消えてしまいそうな春の日差し
 渉くんに会いに、屋上にまた来てしまった。
 死のう、と決意してから数日しか経っていないのに。
 学校も、家も、私の居場所はない。

 かと言って、渉くんの隣が居場所かと言われればそう言う感じでもない。
 まだ会って数日だし。

 エレベーターを降りて、扉を開けば、ひんやりとした風が髪の毛を巻き上げていく。
 
 沈みかけている夕日が、目に映った。
 この屋上は、やけに空がキレイだ。
 夕方の空は、薄紫色とオレンジ色が混ざり合っている。

 屋上の家庭菜園は、夕方の時間帯は人が多いようだった。
 制服を着たままの高校生や、エプロンを付けたままの主婦。
 スーツ姿のサラリーマン。
 多くの人が賑わっている。

 でも、誰一人、こちらに顔を向けることもない。
 ただひたすらに、土と向き合い、じょうろで水をあげていた。

 ペントハウス横のベンチを確認すれば、渉くん。
 私に気づいて、手をあげてくれる。

「来たんだ」
「ダメだった?」
「ううん、嬉しい。はい、どうぞ」

 この前よりもやけに大きなリュックを持っているな、と思えば、お尻に敷くクッションが出てくる。
 柴犬の形をした、茶色のクッションをベンチに置いて、私を手招きした。

「来るかな、と思ってリュックに入れてたんだ。袋あるからさ、持って帰りなよ」
「くれるってこと?」
「だって、このベンチ座り心地はよくないから必要でしょ?」

 まるで、この先何回も来ると決めつけるような言葉に、つい、ふふと笑い声が出た。
 心がほんのりと、あたたかい。
「ここにいていいよ」と言われたみたいな気がしてしまったから。

 ありがたく座ってから、私もカバンから水筒を取り出す。
 中学に入学したから、とおばあちゃんが送ってくれた。
 誰かから、贈られた唯一の私の物。
 冷たいものも、温かいものも入れられる優れものだ。

 おばあちゃんとは、もうほとんど会っていないけど……

 渉くんは、パソコンを閉じてぐーっと背伸びをする。
 そして、リュックをもう一度開いて、今日は市販のドーナツを取り出した。

「一緒に食べよー」

 ほのぼのとした声に、つい心が緩んでしまう。
 こくんと頷いて、手を伸ばしかけてやめた。
 
 私も、渉くんに渡すものがあった。
 夕方の時間は寒いだろうと予想して、あったかいお茶を持ってきた。
 二人で分けられるように紙コップも。

 カバンから取り出して見せれば、渉くんはパチパチと瞬きをする。

「あったかいお茶。緑茶、大丈夫?」
「ミアさんも長居する気満々だね」
「だって、この前はあんまり渉くんの話聞けなかったし」

 とぽとぽと優しい音を立てながら、緑茶を紙コップに注いでいく。
 淡い緑色は、紙コップの中に波紋を広げた。

 八割くらい入ったところで、手渡せば、渉くんはふぅふぅっと息を吹きかける。
 自分の分も用意して、水筒をベンチに置く。

 こくん、と飲み干して、ほっと一息ついたかと思えば、渉くんは沈んでいく夕日を瞳に映した。

「朝が来て、夜が来て、当たり前のように過ごしてるけど、美しいよね」
「渉くんって、小説書いてるからかもだけど、詩的だよね時々」
「そう?」

 私にとっては、詩的に見える。
 そして、そんなところが、実はとても好ましく思っていた。

 緑茶を口に含めば、外の風に一気に冷やされたようで生ぬるくなっている。
 それでも、冷たいものを飲むよりはイイ。

 ドーナツは口の中の水分を奪って行くから、緑茶を持ってきたのは正解だったかもしれない。

「ミアさんは、犬が好きなの?」
「え、嫌いじゃないけど、好きと言うほどでもないかなぁ。見れば、可愛いとは思うけどね」
「そっか」

 お尻に敷いてるクッションの柄を思い出す。
 柴犬柄だ。
 もしかして、私が犬を好きだと思ったから選んでくれたのだとしたら……

 夕日を見ていた目を、渉くんの方に向ければ、頬がオレンジ色に染まってる。
 それは、照れの感情なのか、夕日の反射なのかは判断がつかない。

 あまりにも、勝手な妄想だ。
 私のことを思って選んでくれた、だなんて。
 それなのに、胸の奥がカアっと熱くなった。

 おばあちゃん、先生以外に、私に思いを向けてくれる人がここにいる。
 そんなことを、信じてしまいたくなる。

「犬とかに生まれ変わりたいって言ってたから、勝手に好きなのかと……」
「でも、可愛くて小物とかは犬のもの選んだりする! すごい嬉しいよ!」

 これはいつもの、取り繕った良い子に見える言葉、じゃない。
 私の心の中からの本心。

 私を思って持ってきてくれたこと。
 選んでくれたこと。
 それだけで、ぽかぽかと全てが暖かくなってしまう。

「それなら、よかった」
「渉くんは、毎日ここにいるの?」
「うーん、大体はいるかな」

 うんうんと頷きながらも、目には、空を映し続けている。
 私の方は一切向かないのに、イヤな気持ちがしない。
 両親との違いはどこにあるのか、考えてみて、悲しくなってきた。

 そばにいない時くらい、考えなきゃいいのに。

「あー帰りたくないな」
「もう少しここにいればいいよ」

 私は、「二度と」の意味で言ったのに、渉くんは言葉通り受け取る。
 そんな素直さが、私には心地よくて「うん」と小さく答えた。

 相変わらず、私は渉くんのことを、名前しか知らない。
 でも、年齢や高校、家、家族のこととかは、知らなくていい気がした。
 それよりも、考えてること、好きなこと、そっちの方が気になってしまう。

 飲み終わりそうな紙コップを握りしめて、何を話そうか、考える。
 聞きたいことはたくさんあるのに、どんな話題を選んでいいか、わからない。