はお客さんの問題を解決するため、言葉の海から一つずつ選び出し、毎日詩を書く。
自分に対しては使えないという欠点があるけど、人々の生活を助ける力だと思う。
私はルシアン様とシルヴィーのために、【言霊】スキルで詩を読むこともあった。
魔物に襲われませんように……とか、風邪をひきませんように……とかだ。
二人のためを思った行動だったけど、彼らにとっては小言に過ぎなかったらしい。
”言霊館”について尋ねると、二人は不気味な笑みを浮かべた。
「別に問題ねえよ。お前の後はシルヴィーが引き継ぐ」
「つい先日のスキル判定でぇ、お義姉様の【言霊】より何段階も強力なスキルを持っていることがわかりましたのぉ。それも言葉にまつわるスキルですわぁ」
「え、そ、そうなの?」
スキルは魔法にはない、特別な力をもたらす能力。
概ね、十四歳頃に授かることが多かった。
「お義姉様ぁ、あたくしのスキルは【忌み詞】と言いますのぉ」
「い、【忌み詞】?」
初めて聞く言葉に、思わず聞き返した。
シルヴィーは一段と得意げな顔になって説明を続ける。
「スキル教会の人たちも、誰も聞いたことがないそうですわぁ。でも、言葉にまつわるスキルということだけはわかりましたのぉ。これからはあたくしが“言霊館”を導きますわぁ」
「シルヴィーは本当に優秀だな。俺も誇らしい。小言ばかりのポーラとは大違いだ」
まさか、【忌み詞】なんてスキルがあるとは。
私も初めて聞いた。
“言霊館”には内密で侯爵などの偉いお客さんも来ていたけど、彼女のスキルなら問題ないのかな。
しばらく私のことを馬鹿にした後、シルヴィーが思い出したように顎に手を当て言った。
「あら、大事なことを伝え忘れていましたわぁ。お義姉様も行く当てがないと困るでしょうぅ。だから、仕事先を探しておいてあげましたわぁ」
「ああ、そうだった。感謝しろ、ポーラ。シルヴィーが仕事を見つけておいてくれたぞ」
「仕事先……?」
また予想だにしない言葉を言われる。
どこか斡旋してくれるの?
疑問に思っていると、シルヴィーとルシアン様は、顔を見合わせ同時に言った。
「「“寡黙の辺境伯”」」
「…………え?」
二人の言ったことは、私の頭で何度も反響する。
――‟寡黙の辺境伯”。
この国でその名を知らぬ人はいない。
本名、ルイ・アングルヴァン様。
メーンレント王国の北方に広がる山岳地帯――”ロコルル‟を統べる辺境伯閣下だ。
国内唯一の無詠唱魔法の使い手で、魔族との戦いに関するいくつもの功績を持つ。
だけど、なぜか他人と一切話さないことで有名だった。
身体は健康らしいのに。
領民だろうが使用人だろうが、何があっても空中に書いた文字で意思疎通を図るのだ。
何を考えているのかわからず、恐怖の象徴とされている。
喋らないのは人化の魔法が解けるから……、真の姿は悪魔……、好物は人の心臓……などなど、怖い噂ばかりだ。
呆然とする私を見て、二人は今日一番の笑顔になった。
「‟寡黙の辺境伯”の屋敷に、ちょうどメイドの募集が出ておりましたのぉ。お義姉様を応募しておきましたわぁ」
「よかったなぁ、ポーラ。シルヴィーのおかげで仕事にありつけたじゃないか。これで路頭に迷わなくて済むぞ。食われて死ぬかもしれんがな」
「そ、そんな……」
知らないうちに、メイドの応募に出されていたらしい。
二人は……本当に私が邪魔なのだと嫌でも感じる。
「さあ、出て行ってもらおうか。もうこの家に君の居場所はないんだ」
「お義姉様ぁ、野垂れ死にそうになっても助けを求めにこないでくださいねぇ」
二人は揃って出口を指す。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
「……わかりました。荷物をまとめ、オリオール家から出て行きます」
自室に戻り荷物を整理する。
と言っても、私は元々物をあまり持たない。
言葉選びのための愛用の辞書、詩を書き留めるノートに羽ペン……。
最低限、これだけあれば【言霊】スキルは使える。
少しばかりのお金も欲しかったけど、私の金庫の中身は空だった。
代わりに、〔ルシアン様との結婚費用に使うため回収しましたぁ〕、というシルヴィーの手紙が入っている。
小さなため息をつき外に出た。
手際のよいことに、すでにオリオール家の前には馬車が停まっている。
行き先は聞かなくてもわかった。
‟寡黙の辺境伯‟の屋敷だ。
「お義姉様ぁ、馬車代はご自身で払ってくださいねぇ」
「わかっているわ」
馬車に静かに乗り込む。
運賃を払ったら、完全に一文無しになるだろう。
件の二人は、晴れやかな笑顔で私を見送った。
