中学校の入学式。期待と胸をふくらませて私は正門を通った。
部活動を決めていなかった私は、軽く友達に誘われたサッカー部に入った。小学生まで遊びでしかやっていなかったサッカーは、少し不安だったが同級生も6人いて仲間がいるから大丈夫だろうと思いながら部活動を始めた。
初めてのサッカーは案外楽しかった。アイコンタクトを取りながらパスをすると、自然と仲間との絆を近ずけてくれるようだった。そんな中ある話を監督に説明された。
それは、毎年この時期に行なっている地区のマラソン大会の事だった。中学校の部活での参加もできるらしく、サッカー部は毎年参加していた。もちろん今年も参加するらしく、同級生6人で1チームを組むことになった。
部活動を初めて最初の大会だったのでみんな、気合いが入っていた。マラソン大会が近づくにつれて、部活動以外でもみんなで集まって長時間走りにいった。みんなで集まるのは嫌ではなかった。だけど私は、塾にも通っていたし毎日忙しいのは疲れてしまうから休みたい日もあったけど口には出せなかった。いや、私はもとから自分の意見を口には出さないタイプの人間だと思う。
今までもこれからも。ずっとそうだと思う。
マラソン大会1週間前になった時、私はサッカーの練習で相手とぶつかり足を痛めた。みんなに軽い打撲かもと嘘をつき、保健室に行った。足の感覚があまりなかった。生まれてからその時までどこかを骨折した事はなかったけど、初めて骨折かもしれないと思った。
病院に行ったら、本当に骨折をしていた。右足の剥離骨折だった。先生からは1ヶ月ぐらいは安静にしてねと言われた。1週間後にマラソン大会がある事を伝えた。もちろんダメだねと断られた。
その後、松葉杖で病院を出た。自分に情けなく涙が出ていた。
仲間も心配はしてくれた。
大丈夫?怪我痛いよね、安静にね。
マラソン大会出られるの?人数足りなくなっちゃうじゃん。
そんな言葉も言われた。実際他の学年の子を使ってマラソン大会には出られるけどなぜそんな言葉を言われなきゃならないんだ。と思ってしまった。
マラソン大会2日前みんなに嫌われたくない。迷惑をかけたくない気持ちで放課後松葉杖を付かないで1人グラウンドを走った。正直小学生に負けるくらいのスピードしか出なかった。痛くて走れなかった。
マラソン大会当日私抜きのチームが組まれ、大会は終了した。すぐにマラソン大会は終わった。
私が気にしすぎたのかなと思いつつ、少し安心した。
翌日、私以外トイレの中で話をしていたので、少し耳をすませた。予感は的中した、私の事を言っている。
「マラソン大会6人で走りたかったのにー」
「まー前から自分の気持ち言わないし、私たちと走りたいのかも分からなかったからねー」
「確かに意見とか言わないよね」
「前から思ってたまじ、何考えてるのか分からない」
それ以上は聞きたくなかった。それだけの会話で私の悪い所を全部言っていた。家に帰ると誰も知らない所で大泣きをした。
こんな状況になっても誰にも言えない、こんな自分が嫌だった。
それから学校も行きたくなくなってしまい、1週間ぐらい休む事にした。
両親はそんな私の事を気にかけてくれた。
大丈夫?何かあったの?
本当に優しかった。
言おうか迷ったけどその時は言えなかった。
私は1人でどこかに行こうとしていた。逃げ出したい気持ちもあったかもしれない。実際に死にたいと人生の中で初めて思ったのがこの頃だった。
歩いて向かった先は、本屋だった。本を読むのはあまり好きではなかった私は、学校に行ってない時くらいは本を読もうと思い、1冊の本を手に取った。
表紙が好みだったため、内容は知らずに買った。
その本は汐見夏衛さんという人が書いていた。
題名は「明日の世界が君に優しくありますように」
題名だけ読んでもなんだか私に向けられた言葉だと思ってしまった。内容も読んで、弱っている私には刺さる言葉がたくさん入っていた。
私は、この本で変われた。泣きながら読んでいた私に1番刺さったのは最後の文章だった。
私たちは、歯を食いしばって前を向いて、生きていかなきゃいけないんだ。明日を、未来を、肩じていなきゃいけないんだ。
抱えきれないほどの悲しみに押しつぶされて、泣きながら悶える日もあるだろう。きっと人生とはそういうものだ。
今までより、今日より、ほんの少しだけでいいから、明日の世界が、優しくありますように。
文章は刺さる。本当にそうだと思った。
その日はたくさん泣いてしまった。今の自分が言われたい言葉を本を通して伝えてもらったから。
次の日私は両親に全てを話した。歯を食いしばって我慢してきた思いをすべて、すると両親はありがとうと言ってくれた。
なんで私は早く言わなかったんだろうと後悔した。
両親が学校の先生と話をしてくれて部活動も楽しく行ける状態を作ってくれた。
私の仲間も謝ってくれて、新しい絆を作れた。
私は今は高校生。あの時の話を思い返してみれば、あーそんな事ねと思う人もいるかもしれない。
でも私の中で人生を生きる考え方が変わった時期だ。
一生殻の中にいようとしていた私は今の私では無い。
昨日よりも今日。今日より明日。
