翌日、私はどんな顔をして二人に会えばいいのかわからず、仮病をつかって学校を休んだ。
 親にはきっとそのことがばれていると思う。でも、何も聞かずに学校に欠席の連絡をしてくれた。

 特になにをするわけでもなく、さっきからずっとベッドの上で暇を持て余している。もう時計の針は十二時を指している。朝ご飯もろくに食べていない私のお腹からは、地響きのような音が放たれていた。
 台所に行って棚という棚を開けてみても、食パンの一枚も見当たらない。仕方なく寝巻きから着替えて、コンビニに向かう。昨日泣きじゃくって浮腫んでしまった顔を隠すために、眼鏡とマスクもつけて。
 
 コンビニ内で適当に手に取ったおにぎりと飲み物を買って、家に帰っていると見慣れた制服を着た人達が視界に入った。
 そういえば今日は午前中授業で学校が早めに終わるんだった。そんな大事なことを忘れていた自分に悪態をつきながら、家に帰る足を早める。誰か知り合いにでも会ったりしたら一大事だ。
 意味がないことを十分理解しながらも、最大限息を潜める。何事もなく家の玄関先につくと、その安心感からふっと力が抜けた。
 けれど玄関の鍵を開けようとしたとき、後ろから誰かに手首を掴まれてしまった。

「元木くん……」

 予想外のその人物に目を見開く。彼はここまで走ってきたのか、肩で息をしていた。

「柚木さんに家の場所教えてもらった」
 
 元木くんは私の問に淡々と答える。家の中に逃げ込みたくてもしっかりと手首を掴まれていて、それは叶わない。
 彼の目を見ることができなくて視線を下に落とす。どことなく気まづい雰囲気が私たちを包み込み始めたとき、元木くんがそれを打ち破るように口を開いた。

「明日は絶対学校来いよ。本当は言いたいことたくさんあるんだけど、今日ここに来たのはそれ伝えるためだから」

 元木くんはそう言うと私の返事も聞かず、元来た道を帰って行った。私はただ遠ざかっていく彼の背中をぼんやりと見つめることしかできない。
 本当は明日も学校を休むつもりでいた。ずるずると引きずるのはよくないとわかっていながらも、どうしても行く気にはなれなかったから。
 けれど、元木くんが家に来たことで学校に行かなくちゃいけない理由ができた。それ自体はよかったのかもしれない。
 
 大きな息をひとつ吐いて、今度こそ家のなかに入る。行くと決まったからには今更どうこう考えても意味がないと自分にいい聞かせながら、買ってきたおにぎりをお茶で一気に流し込んだ。
 

          ***


 朝、アラームの音に揺さぶられ、まだ重い瞼を開けた。制服に腕を通し、準備してくれた朝ごはんを食べてから家を出ると、眩しい陽射しが私を迎えた。
 私の心は沈んでいるというのに、目の前には憎いほどの青空が広がっている。その清々しさに思わず目を細めた。
 
 今日は早めに家を出たからのんびりと歩いても、いつもより何本か前のバスに乗ることができた。朝練をしている部活動生の掛け声が響く学校に足を踏み入れ、自分の教室を目指す。教室のドアを開け、中を覗き込むとまだ誰も来ていなかった。そのことに少し安堵している自分がどこかにいた。時間がくるまで大人しくしていようと、机の横にスクールバッグをかけてから椅子に腰掛ける。
 時計の針が進むにつれて、次第に教室内は騒がしくなっていった。そして菜月もその流れにのって登校してくる。

「おはよう」

 菜月は私を見つけた途端、速歩でこっちによってくるといつも通り声をかけてきた。私もそれに応えようと口を開けるも、喉に何かがつっかえたように言葉が上手く出てこない。

「あ……え、お、おはよう」

 私は俯きがちにそう言った。さっきから菜月はしっかり私を見て話してくれているのに、私にはそれができない。クラスメイトも私と菜月の不穏な空気を感じとったのか教室内はしんと静まり返る。
 どうして人というのは読んでほしくないときほど、空気を読むんだろう。

「あの……この前はごめんね」

 静寂に包まれた教室で菜月が躊躇いがちにそう言った。そんな菜月の様子を見て私は更にいたたまれなくなった。謝らないといけないのは私の方なのに。あのとき言ったことは全て嘘だと告白するべきなのに。それなのに、まだ私は真実を話すことを怖がってしまっている。

 教室中の視線が私たちに突き刺さり続けている。それが嫌でまた逃げ出してしまいそうになったとき、教室のドアが勢いよく開けられた。

「なんで……」

 驚きのあまり言葉を失う。そこに立っていたのは元木くんだった。けれど、そんなことに驚いたわけじゃない。
 もう見慣れてしまったパンクメイク――それを目の前の彼がしていることに驚いたんだ。それは私だけじゃなく、みんなも同じように彼を凝視している。

