両親は、いつだって姉が最優先だった。
 家の中にいると私だけ、まるで家族じゃないみたい。

 お皿にも載せなかった、自分で焼いたトーストをかじる。
 親がせっせとごはんを出して「早く食べなさい」と姉に声を掛けるのを眺めた。
 朝ごはん、私はいつから作ってもらえなくなったんだっけ?

「もう中学生なんだからそれぐらい自分でできるでしょ」

 そんなことを言われた記憶はある。
 ダイニングキッチンのテーブルには、四脚イスが並んでいるのに、私の席だけぽつりと浮いているみたいだ。
 飲み込んだはずのパンが喉の奥に張り付き、水分を奪っていく。
 
 嫌気がさして反抗しようかとも思ったけど、私には無理だった。
 余計なことをしない。
 両親の手を煩わせない。
 小さい頃から教え込まれた道徳は、なかなかに抜けないみたい。

 味のしないトーストを無理矢理、流し込む。
 ちくんっと胃が痛んだ気がしたけど、気のせいだろう。
 ジャムやバターを塗る気は、一切起きなくなっていた。

 楽しそうにごはんを食べる家族を視界の端に映しながら、手も合わせずにあいさつをする。

「ごちそうさまでした」

 私の小さい声は、空間に飲み込まれる。
 誰からも返ってこないことは、わかりきっていた。
 もう、泣きそうになることもない。

 諦めに似た感情が胸の中を支配していた。
 それなのに、姉が楽しそうにしてるのを見ると、ずきんと頭が痛む。
 羨ましくなんてない。
 泣きたくもない。
 こんな家族、どうでもいい。

 私の方に目も向けず、母は姉の可愛らしい桜柄のお皿にごはんをよそう。
 これも私は貰えなかったものの一つ。
 春に生まれたから「桜」と名付けられた姉にぴったりだと父が買ってきた姉専用のお皿だった。

 私専用のものは、少ないのに。
 姉専用のものだけは充実した家だった。
 姉の方が先に生まれてるから当たり前かもしれないが。

 その事実すら、痛みは私の胸に根を張る。
 定期的に襲いくる「ちくん」という痛みを無視することにも慣れてきた。

 ちらりと姉を見れば無邪気に、いちごジャムを塗られたパンを食べながらおしゃべりを続けた。

「明石先生は、芸能人に似てるねって言ったら」

 何度目かわからない言葉に、両親は隣の席で相槌を繰り返す。
 きゃはきゃはっと笑い声をあげて、手を叩く。
 何が楽しいのかわからない私は、視線だけを送って、家族の輪を抜けた。


 学校に行きたくもないのに、体は素直に準備し始める。
 自分の心に従わない、この体が恨めしい。

 リュックを背負って、足音を立てないように玄関に急ぐ。
 いつのまにか、ごはんを食べ終わった姉が私の後ろから声を掛ける。
 やけに甲高い声に、苛立つ。
 光がくすんできた窮屈なローファーに足を入れた。

 スーパーの靴屋さんで、一番安かった黒のローファー。
 可愛いローファーや歩きやすそうなスニーカーはたくさんあった。
 私が欲しかったのは、茶色でリボンがついていた可愛いローファーだったのに。
 でも、そのローファーはこれより高かった。

 あの時はまだ、少しだけ希望が残っていたのかも。
 入学祝いだよ、とか、高校生だからね、とか、甘言を期待してしまった。
 試し履きして顔を上げた時には、父は「こっちでいいだろう」とレジに靴を持っていく途中だった。
 
 履き慣れてくれば愛着が湧くかとも思ったが、ただ摩耗しただけで感情も湧かない。
 カカトは傷がついてるし、光沢はまるで最初から無かったかのような見た目になっていた。

「ミアちゃん! 学校行くの! 頑張ってね」

 お前に言われなくても……!
 そんな言葉が出そうになって、飲み込む。

 言ってしまえば、また「お姉ちゃんには優しくしなさいって何度も言ってるでしょう!」と母からの怒鳴り声に晒されるだろうから。

 歪な笑顔を作って、喉の奥につっかえてる言葉を口にする。

「うん、いってきます」

 振り返りもせずに口にすれば、姉はきゃはきゃはと笑い声をあげながらまた「がんばるんだよ!」と偉そうに私に言ってきた。

 言い返したくなって、振り返ればリビングの扉から顔を出す母と目が合う。
 能面のような顔に、吐き気がした。

 先ほど、姉にニコニコしてごはんを食べさせていた表情とは、打って変わって冷え切った感情のない顔。
 その目には「わかってるよね?」という言葉が書かれてる。

「うん、じゃあ、お姉ちゃんも今日もがんばってね」

 下手くそな笑顔で言えば、姉は心底嬉しそうな顔で両手をブンブンと振る。
 父がその後ろで忙しなくスーツを着込んで、玄関まで走ってくるのが見えた。

「じゃあ俺もいってくるな! 二人とも気をつけて」

 そう言って、母と姉にハグをする。
 いたって普通の、素敵な家族のような光景。
 それを目にしないように、逃げるように家を出た。

 二人とも気をつけての、二人はどちらに言ったんだろうか。
 少しだけの期待が胸の中で、顔を上げてしおしおと萎れていく。
 同じ時間に出るのに、同じ方向に行くのに。
 一度も、並んで歩いたことなどない。
 それが、ただ一つの答えだってわかってた。
 
 私がいなくなって、みんなまた家族ごっこを始めるんだろう。
 私一人だけ、どこにも身の置き場がないというのに。