その呼び名は最初、二人にとって決して嫌なものではなかった。好意から来るものだとわかっていたし、理想通りの振る舞いをすれば皆が喜んでくれるのが嬉しかった。
結果、学校に居る間は皆の期待に応えようと、それらしくするのがすっかり癖になっていた。
けれど、そんな日々を続けていく内に、本来の自分と求められる自分とのギャップに息苦しさを感じ始めていた。
王子なんて呼ばれても林檎は格好良いだけじゃなく可愛いものも好む普通の女の子だったし、スポーツ万能と思われていたけれど、実は長距離走は苦手だ。
部屋の中だって、クラスメイトから想像されるシンプルでクールな内装ではなく、キラキラした小物やぬいぐるみで溢れている。
そして、姫なんて呼ばれても蜜希は愛嬌ある振る舞いよりもだらしなくする方が楽だったし、お菓子作りはするけれど特にクラスメイトに配ったりはしない。
可愛いものも嫌いではないけれど、格好いいものもシンプルなものも好む普通の男の子だった。
皆が求める『王子らしさ』や『姫らしさ』は何となく察しながらも『男の子らしく』とか『女の子らしく』とか、そんな固定観念に囚われる気は別にない。
だからこそ、二人は自らの素質に合った真逆の属性にだって柔軟に応えてきたのだ。
オンもオフも、王子も姫も、自分たちなりに上手くバランスを取ってきたつもりだった。皆に求められる姿と、それとは異なる本来の姿。その差を理解して、表では理想の姿で振る舞って、裏ではありのまま過ごす。そのどれもが自分の一部には違いない。
しかし、日中はどうしたって誰かの目が気になって、知らぬ間に『王子と姫』のしがらみが二人を縛っていた。
別に嫌な訳じゃない。求めて貰えるのも嬉しい。けれど、理想だけじゃなく本来の気質も含めて、自分なのだ。
そんな同じ悩みを抱えた二人が出会えたのは、まさに偶然にして必然だった。
『男子高の姫』『女子高の王子』そんな重荷となりつつあった肩書きが噂となり、二人を引き合わせたのだ。
物語の姫と王子の出会いのように、そこから運命の恋が始まる訳ではなく、すぐにお互いの抱えた悩みに気付くことが出来たのは、同じ境遇だからこそだった。
そうして今では、第二第四金曜日の夜、二人で秘密のお茶会をするのが恒例となった。
お茶会ではお互い、気負うことなくその時在りたい自分のままで過ごす。
一人で過ごすのとはまた違う、飾り立てない自分を誰かに受け入れてもらえる、特別な時間だった。
「あ、このお茶美味しい……」
「だろ。パッケージさ、林檎と蜂蜜だったし俺たちっぽいなって」
「ふふ、本当だね。味もほんのり甘くてほっとする……私たちの時間にぴったり」
そう言って微笑む林檎は、小さな星のヘアピンをつけた髪を耳にかける。短くても手入れを欠かさない艶のある髪は、いつか周りの理想をはね除け彼女の望むまま伸ばすことが出来るのだろうかと、蜜希は肩を竦める。
柔らかな仕草も、緩んだ表情も、外で話すより少し和らぐ声も、本来の彼女はありのままで魅力的だった。
「……星、好きなのか?」
「あ……これ? うん。可愛くて好き」
「そっか、似合ってる」
「……! あ、ありがとう」
そう言ってヘアピンを指差す蜜希は、そこら辺の女の子よりも可愛らしい顔立ちをしているのに、まっすぐ見据えるような瞳は力強く、その手も印象と違い確かに男の子の骨格をしている。
よく見ると、爪は可愛い姫らしく塗ったであろうネイルが剥げかけていた。いつか周りの理想をはね除け、彼の望むまま楽な立ち振舞いをすることが出来るようになるのかと、林檎は眉を下げる。
気だるげな仕草も、大きな口を開けて笑う表情も、外で話すより少し低めの声も、本来の彼はありのままで魅力的だった。
「そう言えば、今日は晴れてるし星も月も綺麗に見えそうだな……」
「本当? 蜜希くん家結構上の階だもんね」
「見てみよっか」
「うん!」
ケーキにお菓子に紅茶にと、日頃の疲れを甘いもので癒すお茶会も終盤に差し掛かった頃、二人は月を見ようと窓際へと移動する。
月を見る前にベランダの窓に反射して映るのは、可愛らしい服を着た背が高く精悍な顔立ちの林檎と、ラフな格好で背の低い愛らしい顔立ちの蜜希。
とても王子と姫なんて言えないような、夜に浮かんだアンバランスな姿。けれどこれも、二人にとって自分たちらしい姿だった。
「……ふふ。前に、男の子から姫って呼ばれてる蜜希くんを見かけたことあるけど、あざとい仕草も様になってたよ」
「まじか。見てたなら言えよー……素を知られてる分、何かはずい」
「あはは、王子でも姫でも、素でも演じてても、私はどっちも良いと思うよ。私は私、蜜希くんは蜜希くんだし」
「林檎……」
「それにほら、一度で二度美味しい? みたいな」
「なんだそれ。……まあ、姫やってる時も、楽しいのは楽しいしな」
「私も。今のありのままの林檎で居るのは楽だけど、王子やってる時も、結構楽しいよ」
お互い笑い合って、林檎と蜂蜜の甘味と酸味が飽和した紅茶を飲み干す。
改めて開けた窓からベランダに出て、少し冷たい空気を吸い込み夜空を見上げると、濃紺の空に浮かぶ美しく煌めく月と数多の星に、二人はしばらく無言で見入った。
「……」
「……、……」
あんなにも輝きを放つ夜空の月だって、完璧な満月ばかりではない。日によって欠けては満ちて、時には姿を消す時もある。
あのお茶会の席にいろんなお菓子が存在して、この空にいろんな星が輝くように。
自分という器の中にはいろんな面があって、その全てが紛れもない自分なのだ。
そしてきっと、誰だってそうに違いない。学校で見せる面、会社で見せる面、家族に見せる面、恋人に見せる面、自分しか知らない面。
全部があっての自分だからこそ、どれか一つだけでは疲れてしまうし、何か一つだけでは寂しくなってしまう。
型に当て嵌めたものだけでは窮屈で、理想の姿だけでは自分らしく居られない。
そんな複雑な心境をわかり合える互いの存在は、まるで奇跡のような出逢いをして惹かれ合う、物語の王子と姫のようだった。
「ねえ……今蜜希くんが何を考えてるか、当ててみよっか」
「……ん? そうだな、俺も林檎が何考えてるか、わかる気がする」
「本当? じゃあ、せーので言ってみようか」
「よし。せーの……」
「「月が綺麗ですね」」
現代のちぐはぐな王子と姫は、月明かりの魔法に照らされながら微笑み合う。
明日は部活もない休日だ。二人で少し遠くに出掛ける約束もした。人目も気にせず、お互い好きな装いをしよう。
二人で格好よくするのも、二人で可愛くするのも、王子と姫らしくするのも、すべては自分たちの心次第だ。
自分の中にある、たくさんの煌めきのひとかけら。
どれを選んで、組み合わせて、明日はどんな自分で過ごそうかと、夜空の無数の輝きをなぞりながら、二人は新たな星座を生み出すように想像するのだった。