黒いフリルのついたスカートに、大きなリボンを基調としたトップスを合わせる。涙袋とアイライナーを濃くはっきりと描き、髪はツインテールでまとめる。
 鏡の前でくるっと一回転して今日の出来栄えを確認する。

「うん! 上出来!」

 新調した鞄を手に持ち、厚底ブーツを履けば完成。
 私は週一回、学校がないこの日曜日を生きがいに学校生活を送っている。
 別に学校が嫌いなわけじゃない。だけど学校では自分の好きな格好が出来ないし、知り合いの前では恥ずかしさが勝ってしたいと思えない。遊ぶときだって無難な服を着るようにしている。
 だからこの日だけは家の誰よりも早く起きて、誰よりも早く自分の好きな姿で出かける。それが私の楽しみだった。
 電車に揺られながら買いたい服のリストを眺め、何を買うか頭の中でシュミレーションする。
 鞄は新調したばかりだし、買うとするならブーツだ。今履いているものも汚れや解れが目立つようになってきたから丁度いい。
 駅に着き、改札を抜けてから一目散にお目立ての店に行く。今度はどんなブーツにしようか、そんなこと考えているといつの間にかお店の前まで着いていた。
 一通り店内を見てから目に止まった物を手に取る。それは私が今まで履いたどのブーツよりも厚底で、サイドにチェーンの飾りが施されていた。
 普段はリボンの飾りがついたブーツしか履かない私だけれど、不思議とそれに魅了された。
 気がつくと私はレジにブーツを持っていき、お金を払っていた。
 好きな物の誘惑は怖いな、なんて思いながら気になっていたカフェに足を進めていると、後ろから声をかけられた。

「あの、すみません。これ落としましたよ」

 振り向くとそこには同い年くらいのパンクファッション姿の男の子が、私のハンカチを片手に持っていた。

「あ、ありがとうございます」

 地雷系ファッションに身を包んでいてもいつもの内気な性格は変わらなくて、言葉に詰まってしまう。
 私が今こんな格好をできているのが奇跡なくらい、普段は陰のオーラに包まれている。

「えっと、じゃあ失礼します」

 ハンカチを受け取ったあとも何故かその場から動かない彼の視線に耐えられず、逃げるように軽く頭を下げて走り出した。
 変な服だって思われたかもしれない。でも彼も似たような服を着ていたし、きっと私の気にしすぎだ。
 冷や汗が頬をつたる。ああ、嫌だ。どうして私は私が好きな服を来ているだけなのに、こんなにも周りの目を気にしているんだろう。
 もっと堂々としている方が服だって輝くはずなのに。
 そんなことを考えていると、ビルの大きな窓に反射した自分の姿が視界に入った。

「似合ってないよね……」

 どれだけ見た目を取り繕っても、そこには自信のなさが現れている。
 最悪の気分の中、カフェに行くメンタルを私が持ち合わせているわけもなく、その日はいつもより早く家に帰った。


   ***



 あれから数日後の朝、私は学校の準備をするためにベッドからもぞもぞと這い出ていた。
 部屋の壁にかかっている制服に腕を通し、薄く淡い色のアイシャドウでメイクをしていく。髪は低い位置でひとつに括る。全ての準備をし終えたあと、朝ご飯を食べにリビングへと向かう。

「瑠奈、おはよう。ぱぱっと食べなね」
「うん、わかってる」

 お母さんの言葉に返事をすると同時に席に座り、食パンにイチゴジャムを塗りたくる。

「あ、そうだ。あんたそろそろ買った靴しまいなよ。いつまでも玄関に置かれてちゃ邪魔だからさ」
「ん〜、そのうちするよ」

 適当に言葉を返しながらパンを口に運ぶ。ちらっと時計を見ると、あと十分で学校行きのバスが出発してしまう時間に迫っていた。
 用意されていたカフェラテで無理やり流し込み、スクールバックを手に玄関を飛び出す。

「行ってきます」
「気をつけなさいよ!」

 お母さんの声を背中に受けながら、バス停まで全力で走る。ギリギリのところでなんとか乗り込むことができたけど、体力がない私の息は上がってしまっている。
 運良く空いている席を見つけ、腰を下ろとすぐにバスは出発した。揺れる車内でぼうっと窓の外を眺めながら、学校近くのバス停に着くまで時間を潰した。
 バスから降りると同じ制服を来た生徒をちらほらと見るようになる。その波に紛れ、学校までの道を歩いて正門を通る。 
 ローファーから上靴に履き替えてから、自分の教室に向かう。もう既に来ている人達は心做しか、どこか浮ついているように見えた。