「お前、元木……なのか?」

 元木くんと仲がいい一人の男の子が信じられないというように問いかける。すると元木くんはケロッとした表情で「そうだよ」と言った。

「そうだよって……なんでそんなメイクしてんだ?」

 その男の子は続けて元木くんに質問を投げかけた。

「そりゃ好きだからに決まってるだろ?」

 元木くんは顔色変えずに淡々と答える。それでもまだ何か言いたげに「いや、でも……」と口を開く。

「好きなことを好きだと言うのは別に変なことじゃない。それが少し人と違うってだけで否定される理由にはならないからな。違うか?」

 そうやって元木くんはいつもと変わらない優しい笑みを浮かべて男の子に微笑みかけた。彼と話しているのは私じゃないのに、その言葉はきっと私に向けられたものなんだと思った。それほどまでにすっと元木くんの言葉が心に溶け込んでいく。

「まあ、確かにそうだよな。悪い! お前の趣味を馬鹿にするようなこと言って」

 男の子は顔の前で手を合わせ謝っていた。元木くんも「大丈夫だよ。わかってくれたみたいだし」と人当たりのいい笑みを浮かべている。

 そのやり取りを見て私は、自分のするべきことがわかったような気がした。

「ねえ、菜月。今週の日曜日一緒に遊びに行かない? そのときにきっと……きっと全部話すから」

 しっかりと菜月の目を見据える。菜月はそれに納得してくれたようで「わかった。信じるよ」と言うと、自分の席に腰を下ろた。

 ふと元木くんの方に顔を向けると、彼と目が合った。すると彼が口パクで何やら言っていることに気がついた。じわりと心が温かくなる。それに応えるように私は大きく頷いた。
 元木くんにこれだけ背中を押してもらったのだから、もう逃げ出すわけにはいかない。あとはもう私の勇気次第だ。
 彼の言葉を心の中で反芻する。それだけで強くなれたような気がした。

『――頑張れ』

           ***


 そして迎えた日曜日。私は地雷系の服に身を包み待ち合わせ場所へと向かっていた。今にも口から心臓が飛び出してしまいそうなくらいバクバクしている。
 まだ三十分前だというのに、待ち合わせ場所には菜月の姿があった。その面持ちはどこか固くて、仕草には落ち着きのなさが現れている。
 菜月も緊張しているんだと思うと、幾分か自分の緊張が和らいだ気がする。大きく息を吐いてから菜月の前に足を進める。

「菜月、おまたせ」
「あっ、瑠奈。全然待ってないよ。私も今来たとこだし」

 私を気遣う言葉を口にしながらも、菜月は私が着ている服にチラチラと視線を向けている。

「この前はごめん。私、本当はこういう服が好きなの。でも菜月に知られるのが怖くて……恥ずかしくて……」
 
 ぎゅっと手を握りしめながら俯きがちに話す私の手をとって、菜月は私の言葉を遮った。
 
「私こそ気づけなくてごめん! でもそんなことで絶対に瑠奈のこと避けたり、嫌いになったりしないよ! 親友ってそういうものでしょ?」

 はっとなって顔を上げると、菜月の真っ直ぐな瞳が私を見据えていた。その優しい眼差しに胸が温かくなって、視界がぼやけてくる。

「なに泣いてんの。ほら、せっかくの可愛いメイクが台無しになるよ」

 菜月はおどけたようにそう言いながら、私の頬をつたう涙を拭ってくれた。

「うん、ごめん。ごめんね。ありがとう」

 今まで嘘をつき続けていたこと。私を受け入れてくれたこと。懺悔と感謝が入り乱れた言葉が溢れ出てくる。

「それは私のセリフだから。瑠奈のこと、勇気だして教えてくれてありがとう」

 私たちはどちらからともなく笑いあった。今度こそ、嘘偽りない友情というものが芽生えた気がした。
 その後は二人でカフェやゲームセンター、服屋なんかに行ってめいいっぱい遊んだ。まるで昨日までの不穏な関係が嘘のように。さらに深まった友情を噛み締めながら。

 日も暮れてきて菜月と別れたころ、元木くんにメールを送った。しっかり仲直りできたことをどうしても伝えたくて。しばらくすると彼から返信がきた。

『よかったな。僕も嬉しいよ』

 私はまだこの前のことを元木くんに謝れていない。それなのに彼は私を責めることもせず、菜月との関係を心配してくれていた。その優しさに胸が高鳴ってしまう。
 
 この気持ちを元木くんに伝えたくて、震える手で文字を打った。本当は怖くて怖くてたまらない。拒絶されたらどうしようかと、どうしても考えてしまう。
 だけど今の私はもう勇気の出し方を知っているから。大きく深呼吸してからメッセージを送信した。

『――明日話したいことがあるの』

 ふと顔をあげるといつかの日と同じように、建物の窓に映った自分の姿が視界に入った。あの日とは違う、自信に満ち溢れた自分の姿が。
 
「今日も明日も明後日も、きっと私は可愛いよ」

 自分の好きなものを好きだと言える。そんな私が大好きだ。