さて、五日目の午後の事だった。
 雫が台所にいると、玄関の戸が開く音が聞こえた。誰だろうかと立ち上がる。

「おーい、俺だー!」

 その声に、雫は叔父の創助だと気がついて、笑みを浮かべた。和室から、ひょいと青眞も顔を出したので、そちらをチラリと見る。

「私、お茶の用意してる!」
「うん。応接室に持ってきて。俺は湯河准将を案内しておく」
「ええ」

 雫はその後、緑茶を入れた急須と、湯飲みを三つお盆に載せて、応接室へと向かった。ここも異国風の作りであり、長椅子とテーブルがある。窓にはレースのカーテンが掛かっていて、棚の上には異国風の花瓶がある。

「おう、雫。ちゃんとやってるかぁ?」

 叔父の明るい声に、雫は笑顔で頷く。すると創助は、青眞を見た。

「本当に雫はちゃんとやってるか?」
「どうでしょうねぇ」
「ちょっ、あ、青眞!?」
「俺にはなんとも。後で怒られますから」

 青眞の声に、創助が喉で笑った。

「なんだ、かかあ天下かぁ? らしくねぇなぁ、あの、氷酷の鬼と呼ばれた高藤大尉が」
「え? 青眞って軍人さんだったの!?」

 初めて知る事実に、雫は思わず言葉を挟んだ。
 すると小さく舌打ちしてから、青眞が首を振る。

「昔の話だよ」
「いや? そんな前でもないだろ。だって三ヶ月前だぞ?」
「……湯河准将、ちょっと黙ってもらっていいですか?」
「どうして? 雫に聞かれちゃまずいのか?」
「そういうわけでは……」
「まぁ確かに、怒らせると空気が凍り付いて誰もが硬直し、酸素まで凍るから呼吸が苦しくなるほど怖いだの、討伐する時は冷酷無慈悲で倒す鬼より、さらに修羅であり、あの虐殺っぷりは鬼畜の権化に違いないと謳われた結果の、氷酷の鬼なんて、知られたくはないかぁ」
「あの……全部湯河准将の口から暴露されてるんですが? ええと? 嫌がらせですかね?」
「可愛い姪には、事実を聞かせておかないとな!」

 創助が快活に笑う。青眞がテーブルの表面を指で、トントントンと苛立つように叩き始める。事態が上手く飲み込めず、大きく雫は首を傾げた。

「青眞はどちらかというと、ひょろひょろへらへらしていて優しいけど?」
「へえ。嫁さんの前では、氷酷の鬼も変わるのかぁ」
「それより湯河准将。なにか御用ですか? 雑談に来たのなら、全く歓迎してないので、さっさと出て行って下さい」
「ちょっ、義理の叔父にあんまりじゃないか!? まぁ、用件はある。あやかし対策部隊の隊長として、高藤即応予備書記官に、依頼があってきた」

 即応予備書記官とは、どんな職なのか、そもそも職名なのかすら、雫には分からなかった。

「ぜひその、青隠しの筆の力をお借りしたい」

 創助の瞳が真剣な物へと変化している。叔父は普段は非常に面白く明るい人なのだが、真剣な場面では、射貫くような眼差しに変わり、とても迫力と威圧感がある。雫もそれは知っていた。

 ただ、『青隠しの筆』というのがなんなのかはさっぱり分からない。

「――分かりました。場所は?」
双傳寺(ぞうでんじ)の封印石だ」
「雫、お茶はもういいから、ちょっと出て行って。ここからは、仕事の話だから」

 ひょいひょいと青眞が右手首を動かす。
 そう言われたら、下がるしかないので、こちらを向いた叔父に微笑しながら頭を下げて、雫は廊下に出た――が、気になったので、扉の前で聞き耳を立てた。

『またくだんの、異国から来たあやかしの仕業だ』
『またですか? あの狼男(ライカンスロープ)……』
『普段は人間のフリをしているようで、いっこうに見つからん。いいや、既に見つけているのかもしれないが、判別できない。特に、国へ来た異国からの要人の中に紛れ込まれていたらお手上げだ。手出しすらできん。人間のフリをして、外交官をやっていないとも限らないんだからな』
『特徴は?』
『茶髪で、黒い目。ただし瞳の周囲に、力を放つ時は日蝕のような金の輪が出ると聞いている。年の頃は二十代後半、お前より年上だ。尤も、実年齢は何百歳か知らん』
『何故封印石を壊してまわるんでしょうね?』
『俺が知りてぇよ。なぁ、高藤大尉、お前の青隠しの筆で呪文を書いて封印をかけ直してもらうだけでは、いたちごっこだ。埒があかない。いくらお前が書く文字には特殊な能力があるとは言え、後手後手では、きりがない』
『その呼び方は止めて下さい』
『戻ってこい、あやかし対策部隊に。頼むから。お前の力が必要なんだ』
『お断りします。俺は即応予備で家にいます。必要があれば、そりゃお力添えできることならお力添えします』
『……捜索と確保あるいは討伐は、お力添えできることに入らないと?』
『入るわけがないだろう。本職の、現職の、貴方達の仕事だ!』

 雫は暫く聞いていたが、話が難しすぎてよく理解出来なかったので、素直に台所へと引っ込むことに決めた。