「瑠奈、おはよう!」
「おはよう、菜月。今日何かあるの?」

 一年のときから仲がいい菜月に話しかけられ、あいさつし返すついでに気になっていたことを聞いてみた。

「あ、わかる? 今日転校生が来るらしいよ。朝早く来た人が担任と歩いてる男の子を見たんだって」
「へぇ、そうなんだ」
「まあ噂なんだけどね」

 転校生が来たところで、私にはきっとなんの関係もない。コミュ力の高い人たちが最初に話しかけて、その人と仲良くなるのが落ちだ。
 私は自分の席に座り、教科書を取りだしながら席が前後である菜月と喋っているとチャイムが鳴った。
 先生が教室に入ってくる。すると、今まで騒がしかった教室が一瞬で静まり返った。
 みんな転校生について早く知りたいんだろうな、なんて他人事のように考えていると先生が話し始めた。

「もう知っているかもしれないが、今日このクラスに転校生が来る。入ってきてくれ」

 先生がドアに視線を移すと、みんなそれを追ってドアをまじまじと見ている。
 張り詰めた空気のなか、ドアが静かに開いて男の子が入ってきた。肩より少し上くらいまで伸びた髪に、ツリ気味で大きな目。決して体は大きくなく、華奢な方なのにその存在感に目が離せなくなる。

「それじゃあ自己紹介を頼む。名前を黒板に書いてくれるか?」

 言われた通りにその男の子は黒板に自分の名前を書き、自己紹介を始めた。

「元木拓磨です。ここに来てまだ数日なので色々教えてくれると助かります。よろしくお願いします」

 彼が頭を下げると教室中から拍手が送られた。転校生は私の学校では珍しく、みんな質問タイムは今か今かと待っている。

「ありがとう。それで質問タイムのことだが……授業が他クラスより遅れてるから休み時間にでもやってくれ」

 さっきの拍手とは裏腹に今度は、先生に向けて教室中からブーイングが巻き起こった。

「スムーズに進んだら授業の最後に時間を取ってやる。その代わりくれぐれも騒がないように。元木はあそこの空いてる席に座ってくれ」
 
 先生が指名したのは一番後ろの窓側から二番目の席だった。つまり、私の右斜め後ろということになる。
 元木くんが私の隣の通路を歩いてその席に向かっていると、ばちっと目が合った。

「君、あのときの……」

 元木くんは驚いたように目を見開いて、私を見つめたまま動こうとしない。

「なになに? 瑠奈知り合いなの?」

 菜月が興味津々といった様子で身を乗り出し聞いてくるが、私には何も心当たりがない。

「そんなんじゃない、初めましてのはずだよ。多分ね」

 みんなの視線がこっちに集まってくる。どうしたらいいのかわからず、元木くんに会釈だけすると、彼ははっと我に返ったみたいで席に腰を下ろした。
 もしかしたら私が忘れているだけかもしれない。でもあんな不思議な存在感がある人をそう簡単に忘れるものだろうか。
 考えれば考えるほど、わからなくなる。ただでさえこれから難しい授業が始まるというのに、これ以上他のことに頭を使いたくなくて途中で思考を放棄した。

 その後、授業が終わり休み時間になると元木くんの周りに人だかりができていた。結局、授業中に質問タイムが取られることはなくて、我慢の限界に達した人たちがチャイムと同時に集まって来たのだった。
 他クラスの生徒もドアや窓からその様子を伺っている。

「元木くんはどこから来たの?」
「彼女とかいるのか?」
「どんなスポーツが好きなんだ?」

 各々が好き勝手質問をするせいで、その中心にいる彼は眉を下げ困ったように笑っていた。

「私も瑠奈との関係聞きたかったのになあ。今は無理そうだね」
「本当に何の関係もないから」

 そう言いながらみんなの質問一つ一つに丁寧に答えている元木くんをちらっと見ると、また目が合ってしまった。慌てて視線を逸らす。

「まあ、瑠奈がそう言うなら信じるけど……」

 つまらなそうに頬を膨らませる菜月に「ごめんね」と笑いかける。元木くんの話から離れて、二人でさっき受けた授業の話をしていると、当然何かを思い出したように菜月が声をあげた。

「そういえば新しく服屋さんがオープンするんだって。ほら! 瑠奈こういうの好きだったよね? 今度一緒に行かない?」
 
 菜月が手に持ったスマホに映し出されていたのは、大人の女性に似合う清楚系の服だった。これは私が菜月と遊ぶときによく着る系統の服だ。だけど、私が好きなのはこれじゃない。これはただ、自分の趣味を隠すための手段に過ぎないものだから。