少しずつ少しずつ、一緒に成長しよう。
部活動を決めていなかった私は、軽く友達に誘われたサッカー部に入った。小学生まで遊びでしかやっていなかったサッカーは、少し不安だったが同級生も6人いて仲間がいるから大丈夫だろうと思いながら部活動を始めた。
初めてのサッカーは案外楽しかった。アイコンタクトを取りながらパスをすると、自然と仲間との絆を近ずけてくれるようだった。そんな中ある話を監督に説明された。
それは、毎年この時期に行なっている地区のマラソン大会の事だった。中学校の部活での参加もできるらしく、サッカー部は毎年参加していた。もちろん今年も参加するらしく、同級生6人で1チームを組むことになった。
部活動を初めて最初の大会だったのでみんな、気合いが入っていた。マラソン大会が近づくにつれて、部活動以外でもみんなで集まって長時間走りにいった。みんなで集まるのは嫌ではなかった。だけど私は、塾にも通っていたし毎日忙しいのは疲れてしまうから休みたい日もあったけど口には出せなかった。いや、私はもとから自分の意見を口には出さないタイプの人間だと思う。
今までもこれからも。ずっとそうだと思う。
マラソン大会1週間前になった時、私はサッカーの練習で相手とぶつかり足を痛めた。みんなに軽い打撲かもと嘘をつき、保健室に行った。足の感覚があまりなかった。生まれてからその時までどこかを骨折した事はなかったけど、初めて骨折かもしれないと思った。
病院に行ったら、本当に骨折をしていた。右足の剥離骨折だった。先生からは1ヶ月ぐらいは安静にしてねと言われた。1週間後にマラソン大会がある事を伝えた。もちろんダメだねと断られた。
その後、松葉杖で病院を出た。自分に情けなく涙が出ていた。
仲間も心配はしてくれた。
大丈夫?怪我痛いよね、安静にね。
マラソン大会出られるの?人数足りなくなっちゃうじゃん。
そんな言葉も言われた。実際他の学年の子を使ってマラソン大会には出られるけどなぜそんな言葉を言われなきゃならないんだ。と思ってしまった。
マラソン大会2日前みんなに嫌われたくない。迷惑をかけたくない気持ちで放課後松葉杖を付かないで1人グラウンドを走った。正直小学生に負けるくらいのスピードしか出なかった。痛くて走れなかった。
マラソン大会当日私抜きのチームが組まれ、大会は終了した。すぐにマラソン大会は終わった。
私が気にしすぎたのかなと思いつつ、少し安心した。
翌日、私以外トイレの中で話をしていたので、少し耳をすませた。予感は的中した、私の事を言っている。
「マラソン大会6人で走りたかったのにー」
「まー前から自分の気持ち言わないし、私たちと走りたいのかも分からなかったからねー」
「確かに意見とか言わないよね」
「前から思ってたまじ、何考えてるのか分からない」
それ以上は聞きたくなかった。それだけの会話で私の悪い所を全部言っていた。家に帰ると誰も知らない所で大泣きをした。
こんな状況になっても誰にも言えない、こんな自分が嫌だった。
それから学校も行きたくなくなってしまい、1週間ぐらい休む事にした。
両親はそんな私の事を気にかけてくれた。
大丈夫?何かあったの?
本当に優しかった。
言おうか迷ったけどその時は言えなかった。
私は1人でどこかに行こうとしていた。逃げ出したい気持ちもあったかもしれない。実際に死にたいと人生の中で初めて思ったのがこの頃だった。
歩いて向かった先は、本屋だった。本を読むのはあまり好きではなかった私は、学校に行ってない時くらいは本を読もうと思い、1冊の本を手に取った。
表紙が好みだったため、内容は知らずに買った。
その本は汐見夏衛さんという人が書いていた。
題名は「明日の世界が君に優しくありますように」
題名だけ読んでもなんだか私に向けられた言葉だと思ってしまった。内容も読んで、弱っている私には刺さる言葉がたくさん入っていた。
私は、この本で変われた。泣きながら読んでいた私に1番刺さったのは最後の文章だった。
私たちは、歯を食いしばって前を向いて、生きていかなきゃいけないんだ。明日を、未来を、肩じていなきゃいけないんだ。
抱えきれないほどの悲しみに押しつぶされて、泣きながら悶える日もあるだろう。きっと人生とはそういうものだ。
今までより、今日より、ほんの少しだけでいいから、明日の世界が、優しくありますように。
文章は刺さる。本当にそうだと思った。
その日はたくさん泣いてしまった。今の自分が言われたい言葉を本を通して伝えてもらったから。
次の日私は両親に全てを話した。歯を食いしばって我慢してきた思いをすべて、すると両親はありがとうと言ってくれた。
なんで私は早く言わなかったんだろうと後悔した。
両親が学校の先生と話をしてくれて部活動も楽しく行ける状態を作ってくれた。
私の仲間も謝ってくれて、新しい絆を作れた。
私は今は高校生。あの時の話を思い返してみれば、あーそんな事ねと思う人もいるかもしれない。
でも私の中で人生を生きる考え方が変わった時期だ。
一生殻の中にいようとしていた私は今の私では無い。
昨日よりも今日。今日より明日。
少しずつ少しずつ、一緒に成長しよう。