――ルシアン様との婚約が破棄されて……それは良かったのかもしれない。
仮に結婚しても、夫婦生活はうまくいかなかったと思う。
婚約破棄とシルヴィーの件は突然のことで驚愕したものの、そう思うといくらか気が紛れた。
でも、私が行く先には、あの‟寡黙の辺境伯‟がいるのだ。
憂鬱と爽快が入り混じったような複雑な感情を胸に、私は馬車に揺られる。
その日、いつものように離れの仕事部屋で詩を書いていたら、男性の野太い声が私の胸に突き刺さった。
驚いて振り返ると、尖らせた金髪に美しい碧眼の男性が私を睨んでいる。
それこそ獅子のように鋭い目で。
こ、この方は……。
驚きとは別の意味で心臓が嫌な鼓動を打つ。
「ルシアン様っ、こ、こんにちは。すみません、いらっしゃっているとは気づきませんでした」
「相変わらず鈍くてのろい女だな。恥ずかしくないのか? 地味な見た目なんだから、せいぜい気配りくらいは上達したらどうだ。まったく、何度言わせれば気が済むんだ」
「……申し訳ありません」
ルシアン様の言葉を聞き、心が暗く沈むのを感じる。
彼はここメーンレント王国の名家、ダングレーム伯爵家の嫡男で、私の婚約者だ。
私が生まれたとき、すでに婚約は決まっていたらしい。
俗に言う政略結婚だった。
私は今十六歳で、ルシアン様は十八歳。
将来、自分の夫となる人だったけど、ルシアン様は少々乱暴というか言葉遣いに棘があり、私はどうにも苦手だった。
この方と結婚するのかと思うと、気が滅入るのもまた事実ではあった。
ルシアン様は威嚇を思わせる怖い眼差しを和らげると、今度は見下したような笑みになる。
「まぁ、安心しろよ、ポーラ。お前の代わりにちゃんと‟真に愛する人”を見つけてるからよ」
「し、‟真に愛する人”……ですか?」
「今見せてやるよ。ほら、入ってこい」
ルシアン様がドアに向けて言うと、静々と一人の女性が入室する。
華やかなピンクの縦ロールに、エメラルドグリーンの輝く瞳。
まったく予想もしない人物で、私は大変に驚いてしまった。
「シ、シルヴィー!? あなたがルシアン様の”愛する人‟!?」
「こんにちはぁ、お義姉様ぁ。驚いたお顔もまぬけでございますねぇ」
語尾を伸ばしてふわふわと話す少女。
彼女はシルヴィー・オリオール、十四歳。
私の義妹だった。
ルシアン様はシルヴィーを抱き寄せると、縦ロールを指でくねらせる。
「お前はいつも華やかでいいな。地味で小言ばかりのポーラとは大違いだ」
「ありがとうございますぅ、ルシアン様ぁ。ルシアン様のためを思って、毎日おしゃれを磨いておりますのぉ」
二人は私のことなど目に入らないようにベタベタと抱き合う。
彼らの様子から、長い関係なのだと感じられた。
陰で浮気や密会を繰り返していたと思われる。
ショックを受けないと言えば嘘になるけど、正直あまり悲しくはなかった。
実は、シルヴィーは気に入らないことがあるとすぐに烈火のごとく怒るのだが、ルシアン様は知らないらしい。
ルシアン様もまた、気に入らないことがあるとすぐ叩いてくるのだけど、シルヴィーは知らないようだ。
そのまま二人から、今回の件は両家とも合意済み……とも聞かされた。
父上はお義母様とシルヴィーの言いなりだし、伯爵家と婚姻関係になれればそれでいいのだろう。
「どうした、ポーラ。いつものように小言を言わないのか?」
「言いたいことがあるのなら言ってもよろしいですわよ?」
二人の言葉はじりじりと私の心を抉る。
できれば会話はおしまいにしたかったが、聞いておかねばならないことが一つある。
「お言葉ですが……‟言霊館‟はどうするのでしょうか?」
オリオール家の離れで、私はスキルを活かして“言霊館“という小さなお店を開いて家計を助けていた。
うちは男爵だけど、決して裕福ではないから。
私は【言霊】というスキルを持っていた。
言葉に魔力を乗せ、願った通りの現象を起こすのだ。
例えば、萎れてしまった草花を復活させたり、病気を癒したり、魔物避けの効果をもたらしたり……色々と応用が利く。
スキルを授かってから研究を重ねた結果、詩の形式が一番効力を発揮するともわかった。
だから、私はお客さんの問題を解決するため、言葉の海から一つずつ選び出し、毎日詩を書く。
自分に対しては使えないという欠点があるけど、人々の生活を助ける力だと思う。
私はルシアン様とシルヴィーのために、【言霊】スキルで詩を読むこともあった。
魔物に襲われませんように……とか、風邪をひきませんように……とかだ。
二人のためを思った行動だったけど、彼らにとっては小言に過ぎなかったらしい。