「瑠奈? どうかした?」
「ああ……うん、好きだよ。とっても可愛いと思う。でも最近金欠だからな……」

 私が金欠なのは本当。数日前にあのブーツを買って、今は貯金がない。学校とバイトの両立を心がけていると、あまりシフトを入れることも出来ない。

「そっか、残念。じゃあまた余裕あるとき行こうね!」
「うん、約束ね」

 菜月は私の親友。だからこそ、その彼女に自分の趣味を知られるのが怖い。それに何より、そういう姿をしている自分を見られるのが恥ずかしい。そう思うと、自然と自分を取り繕ってしまう。
 
 休み時間の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。菜月も私にある自分の席に戻っていった。深く重いため息が漏れる。今日もまた彼女に嘘をついた。
 罪悪感を感じながらも私はこの嘘だらけの自分をやめることができずにいた。


   ***


 放課後になると、菜月はテニスの部活があるため、早々と部室に行ってしまった。他の人たちも次々に教室を出ていく。今日はバイトもないし、私も早く帰って休もうとスクールバックに手をかけたとき、ひとつの影が私の上に落ちてきた。
 誰かと思い顔を上げると、そこには元木くんが立っていた。彼は何か言いたげな瞳でこっちを見ている。

「やっぱり間違いない」
「え?」

 何のことを言っているのかわからなくて、思わず聞き返す。状況を飲み込めない私に対し、元木くんは何かを確信したように瞳を輝かせていた。

「君、先週の日曜日にハンカチ落とした子だろ? ほら、あの可愛い服来てた子。メイクの雰囲気とか全然違うけど間違えるわけない」

 彼の言葉に一気に血の気が引いていく。
 見られてた? でもいつ? 
 疑問が際限なく頭の中に浮かびあがる。だけど今はそんなものの答えを探している暇はない。どうにかして誤魔化さなきゃ。きっとまだ間に合う。

「人違いじゃないかな? 私、元木くんのこと見てないし……」
 
 そんな私の反撃も虚しく、彼の口からでた言葉は予想の斜め上をいくものだった。

「君と僕会っているよ。僕が君のハンカチを拾ったんだからな。まあ、驚くのも無理ないよ」

 開いた口が塞がらない。
 まさかあのパンクファッションをした男の子が今、目の前にいる彼だなんて。

「なんだよその顔。別に僕がどんな格好をしようが勝手だろ? それに君だって僕と一緒じゃんか」

 確かに元木くんと私は似ている。でも私には自分からあの趣味を教えるほどの勇気はない。
 私がなんと返していいかわからずに、口を閉ざしていると元木くんは「はあ」っとため息をついた。

「僕さ、パンクファッション好きなんだよね。今まで誰にも言ったことないけど。だから僕と似たような子がいて、ちょっと嬉しかった」

 こんな恥ずかしいこと言わせるなよ。
 元木くんはそう言うかのように、頬を少し赤らめている。その様子がなんだか可愛くて、少しだけ笑ってしまった。
 安心したんだ。私と同じ気持ちの人がいて。

「笑うなよ! 僕はこう見えて今、大真面目なんだ」
「ごめん。でも元木くんの気持ちちょっとわかるかも」
「ほんとか!?」

 元木くんは驚いたように目を見開いている。その反応がなんだか子供っぽくて、私はまた笑ってしまった。彼はそんな私を見て「なんだよ」と少しふてくされている。それがまたおかしくて、私はさらに笑った。
 ふと元木くんの方を見ると考え込むように手を顎に当てていた。

「元木くん?」

 不思議に思って、彼の名前を呼ぶ。すると少し目を泳がせたあと口を開いた。

「……今度の日曜日、一緒に出かけないか? ていうか、出かけたい。午後一時。あの日と同じ場所に同じ格好できてくれ。じゃあ待ってるから!」
「え、ちょっと待って!」

 私の制止の声を振り切って、元木くんは帰ってしまった。俗に言ういい逃げというやつだ。
 私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。だって、そんな誘いを受けるとは思ってもいなかったし、知り合いとあの姿で歩いている自分を想像できない。
 
「とは言っても、もう見られてるわけだよね……」

 まとまらない思考に嫌気が差す。今度の日曜日まであと三日。それまでになんとかしてこの誘いを断ろう。
 そう心に決めて、私も学校をあとにした。