”言霊館”について尋ねると、二人は不気味な笑みを浮かべた。
「別に問題ねえよ。お前の後はシルヴィーが引き継ぐ」
「つい先日のスキル判定でぇ、お義姉様の【言霊】より何段階も強力なスキルを持っていることがわかりましたのぉ。それも言葉にまつわるスキルですわぁ」
「え、そ、そうなの?」
スキルは魔法にはない、特別な力をもたらす能力。
概ね、十四歳頃に授かることが多かった。
「お義姉様ぁ、あたくしのスキルは【忌み詞】と言いますのぉ」
「い、【忌み詞】?」
初めて聞く言葉に、思わず聞き返した。
シルヴィーは一段と得意げな顔になって説明を続ける。
「スキル教会の人たちも、誰も聞いたことがないそうですわぁ。でも、言葉にまつわるスキルということだけはわかりましたのぉ。これからはあたくしが“言霊館”を導きますわぁ」
「シルヴィーは本当に優秀だな。俺も誇らしい。小言ばかりのポーラとは大違いだ」
まさか、【忌み詞】なんてスキルがあるとは。
私も初めて聞いた。
“言霊館”には内密で侯爵などの偉いお客さんも来ていたけど、彼女のスキルなら問題ないのかな。
しばらく私のことを馬鹿にした後、シルヴィーが思い出したように顎に手を当て言った。
「あら、大事なことを伝え忘れていましたわぁ。お義姉様も行く当てがないと困るでしょうぅ。だから、仕事先を探しておいてあげましたわぁ」
「ああ、そうだった。感謝しろ、ポーラ。シルヴィーが仕事を見つけておいてくれたぞ」
「仕事先……?」
また予想だにしない言葉を言われる。
どこか斡旋してくれるの?
疑問に思っていると、シルヴィーとルシアン様は、顔を見合わせ同時に言った。
「「“寡黙の辺境伯”」」
「…………え?」
二人の言ったことは、私の頭で何度も反響する。
――‟寡黙の辺境伯”。
この国でその名を知らぬ人はいない。
本名、ルイ・アングルヴァン様。
メーンレント王国の北方に広がる山岳地帯――”ロコルル‟を統べる辺境伯閣下だ。
国内唯一の無詠唱魔法の使い手で、魔族との戦いに関するいくつもの功績を持つ。
だけど、なぜか他人と一切話さないことで有名だった。
身体は健康らしいのに。
領民だろうが使用人だろうが、何があっても空中に書いた文字で意思疎通を図るのだ。
何を考えているのかわからず、恐怖の象徴とされている。
喋らないのは人化の魔法が解けるから……、真の姿は悪魔……、好物は人の心臓……などなど、怖い噂ばかりだ。
呆然とする私を見て、二人は今日一番の笑顔になった。
「‟寡黙の辺境伯”の屋敷に、ちょうどメイドの募集が出ておりましたのぉ。お義姉様を応募しておきましたわぁ」
「よかったなぁ、ポーラ。シルヴィーのおかげで仕事にありつけたじゃないか。これで路頭に迷わなくて済むぞ。食われて死ぬかもしれんがな」
「そ、そんな……」
知らないうちに、メイドの応募に出されていたらしい。
二人は……本当に私が邪魔なのだと嫌でも感じる。
「さあ、出て行ってもらおうか。もうこの家に君の居場所はないんだ」
「お義姉様ぁ、野垂れ死にそうになっても助けを求めにこないでくださいねぇ」
二人は揃って出口を指す。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
「……わかりました。荷物をまとめ、オリオール家から出て行きます」
自室に戻り荷物を整理する。
と言っても、私は元々物をあまり持たない。
言葉選びのための愛用の辞書、詩を書き留めるノートに羽ペン……。
最低限、これだけあれば【言霊】スキルは使える。
少しばかりのお金も欲しかったけど、私の金庫の中身は空だった。
代わりに、〔ルシアン様との結婚費用に使うため回収しましたぁ〕、というシルヴィーの手紙が入っている。
小さなため息をつき外に出た。
手際のよいことに、すでにオリオール家の前には馬車が停まっている。
行き先は聞かなくてもわかった。
‟寡黙の辺境伯‟の屋敷だ。
「お義姉様ぁ、馬車代はご自身で払ってくださいねぇ」
「わかっているわ」
馬車に静かに乗り込む。
運賃を払ったら、完全に一文無しになるだろう。
件の二人は、晴れやかな笑顔で私を見送った。
――ルシアン様との婚約が破棄されて……それは良かったのかもしれない。
仮に結婚しても、夫婦生活はうまくいかなかったと思う。
婚約破棄とシルヴィーの件は突然のことで驚愕したものの、そう思うといくらか気が紛れた。
でも、私が行く先には、あの‟寡黙の辺境伯‟がいるのだ。
憂鬱と爽快が入り混じったような複雑な感情を胸に、私は馬車に揺られる。